第125章:最後の祝辞と、冒険家の終焉
3月15日、旅立ちの朝
春の光が、体育館の窓から差し込んでいた。 厳粛な空気の中、第〇回卒業証書授与式が執り行われていた。
「卒業生、起立」
名前を呼ばれ、立ち上がる先輩たち。 ボランティア部の本田キティ部長。凛とした立ち姿は、深窓の令嬢そのものだ。隣には、副部長の溝渕福造先輩が静かに控えている。 そして、美術部の列には、どこか神々しいオーラを放つ宇多川茂麻呂先輩がいる。
俺たち2年生は、在校生席からその後ろ姿を見守っていた。 寂しさがこみ上げてくる。 だが、今日の主役は彼らだけではなかった。
最後のホームルーム
「校長式辞」
司会の声と共に、加藤起太郎校長が壇上に上がった。 黒のモーニングコートに身を包んでいるが、目元にはトレードマークのサングラス。 杖をつき、一歩一歩、確かめるように歩く。 その体は、1年前よりも一回り小さくなったように見えた。
マイクの前に立つと、校長は懐から原稿用紙を取り出した。 しかし、彼はそれをチラリと見ただけで、演台の脇に置いた。
「えー、卒業生諸君。……おめでとう」
ガラガラ声だが、よく通る声だ。 会場の空気が張り詰める。校長は、サングラス越しに生徒一人一人の顔を愛おしそうに見渡した。
「今日は、少し長話をさせてもらうぞ。年寄りの小言だと思って聞いてくれ」
校長はニカっと笑った。
「これから、君たちはそれぞれの道へ進む。高校へ行く者、あるいは社会へ出る者。……道は分かれるが、一つだけ約束してほしい」
校長は杖をドンとついた。
「法律が許す限り、やりたい事を精一杯やれ」
生徒たちから、クスクスと笑いが漏れる。
「笑い事じゃないぞ? 自分の心が『これだ』と思ったことに、命を燃やせ。世間体や、誰かの物差しで生きるな。君たちの人生の主役は、君たち自身だ」
愛と、再生の物語
校長の声が、優しくなる。
「そして、人を愛せ。……愛する人間に囲まれる幸せを、噛み締めろ。一人で生きていけるほど、人間は強くない。支え合い、笑い合い、時には喧嘩もしろ」
校長は、来賓席の端に立っている与市星一先生(数学)に視線を送った。 与市先生は、サングラスの奥で涙を堪え、直立不動で校長を見つめている。
「私は昔、保護観察官という仕事をしていた。……そこには、道を間違え、荒れ果てた若者たちがいた」
校長は、昔話をするように語り始めた。
「岩手の山奥にな、手のつけられないワルの元締めのような男がいた。誰もが『こいつはもうダメだ』と匙を投げた。……だが、私は諦めなかった」
会場が静まり返る。
「殴り合い、語り合い、泥だらけになって向き合った。……そして今、その男はどうなったと思う?」
校長は、誇らしげに胸を張った。
「彼は今、この学校で、誰よりも生徒想いの、立派な数学教師をしている」
どよめきが起きる。生徒たちの視線が、一斉に強面の与市先生に集まる。 与市先生は、男泣きしていた。
「人生はな、いつだってやり直せる。真面目に、本気でやれば、必ず道は開けるんだ」
さらば、愛しき孫たちよ
校長の演説は、予定時間を大幅に過ぎていた。 教頭先生が時計を気にしているが、誰も止めようとはしなかった。 これが、この人の「最後の授業」だと、誰もが予感していたからだ。
「私はな、この学校に来て本当によかった」
校長は、震える手でサングラスを外した。 そこには、深く刻まれた皺と、慈愛に満ちた瞳があった。
「君たちと過ごした日々が、私の宝物だ。……いいか、よく聞け!」
校長は両手を広げ、ありったけの声を張り上げた。
「お前たちは全員、俺の最高の孫たちだ!!」
「校長ぉぉぉぉ!!」 「ありがとうございましたぁぁぁ!!」
卒業生たちが泣きながら叫ぶ。 俺も、涙が止まらなかった。
「……ふぅ。……以上だ」
校長は満足そうに微笑み、一礼した。 そして、ゆっくりと演台を離れ、壇上の椅子に戻った。
冒険の終わり
校長は椅子に深く腰掛けた。 ふぅ、と長く、安らかな息を吐く。
「……あっぱれだ」
そう呟いたのが、マイクにかろうじて拾われた。 そして。
ガクッ。
校長の首が、糸が切れたように前に垂れた。 持っていた杖が、カランと音を立てて床に転がった。
「……校長?」 「校長先生!?」
教頭先生が駆け寄る。 体を揺する。 しかし、校長は動かない。 その顔は、眠っているかのように穏やかで、口元には微かな笑みさえ浮かんでいた。
「……救急車!! 早く!!」
体育館がパニックになる。 先生たちが叫び、生徒たちが悲鳴を上げる。
俺は、動けなかった。 ただ、椅子に座ったまま動かなくなった、小さな老人の姿を見つめていた。
(……逝ってしまった)
分かっていたはずだ。 寿命は残りわずかだった。 それでも、こんなに鮮やかに、こんなにかっこよく、幕を引くなんて。
「加藤起太郎、享年80歳」。
その死は、心停止による安らかなものだった。 最後まで「校長」として生き、生徒たちに愛を叫び、そして燃え尽きた。 それは、一人の偉大な冒険家の、あまりにも見事な「大往生」だった。
俺の頬を、涙が伝う。 ポケットの中のスマホが、ブルブルと震えていた。 画面の中の櫻子先輩も、きっと泣いている。
学校中が深い悲しみに包まれる中、俺たちの2年生は、最大の喪失と共に終わりを告げた。




