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中日本駐屯室 ーⅢ


 中日本駐屯室司令席。

 ドライヤーでセットを決めてた髪の毛を、前から後ろに両手でかき上げる。

 一旦伸びをすると溜息をつき、再びデスクに頬杖をついた。

 室長野口は頭を悩ませる。

 もう終業時間を過ぎて四時間以上も経過すると言うのに、出動中の隊員から一向に連絡が来ない。またこちらからの通信も繋がらない。

 緊急の出動と言えども、いつもは数時間もすれば報告をよこすのに、今日という日は一切音沙汰なかった。

 これは異常事態と捉えるべきなのか。

 もしも単純に通信機材のトラブル程度だったのならば、問題は何もない。だがしかし、あの地下の化け物にやられていたのであれば、それは厄介極まりない事だ。

 上層部に報告が上がるようなことがあれば、自身の責任が問われ、今の立場が危うくなることは間違いない。

 そもそもだ。この中日本駐屯室という奇妙な窓際部署がある理由がおかしい。

 特別殺虫係の中でもその実動部隊たるSPETが他にどんな拠点をかまえているのか、首都本部基地、関西基地、九州基地、どれも立派な要塞である。それで何だ、中日本駐屯室? 完全にふざけているとしか思えない。もはや基地どころか建物ですら無く、ただの部屋だ。出動車両? そんなものは職員の自家用車の隣だ。それもバイクが一台だけ。

 つまり何が言いたいかと言うと、戦略上、尾張中京都にはSPETはあまり必要では無い。余所の隔離都市に対して比較的虫の数も少なく。それで、有事の際には関西か首都から来ればいいと。


 で、この事態。唯一の隊員が帰って来ない。まさか有事の事態が発生しているとでも言うのか。しかし連絡がつかなければそれすらも判断できないわけで、もし地下でやられてしまっていては、完全にお手上げだ。

 じゃあなんだ、自分で見に行けばいいと? 寝ぼけたことを言うんじゃない。この平凡な中年男が一人出て行って何が出来る。あそこは人間の生きて行ける場所なんかじゃない。地獄だ、いやそれよりもひどい。光も水も食料もなし、それが何百キロにもなる立体迷路を構築しており、更には殺虫剤なくして絶対に勝てない怪物がうじゃうじゃいるのだ。

 とてもじゃないが、一般の職員にあのような地獄の探索など不可能である。大体あの公安隊というほとんど軍隊みたいな組織が無力なのだ。凡人の犠牲がいくつあっても間に合わない。

 

 それでどうするか、今行うべき選択肢は二つある。

 報告書には長期間の調査中である記載しておき、彼の無事を信じて待つか、または今すぐに不測の事態を上に報告して関西か首都に応援要請を出すか、二つだ。

 前者の方が恐らくは無難。あの男の事であるし、実際やられるはずがないと思っている。仙人と侍と忍者を合体したような彼がやられる事態であれば、もはや尾張中京都自体が危ない。で、そんな事はどう考えてもないわけだ。

 だとしたら、下手に応援要請を出すのはまずい。あの関西と首都の大袈裟な化学戦隊を出撃させておいて、まさかの空振りという結果になる。そんなことになったら上層部からどんな叱責を受けることか。

 しかし万が一、彼が本当にやられて死んでいたのであれば、前者の対応は非常にまずい。尾張中京都の危機に対して初動が大きく遅延するのだ。

 そんな事になれば、もはやクビどころの騒ぎじゃない。多くの犠牲者が出る。


 室長は考えた。

 もしもやられていたら、の現実味を考えた。


「まぁ……、無いだろ。ないない」

 それが常識的な判断だ。室長は席を立ち上がる。

 皮のカバンを手に取って、司令席を後にした。

 部屋の電気を消灯し扉のノブに手を掛ける。

 今日は一旦帰宅しよう。明日結論を出しても遅くはないはずだ。また明日になれば状況は変わっているかもしれない。今はじっとこらえて待つべきだ。果報は寝て待てと、昔の偉人も言っていた。良い言葉じゃないか。

