33. お母様、襲来
「まあ、まあまあ!あなたがラナさんね!!」
ダスティンの屋敷に戻り、エストの婚約者(仮)としてしばらく滞在することが決まった翌日。
文字の勉強のため、部屋で『精霊のおはなし』という子供向けの本をキーラの協力の元必死に読んでいた恵麻は、突然の来客に非常に驚いた。
目の前に立つのは、美しい小柄な貴婦人。金色の髪に栗色の瞳で、恐らく40代くらいだと思うのだが、その割に可愛らしくコロコロと笑う。立ち居振る舞いは貴族然としているのに、口を開くと小動物のような印象を与える。
彼女はシンシア・シス・オスロレニアと名乗った。なんとあのダスティンの母だという。
(似てない…!)
ダスティンは赤い髪に長身の強面。シンシアは金髪で小柄な女性。多分、ダスティンは父親似だろう。
「驚かせてごめんなさいね。貴方の話をダスティンから聞いてから、もう会ってみたくてたまらなくて。あのエストの婚約者だなんて!でも、精霊塔に監禁されていたなんて…辛かったでしょう」
「は、はい、いえ、大丈夫です」
よく喋るシンシアに少々圧倒され、返答が噛み噛みになってしまった。
「ここに来たからにはもう大丈夫よ。ダスティンとエストがいれば、全て彼らが解決してくれるわ」
「はい。あの…ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
「何を言うの。エストは息子の大事な友人よ。彼が突然罪人になって、どれだけ心配をしたか。だから遠慮はいらないわ」
キーラがお茶を持ってきてくれたので、恵麻は改めてシンシアと向き合って座る。
前公爵夫人が自分にどんな用事なのだろうかと、恵麻は緊張から膝の上でぎゅっと拳を握った。
「ラナさんは、遠い国のご出身なんですってね。どうやってエストと出会ったの?どこを好きになったのかしら?いつプロポーズをされたの?」
シンシアはキラキラとした目を恵麻に向けた。
恵麻は察した。これは、恋バナを求められている、と。
(しまった。詳細を打ち合わせていない…!)
もちろん本当のことは言えない。が、エストとは馴れ初めまで打ち合わせていなかった。
恵麻は目を泳がせながら、当たり障りのない答えを必死に探す。
「ええっと…エストに助けていただいたんです。困っているところを」
「まあ!では偶然知り合ったの?」
「はい。恥ずかしながら、私はただの平民ですので、その、本当に偶然」
「偶然知り合って、あのエストを落とすなんて…ラナさん、すごいわ」
シンシアは感心したように頷いている。
「エストのどこを好きになったの?」
「え?ええと…優しいところでしょうか?あと、その、真面目なところというか」
「まあ、そうね。そうよね」
恵麻の無難な答えに、シンシアはそれでも嬉しそうに頷くと、お茶に口を付けてから、ほうっと頬に手を当てた。
「実は昨日ね、先にエストに会ったのだけれど、貴方のどんなところを好きになったのかって聞いたら、『全てです』なんて言うからね」
「へぐっ…!?」
「もうエスト、本当に貴方のことが好きでたまらないみたいでね。思わず貴方に会ってみたくなっちゃったの。急に来てごめんなさいね」
「そんな、滅相もない…!お邪魔させていただいているのは、私の方ですので!むしろご挨拶もせず申し訳ありませんでした」
「気にしないで。決めたのはダスティン、現当主なのだから。私は息子を信じているから、彼が決めたことならば何も言わないわ」
「ありがとうございます…。ご迷惑をおかけしている上に、何の変哲もない女で、申し訳ないです」
「そんな事ないわ。ラナさん、とても可愛らしいわ。あのエストが惚れ込むのも頷けるわね」
「…あの」
「なぁに?」
「先程から、何度か『あのエスト』と仰っていますが…その、エストは難攻不落の男とか、そういう感じだったのですか?」
「難攻不落?ふふっ、面白いわね、それ!でもそうね、そんな感じよ。…あの子は綺麗な顔をしているでしょう?」
「はい」
