16.誇りを持つこと
誇りなんて、持っているだろうか。
プライドを持つことは持たないよりはいいのですかね。プライドを持っていたところで、それを役立てることが出来る人というのは早々いないような気がするけれど。
意識的には役立てることが難しいだけで、プライドというのは役に立っているのかもしれない。
多くの人は自分のプライドを守る為の行動を自然と行っていますし、それは自然と多くの人に対して役に立っているように思います。
プライドを守る、ということは往々にして自らの外聞を守るということに近しいものと成りがで、だからこそ社会というのが成立するのかもしれない、なんて少しばかり荒唐無稽なことを想像します。
プライドがない、ということは誰に何を思われてもいいという心持ちであり、
プライドがある、ということは他者にどう思われるのかを気にする、
ということではないかと思います。
そうして自らの外聞を気にすることによって、社会というのは住みやすくなっている部分があるのだと思います。
プライドを守るために、他者にどう思われるかを少なからず気にする為に、見苦しく汚らしい格好をするのは出来るだけ避ける。
風呂に入らず、髪を洗わず清潔感が皆無な人というのはあまり見かけません。そして、それは多くの方がプライドを持っているから、だからこそだと私は少し思います。
自分の姿というのは、出来るだけ自分が納得できたり満足できたりする様にしたいというのが人の心というものです。
髪がボサボサで、脂ぎっていて、服はしわくちゃで穴が空いて、風呂に入らず匂いがキツイ、その様な状態に納得できる人がどれだけいるだろう。
プライドというのを誰もが少なからず持っているからこそ、社会はこうして在るんじゃないかと。
まあ、プライドという言葉を少し汎用的に使いすぎている気がします。常識、羞恥心などの様な言葉も含めて使ってしまっている感があります。
ところで、プライドを持つことで問題となることの一つにその大きさが挙げられます。身の丈に合わないプライドを持ち、それを維持することを目指すと少なからず精神に害を及ぼす結果となってしまう。
身の丈に合わないプライドを持つことは、良い効果を生むことがあるけれど、それでもやはり悪影響を及ぼすことの方が多い気がします。
私なんか、空虚だけれど器だけが大きなプライドを持っていた時期がありました。過去形ではないかもしれない。
今でも続いている様な感じがあります。




