「世界の秘めたる力」
そろそろ異世界のことを思い出しましょう! という話です。
「え……?」
ここにきて、遠のいていた意識や異常なまでに向上し、発汗さえも覚えるくらいだったというのに……今度は急速に体温が低下した。
「私は……何を?」
風が生じて、部屋が半壊状態になった?
「愛華!」
私は巻き込まれた愛華のもとに駆け寄って、彼女の上に覆いかぶさる本類や家具や小物類を急いでどかす。そして彼女の様態を確かめる――少しの外傷は負っているが、深手ではない。
「か、のん……?」
愛華はほんのわずかの時間だったが意識を失っており、今目を覚ましたようだ。
「よかった、本当に良かった。何が起こったか全然わからないけれど、愛華を傷つけたと……」
「違うよ」
愛華は弱々しく頭を振る。
「私は大丈夫」
そうして私の肩を借りて彼女は立ちあがった。
「それよりも――」
「…………」
私と愛華は部屋の出先で一向に起き上がる気配のない父に近寄る。
彼の頭部は、完全に欠損して――絶命している。無論受け身を取る余裕もなく、そのまま彼の頸動脈からは既にとめどなく深紅が噴き出しており、止血で命が留められる量をとうに超えてしまっていた。
「そんな……そんな……」
私は一度、震える拳を握りしめて、血に濡れた床を叩く。だけど振動は止まらずに続いていた。
「父さんは、母さんを殺した。偽装だってした、だけど――」
私がそんな父さんを殺してしまった。
今迄散々殺してきたのに、どうして今になって底なしの罪悪感が芽生える?
一度この人は私を完全に拒絶していたではないか。それ以前にも、自分に居場所がない作られた人生だったと知った時点で割り切っていた筈だ。それなのに、何故今、私の心は酷く張り裂けそうなのだ。
私は再度手記を開き、直前まで読んだ最後の文章を指でなぞる。
薄い肌色で無地の頁はなぞる度に赤く汚れる。汚れが増えるたびに私はその文章を何度も独り言のように反芻させ、その後に続くはずだった文章をイメージした。
「続きがある」
何度か頁を行き来しているうちに愛華が先に何かを発見したか、死亡直前の文章から数十頁も飛んだ先の余白に、見逃してしまいそうな程小さな文字が薄く記されていた。
「奏音へ……?」
――このままでは私もお父さんも大変なことになってしまいます。
――それは私とお父さんがいる以上、避けられない未来なのです。
――だから私は自ら私の生を終わらせようと思います。
――それが、私のできる最善だと信じています。だから、奏音、どうか。
「……お父さんと、仲良くやってください。今は荒れていますが……きっと、分かってくれる日が……来ますから……」
これが、最後に母さんが自殺をする直前に記されたことだというのは文脈により容易にわかった。
「父さんは……母さんを、殺していなかった?」
「…………」
「私、勘違いをしていた。母さんを殺されて、愛華も同じようになるかもしれないって思って……私、何も考えないで」
お父さんを殺してしまった。
「母さんは最期に、残されたお父さんと仲良くしてほしいと願っていたのに……私が、私の手で母さんを一度ならず二度も……裏切った」
私がもしも初めて手記を読んだときに、もっと冷静に読み解いていれば。
私がもしもそのうえで、お父さんともっと真剣に対話を望んでいれば。
もしも、もしも、もしも……山積するそれらの思いが鎖として我が身に巻き付き、遂にはその肉を抉り始めるかの痛みが伴い始めた。
「でももう……止まれないんだ。愛華、私はもう……泣いて逃げたりはしないよ」
私は立ち上がって、愛華の手を握るよ。
「奏音、泣かない?」
「うん、もう泣かない」
なぜなら、
「泣いたってずっと現実は変わらないで、よくない方向に進み続けた――泣いたってそれは相手に弱さを露見することにしかならないんだ」
だから、私はどれだけ苦しく、現実に殺されそうになっても――私は涙を流すなんて真似はしない。汚泥に塗れようとも抗ってみせる、全身から血が噴き出そうとも見苦しく足掻く。
「そんな私を、愛華は嫌いになった?」
「ならない、奏音は私に居場所をくれた。守ってくれたその場所で、生きていきたい」
「私が絶対に実現する――そのためならどんなことだって厭わない」
貴女を愛しているから。たった一人の大切な家族を守って見せる。
「奏音、体調はどう?」
「体調?」
帰路はここまでの降雪によって純白に染まっていた。
定期的に雪かきはされているのか、車道と歩道だけは如何にか進むことができる。
「体調は悪くないわ。それよりも……蛍ってこの時期に飛んでいるものだっけ」
「え……?」
家を出てからは頻りに視界の節々に虫がちらついている。
それこそ、最初は自宅内に沸いていた蛆虫が未だに周囲を飛び回っているのだと思っていたのだけど、それとも違う。何よりも蛆虫は発光などしない。その燐光は街中に散見できる。
「なんていうか、目にゴミでも入っているのかしら――ていうか、あの風もよくわからない。愛華は……何か知っているの?」
「……その蛍は今も見えているの?」
「うん、何か知っているの?」
「……知っている、風のことも……奏音の身に起こったことも」
「もしかして、あまり言いたくない?」
「違う。すごい、説明が難しい」
それに、と愛華は言い渋る。
「信じられない話」
「私が愛華を疑うと思う?」
私が若干の食い気味でそう返すと、愛華は微笑んで、
「意地悪な質問」
「ふふ、ごめんなさい――でもそっか、難しいか」
多分一筋縄で済む話ではないだろう。
彼女が彼女なりに準備ができるその時を待とう。
「ただ……私が、あの時……ずるをしたせい」
「ずる?」
芋づる式で記憶が蘇る。
バットで襲撃した際に、愛華が施してくれた“おまじない”。それにより、どういう原理か私にもわからない。だけど、それがきっと起因しているのだろう。
「奏音には、教える」
愛華は冷たい空気をすぅっと吸い込んで、立つ。背面には雄大な満月間近の月が佇んでいる。その月光の煌めきと彼女の光彩が一瞬間だけ重なったように見えた。
そして愛華は言葉を続ける。
「この世界には……〈術式〉と呼ばれる力が存在している」
私はその日――世界の別の側面を知ることとなった。
はい、この世界にも実は魔術はあるのですね。




