中日本駐屯室 ーⅡ
地下世界に慣れ親しんだ潤史朗にとって、公安隊員らの逃げ場所を予測し、そこに辿りつくことは容易であった。
そして再びバイクを飛ばすこと数分。かくして予測地点に至るも、その目の前の光景は予測を少し上回る。
群れをなすゴキゲーターが数十匹。
彼らは広い地下道を、道幅一杯に渡って広がり、潤史朗の行く手を阻んだ。
それらが囲うのは車両が数台。
隙間から見える赤色警光灯。公安隊の巡視車両は群れとなったゴキブリ達にたかられていた。
バキバキと鉄板がへし折れる音が聞こえてくる。
その光景は正に地獄絵図。
「異常だ」
潤史朗はこの情景に一瞬目を疑った。
あり得ない数のゴキゲーター。こんな大群を目撃するのは実に久しぶりだ。何故、という疑問と同時にその迫力に圧倒させられる。
「なんじゃこの数。笑っちまうぜおい」
「……なぁクガマル、今一体何メートルなんだ? 少し潜り過ぎたんじゃないかい?」
「んな訳あるか。たかが五千七百だ。浅いも浅いアメンボがいるくれえ浅い」
「それは浅いを通り越して水面だよ」
「で、どーすんだ。深度五千七百程度だろうが現実にゴキゲーターがうじゃうじゃ湧いてんだ。逃げるか殺すかさっさと決めな。中途半端は命取りだぜ?」
「いや、……既に逃げる選択肢は無くなった」
そう言いながらバイクから降り、放射ノズルを構える。その先には、こちらの気配に気が付いたゴキゲーターが数体、既に走って向かって来ていた。
「今引き返したら、こいつ等をゲート付近まで誘導することになる」
引き金に指を掛け、射程圏までじっと待つ。
その時クガマルは、そっと近づき彼の耳元付近で囁いた。
「まだ生きてる人間がいるかもよ。ジュンシローよぉ」
一瞬彼の指先は止まった。
だがしかし、その一瞬以上の停止は許されない。ゴキゲーターはすぐそこだ。
「君はそんなんで、悪魔になったつもりかい?」
殺虫剤を放射。
かくして濃霧に撒かれる虫たちはみるみるうちに倒れていった。
「やりやがったなジュンシロ―。ぎゃはははは」
「他にどうしろって?」
潤史朗は殺虫剤の噴射を継続した。
次々に向かい来るゴキゲーターの群れは、仲間の死骸を踏み越えて襲い掛かりに飛んできた。
そして淡々と、それらに殺虫剤を振りまいて、次から次へと仕留めていく。
だがしかし。
相手の数は圧倒的だった。
迫りくるゴキゲーターの数に対して、殺虫薬剤は個体あたりの致死量を下回る。
ゴキゲーターが一体、殺虫剤の霧を突破し襲いかかった。そしてそれが二体、三体、と複数続く。
かくしてゴキゲーターは潤史朗に牙を剥いた。
既にゴキブリは目の前に。
「クガマル! 援護!」
刹那、潤史朗は大きく上に飛び上がった。
接触と同時に、ゴキゲーターの頭を踏み越えて、その胴体を足場に更にジャンプ。勢い余ったゴキゲーターと空中ですれ違う。そして潤史朗が飛び上がった瞬間にやって来たクガマル。クガマルは、飛び上がった潤史朗の腕を掴み、その強烈な羽ばたきをもって、彼の滞空時間を数秒伸ばした。
その間更に突っ込んでくる数匹のゴキゲーターを空中でやり過ごし、それらの攻撃を回避する。
回避後、潤史朗は着地。その瞬間にホルスターバックから新たなアイテムを取り出した。
それは小型の黄色いボンベ。
家庭用のカセットボンベサイズの物だが、またしてもラベルには『MEGAーKIILER』の文字が綴られる。
潤史朗はそれのピンを抜き、後ろへ回り込んだゴキゲーターの方にそれを投擲。
するとどうだろうか、小型ボンベは手から離れた次の瞬間、地面とぶつかると同時くらいに爆発する。
