第132章:転入生は昭和の乙女と、忘れられた記憶
1. 昭和の朝食と、切ない予感
翌朝。台所からトントントン……と小気味よい包丁の音が聞こえてくる。
「おはよう、ふるふる君。ご飯、できてるわよ」
リビングに行くと、割烹着(祖母の)を着た櫻子さんが、完璧な「日本の朝食」を並べていた。
メニューは白米、豆腐とわかめの味噌汁、焼き鮭、漬物。湯気まで美味しそうだ。
「……おはようございます。すごいですね、料理できるんだ」
「ええ。生前、実家が厳しくて。『丁稚奉公』みたいに叩き込まれたのよ。お陰で、雑巾がけと煮炊きだけは得意なの」
彼女は苦笑しながら、火傷一つない綺麗な指先(陶器製)で、熱い鍋を平気で持っている。
その言葉からは、彼女が生前味わったであろう苦労と、それ故の生活力が垣間見えた。
ああ、本当に日常が始まったんだ。……俺のニヤけ顔を見た祖母が、新聞越しに冷やかしてくるのを無視して、俺たちは朝食をとった。
しかし、登校の時間が近づくにつれ、櫻子さんの表情が少し真剣になっていく。
玄関先で、新品のセーラー服に袖を通した彼女は、静かに呟いた。
「ねえ、古田くん。……先生たちは、私のこと覚えていてくれるかしら?」
俺は言葉に詰まった。
裏世界のルール。「あそこから出た人間は、中で起きたことを夢のように忘れてしまう」。
俺のように霊感が強い人間や、加藤先生のような規格外は別だが、普通の先生たちは……。
「……正直、難しいかもしれません。でも、それが『普通』に戻るってことですから」
「そう、ね」
彼女は何かを確かめるように頷き、関節の隠れるハイソックスを伸ばした。
2. 職員室の「はじめまして」
登校した俺たちが通されたのは、第2会議室だった。
そこには、生活指導担当の強面教師・与市星一先生が待っていた。
「おう。来たか、西野園」
与市先生は、櫻子さんを見ても眉一つ動かさない。
「手続きは済ませてある。『遠い親戚で、家庭の事情で急遽預かることになった』……現校長にはそう通した。戸籍も完璧だ」
「ありがとうございます、与市先生」
「礼ならあの『プレハブの主(メカ校長)』に言え。……ったく、『ワシの孫みたいなもんじゃ! 文句あるか!』と脅されちゃあ、断れねえよ」
与市先生はため息をついた。どうやら彼は「事情を知っている」わけではなく、親分(メカ校長)の理不尽な命令に従っただけのようだ。
その時、ドアが開いた。
「失礼しまーす。担任の角田です」
入ってきたのは、3年2組担任の筋肉教師・角田角先生と、副担任の山口綾華先生だ。
身長190センチを超える「進撃の巨人」こと角田先生と、その影に隠れてしまいそうな小柄な山口先生。
櫻子さんの肩が、ピクリと反応する。
かつて1年生の頃(第7章)。
「俺なんて化け物だ」と自虐の茨に閉じこもっていた角田先生と、「私なんて」と怯えていた山口先生。
あの時、裏世界で彼らの魂に絡みついた「棘」を剪定し、恋の背中を押したのは、他ならぬ櫻子だった。
「おや、君が転入生の西野園さんか! うむ! 健康的でいい返事をしてくれそうだ!」
「まあ、可愛い子! よろしくね、西野園さん。何か困ったことがあったら、ボランティア部の顧問もしてるから相談してね」
二人の目は、完全に「初対面の生徒」を見る目だった。
そこに、かつての「恩人」に向ける感謝も、記憶もない。
けれど、二人の左手の薬指には、お揃いの結婚指輪がキラリと光っていた。
角田先生が、自然な仕草で山口先生の背中に手を添えている。そこにかつての「怯え」や「拒絶」は微塵もない。
「…………」
櫻子さんは一瞬、その指輪を見て、ふっと小さく笑った。
(……ふふ。あの茨だらけだった不器用なゴリラさんが、随分と綺麗に咲いたじゃない)
寂しさなんてない。あるのは、手塩にかけた庭木が立派に育ったのを見届けたような、晴れやかな満足感だけだった。
私の「剪定」は無駄じゃなかった。それだけで十分だ。
「はい! よろしくお願いします、先生!」
櫻子さんは、悪戯っぽく目を細めて、元気よく返事をした。
その笑顔は、かつて彼らの魂を救った「裏世界の主」としての誇りに満ちていたが、幸せボケした角田先生たちがそれに気づく由もなかった。
3. マッドサイエンティストの嗅覚
「ちょっと待ったァァァーーーッ!!」
和やかな空気を切り裂いて、白衣の男が乱入してきた。
3年A組・科学部部長、平賀平だ。
「な、なんだ平賀!?」
「噂は聞いているぞ古田! 『とんでもない美少女転校生』が来たとな! だが僕の目は誤魔化されんぞ!」
平賀くんは櫻子さんに詰め寄り、その顔を至近距離で凝視した。
「……肌の質感、呼吸の微細な動作音、そして何よりこの『匂い』……」
「ひっ!?」
「これはただの人間じゃない。……限りなく人間に近いが、どこか『造られた』気配がする。……バイオノイドか!?」
「平賀、失礼だぞ! 彼女は人間だ!」
「いや怪しい! 科学部部長として、身体測定を要請する! 関節の可動域とか調べさせてくれ!」
平賀くんがドライバーを取り出し、櫻子さんの腕を掴もうとした瞬間。
ズドォォン……!!
窓の外から地響きが轟き、会議室が揺れた。
窓ガラスの向こうに、ぬぅっと巨大な影が差す。
『……オイ、小僧』
そこには、身長2メートル超の鋼鉄の巨体――メカ校長が立っていた。
サングラス状のバイザーが、窓枠越しに平賀くんをロックオンしている。
「ひぃっ!? 校長ロボ!?」
『ワシの大切な……“親戚の子”に手を出したら、空き缶プレスの刑だぞ』
ギュイィィン……!
右腕のプレスアームが唸りを上げ、威嚇音を響かせた。
「ひ、ヒィィッ! 冗談です! ただの歓迎の挨拶ですぅぅ!」
平賀くんは脱兎のごとく、会議室から逃げ出した。
櫻子さんは、窓の外で仁王立ちするメカ校長に向かって、小さく手を振った。
先生たちは忘れてしまっても、校長だけは(姿は変わっても)覚えていてくれる。
そして、忘れてしまった先生たちも、今は幸せに笑っている。
それが、彼女にとって一番の「ハッピーエンド」の続きなのだ。
4. 3年2組、西野園櫻子
そして、ホームルームの時間。
「……はじめまして。西野園櫻子です」
黒板に綺麗な字で名前を書く。
教室中がどよめいた。
「すげぇ美少女……」「どこのお嬢様?」「なんか雰囲気がレトロで良くない?」
「その、世間のことには少し疎いので、色々と教えていただけると嬉しいです。よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする古風な仕草に、クラス全員が撃ち抜かれた。
俺の隣の席に座った櫻子さんは、俺の方を見て、小さく息を吐いた。
「(……緊張したわ)」
「(……完璧でしたよ、西野園さん)」
こうして、彼女の「人間としての」学校生活が幕を開けた。
だが俺たちはまだ知らない。彼女の持つ「昭和50年の常識」が、この後、給食の「ソフト麺」や体育の「ブルマ廃止問題」で、数々の天然伝説を引き起こすことを――。
(第132章 完)




