31. 婚約者(仮)
キーラと一通りおしゃべりを楽しんだ恵麻は、エストの部屋へと向かっていた。
ちなみにキーラは19歳で、行儀見習いで公爵家に仕えているとのことだった。主な仕事はダスティンの母の世話らしいが、一時的に恵麻の侍女になっているとのこと。
キーラ自身、子爵家の娘なのだという。婚約者が年下で、彼が成人し落ち着くまでの間、こうして働いて結婚を待っているのだそうだ。
「でも、侍女の仕事が性に合っていて。結婚後も続けさせてもらうかもしれないんですよ」
そう言って笑うキーラは、とても19歳には見えないほどしっかりしていた。
なんでも、この世界で女性は16−20歳の間に結婚することが多いのだそうだ。成人は男女ともに16歳。男性はもっと遅くても不自然ではないが、それでも大体20歳前後には結婚してしまうらしい。
つまりこの世界基準では、恵麻は立派な行き遅れだった。恐らく寿命なども違うだろうから、仕方ない。でも、恵麻の顔立ちはこの世界の人に比べると幼く見えるようで、恐らく皆恵麻のことを10代だと思っている。キーラも恵麻に対して、同じ年頃の女性、なんて言っていたし。
(まあ、いずれ帰る私からしたら、別に結婚適齢期を過ぎていようがなんだろうが、関係ないんだけど)
でも、久しぶりの女性とのおしゃべりは本当に楽しかった。キーラにはぜひ、今後も仲良くして欲しい。
心なしか弾む足取りでエストの部屋に到着した恵麻は、扉をノックした。
ややあって、「はい」という声が聞こえる。
「エスト、ラナです。今入っても平気?」
恵麻が扉の外から声を掛けると、返答の代わりにガチャリと扉が開いた。
「ラナ、もう休んでいなくて平気?身体の調子は?どこか変なところはない?」
「うん、大丈夫。エストも大丈夫?今、話できるかな。後でも良いんだけど」
「大丈夫。ラナなら何時でも歓迎だよ。早朝でも深夜でも」
「さすがにそんな時間に来るほど非常識じゃないよ」
恵麻が苦笑しながら部屋に入ると、エストはソファへと恵麻を誘導した。
少し前までこの部屋で一緒に過ごしていたというのに、何だか今はエストの部屋という感覚がして、どことなく落ち着かない。
恵麻がソファに座って視線を彷徨わせていると、エストが静かに声を掛けてきた。
「ラナ。…その」
「あ、ごめん。どうしたの?」
「いや。すごく、綺麗だなと思って」
「へっ」
「髪も、服も、よく似合ってるよ」
「え、あ、ありがとう」
そういえば恵麻は先程キーラに髪を結ってもらった。服も着替えたので、今恵麻はハーフアップに軽い化粧、ゆったりとしたワンピースといった姿だ。
人間に戻った直後の全裸にすっぴん、ボサボサ頭とは大違いだろう。
「ふふ。やっと人間らしくなったかな」
恵麻が自虐気味に笑うと、エストが間髪入れずに畳み掛けてくる。
「私はラナが何も着ていなくても綺麗だと思うけど、でも今の姿もすごく綺麗だよ」
「…ありがとう。エスト、何も着ていなくても、はちょっと誤解を招く表現だけど」
「ああ、ごめん、変な意味じゃなくて。でも、ラナが人に戻った姿を初めて見たときは、驚いたよ」
「急に戻ったから?」
「それもあるけど、そうじゃなくて。すごく綺麗な女性で、驚いた」
「え」
「違う世界から来たからだと思うけれど、ちょっと顔立ちが私達とは違うよね。でも、すごく綺麗だ。この、黒い髪も、青い瞳も、全部」
「ひえ…」
人に戻ったときなんて、すっぴんだし全裸だし髪もボサボサで、恐らく女性なら絶対に見てほしくない姿だったのに、何てことを言うのだろう。
恵麻はエストの激烈に甘い言葉に、柄にもなく顔が真っ赤になっていくのを感じた。
「エスト、それは褒めすぎ。身内の贔屓目?じゃないかな?私、別にそんなびっくりするような美人じゃないし、エストの方がよっぽど美人だよ」
「私?私は男だよ。ラナの方が綺麗に決まってる」
「そうじゃなくて…エストはすっごく綺麗な顔してるよ。好意を寄せてくれる女性も多いんじゃない?」
「うーん、そう言われることも確かにあったけれど。これまでは精霊士として忙しくするばかりで、女性とどうこうっていうのも別に…早くに結婚する必要もなかったしね」
「そうなんだ…。あ、そういえば」
結婚が話題に出たことで、恵麻はエストに会いに来た理由の一つを思い出した。
