14.初めての人里
「これって…、潮風…!?」
「ああ、ここは港町だからね。その分、人の往来も多くて、逆に逃亡者にはいい隠れ家だと思って」
「木を隠すなら森、ね」
「私も髪色を変えているし、目立たないと思う」
長く過ごした精霊の森とも別れ、数日後。
恵麻はエストに連れられて、初めて人里に降り立っていた。
シェドと別れたあと、山小屋に戻ってきてから丸1日をかけ、二人は旅支度を整えた。
と言っても、食料や水の準備くらいだが。
恵麻に至っては荷物も何もないので、ほぼエストの支度を手伝っただけだった。
猫、本当に気楽だ。
エストが最初に目指したのは、小さな港町だった。
小さい、と聞いていたから本当に漁村のような場所かと思いきや、想像よりずっと立派な町だ。背の高い建物はないが、2、3階建てくらいのこじんまりとした建物が並んでおり、可愛らしい赤や緑、青色の屋根が目立つ。壁は触ってみると固く、コンクリートまではいかないが、石造りのように感じた。
屋台や市場のようなものもあって、活気がある。
そして何より鼻を掠めた香りは、故郷で嗅ぎ慣れたあの独特な潮の匂い。
恵麻は思わず髭をひくつかせて、香りを堪能した。
ちょっと生臭いけど懐かしい。
まずは身形を整えたいと言うことで、エストは古着屋のような店に入り、ごく一般的な庶民の普段着だという服装に着替えた。
彼の髪色はカラフルな髪色の人が多いこの世界でも結構珍しいらしいので、精霊術で茶色に変えている。
うん、確かに、道行く人と格好は同じだ。
だが、何というか、顔が違いすぎる。
顔面の力が強すぎて、どこかの王子さまのお忍び感がすごい。
すれ違う人々、特に女性がちらちらとこちらを見ている。
これは仕方ない。恵麻だってこんな人が歩いていたら見るだろう。
「やっぱり精霊士の証でもある長衣じゃないと、目立たなくていいね。こういう服装は初めてだから、ちょっと着慣れないけど」
「…うん、そうだね…」
本人的には目立っていないそうなので、あえて突っ込むのはやめよう。この世界にはテレビやインターネットの類いはなさそうなので、エストの顔を実際に知っている人は少ないはずだし、歩いているだけでばれることはない。と信じたい。
ちなみに路銀はエストが身に着けていた衣服や装飾、あとは森で調達した植物を採取して売って得た。
エストの知識が豊富で助かった。森には貴重な薬草などがたくさんあったのだ。
「それにしても、森を出て5日歩いただけで海が見れるなんて、びっくり」
「ここは島国だからね。海に面した町は、結構あるよ」
「えっそうなの!?」
まさか、この国も島国だったとは!
恵麻は一気にこの国に親近感がわいた。
「私が元いたところも、島国だったの」
「そうなの?じゃあ、共通点があるかもね」
「今のところわからないけど、でも、香りは同じ。潮の香り」
「そっか…。世界が違っても、似ているところがあるんだね」
恵麻はなんだかしんみりして海の香りを堪能していたが、ふと、重大なことに気付いた。
「…っていうか、この国って何て名前なの?あと、世界にはどれくらい国があるの?」
「ああ、そうか。その辺り、全然説明しないでここまで来ちゃったね」
二人はせっかくならと砂浜へ降り、手頃な場所に腰かけた。
あまり人通りの多いところで話し続けると、エストが猫に向かって一生懸命話しかけるという不思議な絵面になってしまうので、やはり会話は人気のないところでしたい。
「ここが私たちのいる国、ゼノア王国。周辺は海だけど、船で航海可能な距離に10以上の国があるよ」
「ふむふむ…」
エストは砂浜に木の棒で絵を描きながら説明してくれた。
曰く、ゼノア王国から海を隔てて船で3日ほどの距離に大きな大陸があり、そこには多くの国が存在しているらしい。
彼らは地続きなので、小競り合いも絶えないそうだ。
一方ゼノア王国は島国な上、精霊の加護があるので、ここ100年ほどは大きな戦争もないらしい。
「精霊の加護が他国への牽制になっているなら、それを手中に収めようとしている大士は相当な野心家なのね」
「そうなるね」
「今いる町は、何て名前だっけ」
「アノンだよ。ちなみにラナが住んでいた森は、ケームノックの森と呼ばれてる」
「そうだったんだ…」
名前が分かると、不思議とイメージがしやすくなる。
改めて、今いるこの世界は夢ではないのだなと、恵麻は実感した。
「なんか、漠然としたイメージがはっきりしてきた感じ。説明ありがとう、エスト」
「ううん。他にも何か気になることがあったら、いつでも聞いて」
「ありがとう。…エストってなんか、先生みたい。説明上手だし、物知りだし」
「え?そうかな。人に何かを教えた経験は、あんまりないんだけど」
「エストが薬草とかに詳しいのはどうして?精霊士って薬草とかも扱うの?」
「ああ、それは、子供の頃、鍛錬の一つとして森で一人で生活させられたことがあって」
「えっ?」
