第46話「超回復の男 前編」
幾度かに渡る力の衝突の最中で私は分析を進める。
「〈幻覚海洋〉」
私は再び広域に及ぶ幻覚を作用させると、床全体が足場をなくし、荒れ狂う海面へと変化した。私は発動と同時に浮遊し、当然浸水を防ぐが、それと比べて彼はどうか。
足場の変異に対応して彼が使用したのは緑の宝玉。それにより俊敏性を極限まで高め、驚くべきことに彼は涼しい顔で水面を疾走し始めた。そして幻覚をものともせずに、私に迫って緑の恒星を維持したままに赤の力を発揮した。
彼から分離するように人型を形成した式神が襲う。
(赤の一撃をもらうわけにはいかない)
〈硬化〉で鋼鉄化した腕諸共焼く程の威力を余裕で発揮したのだ――真正面から無防備に攻撃を受けようものならその時点で勝敗が決すると言っても過言ではないだろう。だからこそ、私も絶えず俊敏性を高めて挑み続ける必要がある。
彼が迫った途端に回避したら、偏差攻撃に巻き込まれる。故に直前での機敏な動きも又今回の場合は求められるだろう。格闘ゲームのジャストガードみたいなものだ。
赤の拳が迫る瞬間に私は余裕をもって五メートルほど後方へと回避する。彼奴とてまんまと攻撃を空に切らすなんてことはしてくこまい。彼は即座に式神を転身させ、私の姿を追う。だが、
(攻撃が止まった?)
二メートル程彼から離れた途端、赤色の式神はぴたりとその動きを止めて彼の元へ戻っていったではないか。使用者のセルヴィアというと、何食わぬ顔で再び俊敏に動き始めてきた。
(ふぅん、個体ごとに射程が違うのか)
彼は本当に指輪を主武器に据えた戦闘に長けている。
練度が段違いである。何よりも、切り替えのタイミングに一切の隙が無い。
一つの型に固執することもなく、かといえ軽率に乗り換えを多用するわけでもない。特筆すべきは速度の緩急だ。
(赤は射程範囲が精々二メートルやそこら……その射程の短さを、緑でカバーしているわけか)
それに対し、緑の式神形態の射程は遠く、広い。それそのものの殺傷性は極めて低いが、緑の速度は手に余る。大抵は憑依のオンオフを繰り返し、赤の攻撃が絶妙に届き、且つ反撃を受けづらい位置で立ち回るように専念している、面倒な連携だ。
「〈幻覚泥化〉」
海洋と化した部屋の性質を、踏めば引き摺り込まれかねない泥の大地へと変化させる。と、悠々と海上を走行していた彼の脚は瞬く間に沈み、自ずと高速化にストップがかかる。
「〈紅炎〉」
身動きの取れない彼の全身は一瞬で炎上し、簡単に皮膚や露出した臓器が黒化していくが、彼が一度黄色の宝玉を発動すれば元の状態に戻ってしまう。先からそれの連続だ。近距離で切り込めば、迷わずに青を発動し、防御が完了した時点で赤が私を襲う。完全に彼の中で自己完結してしまっている。
ただ一つ、黄色の性質だけを除けば、だが。
「〈酸霧〉」
青で正面の防護は完璧だろうが、空気と共に全周を簡単に駆け巡る濃霧には対処しがたい。彼は確かに青の宝玉により全身に〈術式〉或いは物理攻撃による傷をほぼ完全といってもいいように受け流すことができる、が、空気はその法則に適応されない――どうあっても呼吸を停止することはできないのだから。
実際、紫煙は止め処なく彼を覆っている青の粘液を透過し、内部へ至る。
「ほう」
彼の表皮は毒気に晒され、急速に乾燥したかのように肌が剥離していく。
「考えたな――これでは困りようだ」
その時、
「〈硬化〉――ほんと油断も隙も無いわね」
彼は降参する言葉を吐くが、その実、降参の気概など毛頭もない。
背後から一撃を与えるべく赤の瘴気で私の不意を打とうと事前に分離させていたのだ。それを察知した私は鋼鉄化した左腕のみで受ける。
成程、魔力を観測する力は、こういう場面で活きるというわけか。振り返らずとも、かの力の所在が読み取れて、振り向かずとも防御ができたわけだ。
その時、尚も全身を防御していた青色も、右腕を破壊せんとしていた赤色も同時に消え去る――順当にいけば、次いで黄色が煌めく流れになる。
だが、させない。
「――〈砕氷槍〉」
それは彼の全身を何本もの氷の槍が簡単に貫いた。
だけど少し出遅れた。
その結果、私が何本もの槍を彼の全身に打ち終えた後に彼の身体は綺麗に修復されてしまった。
「次は合わせる」
僅かにタイミングが逸れただけで、黄の宝玉の処理速度が私の〈術式〉の反応速度を上回り、完治してしまう。
が、方針は確定した。
赤青緑の力を同時に発動させることは可能だが、黄色の宝玉に関してはそうではないのだ。
発動には、直前まで使用していた赤青緑の宝玉の行使を一度キャンセルしないと黄色が起動しないのだ。今までの通り、他の宝玉を行使しながら黄色を展開するのは不可能なのである。