 と、室長が思う丁度その時だった。

 駐屯室を出ようとした時、事務机の固定電話が外線音を鳴り響かせる。

 それに気が付いた室長は、少し慌てて電話をとった。

「はい、特別殺虫係中日本駐屯室」

 もしかしかしたら志賀からの電話かもしれない。

 本来ならば、業務時間外では外線は受け付けない設定にしてあるが、彼のためにも今は解除してあることを思い出した。

 そしてもしこれが志賀からの電話であったなら、全ての不安要素を晴らし、気分よく帰れるというものだ。


――あのすみません。少し伺いたいのですが……。

 受話器から聞こえてくるのは若い女の声だった。

 無言の溜息をつく室長は大げさに肩を落とす。

 当然志賀からの連絡だとばかり思ったがために、見当違いの相手に落胆した。

 しかし例えそうでも、あくまで市民対応は真摯でなければならない。電話越しで、本当に溜息を声にしたら、後でどんなクレームが入ることやら。

「はい、どういたしましたか?」

――あの、申し遅れましたが、私、そちらでお世話になっている志賀潤史朗の妹、志賀夏子と言います。

「え? あ、ああ、彼の妹さんですか?」

 潤史朗ではなかったと思えば、まさかの妹からの電話であった。

 彼に妹がいるとは一度も聞いた事がなかったが、それにしてもなぜ職場に電話をかけてくるのか、そして彼のことについてどう説明をすべきなのかと、室長の頭の中では様々な思考が巡り、半ば混乱の一歩手前。

 しかし電話越しの妹を名乗る女は、室長の次の言葉を待つことなく話を続けた。


――お忙しいところすみません。実は今日、兄が大学の講演中に突然飛び出して行ったんですよ。多分、緊急のお仕事なんでしょうね。なのでそれはいいんです。ですけど今日はまだ帰宅していないようで。もしかしたら、まだそちらで勤務中だったでしょうか。


 室長の額に冷たい汗がじわりと伝った。

 いや、あせることはないはずだろう。相手は何も知らないただの一般人、適当にあしらえばそれでいい。

 そもそも一般には極秘の業務、それについての問い合わせなど何と誤魔化そうが問題になりようがない。


「ああ、潤史朗君はね、今日は少し庁外業務で出向中でしてね。ちょこ~っと戻るのは遅くなるかなぁ」

――そうですか、支部の方にはいつ頃戻りますか。

「いやあ、ごめんねぇ、電話も繋がらないみたいだし、ちょっとわかんないんだなぁ。戻ってきたら妹さんから電話があったって伝えておくよ。悪いけどそれでいいかな?」

――そうですか……。


 なに、何て事はない。

 それよりもまぁ、兄思いの良い妹ではないか。帰りの遅い兄を心配して電話をくれたのだ。きっと夕飯や風呂の準備の都合があるのだろう。

 いやぁ関心関心。


――つまり兄は、帰ってこないと連絡をとれない、今は連絡のとれない場所にいるってことですね?


 油断した矢先に飛んでくる鋭い一言。

 口角の持ち上がった優しい笑みは、そこでピタリと硬直した。


「あ、いやぁ、まあねぇ。その何と言うか、別にそんな事もないのだがね、まあ仕事の都合で色々ねぇ、うん」

――いえ、いいんです。ただやっぱり、地下の凄く深いところで仕事をしてると思うと凄く心配で。

「いやいや、そんな地下五千以下と言ってもね?  別に特段危険があるわけでもなし、何も心配はいらないよ。お兄さんの事は大丈夫だ」

――そうですか、やはり兄は地下で働いているんですね。

「え?」

――お忙しいところ失礼致しました。兄が戻りましたら連絡するよう伝えて下さい。あんな兄ですが、遅くなる時はいつも連絡をくれたので……。何もないといいのですが。

「……」

――それでは失礼します。


 電話は切れた。

 が、室長は受話器を持ったまま、しばらくそこで止まっていた。

 どうしたことだろうか。

 まさか小娘相手に、こうも手の平でコロコロさせられるとは予想もしなかった。

 結果的に自分から、あまりよくない情報をもらしてしまったのだろう。

 地下の五千以下で働くこと自体は、地下衛生管理局としてなんら隠していない周知の事実であるが、今の感じからして恐らく志賀は妹にその事を伝えていない。

 こちらとしては、彼が消息を絶った現状から、あまりその実態をあからさまにしたくないのは事実。しかし話をしてしまった以上は仕方ない。さすがはあの男の妹といったところだろうか。

 彼女が他の職員にこの話をしないよう願うばかりである。無論、そのようなことはありようもないが。

「さて、どうしたもんか」

 そう呟いてポケットに手を突っ込む。

 するとその時、今度は自身の携帯電話に着信が入る。

 着信音は美少女系アニメのオープニング。画面を開いて確認した。妻からの着信である。

 室長は少し面倒臭そうに電話をとった。


「うい、俺だ」

――ちょっと、あなた! こんな時間までどこほっつき歩いてんの!? まさか、また子供みたいにゲームセンターに行ってるわけじゃないでしょうね?

 受話器から飛んでくる甲高い声に、室長は電話を耳から遠ざけ顔を曇らす。

「仕事だよ仕事。今日はちょっと色々あんだよ」

――あなたいつも定時で帰るじゃない。

「たまには忙しいこともあんだ」

――嘘言ってないでしょうね?

