番外編 アンの暗躍
書籍版『転生叔父さまと私の軌道修正ライフ』発売記念の番外編です。
文化祭終了後のある日の出来事、アン視点になります。
楽しんでいただければ、幸いです。
昼休みも終わりに近づく時間。
第二音楽室で昼食を終えたアン達五人は、雑談をしながら教室に戻る。その道すがら、いつものように遠巻きに眺める女生徒たちから黄色い声が上がった。
「きゃー! エドモント様がこっちを見たわ!」
「アレクシス殿下、今日も素敵ね……」
エドモントが耳ざとく自分の名前を聞いて、そちらに手を振る。婚約者のアネッサは、以前ならこんなとき瞳に嫉妬をにじませていた。けれどエドモントの卒業後すぐに結婚することが決まり、今は表情一つ変えることもない。
一方、エドモントより熱い視線を集めるのは、アレクシス王子だ。だが彼はこの手の騒ぎには無視を決め込んでいる。
そんな中、黄色い女の子たちの声に混ざって「アンさーん!」という野太い声が聞こえてきた。
「まぁ! 今の聞こえた?」
その声にいち早く反応したのはミリエラだ。
彼女は目を瞬かせながら両手を合わせ、アンに顔を寄せる。そしてほんのり頬を染めて囁いた。
「きっと、文化祭でアンのファンになった方でしょうね」
「どうしてミリエラが嬉しそうなの」
「だって、アンの素晴らしさが皆さんに知ってもらえたってことでしょう?」
無邪気に微笑むミリエラ。
アンはそんな彼女を見ながら、視線の端にササッと動く数人の影をとらえた。見覚えのある三人の男子生徒の影に、彼女は顔をしかめる。
「アン、どうしたの?」
「んーん。なんでもない。行こっ」
首を傾げたミリエラの背に手を当てて、アンは先を促した。
◇
「やっぱり、作るべきじゃないか……?」
薄暗く狭い部屋の中に、重苦しい声が響いた。
表の扉には【民間伝承研究部】の札がかかっている。室内には長いテーブルが二つ、そこに向かい合わせるように椅子が四つ。そして奥には小さな黒板。
三人の男子生徒は、深刻な表情を浮かべて顔を見合わせた。
「アンさんのファンクラブ会員数は、とうとう三十名に達したらしいぞ」
「なんだと!? そ、そんなバカな」
「それだけ『白き薔薇の姫君』効果は絶大だったというわけですよ」
「くそ……っ!」
声を上げてテーブルを叩いたのは、イグナス。その向かいで悲痛な顔を見せたのがロイド。横で下唇を噛んでいるのがハンス。三人は、ここ王立学院の二年生だ。
ちなみにエドモントとアレクシスとは同じクラスである。
「美しさなら、我らがミリエラ嬢も負けていないはずです!」
「ああ。もちろんだとも」
「見たか? 昼休みの、アンさんに向けたあの笑顔」
「最高だったよな……」
彼らはまじめに部活動をしているわけではない。この部室に集まるのは、友達三人で放課後雑談するため。顧問が顔を出さないのをいいことに、ここを溜まり場にしているのだ。
最近、彼らの話題がある一つの事柄に集中し始めた。「一年生のミリエラ嬢について」だ。
彼らは毎日部室に来ては、飽きもせずミリエラについてああだこうだと語り合っている。ある日はミリエラの美貌について、またある日は友達といる時の飾らない笑顔について。彼らは目撃したミリエラの情報を共有しながら、日々こっそりと楽しんでいた。
「でも、ファンクラブってそもそも要ります?」
同級生にも敬語を使ってしまうハンスが呟いた。
その瞬間。
「いるに決まってるでしょうが!」
バターン!