だからこそ、私の今後の方針は一つしかない。
赤青緑の力がキャンセルされ、黄色に切り替わる瞬間で決着をつける。
青の力は使用者の体躯を難攻不落に為す力、その抵抗力は個のみならず軍を相手にも引けを取ることはない。が、それがある意味弱点でもある。
私は〈電気網〉の術式を掌の周りに展開。それが鞭状になる長さまで延ばされていく。それを私は堅牢に身を包んだ彼ごと縛り付ける。そして、思いっきり引き寄せる。
彼を巻き込んだ装甲は瞬く間に私の眼前に迫る。私は其処に掌を据え、〈氷結化〉を衝突させる。
最初こそは、堅牢がそれを難なく相殺していくが、数秒が経過するに連れて、装甲周囲に発生している微振動に僅かながらに変化が生じ始める。
「矢張りそうか」
指輪から生ずる各色の粒子に対して私なりに仮説を立てていた。
指輪から生ずる粒子は行使者セルヴィアの細胞から転じているのか、或いは普遍的な魔力によって生じているのかの何方かに一つだと読んでいた。
私が態々リスクを背負ってでも彼を引き寄せたのは、至近距離の方が火力を高められるというのもあるが、仮説の実証を行いたかったからである。
「魔力を器用に変化させているのなら、話が早い」
その魔力を、私自身の〈術式〉の素材とできるからだ。
高位の〈術式〉を発動するとなると、当然かなりの交換材料が要求される。それを無視して馬鹿みたいに使い続けると、ご存知の通り頭痛が起こってしまう。
しかし今は通貨には事足りている。
そして、青の障壁が私の通貨として消費されたとしても指輪に接続された彼の〈魔力〉により自動供給がなされる。加えて彼は”通貨の理論”を知らない。
だからこそ、此方は理想値の〈術式〉を相手に勘付かれることなく運用することが可能なのだ。
そう或る以上、此方の独壇場だ。
気化や凝固を行使者の任意で操作できるというのなら、必然的にこちら側からの干渉だって理論的にはできる筈だ。
私の掌と防壁の接触面を根源に、凍結が波状に拡散する。彼奴の現状為せる抵抗は二つに一つだ。青を解除し、直ちに黄色を発動し、完全凍結する以前に回復の機構を成立させる。或いは赤に切り替え、至近距離に達している私に直接攻撃を加えるか、だ。
後者の赤の一打を真正面に受ければ私とて無事では済まないだろう。それは同時に彼に二度とない好機を与えることを意味し、それを無為にする程彼は慢心しない。強かであるが故に、一撃で決めに来る。
その抵抗策に私が氷結開始直前に設置したのが電流の縄だった。赤による反撃をしたければすればいい、したら最後、鞭から逃亡する機会を完全に失ってしまう。
「カノン、お前は抜け目がないな――」
逃げるにも、反撃するにも無傷では済まされまい。
そうとだけ告げると、青色の皮膜は隅なく氷の膜に変容した。
「そうね、負けるわけにはいかないから」
私は鞭を、絞める方向に強く引いた。瞬間、細氷は鞭の圧に耐え切れず、粉々に崩れ去る。瞬間的に、双方が高速化を実行。私は電撃の手綱で彼を封じ込むために青をキャンセルした――黄色を発動させるために。
「貴方がそうしてくれて、助かったわ」
一条、二条と彼の全身を鞭が駆け巡り、彼の行動が阻害される。
だけど、それだけでは黄色の発動を阻害できない。
私がそれだけで終わると思う?
私は鞭を抑えつつ、虚空に手を差し出すと、丁度落下の最中だった凍結した氷の膜の破片がその手に入る。それをそのまま彼の心臓の位置目掛けて押し込む。
「っ――」
彼の口から大量の血が口から堰き止めれずに零れ落ち始める。
「ふむ、無痛症とは言え、心臓に刃物が突き立てられるのは無事では済まないか」
塗炭の苦しみでしょうね、それはもう即座に回復をしなければいけないくらいに。
私がほんの少しでも刺さった砕氷の位置を変えれば勝敗は決する。
彼は漸く黄の色が仄かに観測できるようになった瞬間、
「遅いわ」
黄色の発動過程に入った今、私の高速化を追いかける術は彼にない。
私だけが高速の世界に到達。光芒が増加するよりも早く、心臓に突き立った獲物を抜き取り、そのまま彼奴の頸動脈を分断する線をその深紅に染まった切っ先で描いた。人間の表皮は存外柔いものだ。そこだけは元の世界と大差ないことに、何処か安堵を覚える自分がいた。
そして、十分に深い傷口を通わせた後は、少しだけ後方に下がる。特に理由はない、単に返り血で服を汚したくないからだ。
下がり終えたと同時に、高速化を解除する。
直後、血が噴射して、虹彩の色調が次第に薄暗くなって、地面に横向きに倒れる。
胸部からも夥しく流出する血液量と合算するに、自力での止血は困難だし、止血をするのには…………遅すぎた。




