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You dirty rat!  作者: 桜 紫緒
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Luckとトランプ

 午前2時。アパートの外壁を強く打つ雨風の音が煩くてなかなか寝付けず、青い表紙の本を読んでいた。白い文字でちょっと控えめに“ファッキンブルーフィルム”と書かれたこの本は、レズ寄りのバイセクシャルであるSMクラブの女王様がウェブ上に公開していた日記で、仕事のことやプライベートのこと、恋人(彼女)たちのこと、男のセフレ達のことがつらつらと書かれている。

「この本のピーターアーツの話は面白いよ。」

と言って貸してくれた女の友人は、その直後に近くて遠い場所へ勤めに出てしまった。決して会えなくはないけれど、検閲が厳しくて本は返せそうにないので、彼女が帰ってくるまで私が預かることにしている。

 ピーターアーツというのは作者とセフレ関係にある人の固有名詞・・・というかウェブ上での呼び名である。彼らは初めて会ったとき以来会話をしていない。「喋るのが面倒だから、どうしても話したいことがあるのなら金を払って喋る権利を買おう」というピーターアーツの提案によって、彼らは実験をはじめたのである。無論、たかだかセックスフレンドに金を払ってまで話すことなど何もないわけで。待ち合わせなどの事務的な連絡は全てメールでやりとりして、会っている最中も一切会話はしないという、不思議な関係であるけど、私の感性では到底思いつかない。そんな新鮮な話を面白く思い、読みふけっていた。

 ピーターアーツとの出会いをかなり過ぎたあたりのページまで読み終わったところで、私の携帯がキリンジのラブソングを歌いはじめた。一日に1〜2回しか鳴らない、彼からのメール着信音だ。私は早速、読んでいたページに煙草の銀紙をしおり代りに挟み、新着のメールを見る。

「夜遅くにごめんね。目が覚めてメールしてしまった。彩乃の夢を見たんだ。」

彩乃、という文字の上を指でなぞる。彼に名前を呼ばれると、“彩乃”という名前の女に産まれてきてよかった、とつくづく思わされる。彼は、ただでさえ容量が少ない頭の5%ほどのスペースに居座っているといういい根性をした男性だ。プライベートな時間に一人でいる時は、頭の片隅に住んでいる彼を常時意識している。


 最初に二人でデートをしたのは、お互いの家から30分圏内の場所にある居酒屋だった。女性とこういう形でコミュニケートするのがあまり得意ではないらしい彼の緊張が痛いほど伝わってくる。私はもともとそんなタマじゃないが、何を喋ったらいいのかわからなくなってしまった。彼はハットを深々と被り、そのえりあしから長めの髪の毛が出ていて、雰囲気がACIDMANのボーカル、大木さんとよく似ている。なのでここでは大木さんと呼ぶことにしよう。

 向かい合って座る大木さんと私との間に沈黙が続くが、重苦しい沈黙にならないように私はニコニコしていた。さっき来たばかりの生ビールを飲みながら、

「本当はおれが盛り上げなきゃなんないんだけど・・・何話したらいいのかわからないんです。ごめんなさい。」

と、ぎこちなく柔らかいテノールで大木さんは言う。なんて素直な人なんだろう。それなりに社会経験を積んできた30歳過ぎの人間の中で、ここまで素直な人がいるのだろうか。少なくとも、今まで私の周りにはいなかった。落ち着いてきた鼓動がまた高鳴りはじめ、顔や耳まで火照り、目が潤んでくるのが自分でもわかる。今の私は誰が見ても色気を発しているんだろうなぁ、と頭の片隅で思った。

 酒が入り、会話も多くなってきた。共通の趣味である音楽について語る。彼はベーシストで幅広い音楽を聴くらしい。私はギターとサックスをやっていて、主にロックとジャズとクラシックを好んで聴く。お互いの使っている楽器の話、コアなミュージシャンの話・・・けっこうディープな話になっていく。

 私がギターをはじめたのは高校1年生の時。当時の友人が他校の文化祭に連れて行ってくれた。そこでたまたま行われていた軽音楽部のライブで、女ボーカルのバンドが椎名林檎とニルヴァーナのコピーをやっていた。中学から吹奏楽部でサックスをやっていて、クラシックやジャズしか聴かなかった人間なので、女声はクラシックならばたおやかで、ジャズならば色っぽくあるべきだと思っていたけど、彼女の声はどちらにも当てはまらなかった。歌というよりもただ音に合わせて叫んでいるだけだ。そして、声の出所が声帯や腹とかそんなレベルではない気がした。いや、声帯と腹筋を使っていることは生物学的に確かなんだけど。なんていうかもっと深いのだ。魂から出ている声っていうか。そんな化け物じみた彼女のシャウトはそれまでの固定概念をぶち壊し、私の魂を激しく揺るがした。