「あの、エスト。キーラ…私の侍女をやってくれている人なんだけどね、キーラが、私のことをエストの婚約者だって認識しているらしくて」
「ああ」
エストも驚くかと思ったが、彼は平然としている。
「知ってたの?どういうことか、教えてくれる?」
「説明が後になっちゃってごめんね。ラナが部屋に行った後、ダスティンと話したんだけれど。ただ精霊塔から保護した女性って理由だと、公爵家で保護する理由にはなっても、私達と親しくしている理由にはならないかなって」
「あ、確かに…」
「特に私とラナは、ただの知り合い以上の距離感だから。もういっそ婚約者っていう理由を付けてしまった方が、使用人もラナに対して変に警戒しないだろうってことになったんだよ」
「なるほど…そういうことなら、仕方ないね」
エストの言うことは尤もだと思ったので、恵麻は納得して頷いた。それならちゃんと話を合わせないといけない。
「嫌だった?」
「ん?」
「私の婚約者だってことにされちゃって。嫌だった?」
「え?そんなわけないよ」
エストが途端に不安そうな顔をしたため、恵麻は慌てて否定する。
出会った頃、エストはどちらかというと落ち着いていてあまり動揺しない印象だったのだが、ここ最近はむしろすぐ不安がったり寂しそうな顔をする。恵麻に気を許してくれているのかと思うと嬉しいが、ギャップが激しい。
「キーラに急に言われたから、びっくりしただけ」
「なら、良いんだけど…」
エストは言いながらも、まだ不安そうだ。
そしてふいに、顔を近づけてくる。
二人がけのソファで距離を詰められて、ギシリと音がした。
「…ラナは、この顔は好き?」
「えっ?」
「さっき、綺麗だって言ってくれたから。私の顔は、そんなに悪くない?」
「えっエスト、どうしたの?」
「…好みじゃない?」
エストはさらに顔を近付けてくる。
猫は近眼で、色の識別も人間ほどたくさんはできないと言われている。
恵麻も例に漏れず、猫だった時は近眼で、色もモノクロではないが多分人間ほどちゃんと見えていなかった。
改めて人の目を通して見るエストの顔は、本当に美しい。
エメラルドグリーンの髪。烟るような長いまつ毛も、それに縁取られた大きなアーモンド型の瞳も、同じエメラルドグリーンで、まるで宝石みたいだ。
肌は滑らかでシミ一つなく、高い鼻梁に、薄い唇。彫りも日本人よりは深く、眉毛と目の距離が近いからか、目元から独特の色気まで感じる。
どれもが二次元ですか?と聞きたくなるほど完璧な位置とバランスで配置されていて、恐らく恵麻が人生で見た中で最も美しい顔と言って差し支えないだろう。
そんなご尊顔を前にして、一般女性の恵麻が絆されないわけがあるだろうか?
「す、好きだよ。エストは本当に、綺麗だと思う。あの、顔が近いです」
「ラナの好みには入ってる?」
「もち、もちろん。私なんかの好みだなんて、恐れ多いくらいだよ。ち、近い」
「…そっか。なら、良かった」
恵麻の返答に満足したのか、エストはようやく体を離してくれた。
今の顔面攻撃は、さすがに効く。
恵麻は暴れまわる心臓を抑えながら、何とか本題に入った。
「あの、それでね。キーラから、エストが伯爵家の跡取りだって聞いたの」
「ああ、そういえば」
「そういえば?!…とにかく、婚約者を演じるなら、その辺の基本情報もできれば教えてもらいたくて…」
「そうだよね。ごめん」
「なんか言いにくいことだったらごめんね」
「私としてもラナには知ってもらいたいから、全然構わないよ。…そうだな、私は孤児で、3歳の時、どこかの孤児院から大士に引き取られたんだ。何せ幼かったから孤児院での記憶はなくて、物心ついたときには精霊塔にいたよ。本当の親のことも何も知らない」
エストはお茶を一口飲むと、早速身の上話を始めてくれた。
「8歳のとき、大士は私に精霊士としての素質があると考えたらしく、私を伯爵家の養子にしたんだ。それが、アーテナルド伯爵家。国の西に小さな領地を持つ由緒正しい伯爵家だけれど、実は歴史しかないような、貧しい伯爵家だと聞いているよ」
「聞いているってことは…あまり交流はないの?」
「殆ど無いんだ。彼らは書類上だけの親だよ」
「なら、どうして…エストを跡継ぎにしたいんじゃないの?」