「ほんとに仕事だっての」

――あそう。で、いつ終わるわけ? その仕事とやらは。

「ああ。そうだなぁ……」

 室長はそう言うと、しばらくそのまま考えた。

 先程とった机の電話をぼんやりと眺める。


――ちょっと、聞いてるの? あなた。

「ああ、いや悪いな。今日はもうちょっと掛かる」

――……、なにかあった訳?

「いや、なにも。まぁ日付が変わるまでには帰るさ。すまんな心配かけて。それじゃ」


 切った携帯電話をポケットにしまう。

 彼は無言で室長席に戻るとパソコンの電源を入れた。

 ここで帰るのもありだったのだろう。

 だがどうしてか、まだやれることをやりたいと、自然に湧き出るその気持ちが、彼を再び司令席に座らせた。

 大丈夫、0時までにはきっと帰れる。

 自分も、そして彼も。


「あー、もしもし、私だが」

 室長が覗く先は、パソコンのディスプレイの上に乗る小型カメラ。双方に顔を確認できる映像通信だ。

 だがしかし、相手方の顔は一向に現れない。画面の向こうはただの壁、通信が繋がっている以上近くにはいるはずだが……。

「あの~、私だが、そこにいるんだろう? 要件があるのだが」

――すげー忙しいんだけど、何か用かオッサン

 姿は現さないが、聞こえてくる声からして若い女のようだった。

 がしかし、先ほどの妹を名乗る女とは異なり、その口調からする雰囲気は気品や上品さと言った物とはかけはなれているように感じた。

「ああ、実はだね」

――てか、おっさん誰? 『私』じゃ、わかんねーだろ普通。どこの社長だっての。

「いやすまん。中日本駐屯室の野口だ」

――ああ知ってるよ、野口な。で何か用?

「あまり大きな声では言えないんだが、実はこちらの地下で隊員が一人消息を絶った」

――で?

「是非、君たちSPET関西基地隊の力を借りたい」

――……、あんたぁ、それ正気で言ってんの?

 声の女は少し呆れたようにそう言い放った。

――隊員が一人行方不明って、そんなんで俺らSPETが動くと思ってんの?

「ああ、いや……。そうは思わんが」

――どういう経緯か知らねえけど、地下深くで人が死ぬなんてのは日常茶飯事だろ。大体公安の連中がどんだけそこで死んでるんだっていう話。たかだか隊員が一人行方不明だからて普通誰も動かねえだろ。おっさんがどーいうつもりか知らねえけど。

「それは、承知しているつもりだが……」

――大体さあ、おっさん、まず話を通す相手が違うだろ。なんで俺に言うんだよって話。まず俺に直接話す前に、通すべきルートってものがさ、あるんじゃねえの?

「いや、まあそれも承知で……」

――それとも何だよ、何か良くない理由があるってんのか?

「……」

――何だよ、おっさん。まぁいいけど、聞くだけなら聞いてやるよ。はやく済ませろよ?

「悪いな」

――いいよ、でなに?

 事態を説明するには、自分の立場上少し抵抗があった。

 だがしかし、通信を始めた時点でもう心は決めたはず

 上を誤魔化す事なんて、後でどうとでもなるだろう。今は出来る事をただやるべきだ。


「実は消息を絶ったのは、例の彼なんだ。志賀潤史朗。知っているだろう?」

――そりゃあ知ってるよ、先輩だしね。でもそれが急にどうしたんだ。アニキが消えたの結構前じゃん。

「え?」

――え?

「すまんが、どういう事だ?」

――だから、もう死んでんじゃん、アニキ、ってか先輩だけどよ。おっさんボケてんの?

「え? いや彼は健在だよ。今もこちらで働いている。もっとも今は行方不明なのだが」

――はぁ? どういうことだ? まさか、消息不明で死んだアニキが見つかったってことか?

「いやそうではなく、行方不明になったのは今しがたで」

――ちょっと待ってろよ! おっさん! ダッシュでそっち行くわ!

「あ、いやちょっと!」

―――出撃だぁ! SPET出撃!! 尾張中京いくぜ!

 遠くの方で女が大声を出しているがスピーカー越しに聞こえてきた。

 パソコン画面はどうやらほったらかしのようなので、室長はこちらから通信を切断した。

「はあ……」

 今度の溜息は声に出た。

 また少々まずいことになった。

 話がくいちがったまま彼らが出撃してしまう。

 こちらとしては、あくまでもこっそり動いてほしいところだったが、これでは後処理が大変だ。

 これだから話をちゃんと聞かない脳筋女は困る。

 だがいずれにしても、関西基地のSPET小隊を動かした以上、それなりに理由を付けなければまずいだろう。

 まだまだ今日は帰れそうにない。



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