第49話 境界工匠
祖父の手帳は、記録というより設計メモに近かった。
日記のように感情を書く人では、最初からなかったのだろう。
日付、場所、設備名、補修内容、必要素材、失敗例。
そんな項目が淡々と並んでいる。
けれど、読み進めるほどに分かる。
この手帳はただの職人の覚え書きじゃない。
世界と世界の継ぎ目を知っている人間の記録だ。
『境界工匠とは、境を越えるための仕組みを設計し、維持し、隠す者である』
最初のページに、そうあった。
湊は椅子へ座り直す。
工房の机の上には、水利盤、転移炉、防壁、穀倉の図面を広げたままだ。
手帳の文は短いのに、内容だけが重い。
祖父――相沢源蔵は、もともとルーメリア側の工匠一族の血を引いていた。
建国期、王国は外敵に囲まれた小国のままでは立てなかった。
だから国を守るため、水、食糧、輸送、防衛、転移のすべてを“繋いで保つ”基盤工式が必要だった。
それを設計し、継ぎ足し、次代へ伝えるのが境界工匠。
「境界、ってそういう意味か」
国境だけじゃない。
世界の境。
人の生活を成り立たせる基盤同士の境目。
壊れたときに、真っ先に見えなくなる部分。
さらに読み進めると、召喚の理屈も出てきた。
王家に伝わる救難術式は、本来“勇者”や“聖者”を呼ぶものではない。
国難のとき、基盤工式へ適合できる工匠を探すためのもの。
祖父はその接続先を現代へ逃がし、現代人に警戒されない形で偽装するため、マッチングアプリ風の窓口を残した。
『向こうから見れば救難器。こちらから見れば遊び道具に見せるのが一番早い』
「雑だな……」
雑だが、祖父らしい。
つまり、リゼリアが湊を“選んだ”わけではない。
彼女はただ救難術式を起動しただけで、術式と祖父の細工が、条件に合う相手として湊を拾った。
血筋。
工式適性。
現代で積んだ制作と修理の経験。
全部そろっていたから、湊は呼ばれた。
ようやく、理屈が通った。
「じゃあ俺が見えてるあの線も」
手帳の後半には、湊が視ているあの線そのものへ触れた記述もあった。
『視える者は少ない。血だけでも足りん。手で壊れを覚え、直し方を身体に入れてないと、線は線のままだ』
湊は思わず、自分の手を見た。
小さな切り傷、古い火傷、木くずで荒れた節。
祖父の言っていた“見て見ぬふりができない手”という言葉が、ようやく少しだけ分かった気がした。
手帳の別ページには、転移炉の細工に似た図もあった。
負荷を一拍遅らせ、正常な劣化へ見せかけながら、特定の起動時にだけ破裂点をずらす設計。
「これだ」
湊はページへ身を乗り出す。
転移炉で見た細工と酷似している。
しかも注記にはこうある。
『境界系設備を破るなら、真正面から壊すな。誤作動と保守不良に見せろ』
誰がやったかまでは書いていない。
古い境界工匠の知識か、それに近い設計思想を持っている。
リゼリアたちが戦っていたのは、商人や貴族の私欲だけじゃない。
王国の基盤を理解して、そこを腐らせる側の知恵だ。
夕方になって、ようやくアプリへ短い通知が入った。
『無事でよかったです』
リゼリアからだった。
たったそれだけ。
それでも、胸の奥に溜まっていたものが少し動く。
湊はすぐに返す。
『こっちも動いてる。じいちゃんの手記、見つけた』
少し置いて、もう一通。
『俺が呼ばれた理由、たぶん掴んだ』
既読はすぐつかなかった。
でもそれでいい。
向こうも向こうで、今は息を潜めているはずだ。
湊は手帳を閉じ、図面をまとめ直した。
敗走してきたつもりだった。
でも本当は、反撃の設計図が待っていた。
職人にとって、”何を直すべきか分かる”は最初の勝ち筋だ。
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