爆発は大きな音と、殺虫薬剤の濃霧を伴って拡散し、後方三体のゴキゲーターを殺しにかかる。
潤史朗はそれを確認する事をせず、再び巡視車両側のゴキゲーターに背中のボンベの殺虫剤を振りかけるが、後方の三体が彼にもう一度襲い掛かることは無かった。
「あと何匹くらいいる?」
潤史朗は殺虫剤の噴射音に負けないよう、大声でクガマルに話しかける。
「さあな。そろそろ半分くらいじゃねえのか」
「そろそろヤバい気がするよ」
「何が?」
「ボンベの残圧」
「なんだって?」
との会話の最中だ。
ボンベのハーネスに取り付けられた警報ベルが突然に鳴り出した。
「ほらね」
「ほらねじゃねえぞ! 言うのが遅いんだよ! どアホが!! ちょっと待ってろ!」
クガマルはそう叫ぶと猛ダッシュでバイクのとこまで飛んで戻る。
鳴り続ける警報ベルは、ボンベ残圧が残り十パーセントを下回ったのを知らせていた。
するとたちまち放射圧力は低下し、ノズルから噴射する薬剤の量は目に見えて減っていく。そして、それとに反比例するように勢いを増すゴキゲーター達。彼らは、その僅かな殺虫剤など、ものともせずに塊となって突っ込んできた。
接触まで残り十数メートル程だろうか。
潤史朗は放射ノズルを離し、先ほどの小型ボンベ型、爆散殺虫剤をホルスターから数個取り出して、そのピンを引き抜きながらポイポイと前方に放り投げた。
爆ぜる爆散殺虫剤。先頭のゴキブリ達は次々に倒れていく。
だがしかし、ホルスターに突っ込んだ手は次の弾がもう無いことに気が付いた。
またしてもゴキゲーターの群れは勢いを増す。
「おら交換だ!」
クガマルが新しいボンベを抱えて飛んできた。
「お前は目の前の虫に集中しろ! そのまま俺が交換してやる!」
「わかった! と言いたいとこだけど、もうグレネードも切らしたんだなこれが」
「あんだと?」
「まぁいいから、はよ」
殺虫剤は切らしても、まだ手持ちの武器として一応は拳銃が残ってる。ほとんど効果は無いが、それでもボンベ交換まで多少の時間稼ぎにはなるだろう。
そう思う潤史朗は、腰のポーチから拳銃を抜き取った。
「待て! 俺が時間稼いでやるから自分でボンベ換えろ! その方が早い」
ドローンに吊られて飛ぶボンベ、そして切らした爆散殺虫グレネードと手には拳銃。クガマルは新しいボンベを置いて、再び飛び立とうとしていた。
「ふむ。待ちたまえ。クガマルよ」
「馬鹿野郎! んな時間の余裕はねえ、ふざけてねえで急げ!」
「そのボンベを群れの中央へ落とすのだよ」
「んあ!?」
「いいから、はよ。時間ないよ時間」
潤史朗はクガマルの体をポンポンと叩いて急かす。
その奇行に不審がるクガマルだったが、とりあえず一旦、そのとおり新品のボンベをもって飛び立った。
して、拳銃を構える潤史朗。
その姿を後ろに見たクガマルは、彼の意図を理解した。
「そういう事かよ」
クガマルは上空より群れの中央にボンベを投下。
そしてそのボンベを拳銃にて狙い撃つ潤史朗。
レーザーポインタがボンベを捉え、そして一発の弾丸がそのボンベを撃ち抜いた。
そして、次の瞬間にボンベは爆発。一瞬にして大量の殺虫剤が拡散した。その規模は、先程投げた爆散グレネードの遥か十数倍にも及び、辺り一帯を濃霧で撒いた。
「どうよ。この新戦術は」
薬剤の霧の中、潤史朗の声だけが響く。他に何らかの走る音は、もはやない。
「普通に効率悪いだろ、殺虫剤の無駄遣いだ。それと俺が危ねえ」
「怪我は?」
「するかよ」
「なら良かった」
殺虫剤から成る死の濃霧は徐々に薄くなっていった。
そこに姿を現すのは、頭の横にアクションカメラをつける男と、そして昆虫型のAIドローンだった。