 家に帰って早速、椎名林檎とニルヴァーナのCDをレンタルしに行き、すっかりグランジロックの虜になってしまったのである。その直後に付き合いだしたギタリストの影響もあってギターをはじめ、今に至るというわけだ。そんな話も、大木さんはうんうんと聞いてくれた。(元彼の話はもちろん伏せといたけど)

「話は変わりますけど・・・」

と、好きな異性のタイプを聞かれた。私はルックスの好みを述べ、あとは直感とフィーリングです、と言った。

自慢じゃないけど、異性に関する直感はほぼ当たる。初めて見た時、見た目的にストライクゾーンでなくとも『こいつとヤるな』と思えば流れでそうなるし、『こいつと付き合うな』と思えば付き合うことになる。彼はというとこれまた例外で、初めて会った時に心臓が激しく胸をノックしはじめて、脳が酸欠になったみたいにきゅーっと縮まって、頭が機能しなくなった。だから何を考えたのか覚えていない。

逆に彼のタイプを聞くと、

「色が白い人ですかね。性格はエキセントリックでアナーキーだけど、根底にナイーブさと深い愛情がある人がタイプです。」

とよくわからないことを言った。色が白いという点を除いて、私は彼の好みに副っているのだろうか?

 酒がかなり入り、酔って大胆になった私は彼の腕を取り、つけていた牛皮のブレスレッドを奪う。

そして

「また会ってくれたら返します」

と笑った。

「そんなことしなくてもこちらからお願いしたいくらいです。」

と苦笑いしながら言う彼の言葉を聞き流した。また会うだろうという確信はあったけど、とにかく次に会うまで彼の形見が欲しかったのだ。

 ここで、店員が伝票を持って閉店時間を告げにやってきた。私たちはお会計を済ませ、店を出た後はどちらとなく手を繋いで歩いていた。

「彩乃さんは彼氏に何て呼ばれたい?」

と、しぼりだすような声で聞く大木さん。私はなんだか妙に照れ臭くなり、顔を下に向けながら

「彩乃と呼んでほしいです。」

と言った。

「そうか。じゃあ彩乃って呼ぶね。」

と大木さん。私はそれを承諾し、大木さんのことも名前の一部分にちゃんづけで呼ぶことにした。

 次のバスが来るまでの30分程、電車で帰る大木さんは私と一緒にバスを待っていてくれた。

最初は断ったけど、大木さんは私の手をさらに強く握り、バス停までついてきた。

4月初旬の夜風は、私たちの距離を縮めるように吹きすさぶ。バスを待っている間、体温が高い大木さんの脇の下に手を潜り込ませた。ドキドキが止まらなくて、涙が零れそうになる。

「どうかしたの?」

と、大木さんが私の顔を心配そうに覗き込む。私が首を横に振ると、大木さんは黙って私の肩を撫でた。

 そうこうしているうちに、バスがやってきて、私は乗り込むべく手を放そうとすると、大木さんは寂しそうな顔をした。またメールしますね、と言い彼の手を優しく解いて、バスに乗り込んだ。

 家に帰ってからシャワーを浴び、寝巻きに着替えて、預かったブレスレッドに何度もキスをした。そこで、大木さんからのメールが届く。

「今日はありがとう。ちゃんと帰れましたか?本当のこというとね、もっと一緒に居たかったんだけど・・・。変なことを考えてしまってごめん。」

私はくすっと笑い、ちゃんと帰れたことと、また近いうちに会いたいこと、仕事は自分がシフトを組んでいて、今は人が足りているのでだいたいいつでも空けられることをメールで送信した。


 次のデートは、それから3日後で、隣の市に住む彼の家の近所にある、大きなショッピングモールだった。食事をして映画を見たいという私の希望によって、こうなったのである。

 私は、仕事から帰ってすぐにシャワーを浴び、夜勤明けで寝ていない肌に化粧水をたっぷりとやり、普段あまり使わないコンシーラーでクマを入念に隠す。化粧や服は青白い私に似合う青ベースの色とモノトーンで。そして、買ってから使った覚えのないコテで、髪の毛を内側に巻いていく。

 以前の私は、本命男とのデートの為にここまでする女心を理解ができなかった。『見てくれだけを無理して着飾ったっていつかはボロが出るじゃん。清潔感がなかったり、一般的な常識を逸脱してセンスがないのなら話は別だけど、相手はお前らの細かいファッションの気配りまで見ちゃいねえぞ。』って。それが今じゃ世の中の女たちと同じことをしている。『これが女というイキモノなんだなあ』と苦笑していた。

