第八話 嵐の前の静けさ
キョウヤ達がカムル村に滞在して数日が過ぎる。
特に異変は見られず、キョウヤは子供達の相手と鍛錬を繰り返して、平和な日々を過ごしていた。
しかし、ここまで何もないことが逆に不気味で、なんだか嵐の前の静けさのような不安を抱いていた。キョウヤの気のせいならいいのだが……。
ある日、部屋でぐっすり寝ていたキョウヤは寝返りを打つと、微かに鼻孔に刺激するふわりとした甘美な香りと、柔らかい感触が手の中に収まる。違和感に気付いたキョウヤは徐々に意識が浮上し、寝ぼけてもう一度だけ柔らかい感触を堪能する。弾力性があって、触り心地の良い感触に、気になって薄目で確認する。
その視界の先に、誰かが隣で横になっているのが映った。
自然と冷や汗が流れたキョウヤは意識を完全に覚めて、再び確認すると、そこに寝ていたのはエルヴィラだった。
穏やかな寝顔で、普段の年上なエルヴィラの面影はなく、今はあどけない無防備な姿を晒してスヤスヤと寝ていた。
「ど、どどどどどうしてエルヴィラさんが!?!?」
慌てて起き上がったキョウヤは、右手の柔らかい感触と共にエルヴィラから離れる。
いつエルヴィラが侵入してきた?
記憶の無いキョウヤは疑問符が大量に浮かんで、ぐるぐると思考が回ると、自分の右手を凝視した。
先程味わった感触が無意識に思い起こされ、ゴクリと唾を呑む。そして指をわきわきと動かしてにへらと鼻の下を伸ばすが、頭を振って邪念を追い払う。
今は一刻も早くエルヴィラに自分の部屋に戻るよう言わなきゃならない。
その理由は勿論言わなくてもお察しの通り、キョウヤの気になる少女に知られないためである。何だか疾しい事をしている感は否めないが、この際気にしていられない。
しかし、これが手遅れであり、いつものパターンがこの後に必然的に起こることをキョウヤは知らない。
まず誰かが近づいてくる足音――実際にキョウヤの耳に聞こえるのがそうだ。
次に誰かが部屋の扉を開ける――実際にキョウヤの部屋を開けたのがそうだ。
現れるのは勿論――シャルリーヌである。
既に詰んだ状況にキョウヤは言い訳を考えるが、どう言葉を紡いでも一点に帰結してしまうのは今までの経験上で悟ってしまう。
シャルリーヌがキョウヤとエルヴィラに視線を交互に視認すると、みるみる不機嫌オーラが増してくる。
冷や汗を流して、侮蔑の視線を受けたキョウヤは取りあえず何か弁明しようと考え――先にシャルリーヌが言葉にする。
「…………キョウヤの浮気者」
「ち、ちちち違うんだシャル!? え、エルヴィラさんが知らないうちに部屋の中にいて、お、俺はシャル一筋なんだああああああああああああああああ!」
キョウヤの叫びは虚しく、部屋を出て行ったシャルリーヌが物凄い音を響かせて扉が閉まる。
そして、いつの間にかキョウヤの横で浮遊するエミールが一言。
「難儀だね」
今日も一日平和だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あ、あの……シャルさん?」
「何? 別に私怒ってないから」
明らかにシャルリーヌの口調が怒っているのは誰が聞いても明白だった。
キョウヤはずっとシャルの側に付いてあれこれと話しかけるが、どれも素っ気なく、冷ややかな視線を向けるだけで、一向に機嫌を直してくれる気配がなかった。
「なーなーキョウヤーまた何か遊ぼうよー」
キョウヤの裾を引っ張るニコルが遊びたそうな顔をしていた。
「お、俺はちょっとシャルと――」
「私の事なんか気にしないでニコルちゃん達と遊んであげればいいんじゃない」
それだけを告げて先に歩いて行ったシャルリーヌは、村の人達の方へ行ってしまう。後に残されたのはキョウヤと子供四人。
「あ、あのキョウヤさん? わ、わたしたちの事は大丈夫ですから、シャルさんの所へ行って――」
「いいのよシゼル。どうせキョウヤが別の女にデレデレして怒られただけなんだから」
「うぐぅ――」
ニコルに図星を付かれて反論できなかった。
「ふん、お前情けねぇ―ぞ!」
ロイクが不機嫌な顔で侮蔑の視線を向けてくる。何だが癪に障ったキョウヤ。
「ロイク……お前だってただ嫉妬しているだけで自分から動こうとしてないだろ!」
「うぐぅ――お、おま、~~~~~っ!?」
キョウヤはニコルの頭をぽんぽんとすると大人げない対応で、ロイクに勝ち誇った顔をする。ニコルはというと、キョウヤに頭をぽんぽんされて苛立って脛を蹴ってきた。地味に痛みが襲ってきて涙目になるキョウヤ。
「おうキョウヤは子供らに人気だな! よし、俺も遊びに興じようじゃないか!」