蝶番が外れそうなほど勢いよく部室のドアが開いた。
三人は声も出せないほど驚いて入り口に目をやる。廊下の光のせいで顔が見えにくいが、そこに仁王立ちしているのは「ミリエラ嬢のご友人、あんころもち子嬢」であった。
「あ……あんころもち子さん」
「まだその名前で呼ぶ人がいたか」
アンの瞳がスンッと細くなる。
「え、あの」
「ぜひ、アンと呼んでください。是非に」
そう言いながら、彼女はずんずんと部室に入ってきた。そうして黒板の前に立つ。座っていた三人は呆気にとられた表情で彼女を見上げることしかできなかった。
ふぅーっ。聞えよがしのため息をついたアンは、三人の顔を順々に見渡す。
「いい? 『推しは推せるうちに推せ』よ!」
「推し、とは……?」
リーダー格のイグナスがおずおずと挙手してアンに質問した。完全に勢いに呑まれている。教師のようにたたずむアンは、黒板の端に置いてあったチョークを手に取った。
「あなたたち。『今あなたの中で一番ステキだと思う人、素晴らしい人を一人推薦してください』って言われたら、誰を挙げる?」
「そ、それは」
三人は顔を見合わせて、同時にうなずく。
「ミリエラさんです」
「そう! それが推し!」
アンは黒板に「推し=ミリエラ」と書きなぐった。
「推しを見ていたら、幸せな気分になる。推しにはいつも笑っていてほしい……。推しのことを考えているだけで楽しい」
「わ、分かります!」
「その幸せは、みんなで共有するべき。だからあなたたちは毎日こうして集まっているんでしょう?」
「どうしてそれを!」
自分たちは毎日こっそり集まってミリエラの話をしていただけなのに。何故他人に、しかもミリエラの友人であるアンにバレてしまったのだろう。
「あなたたち、全然こっそりできてないんだもん。アレクシスあたりも気づいちゃってるわよ」
「ひぃっ」
「無害認定されてるっぽいけど」
彼女はチョークを戻して手をパンパン払った。
「話を戻すわね。あなたたち、ファンクラブが要るかどうかって言ってたけど、そんなのいるに決まってるでしょ」
「どうしてです?」
「この学院には、潜在的なミリエラファンが他にもいるはずなの。その人たちと仲間になって、定期的に情報を共有したら楽しいと思わない?」
「それは……楽しそうですね!」
何故かロイドまで下級生のアンに敬語を使うようになる。アンは特にそれを気にもせず、満足そうにうなずいた。
「次に、ミリエラはご存じのとおり可愛いわ。まぁ気軽に近づく輩はいないけど、この先そういう人が出てこないとも限らない。それが紳士だったらいいけど、そうじゃなかったら?」
「ミリエラ嬢があぶない!」
「そう! ファンクラブがあれば、そういう危険人物も前もってけん制できる」
「「「おおーっ!」」」
アンは口元に笑みを浮かべて三人を見やった。彼らは興奮を抑えきれない表情で、アンの次の言葉を待っている。彼らの顔を見ながら(私通販の売り子とか向いてるんじゃない?)とアンが思ったのは内緒だ。
「親衛隊、のようなものですね?」
「そう。でもあくまでも『こっそり』よ。推しの幸せを遠くから見守る、それがファンの鑑なんだから」
「「「はい!」」」
(鬼軍曹、とかにもなれそう)
「それにね。あなたたち、ミリエラより一学年上でしょう」
「は、はい」
「ファンクラブを作って縦の繋がりを持てば、ミリエラの同級生からの情報もゲットしほうだい。そして、卒業後もファンクラブの後輩たちがミリエラを見守ってくれるわ」
ワアッ!
狭い部室が沸いた。三人がスタンディングオベーションする中、アンは満足そうに数回うなずいてそばにあった椅子に腰を下ろした。
「では、さっそくミリエラ嬢ファンクラブを作りましょう!」
「誰が会長になる? お、お前らがいいなら俺がするけど」
「そうだな。会長はイグナスで、俺とハンスが副会長ってことにしようぜ」
三人が一斉にアンに目を向けた。彼女は「それでいいよ」といった顔でにっこり微笑む。完全にこの場を掌握した余裕の笑みだった。
「それはそうと、名前はどうするの?」
「そうだな……。『ミリエラファンクラブ』じゃ能がないし」
「では『ミリエラさんを見守る会』ってどうでしょう?」
「うーん。『愛でる会』ってのもアリじゃないか?」
楽しそうに言葉を交わす彼らをアンは満足そうに見ていた。
(これで「ミリエラ萌え」を語る場が出来たわ。たまに遊びにこよーっと)
ミリエラとは友達として仲良くなった。それはそれでいいのだけれど、ゲーム時よりも格段に可愛くなっているミリエラに対する萌えが、どこにも発散できない。要は自分の喋り場を作るために、アンはわざわざここまで乗り込んできたのだった。
◇
「わ、アンちゃんだ」
昼休みに入って教室を出ると、好意を含んだささやきが聞こえた。アンはまだエドモントのようには愛想をふりまけない。けれど好意を向けられるのに悪い気はしないので、微笑みを返す。
「ミ、ミリエラさんー」
その直後、今度はミリエラを呼ぶ声が上がった。
ミリエラはキョトンと目を丸くすると、名を呼ぶ方に顔を向ける。するとそこには戸惑ったように立っている三人の男子生徒がいた。まさか振り向かれるとは思わなかったといった表情だ。
「こ、こんにちは」
意を決したように、三人のうちの一人が挨拶をする。するとミリエラは少し間をおいて、ゆっくりと花がほころぶように笑顔を咲かせた。
「ごきげんよう」
彼女は両サイドの二人にも会釈をすると、その場を後にする。顔を赤く染めた三人は、無言でぐっと拳を握りしめた。
ミリエラの横を歩きながらチラッと振り返ったアンは、彼らにウインクを一つ飛ばす。
三人はそれを見て大きく頭を下げた。
「おつかれさまです、名誉会長!」