彼らはゴキブリの死骸の山に立ち周辺を見渡した。
「オレたちの勝利だ」
「久々の大掃除だったねえ。ちょっとびびった」
「まあな。だが、どんだけ群れようが、ゴキゲーターなんざ敵じゃねえよ。所詮はゴキブリだ」
「そう言うのを慢心って言うんだよね」
「事実だろうがよ」
「そうねぇ」
潤史朗はそう言うと、ひょいと死体の山から飛び降りた。
「あんまり大きな口叩いてると、その内痛い目を見る事になるよ。って言うか、ゴキブリを舐めたら駄目だね。君だって知ってるはずさ、世の中にはもっと恐ろしいゴキブリがいるってこと」
「知っているとも、だがオレとお前に敗北は無い」
「だといいけどね。さて……」
死体の山を越えると、見えて来たのは大きく損傷した公安隊の巡視車両が二台と、そしてもう一台は普段はあまり見かけない車両であった。
合計三台の公安隊車両だが、その見かけない一台はセダンタイプではなく、何だかやたら頑丈そうな大型バンであった。
とりあえず一旦、セダンの巡視車両二台を覗き見る。内部には、職員の亡骸がみるも無残な姿で座席にあった。フロントガラスを突き破られ、そこからゴキゲーターの大あごで頭からかじられたのだ。首から上が微妙にあったり無かったり。潤史朗到着の時には既に手遅れであったようだ。
さて、そして三台目の大型バン。
こちらの損傷は他二台よりやや軽微であるが、やはり運転席と助手席は食い破られている。遺体は腰より下だけ残っており、必死の思いで握りしめていたであろう腕が、ハンドルにぶら下がっていた。
「こいつは護送車だな」
クガマルが言った。
確かにこの大型バン、他の二台より大きく頑丈そうなのは、そう言うことなのだろう。
キャビンのダメージは大きいが、荷室の損傷は内部までには至っていない。
「生存者が」
「いるのか?」
潤史朗は護送車の後方に回って、荷室の扉をこじ開けた。
ゴキゲーターの攻撃で扉は大きく変形しており、開けるのは至難の業ではあったが、ほんの少しの隙間から、クガマルが閉じた大あごの先端をそこに突っ込み、てこの原理と油圧によるハイパワーで、曲がった扉をこじ開ける。
護送車荷室は開かれた。
「……君」
「お前かよ」
荷室の隅っこで小さく固まり、頭を抱えてがくがくと小刻みに震える男が一人いた。金髪で痩せ型、もやしのような青年だ。
そう、彼こそが。
「ヒカ何とかさんじゃん」
「う、うう……。誰か助けて……」
潤史朗は早速ヒカリンに接触を試みた。
彼の近くまできて、しゃがんで顔を覗き込む。
「やあ」
「誰か、誰か……、ううう」
「来たよ」
潤史朗は彼の肩をポンと叩いた。
するとようやくヒカリンは顔をあげ、潤史朗の存在に気が付いたようだ。
「え、ええ、ええっと……」
「やあ」
「う、うわぁあああん」
ヒカリンは潤史朗の顔を見ると、思わず体に抱き着いた。そして子供のように、うわんうわんと、その胸の中で泣き散らす。
「助かった。助かったんだ。うぐっ、ひっぐ。あ、ありがとう。ほんとーにありがとう」
ヒカリンは嗚咽交じりの声ともならない鳴き声で、潤史朗の胸にすがり付いた。
「よーしよしよし。いい子いい子。も~う大丈夫、もう大丈夫さ。ほら、もう泣くのはおよし。地上に帰ろう」
「うわぁああん、ぐすん、ぐすん」
「おいジュンシロー、こいつ捨てて帰ろうぜ。損した気分だ、お前はどうだ」
「同意。何も失っていないのに、なぜだか損した気分だ。不思議だよね」
「よし引き揚げだ」
「いやちょっと待って、流石にもう少し話を聞くよ。実際この異常事態な訳だし、新鮮な内に現場の調査を」
「ぐすん、ぐすん」
「で、テメエはいつまで泣いてんだ。ぶっ殺すぞクソ野郎」
