32. うっかり大変なものを持ち出していました
「そうだ、エスト。もう一つ言い忘れていたことがあって」
「うん?どうしたの」
恵麻はポケットから小さな石のようなものを取り出した。黒に近い深い藍色をしているが、それ以外に変わったところはなく、本当にそこら辺に落ちていそうな、親指サイズの石だ。
大士の部屋の金庫から、書類とともに出てきたものだ。あの時は大パニックだったので、書類と一緒に何とか持ち帰り、エストに書類を渡した時にこちらも渡すのをすっかり忘れていた。というか、存在を忘れていた。先程着替えをした際に出てきて、思い出したのだ。
「これなんだけど。大士の部屋の金庫に入ってたの。書類を渡した時に見せるつもりだったんだけど、すっかり忘れてて」
恵麻が手のひらに乗せた石を見せた瞬間、エストの表情がぎくりと固まった。
初めて見る彼の表情に、思わず恵麻も固まる。
「え、ごめん、何か大事なもの?それとも、ただの石を大仰に持ってきたからびっくりしてる?」
「………ラナ、それをすぐにここへ」
エストが真っ青な顔でハンカチを広げたため、恵麻は慌ててそこに石を乗せた。
石を手放すと、エストが恵麻の手をぐっと掴み、石が乗っていたところを中心に食い入るように見つめる。
「エスト…?」
「ラナ、何も異変はない?手は動く?痛いところは?」
「え、な、何も…?」
「……」
恵麻がキョトンとしている様子をしばらく見ていたエストは、本当に恵麻が何も分かっていなそうな様子だと判断したのか、ほうと息を吐いた。
「良かった…」
「エスト、ごめん、どうしたの?」
「…これはね、核っていうんだ」
「核?」
エストはハンカチに乗せられた石にちらりと視線を投げると、それに向かって手をかざす。
エストが何やら呟いた後、その石はぼんやりと見える半透明の箱に入った状態になった。それを見て、エストはようやく安心したように表情を緩めた。
「…エスト?」
「核は霊術具の命とも言えるもので、その霊術具の起動に要する霊力を圧縮して詰めたものなんだ。基本的には透明に近い薄い青で、その霊術具が要する霊力が多ければ多いほど、黒に近くなっていく」
「…」
恵麻はちらりと石に目を遣った。
この石は、限りなく黒い。
「核は霊力の塊だから、扱いを間違えると暴発することがある。それに、持っているだけで人体に悪影響があるんだ。強すぎる霊力に、身体が耐えられなくなる」
「エスト、つまりこれって…」
「…ラナの身体に異変がなくて、本当に良かった」
エストが恵麻の手に触れ、はーっと息を吐いた。どうやら恵麻はとんでもないものを持ち出していたらしい。
「そ、そんなすごいものだったなんて、全然気付かなかった。だって、書類の横に本当にそのまま適当に置かれてたんだよ!?まるで書類の文鎮みたいに」
「…もしかしたらその金庫自体が、本来は核を守るものだったのかもね。書類はついで程度で」
「ええー…」
「多分、ラナは器だから、耐えられたんだろうね。この世界の霊力に影響されないのか、シェドバーン様の影響なのか、曖昧だけれど…。本当に、何もなくてよかったよ」
ただの石ころだと思って、そこら辺に放置していなくて本当に良かった。うっかりキーラが触ったりしたら、大変なことになっていた。
「エスト、ごめんなさい。私、またもやとんでもないことを…」
「え?ラナが謝ることなんて、一つもないよ。むしろお手柄だ」
「え?なんで?」
「これは多分、例の霊術具の核だよ。大精霊様を封印できる霊術具のね」
「え、ええ!?」
まさか、そんな。こんなあっさりそんな大事なものが見つかるなんて。
「正確には、核の一部かもしれないけれど。でも、ここまで黒に近い色の核は、私も見たことがない。つまり、これまでにない規模の霊術具のものだということになる」
「そんな大事なもの、金庫にしまって部屋に放置するかな?」
「そうするしかなかったんだと思う。持っているだけで命を削るような代物だ。絶対に持ち運べない。あとは自分の屋敷に置くか、精霊塔に置くか、全く違う場所に置くか…になるけれど、私でも精霊塔を選ぶかな。というか、選ぶしか無い。ここまでの霊力を持つ核を保管して耐えられる結界が有るのは、精霊塔だけだよ」
そう言われると、多少納得がいく。金庫の鍵を壊して騎士が飛んできたのは、やはりそういう警報が付いていたのだと思うのだ。
ただの書類を保管する金庫にそこまでの機能があるのは、少しおかしいとは思っていた。
「この核、この部屋に置いておいて大丈夫…?」
「今は私が結界を張ったから、とりあえずは大丈夫だよ」
「ああ、この半透明の箱みたいなやつね」
「そう。でも、誰にも触られないように、安全な場所に移す必要はあるね…ダスティンに相談しないと」
「あ、私持ってた方が良いかな?影響ないみたいだし」
「絶対に駄目だよ」
即答された。まあ、正直恵麻も持ちたいとは思っていなかったので、有り難い。
「でも、これで大士が動くまでの時間は稼げた。核が一部でもなくなれば、代わりのものを用意する必要がある。これほどまでの核は、一昼夜で用意できるものじゃないから」
「そっか…!それなら良かった!」
色々と面倒事も起こしてしまったが、役に立てたこともあった。
恵麻が思わず声を上げると、エストがそっと恵麻の頭を撫でる。
「本当にありがとう。ラナがいなかったら、どうなっていたか」
「私がいたからこそ起こったトラブルもあるけどね…」
「そんなの些事だよ。ラナは最初から、私の希望だ」
エストはそう言って、じっと恵麻を見つめる。
(あまりそういう事、言わないで欲しい…)
またしても甘いエストの視線に恵麻は戸惑い、忙しなくお茶を啜った。
「そうだ、ラナ」
「何?」
「落ち着いたら、ケームノックの森に行く前に、少しゆっくり話がしたいんだ。街に出てもいいし、部屋でお茶をしてもいいし、方法はラナの好きでいいから」
「うん、もちろんだよ。ずっと忙しなかったしね」
「ありがとう」
恵麻が大精霊の器だと分かったあたりから、二人の旅はずっと忙しないものだった。状況が状況だから仕方ないけれど、森でスローライフをしていたのが懐かしい。
「…そうだ、お屋敷の裏に、すごい庭園があったよね。あそこを借りてお茶させてもらうのはどうかな?」
街に出るのも大変魅力的だが、一応追われる身だし、恵麻には手持ちのお金がないので気が引ける。居候の身でウロウロするのもどうかと思うが、庭は公爵家の自慢で、自由に散策していいと先程キーラが言っていたので、ちょっとお茶するくらいなら良いだろうと考えた。
「いいね。楽しみだ」
「一応キーラに許可を取っておくね」
「うん。じゃあ、私はさっさと計画をつめておくよ」
「私にもできることがあれば言ってね」
「ありがとう、ラナ」
猫でもない恵麻にできることはもう無いかもしれないが、それでもエストばかりに大変な思いはさせたくない。
せめてケームノックの森に行くときは迷惑をかけないように頑張ろうと、恵麻はひっそりと決意した。
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