「それに地位も実力もある。それはそれは、ご令嬢達が熱い視線を向けていたわ。でもあの子、全く浮いた話がなくてね。うちの息子でさえ女性とのお付き合いは多少なりともあるのに、エストには本当にそういう話がなくて。皆、あの子はそういうことに興味がないんだろうって思っていたのよ」
「なるほど…」
そんなエストに突然婚約者が現れたら、それは皆、興味津々になるだろう。
そう考えると、ますます不安だ。
婚約者を名乗るのは今だけだし、社交界に顔を出すようなこともないから問題ないと思っていたが、事が片付いたあと、エストには「突然婚約者が現れ、突然婚約破棄した」という謎の経歴が残ってしまう。
恵麻は元の世界に帰ればいいが、エストはこれからもここで生きていくのだ。
彼が貴族社会に残るようならば、きっとあまりよろしくない経歴だろう。
恵麻が考え込んでいると、シンシアは何かを勘違いしたのか、ぐっと身を乗り出して恵麻の手を握った。
「大丈夫よ、ラナさん。エストの不名誉な冤罪はすぐに無くなるわ。そして、貴方も磨けば立派な淑女になれるわ!どこに出しても、誰もが見惚れるようなね!」
「えっ、はい、有難うございます」
「そうと決まれば、行きましょう!」
「え!?何が決まったんですか!?ど、どこに行かれるのですか」
「街よ!キーラ、馬車を用意して。いざ、出発よ!!」
非常に勢いのあるシンシアに恵麻のような小娘が抗えるはずもなく、恵麻は引きずられるように馬車に乗せられた。
それから、小一時間後。
恵麻は白目を向きそうになりながら、鏡の前に立っていた。
彼女の前では代わる代わる、色とりどりの布が当てられては下げられ、そして時々試着を求められ、恵麻はほぼ下着姿のまま時を過ごしていた。
シンシアが恵麻を連れて行ったのは、彼女のお気に入りの仕立屋だった。いつもは仕立屋の方が屋敷に来るらしいが、急だったのでこちらから赴いたらしい。
シンシアを見た店員はすぐに恵麻達を店の奥のVIPルームらしき所へ案内し、そこからはずっと、恵麻の衣装作成が進められている。
始めは衣装などいらない、今のワンピースで十分だと固辞していた恵麻も、盛り上がるシンシアや仕立屋のデザイナーに勝てず、今はきせかえ人形のようにじっとしている。
「いいわ。これと、これと、あとこのドレスもいただくわ。小物はこの靴と、これ…あとこの鞄もね。アクセサリーはこれだけにしておきましょう。エストが贈りたいでしょうし」
「あ、あの、シンシア様…本当に、いただけません。公爵家もすぐにお暇する予定ですし、社交界にも出ないと思いますし…」
「まあ…悲しいことを言わないで。衣装は女を強くするわ。急に夜会に出ることだって、あるかもしれない。装いは女の武器よ」
「女の武器…」
確かに、今後この世界で何があるかは、全くわからない。そして貧相な格好をしている者より、TPOを弁えた立派な身なりの者のほうが好印象を与えるのも、事実だ。
「それに、エストの冤罪が晴れたら、光に集る虫のように女が集まってくるわ。ラナさん、武器を手に戦うのよ!」
「はっ、はい…!」
シンシアの勢いにつられ、思わず返事をしてしまう。
そんな恵麻を見て、シンシアがふっと目を細めた。
「ごめんなさいね。私、娘が欲しかったのよ。私にはあの強面の息子一人だし、親戚の子も皆男でね。こうしてお買い物なんてしたこともなかったわ。年寄りのワガママだと思って、付き合って頂戴」
「ワガママだなんて…。あの、嬉しいです。私も早くに母を亡くしたので、こういうお出かけとか、憧れていました」
「まあ、そうなの…。ラナさん、遠慮はいらないわ。何かあれば私を頼って頂戴ね」
「ありがとうございます、シンシア様」
「さぁ、これも買いましょう!あっ、これはどうかしら?」
「シンシア様、もう大丈夫ですから!!」
恵麻の制止も虚しく、結局シンシアは一通り恵麻の『戦闘服』を揃えるまで買い物を続けた。
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