ケヴィンが近づいてくると、子供達は巨体のケヴィンに怯えるとキョウヤの背中に隠れた。
「キョ、キョウヤ! な、何とかしなさいよ!」
「あう……あう……」
「お、おおおおれはべ、全然ビビってねぇし」
「…………」
四者それぞれの反応を示してケヴィンを怖がっていた。ダリルは怖がっているようには見えなかったが。
「ケヴィンはこう見えていい兄貴分だから怖がる必要は無いって」
「見た目はこうだが、別に取って食おうなんてしねぇーよ! がっはっは!」
こうして、しばらく子供達はケヴィンを恐れていたが、一緒に遊んでいるうちに慣れてきたのか、ニコルは生意気な口を聞くようになって、ロイクはそれに便乗する形で接するのだった。ただシゼルだけはまだ慣れてないのか、キョウヤの背中に隠れてしまう。ダリルはいつものクールな感じだ。
シャルリーヌとは少し間を置いてから、再度声を掛けることにして、午前中は子供達の面倒を見て、缶蹴りとは別の遊びを考案して、ケヴィンを交えて軽い遊びをした。
途中で子供達の母親がキョウヤに近づいて来て、お礼の言葉を言われたりする。最初は事案発生して、訴えられるかとびくびくしたが、異世界ではそんな事はなかった。
そして、昼食の後に鍛錬に励んで、エルヴィラに散々扱かれて、また剣術や魔法のアドバイスをもらうのだった。
基本的にドSのエルヴィラだけど、キョウヤの事を気遣って、面倒見が良い姉として、感謝の気持ちが大きかった。ただシャルが嫉妬する原因でもあるから過剰な接触は控えて欲しいが、如何せんキョウヤは基本的にコミュ障であるため、あまり強く言えなかった。
それから日が落ちると、キョウヤはシャルリーヌの部屋へ向かおうとした。すると、ちょうど外へ出て行くところを見かけた。後を付けるキョウヤ。
丸太に腰掛けるシャルリーヌが夜空を眺めていた。その隣にキョウヤは座ると、シャルリーヌは少し驚いた顔をした後、口を尖らせて再び空へ視線を戻す。
「エルヴィラさんの所に行かなくていいの?」
未だに今朝の事を引きずっている。
苦笑しつつキョウヤは言葉を選びながら。
「エルヴィラさんは俺にとって姉みたいな存在だからな。それに……シャルは俺にとって……その……と、特別だから」
「…………」
チラリとシャルリーヌに視線を向けると、タイミング良く視線が重なる。それだけで心拍数がいつもより上昇してキョウヤは緊張した。
しばらく沈黙が流れると二人は夜空を見上げる。
空一面に点々とした輝きを放つ、儚く綺麗な星々。幾つもの星が集約し、煌めく大きな川が形成している。まるで天の川のような光の帯。
キョウヤの中で天の川に関連する織姫と彦星の話が過ぎる。
「俺の世界に織姫と彦星という話があるんだ」
「オリヒメとヒコボシ?」
「勤勉だった二人がお互い愛し合い、夫婦となるんだ。だけど夫婦になると二人は怠惰となるんだ。そんな二人を神様が引き離してしまう悲しい話」
「それは……二人はもう一生会えないの?」
「いや……1年に一度だけ会える日があるんだ」
「……一度だけなんて悲しいわ。お互い愛し合っているのならいつまでも一緒にいて欲しいわね。確かに悲しいお話だね」
悲しげな表情を浮かべたシャルリーヌはチラリとキョウヤに視線を向けてからポツリと言葉を続ける。
「愛し合う夫婦……素敵ね。もし私が――……」
何か言いかけたシャルリーヌの言葉はこれ以上続かなかった。気になってシャルリーヌに目を向けると、暗いせいでシャルリーヌの感情が窺えなかった。頬が微かに赤らんでいるのは気のせいだろうか。
それからしばらく二人の間に沈黙が流れる。
ただその沈黙は悪いものじゃなく、不思議と良い雰囲気だった。
すると、ずっと感じていたシャルリーヌに対する想いが、前より強くなっていることに気付くキョウヤ。
(やっぱり俺は――)
一度は自分の想いを勘違いとはいえシャルリーヌに告げていた。
キョウヤと他の女性が勘違いさせられるような場面を見られ、事あることにシャルリーヌの口から「……キョウヤの浮気者」という言葉を聞いていた。
それは要するに、シャルリーヌはキョウヤの事を少なからず異性として想っている証拠となる。実際に聞いた事は無いけど、希望はあるということだ。
再びシャルリーヌの横顔を眺める。
月明かりに照らされた錦糸のようなアッシュブロンドが、キラキラと輝いて映えている。
眼帯で覆われた右目には紫紺の瞳、左目は翠玉の瞳、左右異なったオッドアイを持つ少女。もう一度その姿を見たいという欲求に駆られる。
そう思うとキョウヤは自然と口にしていた。