「道具も何もなしで野草の図鑑だけ持たされて、10日くらいだったかな。突然放り込まれて、生き延びてみせろと」
「えぇ?」
「自然と近付くことは、精霊士として大事なことではあるし、極限まで追い詰められると人は才能を開花させるとかでね。なかなか大変だったよ。薬草なんかの知識は、その時に体を張って覚えたんだ。今回の逃亡生活に役立って良かった」
「…それって、精霊士はみんなやる修行なの?」
「いや?私だけだったと思うよ。大士は特に弟子に厳しかったから」
恵麻にはこの世界の常識はわからない。わからないが、子供に対して過酷な修行すぎやしないか。しかも、エストだけ。
エストは以前、求められたことしかしてこなかったと言っていた。彼は周りの大人に才能を見込まれ、求められるがまま、厳しい修行に励んでいたのかもしれない。
「…エスト。エストは、好きなものとかあるの?」
「え、私?」
「うん」
「えっと…急に言われると思い浮かばないな。何だろう」
「じゃあ、甘いものは?食べることは好き?」
「え、え?うん、甘いものも好きだし、食事に好き嫌いはないよ」
「そっか。じゃあさ、私が人間に戻れたら、一緒に美味しいもの食べよう。私、その時までに貯金して、エストにたくさんご馳走するから!これまでのお礼させて」
「え、う、うん?」
「あとは…なんだろう。一文無しの私にできることあるかな…うーん…」
「ラナ、どうしたの…?」
エストが怪訝そうな顔をしてこちらを覗きこんだ。恵麻の突然の発言を訝しんでいる。
「エストを甘やかしたくなって」
「甘、やかす?」
「言ったでしょ?私、これでもエストより年上なの。エストってすっごい頑張ってきたんだなって思ったら、甘やかしたくなっちゃって」
「頑張ってきた?私が?」
「そうだよ!そんな厳しい修行して、ものすごい精霊士になって、頑張ってきたに決まってるじゃない」
「でも、ほら、私は…そうすることしか、できなかったから。そのために大士に引き取られたわけだし、精霊士として励むことが、私の価値だったんだよ」
「価値って…。そりゃ、エストには素晴らしい精霊士の才能があったのかもしれないけど、それだけがエストの価値のわけ、ないよ!」
「ら、ラナ?」
恵麻は思わず鼻息荒く捲し立てた。
エストは度々、自分を卑下するような発言をする。
彼の生い立ちなど理由は色々あるのだろう。でも、恵麻はそんな彼の発言を聞く度、とても悲しくなった。
「私はエストのこれまでの人生も事情も何も知らないけど、私、エストがいなかったら、あの森できっと死んでたよ。エストは私の心の支えだった」
「そんな!救われたのは、私の方だよ」
「違うの。エストはね、不審な猫だった私を受け入れてくれて、側にいてくれて、辛い目にあったのに、私のためにシェドに会おうとまでしてくれたでしよ。今だって、私の側にいてくれてる」
「それは…」
「きっと私が出会ったのがエストじゃなかったら、こうはなってないと思う。私本当に、エストが大好きだもの。エストがいなくなった時、一日中森を駆けずり回るくらいに」
恵麻がいたずらっぽく笑って言うと(猫だけど)、エストはあの時のことを思い出したのか、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「私が器だっていう事情もあるし、結果的にエストが精霊士で助かっていることたくさんあるけど、私はエストが精霊士じゃなくても一緒にいたいよ」
「ラナ」
分かっている。これは恵麻のエゴだ。
恵麻は、元の世界で生きていた自分とエストを重ねている。愛されたくて、期待に応えることが全てだと思って、そればかりだった自分。
でも結局、そんな生き方をしても、恵麻は満たされなかった。葛藤を抱えて、後ろ向きに生きていた。
この世界に来て戸惑うことも辛いこともたくさんあったけれど、恵麻は自由に生きて、何よりエストに出会えた。
エストは良い人だ。優しくて、真面目で、懐が広く、意外とお茶目で、可愛らしい。
だから、エストが自分の価値とか、そういう発言をするのがとても悲しくて、嫌だった。
そんなエストの発言を聞く度、何も持っていなくても、貴方が大事だと、どうしても伝えたくなるのだ。
恵麻の発言にエストは目を丸くして驚いている。
なんだか急に恥ずかしくなった恵麻は、慌てて早口で言葉を続けた。
「えーと、なんか熱く語っちゃったけど、とにかく私はエストが大事ってこと!だから私が人間に戻れたら、まずはエストを労わさせてね。約束」
恵麻は人間だった頃の習慣で、小指を突き出した。そして、そこには肉球のついたふくふくの手しかないことに気付く。
仕方なく肉球でぽんぽんとエストの膝を叩くと、エストは笑って恵麻の頭を撫でた。
「ありがとう、ラナ。私もラナが大事だ。私の全てで、ラナを守るからね」
「有り難いけど、そこまで頑張らなくていいって」
二人は穏やかな波を見ながら、しばらくそこで時を過ごした。




