12.エストの希望
このまま死ぬのだろう。
そう思っていた私の前に現れたのは、一匹の猫だった。
野生にしては綺麗な真っ白な毛並みに、美しい青い瞳。
そんな猫が一匹で奥深い森にいることにも驚いたが、私は彼女に、さらに驚かされることになる。
彼女は私の言葉を理解し、まるで人のような気遣いを見せた。
話しかければ反応する。頷いたり、首を振ったり、返事をしたりする。
食事に、住居に、薪。
私が必要としていることが分かっているようで、彼女のお陰で私は生き永らえた。
一通り私の世話をしたあとも、彼女は私の側に居続けた。
始めは餌などのおこぼれを狙っているのかと考えたが、彼女自身食事は取れているようだったし、着の身着のままで行き倒れていた私は、むしろ世話になる始末だった。
気付けば私は、猫の彼女に対し、まるで人に対する、いや、それ以上の親しみを感じていた。
私は彼女にラナと名前を付けた。
その頃にはラナは私を信頼してくれたようで、私の姿を見ると嬉しそうに目を輝かせ、嫌がること無く膝に乗り、まるで私の話を聞いているかのように、相槌をうった。
私が狂わずにいられたのは、間違いなく、彼女のおかげだ。
私は先のことなど考えず、ただただ、ラナとの生活を楽しんでいた。
厳しい鍛錬をして育った私にとって、文明がなくとも自由な森での生活は、気楽で楽しいものだった。
何より、ラナがいてくれる。何度日を迎えても、彼女が私の元を去ることはなかった。
彼女は絶望していた私の人生に現れた、何とも鮮烈な光で、希望だった。
だから、気付いてしまったのだ。
私が動かなければ、この美しい精霊の森も、いや、世界さえも、失われてしまうかもしれない。
そうしたら、か弱い猫のラナは、生きていけないだろう。
何も知らないラナが私の元へ嬉しそうに駆け寄ってくる姿を見る度、胸が締め付けられる思いがした。
もう、見て見ぬふりはできない。
彼女を、この森を守るためには、私が動かなければ。
だから私は、シェドバーン様に会いに行くことにしたのだ。
しかし愚かな私はまたもやラナに命を救われた。
足を滑らせ意識を失っていた私を、ラナは森を駆けずり回って探してくれたのだ。
彼女の白い毛並みは薄汚れていて、長い時間森を歩き回ったことはすぐに分かった。
愛しいラナ。
やはり私は、彼女のために、大士の企みを止めなくてはならない。
私は決意を固くした。
まさかその後ようやくお会いできたシェドバーン様によって、ラナが、人間の女性であると知らされるとは、思わなかったが。
知ってしまえば、納得した。
猫とは思えないほどの知性も、感情も、親しみも。全てのことに、辻褄が合う。
シェドバーン様の力で会話ができる今となっては、ラナはどう見ても人だ。
いや、姿は猫なのだが、会話も、空気感も、人そのものだ。
しかも彼女は、器なのだという。
それについても納得だ。常々、ラナには精霊の力が宿っていると思っていたが、器なのだから当然だ。
シェドバーン様が徐々に、彼女にご自身の力を預けているのだろう。
私の怪我を治してくれたのも、本人に自覚はなさそうだが、シェドバーン様の力を使ったに違いない。
正直に言って、ラナが人だと知ったとき、私は納得しつつも戸惑った。
私がラナに心を許し、何でも気兼ねなく話し、隙だらけの姿を見せていたのは、ラナが人ではなく、猫だと思っていたからだ。
そのラナが人だと知って、動揺したのは確かだ。
人は裏切る。嘘をつく。それが、怖い。
でも、ラナはシェドバーン様の元で過ごすことなど思い付きもしなかったというような顔で、当然のように私と過ごすことを選んでくれた。大精霊が願いを叶えてくれるという貴重な機会を、私と話がしたいと、それだけのことに使ってくれた。
私は2度、彼女に命を拾われている。
その彼女が、私を必要としてくれているのだ。
彼女が器だろうが、猫だろうが人だろうが、ましてや異世界人だろうが、関係ない。
私は彼女の信頼に応えたい。
それに彼女は、いわば巻き込まれた被害者だ。元の世界に家族や友人、恋人がいたかもしれないのに、突然こちらの世界に連れてこられ、しかも猫になっている。
気が狂ってもおかしくない状況だろう。
シェドバーン様はたしかに偉大な方だが、人の生態や機微には疎い。
異世界から来て身よりも何もない彼女のことを守れるのは、私しかいないはずだ。
ラナを守らなければ。
いつかは、元の世界に帰ってしまうのかもしれない。
それでも、彼女がここにいる間は、私が守りたい。
私が死ぬのは、そのあとでも遅くないだろう。
彼女は私を絶望から救ってくれた、光なのだから。