「ひいぃいっ、す、すいませぇん!」
* * *
「……こうして不可解な点をいくつか残す訳なんだけど」
「とりあえず帰投だ、ジュンシロー。殺虫剤も残り少ねぇだろ」
バイクに跨る潤史朗。そしてその後ろには、昨日と偶然にも同じ人物を乗せて帰ることとなった。
残念ながら公安隊員は全滅。そして幸いにも、取り調べ中で、堅固な護送車に守られていたヒカリンのみが助かるという形になった。
現場の写真は幾らか収めており、これで公安の方には事態の説明がいく。
取り敢えずは一件落着。
と、そう思っていたかった。
地面が、微妙に揺れている。
停車したバイクの片側に付く足の裏。そこからビリビリと伝わってくる細かな振動。上壁からは、小石がこぼれて地面に落ちた。
「振動?」
「地震……、いや違うな」
暫く続く地面の振動は、地震のような揺れとは異なり、地下道全体がまるで震えているような感じであった。
「なんだろうね」
「ジュンシロー、落盤の危険がある。早くバイクを出せ」
「問題ないよ。この辺りは頑丈だ」
「知ってる。だが急げ」
「そうだね。なんか嫌な予感がする」
潤史朗はそう言って、バイクのエンジンを始動した。
そうしている内にも地面の振動は徐々に大きくなった。
次第に大きくなったその振動は後部座席のヒカリンのところまではっきりと伝わる。するとどうした事だろうか。彼は前触れもなく突然叫び出したのだった。
「や、やばい! 奴らが来る! 奴らが来ちまう! は、はやく! はやく逃げないと! うわぁああぁあ。もう駄目だ。うぁあぁあ」
ヒカリンは狂ったように頭を抱えて絶叫した。
「まさかまたゴキゲーターの群れが?」
「ジュンシロー」
「なにさ」
「おいでなすった。前方五百メートル。足音複数」
まだ目視では確認されないが、クガマルはゴキゲーターの接近を察知した。
この狭い地下道の中、あの巨体がどかどかと走り回れば、嫌でも音が伝わってくる。
潤史朗は、その場でバイクをぐるりと転回。
来た方とは逆向きに走り出した。
「さすがに多すぎないかなこのゴキブリの量」
「無駄口叩いてねえで、しっかり前見とけ。次分岐だ」
「知ってる。下行く方に行くよ」
「あいよ」
生温い地下の空気を裂くように駆け抜ける潤史朗とそのバイク。通電した照明の個数は段々と減っていき、バイクが照らすライトの光が一層頼りになってくる。それと同時に、速度も必然的に低下。たとえ道と路面状況を正確に把握していたとしても、目に見えない闇の中を高速で突っ切るのは難しい。それでもこの環境に慣れているからいいものの、普通なら、こんな暗闇は徐行でしか通行できないだろう。
だがしかし、そのスピードを更に低下させる要因が新たに出現した。
急に現れるのは、路面のひどく荒れた悪路だ。
確かに少し痛んで亀裂等が目立つ道ではあったが、こんなにひどく荒れているはずでは無かった。表面は凸凹にアスファルトの塊が転げまわり、もはや徒歩ですら困難な程である。
潤史朗は不意に出現したその悪路に、一瞬ハンドル操作を奪われるも、なんとか後輪のバランスコントロールで立て直す。
転倒は避けられたが、これでは碌に速度を出せない。
「な、なんじゃこりゃあ!」
「どーなってんだよこりゃ! 道路が耕されてんじゃねえか!」
「一体なんで?」
アスファルト礫の酷道の中、バイクは一旦停車する。
だが、その停車もそう長くは許されない。
後ろから聞こえる足音。
地下道を駆けるその音は重たく低く鼓動して、まるで太鼓を連打しているように響き渡った。ゴキゲーター接近の足音。状況は切迫した。
