第66話 王女の決断
辺境伯領へ届いた第二便は、荷より先に空気を変えた。
第三王女リゼリアの名で出された公的支援布告。
内容は明快だった。
北東辺境に対する臨時穀倉開放。
工務局保留物資の再配分。
地方工房への治具供与。
そして、再建成果の監査を王女直轄で行うという宣言。
読み上げる文官の声は、最後の一行で少し震えていた。
無理もない。
監査を王女直轄で行うというのは、成果が出なければ責任も王女直撃という意味だ。
紙の上の文言なのに、覚悟の重さまで透けて見える。
「やったな、あの人」
文面を読み終えた湊は、思わずそう漏らした。
これは単なる応援ではない。
王都の反発を正面から踏み抜く決断だ。
アルヴェインも同じものを読んで、深く息を吐いた。
「ここまで表へ出るとは思わなかった」
「危ないですか」
「危ない。だが、地方には効く」
「賭けですね」
「賭けだ。だが姫殿下は、勝ち目のない卓には着かん。少なくとも、これまではな」
アルヴェインは布告を丁寧に畳み、執務机のいちばん上へ置いた。
扱いが、もう普通の書類ではなかった。
夕方、その理由が分かった。
北西の子爵家、南街道の代官、東砦の守備隊長。
これまで様子見だった連中から、次々に連絡が入ったのだ。
『王女殿下が公に責任を持つなら、こちらも人員を出す』
『辺境伯領の再建視察を希望する』
『量産槍の図面供与を願いたい』
地方の領主たちは、理想論より責任の所在で動く。
誰が腹を括ったか。
それを見ていたのだ。
辺境伯領の通信塔は半ば眠っていたが、湊が中継の工式を繋ぎ直したおかげで、王都との細い通話だけはどうにか通るようになっていた。
夜、ようやく繋がった通話板の向こうで、リゼリアは少しだけ疲れた顔をしていた。
けれど声はまっすぐだ。
『驚きましたか』
「驚きました。かなり」
『守りに徹していれば、少し長くは持つでしょう。でもそれでは勝てません』
後ろで書類を捌く音がする。
王都でどれだけ無茶をしているか、言葉にされなくても伝わった。
「無理しすぎてません?」
『しております』
即答だった。
『ですが、あなたが辺境であれだけのものを形にしているのに、わたくしが王都で椅子に座っているだけでは釣り合いません』
湊は少しだけ黙った。
この人はやっぱり強い。
でも、強い人間ほど無理を無理だと言わない。
「倒れたら困ります」
『あなたほどではありません』
「俺も困りましたけど」
その返しに、リゼリアが初めて小さく笑った。
『冗談を言うようになりましたね、あなた』
「こっちも色々鍛えられてるので」
『良い傾向です』
通話板の光は相変わらず細く、時々声が途切れる。
それでも、王都と辺境が同じ夜の中で話せている。
そのこと自体が、少し前までは考えられなかった。
『辺境伯領が立て直ったとき、地方は王都を見限らずに済みます』
『だからお願いします。成果を、誰の目にも分かる形で残してください』
「任せてください」
通話が切れたあとも、湊はしばらく板を見ていた。
偽恋人とか、そういう建前とは別のところで、あの人は本気で国を背負っている。
翌朝、辺境伯領の広場で布告が読み上げられると、住民たちの反応は静かな驚きだった。
「本当に王女殿下が?」
「口先じゃなくて、名前を出したのか」
パン屋の女将は布告の写しを店先へ貼り、老兵は孫に読み聞かせをせがまれて難儀していた。
文字の読めない者のために、役人が三度も読み直す。
そのたびに、広場の人垣は少しずつ厚くなった。
地方の人間にとって、王都は遠い。
王族はもっと遠い。
だからこそ、自分たちのために誰かが表で責任を取ると分かると、その意味は大きい。
アルヴェインが広場の端で呟く。
「姫殿下は今日、敵を増やした」
「味方も増えます」
湊が返す。
「ああ。だからこそ価値がある」
湊はその横顔を見て、ふと思う。
この人も最初は、領地を丸ごと工房扱いされても困ると言っていた。
それが今は、王女の賭けの意味を誰より正確に測っている。
立て直っていくのは、土地だけじゃないらしい。
その日から、辺境伯領へ流れ込む人手が少し増えた。
荷車の修理を願う商人。
講習を受けたい職人。
王女の判断を見て動き出した地方役人。
リゼリアの決断は、紙一枚の命令で終わらなかった。
王都に閉じ込められていた政治を、地方の景色へ直接届かせたのだ。
それは、湊の図面と同じくらい確かな再建の一手だった。
夜、湊は工房の隅で治具の手入れをしながら、昼間の布告を思い返した。
政治は専門外だ。
それでも、流れを読むという一点では、水路も国も大差ない。
止まっていた流れに、誰かが最初の一押しをくれた。
なら、あとはこっちの仕事だ。
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