「シャルの瞳……見てもいいかな?」
「…………キョウヤがそう思うのなら……いいよ?」
眼帯を外したシャルリーヌが真っ直ぐにキョウヤを見つめる。
左右異なる色を持つ瞳は燦爛として綺麗な色をしている。キョウヤはシャルリーヌのオッドアイが好きだ。
いつまでも見ていたい欲望が芽生えるが、我を忘れてお互いに見つめ合っていることに気付いたキョウヤは、気恥ずかしくって頬を掻いて目を逸らした。
「お、俺は好きだよ……シャルの瞳」
「……ありがと」
二人の中に流れる雰囲気は甘酸っぱく、気恥ずかしさがあるが、心地よく安心感があった。しばらくその余韻に浸っていたキョウヤは自然と口元が緩んでいた。
「――っ!」
しかし、いい雰囲気は直ぐに霧散し、シャルリーヌは眼帯を付けて、異様な気配に気付いて鋭い視線を前方に向ける。
そこには黒い影が忍び寄っていた。
「グルルルルッ!」
威嚇するように唸り声を上げ、闖入する獣。
鋭い視線を二人に向けて、牙を剥き出しにして、涎を垂らしたその姿は四つ足で獰猛な姿をしていた。それを目にしたキョウヤは、それが犬……いや狼だと直ぐに分かった。だけどキョウヤの知る狼とは幾分姿形は禍々しく凶暴的である。
しかもその狼は一匹だけ佇んでいるわけじゃなかった。
「な、なんだよこれ……?」
「魔獣……どうしてこの村に現れるの?」
シャルリーヌが疑問を発して臨戦態勢となる。
「どういうことだ? それに魔獣って……?」
「本来魔獣対策に寄せ付けない結界が村の近くに施されているはずなの。だけどこの場所に魔獣が出現する要素は全く見られない辺鄙な場所。いるはずがないのだけれど……」
カムル村は魔獣が近づかないということはエルヴィラから聞かれていた。
それなら現在異常事態が発生していると言っても過言ではない状況といえる。それにキョウヤたちは巻き込まれている。
「なら村の人たちに知らせ――」
しかしそんな時間はないことはすぐ目の前で答えは出ている。
狼の群れが一斉に動き出して四肢が躍動する。目指す先は目の前の獲物、キョウヤとシャルリーヌだ。そんな素早い動きにキョウヤは怖じ気づいてしまい何もできなかった。
対してシャルリーヌはすぐに動きを見せた。
「【轟け雷精よ穿通せよ!】」
ドュラ級の雷魔法を唱えると、幾つもの一条の雷が魔獣を襲う。
「ギャウ!」
命中するものの、魔獣の群れにシャルリーヌ一人では多勢に無勢すぎて対応できない。これでは食い止めることができず村の人たちが襲われてしまう。
キョウヤはシャルリーヌの勇姿を目に焼き付けて恐怖心はいくらか軟化すると、ディアヌやエルヴィラに教わった魔法のことを思い出す。
掌を突き出してキョウヤは魔法を唱え始める。
「【火を集約せよ、我に力を示し、放て】――イグニス!」
獣相手には火が有効ということで、初めて唱えた火の魔法を放つ。すると野球ボールくらいの球体が、実践的な威力で一匹の狼に命中する。一瞬、歓喜するキョウヤだが今はそれどころじゃないと頭を振って気を引き締め、集中する。
「え!? キョウヤ魔法が使えるの!?」
魔法で応戦していたシャルリーヌが、キョウヤの魔法に驚愕した。
「ま、まあちょっと必要だと思って」
シャルリーヌのため覚えたという理由は気恥ずかしくって口には出せない。
それからしばらく魔法で牽制するが、魔獣は一向に減ることなく。
「グルアアアアアアアア!!」
「っ!?」
完全に背後を見落としていたキョウヤに狼の牙が迫ってきた。魔法も間に合わないし、剣術はそもそも木剣すら持っていない。完全に詰んだキョウヤは死を覚悟し――
「【飛来せよ~】」
おっとり口調で紡がれた詠唱がキョウヤの耳に届くと、キョウヤに襲ってきた狼に氷の塊が命中する。
「危ないところだったわ~。それとこれ」
「エルヴィラさん!」
エルヴィラから手渡されたのは剣だった。木剣より重みがあるそれを手にして、本当に扱えるのか不安だった。
「気ぃ抜くんじゃねぇーぞ!」
異変に気づいたエルヴィラとケヴィンも駆けつけてくれた。これなら魔獣も掃討できると希望が沸いてきた。
ケヴィンが巨大な斧をぶん回して魔獣を次々と薙ぎ倒し、エルヴィラは華麗な剣捌きで魔獣を斬りつけて、得意の氷魔法で貫く。
これで相当な魔獣を倒した。
「これなら――」
大丈夫と思ったキョウヤは視界の端に子供たちの姿を捉えた。
どうしてこんな所にという疑問より先に、子供たちに視線を向ける魔獣の姿を映した。エルヴィラとケヴィン、シャルリーヌは手が離せず、キョウヤだけが手が空いている。
咄嗟に駆けだしたキョウヤ。
「グルルルッ!!
