第143章:天才からの招待状と、記憶の中の薊(アザミ)
1. プレミアチケットと手作りクッキー
夏休みも終わりが見えてきたある日。
古田家のポストに、一通の封筒が届いた。
差出人は**「宇多川 茂麻呂」**。
俺たちの学校のOBであり、世界的な現代アーティストだ。
「ええっ!? これ、宇多川先輩の個展のチケット!?」
封筒の中身を見て、俺(古田降太)は叫んだ。
ネットで調べると、それは**「プラチナチケット」**だった。
一般販売は即完売。転売サイトでは数十万円で取引されている、超プレミアムな招待状だ。
「あら、茂麻呂ちゃんから? 律儀な子ねぇ」
居間でくつろいでいた西野園櫻子先輩が、懐かしそうに目を細めた。
彼女にとっては、宇多川先輩もまた「学校で見守っていた後輩の一人」なのだ。
「行きましょう、古田くん。久しぶりにあの子の絵が見たいわ」
「はい! ……あ、手ぶらじゃなんだし、差し入れ持っていきましょうか」
俺たちは、ボランティア部の活動で作った(というか安倍が焼いた)**「特製・魂の浄化クッキー」**を箱に詰めて、出かけることにした。
2. 電車の中の告白
都内の美術館へ向かう電車の中。
平日の昼間ということもあり、車内は空いていた。
ガタンゴトン、というリズムが心地よい。
窓の外を流れる景色を見ながら、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、先輩」
「ん? なあに?」
「先輩とおばあちゃん(茜さん)のことです。……中学の頃、先輩から見て、おばあちゃんはどんな子だったんですか?」
櫻子先輩は、ガラス玉のような瞳を少し伏せて、微笑んだ。
「そうねぇ……。茜ちゃんは、強がりで、不器用な子だったわ」
先輩は、自分の指先を見つめた。
「私ね、幽霊になってからも、時々彼女に**『魂の一本釣り』**を試みていたのよ」
「えっ? 一本釣りって……あの、心を揺さぶって花を咲かせるやつですか? 幽霊の状態で?」
「ええ。茜ちゃんが学校の近くを通ったり、私のことを思い出したりした時にね。……彼女の魂はずっと重くて、今にも沈んでしまいそうだったから」
先輩は遠い目をした。
「彼女から咲く花は、いつも**『薊』**だったわ」
「アザミ……」
トゲのある花だ。
美しくも、触れれば痛い花。
「アザミの花言葉を知ってる? ……『厳格』、『触れないで』。そして……『心の刺』」
櫻子先輩の声が、電車の音に溶けるように静かに響く。
「彼女は49年間、ずっと自分を許さなかった。幸せになっちゃいけない、忘れてはいけないって、自分自身の心にトゲを刺し続けていたのよ」
「……そうだったんですね」
俺は胸が締め付けられた。
おばあちゃんのあの明るさの裏に、そんな痛みが隠されていたなんて。
薊の花が咲くほどに、彼女は櫻子先輩のことを想い、悔やみ続けていたのだ。
「でもね、この前の『お盆』で……やっと薊のトゲが取れた気がするわ」
先輩は、隣に座る俺の方に少し寄りかかってきた。
「今の茜ちゃんからは、とても優しい、日向のような匂いがするもの」
「……そっか。よかった」
俺は、お土産のクッキーの箱を膝の上で握りしめた。
このクッキーも、きっと宇多川先輩だけでなく、天国にいる誰かにも届くような気がした。
3. 天才の個展
美術館に到着すると、そこは長蛇の列だった。
だが、俺たちは招待客用の入り口からスムーズに通された。
展示室に入ると、そこは異空間だった。
壁一面に描かれた極彩色の絵画。オブジェ。
そのどれもが、どこか「あの学校」の空気を纏っている。
「やあ! 待っていたよ、ミューズ(女神)たち!」
会場の奥から、奇抜なペイント柄のスーツを着た男が現れた。
宇多川茂麻呂先輩だ。
「宇多川先輩! 個展開催おめでとうございます!」
「ありがとう少年! ……おお、麗しの櫻子さん! 相変わらず美しい球体関節だ!」
宇多川先輩は、櫻子先輩の手を取って(手袋越しに)恭しくキスをした。
「君が学校にいてくれたおかげで、僕の感性は磨かれたんだ。君は僕にとって永遠の聖母だよ」
「ふふ。大げさね、茂麻呂ちゃん。……はい、これ差し入れ。安倍くんが焼いたクッキーよ」
「おお! ブラボー!! ボランティア部の味がする!」
宇多川先輩はクッキーを一枚齧ると、感動に打ち震えてその場でスケッチを始めた。
相変わらずの変人ぶりだが、その目は純粋だ。
4. 薊の絵
「……あ」
ふと、櫻子先輩が足を止めた。
展示室の片隅に、一枚の小さな絵が飾られていた。
それは、夕暮れの校舎を背景に、**一輪の「薊」**が描かれている絵だった。
しかし、その薊のトゲは柔らかく、花びらは温かい光を放っている。
タイトルは――『贖罪と友愛』。
「……宇多川先輩、これ……」
俺が聞くと、宇多川先輩は筆を止めて静かに言った。
「ああ。それはね、僕が在学中に感じた『学校の記憶』の一つさ。……誰かが誰かを想う、痛いほどに純粋な祈りの色だ」
宇多川先輩には見えていたのかもしれない。
49年間、学校に縛られていた櫻子先輩と、外の世界で彼女を想い続けていた茜さんの、見えない糸が。
「……素敵な絵ね」
櫻子先輩は、その絵を愛おしそうに見つめた。
「トゲがあっても、花は咲くのね」
5. 帰り道
美術館を出ると、空は茜色に染まっていた。
「楽しかったですね、先輩」
「ええ。宇多川くん、立派になったわね」
俺たちは並んで歩いた。
行きよりも少しだけ、足取りが軽い。
「ねえ、古田くん。……家に帰ったら、茜ちゃんに伝えましょうか」
「何をですか?」
「『あなたの薊は、とても綺麗だったわよ』って」
先輩は悪戯っぽく、でもどこまでも優しく微笑んだ。
夏はまだ続く。
でも、その風には少しずつ秋の気配が混じり始めている。
痛みも後悔も、すべて優しさに変えて、俺たちの季節は巡っていく。
(第143章 完)




