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1.どれだけ頑張ったか、は他人には無価値だ

 努力そのものが無価値だと思っているわけでなく、あくまで他人には無価値である、そう思っています。


 どれだけ何かを頑張っても、言い過ぎかもしれないけれど他人にとってはどうでもいいことではないか、と。


 典型例を上げれば、どれだけ頑張って受験勉強をしたのだと言っても、高校や大学側はそんなことは知らないし、テストの出来が全てです。


 アニメは、作った人がどれだけ頑張っていようが、視聴者がつまらなく感じたら「つまらなかった」と一蹴されます。


 小説家がどれだけ苦脳して小説を書いても、読者が面白いと感じなかったら「面白くなかった」と言われます。


 自分の頑張り、努力というものは自分で評価するしかなく、その価値を理解できるのは自分しかおらず、「頑張ったね」と誰かに褒められることにも大した価値はない、その様に思います。


 何を思って、何を乗り越えて、どんな風に頑張り、どれだけの努力をしていたのか、それは自分以外の誰にも理解はされない、と。


 その様に考える理由は、他者を理解することなど不可能であり、故に他人には自分の努力を理解することなど出来ないのだと私は思っているからです。加えて、他者を理解できると思うことは、一種の驕りだとも感じます。


 繰り返しになるけれど、自分の頑張りは自分以外にとっては無価値の様なものだから、自分がどれだけ頑張ったかは自分で評価する以外にないのだと思っています。


 だから、自分の頑張りが評価されなくて悩んでいる人は、解決にはならないかもしれないけれど、評価の軸を変えてみると気分が楽になるのでは、と思います。


 自分の頑張りと、それに対する他人の評価というのはまるで別物だと思います。そして、このことは得てして忘れがちだとも思います。


 変な風に捉えないで欲しいので、念のために書いておくけれど、努力や頑張りというものを否定するつもりは全くないです。


 むしろ、良いものだと考えている方です。


 やりたくないことをやる必要はありますし、その時には「努力」すること、「頑張る」ことが出来なければいけないと思います。


 少し話は変わりますが、努力は誰かに評価される為のものではなく、ただの手段でしかない筈なのに、努力すること自体を目標・目的にしている人がいるように思います。


 また、上で書いたことを否定するようだけれど、努力すること自体にそれ程の価値はない様に思います。


 百桁の掛け算を自力でやったからといって、その努力にどれだけの価値があるだろう。


 そうは言っても、思っていても、結果論を全肯定するわけでもない微妙なスタンスです。


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