唸り声を上げて子供たちの方へ近づいてくる魔獣。四人は青ざめた表情で一歩後ずさる。
「ぁ……ゃ……」
「―――――っ」
ニコルは普段の男勝りな性格はなりを潜めて、恐怖で震えている。それを見たロイクはみんなを守ろうと前へ出ようとするが、魔獣の視線に一歩も動けなかった。
「た……たす……」
「う……やだ……」
シゼルは真っ青な顔で誰かに助けを求める。
普段クールなダリルもこのときばかりは恐怖心が沸いて震えていた。
「グルルァッッ!」
剥き出しの牙が開かれると、子供たちは一斉にその場から逃げ出した。しかし、シゼルが転倒し一人だけ残される。
ニコルたちに手を伸ばして叫ぶ。
「―――――――ひっ!?」
目前に迫り来る狼の牙。シゼルは目を閉じて――
「やあああああああっ!!」
シゼルと魔獣の間に割って入ってきたキョウヤが手に持つ剣で魔獣の牙を受け止める。そして、胴体に蹴りを一発与え、怯んだ隙に斬りつけた。
「キァィ……」
致命傷を与えた魔獣は動きを止めて絶命する。
なんとか子供たちを、シゼルを守ることができて安堵した。振り返ってシゼルに手を伸ばす。
「大丈夫か?」
「…………ぁ」
呆然とキョウヤの手と顔を交互に見ると、瞳に涙がたまり、滂沱と流れ始める。助かったとようやく事態を把握したシゼルが嗚咽混じりにキョウヤに抱きついた。
キョウヤはしばらくシゼルが落ち着くまで頭を撫でる。
「取りあえず……これで魔獣はいなくなったのか?」
周りを見渡したキョウヤはエルヴィラとケヴィン、シャルリーヌによって魔獣があらかた倒したことを確認した。村に向かった魔獣も一匹もいなかったし、一先ず安心する。
しばらくして泣き止んで落ち着いたシゼルは未だに目が赤くしていた。それに頬も赤くなっているような気がした。
「あ、あの……キョ、キョウヤさん! あ、あ、ありがとうございます!」
「あ、ああ。助けられてよかったよ」
シゼルの頭に再び手を乗せて撫でると、「あぅ……」という声を漏らして顔を真っ赤にしていた。
「キョウヤ、すごいよ!」
シャルリーヌがキラキラとした瞳で褒められる。それに照れくさそうに頬を掻いた。
「うふふ~、よく頑張ったわ~」
「それでこそ男だせキョウヤ!」
「あ、あはは……。そ、それで魔獣はもう出てこないのか?」
「……それなんだけど~、どうも妙なのよね~」
「だなぁ。ここに魔獣が現れるのは明らかにおかしい。これは誰かの仕業だ。俺たちはこれから森の中へ様子を窺いに向かう」
「森の中……。あ、あの! 俺も付いていっていいか?」
「そうね~。ただ何があるか分からないから~、もし異常が見られたらキョウヤくんにはすぐに村へ逃げて伝えてね~」
エルヴィラに許可を貰うと
「私もいいですか?」
シャルリーヌも同行を申し出た。
「う~ん……シャルリーヌちゃんには村に残って貰いたいの~。何があったときにね~」
「そう……ですね。分かりました」
一瞬だけキョウヤに視線を向けて逡巡するが、瞑目した後エルヴィラの指示に従った。




