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第18章 「馬鹿を言わないで」計算外の密着度と愛の定数。冷徹な女王、ついに騎士の『法則外のノイズ』に屈する


崩壊した城壁と、混乱する王都を後に、クライヴは一瞬で馬を駆った。







レナは、クライヴに後ろから抱きしめられる形で共に馬に乗り、ボルンラントへと帰路を急いだ。





クライヴの力強い腕がレナの体に回され、その胸板にレナの背中が密着する。





レナの冷徹な理性は、この「計算外の密着度」に激しく動揺していた。







クライヴは、レナの騎士服を纏う体を抱き寄せ、幸福そうに息を吐いた。






「ああ…飛鳥先輩が、僕の騎士服を着てくれてる。それだけで、僕の演算は既に限界を超えています。先輩、世界で一番、僕の騎士服が似合っていますよ」








「佐伯君、馬の速度を維持しなさい。王子の追撃を可能な限り引き離す必要があるわ」








レナは努めて冷静な声を出した。







クライヴは、レナの耳元にそっと唇を寄せた。






彼の声は、騎士の規律から解放された、佐伯亮としての熱に満ちていた。







「飛鳥先輩。僕の心臓が、今、どれほどの速度で鼓動しているか、背中で演算してくれていますか? 貴女の命懸けの介入(僕を救う法則の実行)のおかげで、僕は完全に自由になった。この幸福感は、いかなる数式でも定義できません」







レナの背中に伝わるクライヴの温もりと、低く甘い声。







彼女の頬に、計算外の熱が急速に広がる。






「馬鹿を言わないで。私の演算は、私の計画(演算)に不可欠な変数の確保が完了したこと、そして王都からの脅威の排除が最優先だと定義しているだけよ」







「いいえ。僕の演算は違います」







クライヴはレナの騎士服の襟元に顔を埋めた。







「僕の演算では、今、『飛鳥先輩を二度と離さない』という、絶対的な法則を全身で実行中です。貴女の肌の温度、髪の香り。これらすべてが、僕の存在の理由です。……愛しています、飛鳥先輩」







レナは、物理学者のプライドと、佐伯亮への抗いがたい愛の狭間で言葉を失った。






彼女の絶対的な法則は、この男の甘い言葉という「法則外のノイズ」によって、完全に崩壊しつつあった。









ボルンラント領に到着した二人は、すぐさま領民たちの熱狂的な歓迎に包まれた。







レナの部隊、ボルンラント義勇兵団は、誰も欠けることなく、全員が無傷で帰還していた。







「レナ様! クライヴ様!」






「女王様が騎士様を取り戻してくださった!」






領民たちは、領地の旗――豊穣の黒土と幾何学的な演算式が描かれた旗――を振り、熱狂的な歓声を上げた。







近頃、レナの領地は「豊穣の女神の加護を受けている」と広く噂され、隣領や遠方からも、レナの新しい法則のもとでの生活を求めて移住者が激増していた。






ボルンラントの街は、徐々にではあるが着実にその規模を拡大しつつあった。







レナは馬上で、その光景を冷徹な分析眼で見つめた。






(私の法則は、単なる数式ではない。人々の幸福と忠誠という、強固な物理法則となってこの世界に根付いたわ)







クライヴは馬から降りると、レナを優しく抱き下ろした。






領民たちの歓声は、彼らの再会に対する最大の祝福のように響いた。








領民からの歓迎を受けながら、レナとクライヴは領主館へと入った。







老執事のヘンリーは目に涙を浮かべ、クライヴの手を強く握った。






「クライヴ様! ご無事でしたか。レナ様がお一人で王都に向かおうとされたときは、わたくしは……」






クライヴの体温が、一瞬で急上昇した。





(一人で? 僕を救うために? あの飛鳥先輩が、自分の命という『最重要変数』を無視してまで……!)






クライヴはレナを見つめ、全身で幸福と感動の波紋を打ち震わせた。






彼女の愛の法則は、彼が想像していた以上に、非合理で、そして絶対的なものだった。







ヘンリーはすぐにレナの左肩の焦げ付いた騎士服と、クライヴが施した粗末な応急手当に気づいた。






「レナ様、そのお怪我は!すぐに医師を!」






ヘンリーは慌てて医師を呼び、レナは渋々、治療のために研究室隣の休憩室へと向かった。








すぐに、医師は患部の消毒と専門的な処置を施し始めた。






クライヴは、治療の間、レナのそばを離れなかった。






レナは平然と「痛みの演算は完了している」と告げたが、微かに唇を噛みしめるのは隠せなかった。







「レナ様」







クライヴはレナのそばに寄り添い、彼女の冷たい手を握った。







「クライヴ…?」






クライヴは、レナの手の甲にそっとキスを落とした。







「レナ様。一人で行こうとしたそうですね。僕を救うためだけに。僕の演算は、その事実を、僕の存在証明の『絶対定数』として永久保存しました」







レナは顔を赤くし、視線を逸らした。







「それは、計画の初期段階での、非効率的な演算の結果よ。すぐさま義勇兵を『新たな変数』として組み込んだ」






「違います」






クライヴはレナの瞳を真っ直ぐに見つめ、さらに力を込めた。







「あなたの行動は、僕がどれほど深く愛されているかを示す、最高の定数です」







クライヴは、レナの手を両手でやさしく包み込んだ。






彼の温かな体温が、レナの冷たい手に流れ込む。







レナは、物理的な治療を受けているにも関わらず、クライヴの感情的な介入のせいで、心臓の鼓動の演算が乱れるのを感じた。







「……馬鹿ね」







レナは小さな声で呟いた。







それは、計算外の幸福を前にした、科学者の降伏の言葉だった。








クライヴの献身的な愛情は、ナノマシンによる治療よりも早く、彼女の心の防御壁を修復しつつあった。









治療を終え、包帯を巻いたレナが休憩室を出ると、ヘンリーとセーラが、深い安堵の表情で出迎えた。







「レナ様、あなたの演算は正しかった。王都の軍の編成時間と、城壁の分子構造を解析し、武力衝突を回避しつつ目的を達成する。最も合理的で、最も非合理的な救出でした」






セーラは、レナに羊皮紙を差し出した。






「ただし、この成功は王都の警戒レベルを最大限に引き上げました。そして、ゼフィール様が、今夜の『一時間』のために、すでに研究室でお待ちです。彼は、あなたに次の『法則外の解析』を要求しています」








レナはクライヴの手を離し、再び冷徹な科学者の顔に戻った。







王都の追撃と、ゼフィールの誘惑。







「世界の法則の制御」という次の演算が始まろうとしていた。




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