「違うんだ。実はアーテナルド家は長年続く財政難に苦しんでいて、もう爵位を返上したいと考えているらしい。でも、この国では自身の都合で爵位を放棄することはできないんだ。跡取りができないなどの場合も、養子をとり、家を存続させるのが原則だね」
「結構厳しいのね」
「利権を持つ分、国からの管理も厳しいってことだね。それで、爵位を放棄はできないんだけれど、例外はある。罪を犯した場合と、跡取りが上級以上の精霊士になった場合だよ。ちなみに精霊士は下級、中級、上級、大士の順で能力が高いことになる」
「罪は分かるけど、精霊士はどうして?」
「精霊士は国にとっての財産で、特に上級ともなると国からしたら絶対にほしい人材なんだ。精霊塔に所属して精霊士としての仕事に集中させるから、領地経営や国政に関われなくても仕方ないと見做される。普通は、それでも弟妹に跡を継がせるか、他に養子を迎えるなりして家の存続を望むけど、アーテナルド家のような貧しいところはこれ幸いと、自分がある程度高齢になったら、跡取り不在として爵位を返上するんだ。子供が精霊士になったっていう理由なら、爵位を放棄すると、ある程度の補助金までもらえるからね」
「そっか、だからエストを…」
「大士が取引したんだ。私を上級以上になる見込みがあるからと、アーテナルド家の養子にする。伯爵は爵位から開放されるってことだね」
貴族文化に馴染みのない恵麻には遠い世界の話だけれど、何となくイメージは掴めた。
「伯爵は分かったけど、エストは?そこまでして、大士やエストにメリットはあるの?」
「精霊士は実力主義だけれど、国政に食い込むにはやはり、後ろ盾が必要だ。大士は自分の息がかかった精霊士を貴族の家と縁付かせる、という手段でも勢力を広げていたんだけれど、それも爵位がなければ難しい。大士は私を自身の手駒にすべく、何でもいいから爵位を与えたかったんだと思う。今思えば、だけどね」
「そういうことだったのね」
「うん。本人が望めば、精霊士のまま爵位を持つことはできるよ。領地も持てる。ただ、両立はかなり厳しいから、領地の方は人を雇うとかになるね。貴族の家出身の精霊士は、子供のことを考えて領地を維持する人が多いかな。子供も同じように精霊士になるとは限らないからね。爵位だけ欲しいなら、領地は返上して、爵位は一代限りっていうこともできる。いずれにせよ上級精霊士というだけで孫の代までの生活保障ができるくらいの報酬が与えられるから、大抵の人は爵位だけの維持になる。私も普通にいけば、そうなっていたと思うよ。ただ、この辺の事情は周りの人は知らないだろうから、そのキーラさんは単純に私が跡取りだと思っているんじゃないかな。アーテナルド伯爵もまだ爵位を返上していないし」
「なるほど。公然の事実としては、エストは伯爵家の跡取りってことね」
「そうだね。まぁ今私は、晴れて私が冤罪だと明らかになったとしても、もう貴族も国も関わりたくない気持ちだけれど」
「そりゃそうだよね…」
とにかく、事情は分かった。
エストの意志はどうあれ、本人の今の立場は次期伯爵家当主なのだ。
「…やっぱり、伯爵家の跡取りで上級精霊士のエストの婚約者が、どこの馬の骨かもわからない私って、無理がない?」
「大丈夫だよ。公にするわけでもないし、公爵家の使用人あたりが納得すれば良いわけだから」
「そうか…そうだよね。せめて粗相がないように、頑張るね」
「気にしないで。ラナが何をしたって、私がなんとかするよ」
「エストは私に甘すぎるなあ。…他は、なにか私がすべきことはある?ケームノックの森にはいつ向かうの?」
この先のことはまだ何も決まっていなかったため、恵麻はついでにとエストに問いかける。
「そうだね、なるべく早い方がいいとは思うけれど…、今回はダスティンも動くし、彼から公爵家付きの騎士を借りることにもなる。準備期間が多少は必要かな。大士の動きを、もう少し止めておければ良いんだけれど…」
エストは悩ましそうに眉を顰める。
確かに、次の作戦には他の人が関わる。しっかりと計画を立てた方がいいだろう。
恵麻も考え込むように腕を組んだところで、ポケットに手が当たり、ふと、もう一つの用事を思い出した。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
説明部分が長くなってしまいましたが、雰囲気だけ掴んでいただけたらなと思います。