「どの道引き返せねえ! 意地でも前に進め!」
「わかってるって!」
前輪を浮かせて、障害物を飛ぶように乗り越える。バイクは大きく跳ねながらに悪路を踏破していき、転びそうになるとクガマルが支えた。
しかしこの速度では、ゴキゲーターに距離を詰められているのは間違いないだろう。
その時、またしてもヒカリンが叫び出した。
「き、きたあぁああああ! あいつらだあああ!」
潤史朗はちらりとバックミラーに目をやった。
そこに映っているのはゴキブリの頭。彼らはもうすぐそこまで近づいていた。
「しめた! 道路が戻った!」
ゴキゲーターを視認すると同じくして、路面の荒れた区間を突破できた。
再び道は、元の平らなコンディションに戻る。
だがゴキゲーターには追いつかれた。
群れのゴキゲーターが一体、後方より飛翔して、襲いにかかる。
「うぎゃやあやっややっややあやああうあ」
喚くヒカリン。
振り向かない潤史朗は、そのまま素早く後方に銃を向けた。そしてズバンと一発発砲。空中のゴキゲーターを怯ませる。
同時にスロットルは全開。
バイクは再び全速力を取り戻し、群れから多少距離を取ることに成功した。
「ギリギリだったな」
「計算どうりさ」
「んな馬鹿な。で、どうやって収拾つける気だ。無策に走り続けてもゴキの餌だぞ」
「策か。う~む……あ、そうだっ!」
「今思い付いたのかよ。お前計算はどうした」
「よく聞いて、クガマル」
「おう」
「……策を、さくっと決める。……」
「お前状況わかってるか? 死ぬぞ?」
「大丈夫。策ならちゃんと今考えた。計算どおりにね」
「どんな計算だ」
バイク上で話を続けながら、暗い地下道を駆け抜けた。時には細く、時には太く。道幅も高さもサイズは様々。
また、トラックターミナル跡のような場所もあれば一部線路が敷いてあったり、工場内部を抜けたりもした。
そうしながら徐々に、下へ下へと下るルートを選択してきたが、腹を空かせたゴキゲーターの群れは一切追撃を止める気は無さそうであった。
「で、どこまで逃げんだジュンシロー」
「そこの自動車工場を抜ける!」
「そんで?」
「その先にエレベーターが絶対にあったかもしれない筈だ!」
「その絶対、可能性低すぎんだろ!」
「とにかくそうする! 突っ込むよ! エレベーターに!」
潤史朗の言う通りだった。正面には大きなゲートが開かれている。
内部は車三台分ほどのスペースをもったコンテナになっており、バイクが一台入るには十分なスペースが確保されている。
迫りくるゴキゲーターは後方約七十メートル。
潤史朗は更に速度を上げて、エレベータを真っ直ぐに目指した。
「何でもいいが! ちゃんと動くんだろーなあ!」
後部座席でクガマルが叫んでいた。
「動くさ! それよりスイッチは頼んだよ!」
間近に迫るエレベータ。
そしてバイクは突き刺さるように、内部へと飛び込む。
「そいっ!」
ブレーキペダルを勢いよく踏みつける。
バイクは後輪のタイヤ痕を鋭く道路に刻みつけながらエレベータコンテナに突入。
ゴキゲーターはすぐ後方まで迫っている。
飛び立つクガマルは閉鎖スイッチへ。
ゴキゲーターも、畳んだ羽を広げて飛び掛かった。
閉まるゲートと飛び込むゴキブリ。
振り返る潤史朗は、再び銃を彼らに向けた。引き金に指を添える。
がしかし、その銃口が火を吹く事はしなかった。
閉鎖するゲートは意外と速くにピタリと閉まり、ゴキゲーターを完全にシャット。
続いて、すぐに下降ボタン。
ふわりと体が浮き上がる感覚と共に、エレベータは速やかに降下を始めたのだった。
「諸君」
潤史朗はバイクを降りて、コホンと一つ咳払いを行う。
「んだよ」