 そんな私の入念な準備が過ぎ、その上バスが大幅な遅れをきたして、待ち合わせに30分も遅れてしまった。

 待ち合わせ場所である、3階のCD屋の前へ着き、謝ると大木さんは「無事についてよかった!」と、こちらに優しい視線を向けて言った。

 1階のフードコートへ降り、飲食店の案内の前で何にしようかと選ぶ。私は洋風のバイキングを提案すると、彼は承諾し、いざ店へと向かう。

 私は学生の頃、人より食欲が旺盛で、その頃からバイキングというものが好きだった。高校に入ってアルバイトを始め、自分の小遣いでバイキングに行き始めた当時は元を取る気持ちで行っていた。胃腸がすっかり弱ってしまった今ではそういう考えはできなくなってしまったけど、自分の好きなものを好きなだけ食べれるという自由な感覚には今でも惹かれてしまうのだ。

 日曜日でしかも人気店ということもあり店は混んでいて、数十分間待たされてようやく店に入った。

 バイキングなので、もちろんお皿もセルフサービスだ。お皿置き場の前には丸いお皿を持っている人が数人いて、私はその人たちをするりと掻い潜り、四角いお皿を手に取った。ふと彼の方を振り向くと、彼は数人の間を通りぬけられずに困ったような顔をしていた。彼は本当に人間が苦手みたいだ。

 私は手に持っていた四角いお皿を彼の前に出し、

「これで大丈夫?」

と聞いた。

「あ・・・!ありがとう。これが良かったんだ。」

と彼はにっこり笑う。

 適当に料理を取ってきて、席につく私たち。さっそく食べ始める。彼が食べる様子を見て、私の心臓はまたドキッと高鳴った。大口を開けて、私のお皿より多く盛られた料理を、私よりも早く平らげてしまうのだ。彼を見ていると、どういうわけか自然と食欲がなくなってしまった。自分で盛った料理に苦戦しながら、なんとか平らげた。

 食べるのが遅い私を待っていてくれた彼と一緒にデザートを取りに行った。適度に取ったものの、全て食べきるのに一苦労だった。

 食事を終えた私たちは、3階の半分を占める映画館へ向かった。生憎私たちが見ようと言っていた映画は席が空いていなかった。なので、別の映画を見ることにした。

 その映画は合唱部に所属する高校生のストーリーで、主役は清純派でなかなか可愛い女の子(名前は忘れた)で、カレッジセールのゴリが高校生として出ているという。ゴリが高校生というムチャぶりな配役に期待していたのだけど、私の期待は見事に裏切られてしまった。高校生のゴリになんの違和感も感じなかったのだ。だけど、彼の実年齢を考え『お前、何年留年してんだ?ん?』とニヤニヤしながら見ていた。

 映画が終わり、大木さんはトレンドマークのハットを被り直しながら「ゴリ、意外とハマり役だったね」と一言。やはり、この映画の着目すべき点はそこ以外になかったか・・・。

 映画館を出ると、私は勇気を出して彼の手を取り、指の間に自分の指を絡ませた。「ん・・・!」声を出してこちらを見る彼。私はニコリと笑い一瞬だけ彼を見て、視線を外した。バイキングではあれだけ人を嫌がっていた彼が、私の手を拒まないのはすごく嬉しい。

 隣にある楽器屋の前で、「この楽器屋、GLAYNあるかなぁ」と呟く。GLAYNグレインというのは私が使っているギターのメーカーで、私が持っているタイプのものはストラトタイプで普通に買えば最低7〜8万はするそこそこのモノらしいんだけど、貰いものなので実際は知らない。このメーカーは日本ではあまり売られていないコアな所で、ギターをはじめてから数多くの楽器屋を回ったけど、どの店頭でもGLAYNと出会えていない。

「行ってみようか」と言い、楽器屋に入った。二人してギターのコーナーを数十分見たものの、やはり見つからなかった。

 そして2階に下りてアジアン雑貨の店に行った。お香が欲しかった私は、お香のコーナーを物色する。彼も一緒になってお香のコーナーを物色している。二人してお香のサンプルを片っ端から手に取り、鼻が馬鹿になるんじゃないかってくらいくんくんと嗅ぎ続けた。

 彼が、「これ、いい匂い!」と、手に取っていたお香のパッケージにはトランプの絵が書いてあり、上の方にLuckと書いてあった。嗅いでみると、ほどよく甘くて爽やかな、私好みのいい匂いだ。私はそれを手に持ちレジへ並んだ。

 帰りのバス停で、前回と同じく彼は一緒にバスを待っていてくれた。10分くらいしてバスが来て、私は繋いでいた彼の手を優しく解く。「じゃあ、またね。」と彼。その寂しそうな目を見て、私の胸は少し狭くなったけど、それを隠すかのように笑顔で「またね!」と手を振った。

 それ以降も幾度かデートを重ねたけど、手を繋ぐ以上の進展はない。昔から“素人娼婦”と呼ばれていた私でも、本当に好きになった男には手も足も出なくなるもんだ。


彼好みの香りがするお香にライターを向けて火をやる。細長い煙と共に昇るいい香りが鼻腔を通り抜け、胸をときめかせる。そして、メールの返信画面を開き、こう打った。

「私も今、あなたのことを想っていたよ。」




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