中学生向けの文章で本当にいいのか
どうも、活動報告で書影とかあげてキャッキャしている最中の僕です。
今日は文体の話です。
僕はライトノベルの文体は、中学生向けぐらいのイメージで書くのが理想だと思っておりましたが、最近少し考え方を変えつつあります。
それはなろうの上位作品、殊に小説好きの読者から「バカにされがち」「貶されがち」なタイプの作品をいくつか読んで、また孫の手先生の一位部屋を読んでの、考え方のチェンジになります。
どう変わったか。
「中学生向け」よりもさらに下、「小学生向け」ぐらいの文章を狙っている作家さんがいるんだと、そういう認識を得ています。
めちゃくちゃ平易で分かりやすく、小学生でもサクサク読めるけど、情緒も何もあったもんじゃない文章。
ランキング上位の作品のうち、「一見では拙く見える」作品のうちのいくつかは、多分敢えてそのような文体を目指しているんだと見ています。
実際に読むのが小学生というわけじゃあないんでしょうが、僕ら書き手が想定している以上に、なろうやライトノベル読者には「文章を読むのが苦手」な読者が多いのではないか。
というよりは、なろうやラノベは「本来なら読書をしない層」を読者として取り込むことに成功しているのではないか、という見立てです。
書き手側に回る人っていうのは、概ね「文章を読むのが得意」な人なので、その感性で「適切」と思う水準に合わせてしまうと、多くの読者にとっては「読むのがしんどい」ものになってしまうのではないか。
ただ、めちゃくちゃ平易で分かりやすい文章っていうのは、トレードオフ的に「情緒」を切り捨てる形にならざるを得ない部分があります。
例えばあるなろうのファンタジー作品では、主人公の父親(貴族)が「金は領地経営で溶かした」というセリフを吐きます。
これは旧来の「小説」の文脈から言えば、「ダメなセリフ」になるでしょう。
「溶かす」というのはソーシャルゲームなどのガチャを彷彿させ、それを転移転生した主人公というわけでもない現地人の父親が言ってしまうというのは、ファンタジー世界の情緒を台無しにしてしまうセリフになります。
でも、これは確実に、現代のソーシャルゲームに触れている読者からすれば馴染みのある言葉で、スッと意味が溶け込んでくる言葉です。
僕はこの言葉を作者さんがチョイスしたのは、情緒を捨てて読みやすさ分かりやすさを取ったのだと感じました。
また、これも「小説」では嫌われる技法なのですが、「キャラのセリフで狂言回しを行う」というテクニックがあります。
RPGなどでよく使われる「説明的なセリフ」というやつです。
「ええっ、じゃあ〇〇は××だってことか!?」
みたいなやつで、RPGツクールでゲーム作ったことのある人なんかは分かるかと思いますが、ゲームではこれができない、地の文で説明しようとする作品は「下手」だと言われます。
でも「小説」では逆に、「このキャラがこの場面でこんなセリフ回しをするのは不自然だ」となって、このような狂言回し的なセリフを使うことは「下手」だと言われます。
昨日更新しただらだら冒険者115話「村」では、この辺を意識して、少し文体を変えることに挑戦してみています。
セリフだけ追えば何となく話が見えるようにしつつ、地の文をちゃんと読めば情景も認識できる、みたいな形を意識したのですが、いかがなものでしょうか。
文体というのは、作品や作風ごとに「正解」が違うものなのだと思います。
一見下手に見えるものが本当に下手なのか、勉強したものを絶対視して考え方が凝り固まってしまっていないか、という視点は常に必要かと思っております。