74.量を書くこと
私が小説を書くときに大事だと思うことは、描写の巧さでも、技巧の巧さでもなく、ただ量を書けるかどうかという点です。
小説を書くとなると、どうしても量が必要となる。書きたい物語があるならば、その物語を紡いでいくだけで文字の量なんて勝手についてくるのでしょうが、私はどうしても書きたい物語というのがあまりない。
だから、小説を書く手がいつも途中で止まってしまうし、少し書いたらすぐに満足して休憩してしまう。
そもそも、私は小説を書くと、いつも悪い癖でどこか新人賞に応募してしまおう、などと考えてしまうから悪いのかもしれない。新人賞というのは応募規定というものがあり、物語の量の下限と上限が決まっている。
短編を受け付けている新人賞というのは少なく、ほとんどのところかおおよそ文庫一冊程度の分量の作品を募集しているのです。そこで、物語を書くときにいつも量が念頭に浮かぶ。
だから私は、小説を書ける人を尊敬するし、量を書ける人を尊敬しているのです。
それに、何かしら文章を書けば、何かが生まれるのだから、手をこまねいているだけであるならば、適当でいいから何かしら文章を書いてしまえと、最近は思っています。
昔も思っていたのですが、どうも実践ができなかった。最近も、別にできているわけではないけれど、昔よりはマシになったかな、とは思います。マシになったとはいえ、それでも量をあまり書けないのは変わらないといえば変わらないのだけれど。
いつになったら量を書くことができるのか。私は中学生の頃から小説を書いたりしているけれど、あれから全く進歩していない気もする。毎日毎日、三千字くらい書き進めれば一月で一冊程度の分量を書くことができるのに、私は毎日継続して書くということができずにいる。
継続することの難しさと同時に、大切さと偉大さを思いしる最近です。
小説において量が大事だといっても、内容が破綻していたら意味はないわけで最低限度の質を保ちつつも量を確保することのできる能力というか、習慣というか、まあとにかく私は量を書くことができたらいいな、と思っているということです。
いつになったらできるようになるのか。自分の怠惰に呆れる。呆れ続けて何年が経ったかな。まあ、この怠惰と死ぬまで付き合うしかないのだとは思います。