クガマルは少し面倒臭そうにそちらを見た。
「やはり地底ツアーにはそれなりに知った者のガイドが必要ではなかろうか」
「何を言い出すかと思えば。このヒョロガキにそんな説明する必要もなければ意味もないぞ」
そう言ってヒカリンの方を見るクガマル。
しかし、またしても隅っこで縮こまる彼には、話を聞く余裕すらなさそうだ。
「駄目だなこりゃ。こいつは再起不能だぜ?」
「さて、ではまず第一部第一章、『このエレベーターについて』」
「聞く耳ゼロかよ。一人でやってろ」
「無論一人でやるともさ。だが暇だろ?」
「あ?」
「いや、暇だよ?」
「……」
「うん。暇になるよ?」
「……」
「……」
「なあ、お前……、どれだけ降下するつもりだ」
「はっはっはっ。どこまでも降下するとも! 何故ならば、このエレベータは壊れているのだ!」
「……」
「壊れている!」
「……はぁ。もはや呆れを通り越して感心すらするぜ。お前の頭ん中は生け花かっての」
「生け花?」
「まあいい」
「はいでは二章……」
「今のが一章なのかよ。一瞬で終わったな一章」
「乗りが良いねクガマルさんや。まあ聞くがいいさ、このエレベータに伝わる伝説を」
「もう、好きにしろ」
「まあ大したことじゃないんだけどさ」
「あんだよ」
「実はこれ、建設途中で放棄された最下層直通エレベータだよ」
「は?」
「ではさっきの質問に答えようか。このエレベータはどこまで降下するのか。なんと、尾張中京都で最も深い場所まで降下する!」
潤史朗のその答えに、クガマルは一瞬の沈黙の後、そんな馬鹿なとでも言いたげな様子で彼に対する。
しかし、丁度その時であった。
エレベータの天井付近がら、ガツンと何かが当たるような衝突音が響く。
その音に二人は会話を一旦やめ、静かに上を注視した。
「なな、ななな、んなに!? い、いまの音は!?」
ヒカリンが顔を上げる。
「……クガマル、ヒカリンに予備の防護マスクを。丁度昨日、後ろに積んでおいた」
潤史朗は声を潜めてそう言った。これにクガマルは無言で頷きバイクの方に飛んでいく。
また潤史朗の方もバイクから新たなボンベを床に下ろし、背中のハーネスに素早くそれを取り付けた。
そして、そうしている間も上部からは衝撃音が何度も続いた。同時にエレベータの降下速度が自然に速まっていく。
ガツン、ガツンと何かがぶち当たっているのだ。
潤史朗はガスマスクを装着。ヒカリンの方も、クガマルにそれを付けさせられた。
やがて一旦音は止む。
しかし、新たな音が続いて始まった。
ガリガリと天井が擦れる不快な響き。
その音はエレベーターの床までも響いて、コンテナ全体を振動させた。
そして、天井の一点が、小さく穴を開けられる。
その瞬間にまたしても悲鳴を上げるヒカリンであったが、その声はガスマスクによって阻まれた。
空いた穴から牙が挿し込まれ、やがてにょきっと顔がのぞく。
昆虫の顔。
……ゴキブリの頭だ。
「なんてしぶとい……」
潤史朗は殺虫剤を一気に放射。
エレベータ内部はたちまち白い濃霧で充満したが、天井を食い破られる音は激しさを増していく。崩れゆく天井から破片がばらばらと降りかかった。
間もなくゴキゲーターが一体、内部に降下。エレベータに侵入を果たした。
そしてその一体に続き、閉鎖された内部へとゴキゲーターがどっと流れ込む。
溢れる濃霧は、眼前の視界を全方位に奪い去った。すぐ目の前にいるゴキブリの姿さえはっきりしない。
しかしそれでも殺虫剤の放射を継続する。
かくして、この最下層行きゴキブリエレベータは更に速度を増していき、地中深くどこまでも落ちていくのだった。




