Ex.二月十四日 バレンタイン本戦 『その壱』最初に渡すのは?
バレンタインエピソードの続きにつき、誰の視点という訳ではありません。
ついに話しはバレンタイン当日の朝です。
楽しんで頂けたら幸いです。
クリスの表記をクリスティアナへ変更いたしました(2022/1/16)
大幅な加筆を行いました(2025/02/17)
午前七時、神代流哉は西園寺紡から借りた一室にて、コーヒーの入ったマグカップを片手にパソコンと向き合っている。
前日の夜から電源がつけっぱなしになっていたノートパソコンは、ようやく主に触れられて一時間がたったところだ。
パソコンの近く、書斎机の上には数本の透明なガラス瓶が鎮座している。
「寝入ってしまったのは自己責任だが……そうは言っても、この量は多くないか?
オレはもうこういった雑用とは無縁のはずなんだがな……」
部屋の主はそう言うと、持っていたマグカップを机に置き、引き出しを開け、一本の茶色の小さなガラス瓶を取り出す。
指先が、閉ざされていた沈黙の蓋に触れ、冷たい金属の感触が、微かな抵抗を伝える。
力を込めると、カチッという小さな音が、響き、その音は連続する。
固着した時間が解き放たれる瞬間、キャップはゆっくりと回り始めた。
キュッ、キュッという音は、まるで体が悲鳴を上げているようだった。
そしてついに、パカッという軽快な音とともに、蓋は開かれる。
プシュッという音とともに、炭酸が弾け、解放された空間から、甘酸っぱいような薬のような香りがふわりと漂い出す。
それは、疲労を打ち消し、身体に新たな力を与える禁じられた契約の一雫。
一気に飲み干すと、喉の奥から力が湧き上がってくる。まるで、全身に電流が走るようだ。
空になったガラス瓶の列にガラス瓶をまた一つ増やす。
疲労が、鉛のように身体に重くのしかかる。そんな時、かの救世主のように現れるのが、栄養ドリンクの小瓶だ。
その小さなガラスの容器に詰め込まれた、希望の光は、疲労が消え去り、心身は軽くなったと錯覚させる。
再び、戦場へと舞い戻るための、束の間の休息と元気の前借り。
それが、栄養ドリンクという名の、小さな奇跡。
流哉がこうまでしてパソコンに向かっている理由は、民俗学の講義用に製作しているから。
大学の講義に関わることはあっても、夏以降は雑用とは無縁だったが、『どうしても手を貸して欲しい』と立花楓から連絡を受け、仕方なく、渋々承諾していたのだ。
「それにしても、補講を受ける人数が多くないか?
ここまでフォローしてやる必要はないだろうに……」
流哉がパソコンで打ち出しているのは、テストで合格点を取れなかった者への救済として行われる講義用の資料だ。
立花楓から送られてきたメールによると、『通常の講義よりも一時間ほど多く予定されており、またゼミの生徒の中で受講を希望する者も受けに来る』らしい。
メールには講義で取り扱う範囲と話題の指定があり、添付ファイルには元となる資料が入っていた。
「面倒な資料作りなんてせずに、むしろこの資料をそのまま配れば良かったんじゃないか?」
終わりが見えて来た頃、パソコンに向かって二時間が経過した頃、流哉は気づかなければ良かったことに気づいてしまった。
そう、わざわざ資料を分かりやすいようにまとめてやる必要はないのだ。
そのまま資料を渡して、ボードに書き出し、補足していけばいいだけの話しだ。
「まさかとは思うが……また性懲りも無く何か。企んでいるんじゃないだろうな?
話しが来たときは高校の方を一日サボれると思って飛びついたが……結果として早計だったな」
完成した資料を立花のパソコンへ転送し、自室のプリンターでも印刷し、それを書類封筒に入れてからカバンへ入れる。
一つ仕事が片付いたところで流哉は軽く伸びをすると、サイドボードの上に置いてあった読みかけの本と、机の上に置いてあるマグカップを持ち自室を出ていく。
場所は西園寺邸のキッチンへと移る。
流哉は西園寺邸のキッチンへ降りてくると、電子ケトルに水を注いでスイッチを押す。
持ち運んだ自身のマグカップを軽く水洗いだけをしてから置き、ドリップパック式のインスタントコーヒーを取りだし、マグカップへ装着する。
お湯が沸くまでの僅かな間、自室から持ち出した本を開いて視線を落とす。
「オハヨー」
「おはようございます」
「ああ、おはよう。二人とも早いんだな」
流哉の次にキッチンへ入ってきたのはクリスティアナとアレクサンドラだった。
眠そうな目をこすっているクリスティアナと異なり、アレクサンドラはしっかりと身だしなみを整えている。
二人とも未だ部屋着のままだが、今日は流哉以外の同居人全員が休みだと昨日の内に言っていたので問題ないのであろうと流哉は判断した。
「二人ともコーヒーは飲むか?
残念ながらインスタントだけど」
「良いんですか?」
二人へ流哉が問いかけると、アレクサンドラは遠慮がちにきいてくる。
「良いよ。クリスも飲むか?」
「ミルクとシュガー多めで!」
先ほどまで眠たそうにしていたクリスティアナは元気一杯に注文をする。
「了解。アレックスは?」
「私はブラックで大丈夫です」
二人のマグカップを用意し、ドリップ式のインスタントコーヒーをセットする。
セットし終わるのと同時にケトルのスイッチが『カチッ』と音を立てて切れる。
ケトルからコーヒーポットへお湯を移し、ケトルには新しく水を注いでから再びセットし、電源を入れておく。
ロンドンで仕込まれた腕で流哉はコーヒーを淹れる。
二人分はブラックで、クリスティアナの分はミルクと砂糖多めで。
「お待たせ」
「いいえ、ありがとうございます」
「アリガトー」
三人で朝のコーヒーを飲む。
流哉はそのまま読みかけの本に視線を落とし、アレクサンドラとクリスティアナは朝食の準備に取り掛かった。
「「リュウヤさん、ハッピーバレンタイン」」
流哉が本から視線を上げると、丁寧にラッピングされた箱をアレクサンドラとクリスティアナが差し出していた。
暫く何のことか分からずにいる様子だったが、今日が二月十四日という事を思い出したのか、本を静かに机の上に伏せる。
「今日はバレンタインだったか……二人ともありがとう。
すっかり忘れていたから贈り物は用意してないんだ……済まない」
つい最近まで外国で暮らしていた流哉にとって、バレンタインとは男性側から贈り物をするものだと思っていた。
もっとも、流哉に親しい間柄の友人というものも数えるくらいしかおらず、バレンタイン当日に……そもそも魔法連盟の本拠地に居ることの方が珍しいタイプ。
バレンタインの贈り物というものも、数えるくらいしか贈ったことはない。
「今回はいつもお世話になっているお礼みたいなものですから」
「頑張って作ったので、食べてください」
「ありがとう。手作りのチョコレートなんて初めてだよ」
二人から渡された箱の中身は手作りのチョコレート。
深夜までかかって作っていたものの正体だ。
バレンタイン当日の戦いのスタートダッシュを決めたのはクリスティアナとアレクサンドラの二人だった。
バレンタインエピソード、楽しんで頂けたでしょうか。
ついにバレンタイン当日の朝です。
最初にチョコレートを渡したのはクリスとアレックスの二人です。
残りの子たちの話しはまた後日に。
バレンタインの話しですが、もう少し書こうと思います。
それに伴いまして、二月中はバレンタインの話しになります。
お読み頂き、ありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」等、思って頂けましたら、ブクマ・評価頂けると励みになります。
今後ともよろしくお願いします。