Chapter 8 認められない
剣術大会の翌日。
校内は、大会を出場停止となったユーグの話でもちきりだった。
例年通りなら、まずは優勝者が話題をさらうものではある。
しかし、エレノアの優勝が順当すぎたこともあり、ある意味優勝以上に強烈な印象を残したユーグに視線が集中していた。
「ラグナードがあのドルベルクを一撃だったぞ!」
「あれはなんという流派だ? 見たこともないぞ」
「やはりラグナード殿は平民の味方だ!」
(さすがに注目されますか。いくらか聞き捨てならない話題もありますが……おや?)
廊下を歩いていたエレノアは、壁に寄りかかっているフェリクスを見つけた。
いつもの自信に満ちた様子はなりを潜め、暗い顔で下を向いている。
「フェリクス殿」
気になったエレノアは自分から声をかける。
「あ、ああ…君か」
やはり元気がない。
「ドルベルク殿の容体はいかがですか?」
「……もうかなり回復した。大事を取って、あと数日はベッドの上だ」
「それは何よりです。今日は稽古の前に、お見舞いに行ってみましょうかねえ?」
(おや?)
場を和ませようとしたが、フェリクスの反応がない。
フェリクスは下を向いたまま、拳を握りしめていた。
「…あいつは一体なんなんだ!」
怒りよりも、戸惑いが大きい声だった。
「…ラグナード君ですか?」
「俺の友人をあんな目に遭わせたのは当然腹立たしい! だが、奴には敵意がなかった! 俺たちが自分を蔑んでいたことは耳にしていたはずだ! そんなことがあり得るのか?!」
「……」
エレノアは何も言わない。
「奴が見舞いに来たとき、どうしたと思う?! 頭を下げて、すまなかった、だぞ! 奴は俺たちのことを敵視すらしていなかった! 一体なんなんだあいつは…!」
「……」
「コンラートもコンラートだ! 自分の態度にも問題があっただと?! あるわけないだろう! 俺たちは貴族で、あいつは灰溜区だ!」
エレノアは、やはり何も言わない。ただ、フェリクスを見ている。
やがてすべて吐き出せたのか、フェリクスはいくらか落ち着きを取り戻した。
「…すまない。取り乱した。…君に何を言ってるんだろうな、俺は」
「ふふっ。たまにはいいのではありませんか? 私としては、珍しいフェリクス殿を見られましたので、退屈しませんでしたよ?」
「……」
フェリクスはバツの悪そうな顔をする。
「……そういう君は、なんだか楽しそうだね。いいことでもあったのかい?」
「おや、わかります? 実は昨日よい刺激をもらいましてねえ。たまには出てみるものだと、認識を改めたところです」
「…?」
意図がつかめなかったのか、フェリクスは少し困惑していた。
二限目が終わった後の中休み。
エレノアは、斜め後ろの席からユーグの背中を眺めていた。
ユーグは、腕を組み、二限目で使用した法学の教科書に視線を落としている。
(おや?)
アリスがユーグの机に近づくのが見えた。
ユーグの様子が気になったのは、自分だけではなかったらしい。
エレノアは席を立たず、二人の会話に聞き耳を立てる。
「なにか、わからない部分がありましたか? 私でよろしければ、解説できるかもしれません」
エレノアは、相変わらずの人だ、と頬を緩める。
「あの教官は、法律を守れない人間は社会悪だと言っていた」
「え、ええ。そうですね」
予想外の内容だったのか、アリスは少し驚いている。
「盗むしかなかった人間も、悪なのか?」
「…え?」
「俺の生まれた場所では、盗みは日常だった。法を犯すとわかっていても、自分が生きるため、子供や仲間を生かすために盗むやつらが大勢いた。そして、そいつらは望んでその立場にいたわけじゃなかった」
「…それは」
「そいつらも、悪なのか?」
ユーグがアリスの目を見る。
そこには、理解できないものへの敵意や嫌悪ではなく、ただ純粋な疑問だけがあった。
(………)
アリスは目を見開き固まっていたが、やがて口を開いた。
「……私には、分かりません」
「…そうか」
「ですが」
ユーグが、机の上に落としかけた視線を、再びアリスに戻す。
「法による秩序を絶対視し、こぼれ落ちる人たちを見なくなることは違う。――あなたの話を聞いて、そう思いました」
「…そうか」
その答えを聞いたユーグは、なにかを感じたのか、アリスから視線を外さない。
「ユーグ。よろしければ、あなたが他にも抱えている疑問を教えてください」
「?」
「一緒に考えましょう」
(…え?)
エレノアは、自分が知らないアリスの表情に動揺した。
その日以来、アリスの習慣にユーグとの勉強会が加わった。
はじめは授業終わりに意見交換を行う程度であったが、今では昼休みや放課後にも二人で話している。
エレノアには、そんなアリスがとても楽しそうに見え、喜ばしかった。
しかし、同時に少しの寂しさも感じた。
そんなある日。
「…アリス。一体どういうつもりだ?」
放課後、エレノアが帰宅準備をしていると、教室にフェリクスが現れた。
その顔にいつもの余裕は見られず、明らかに怒っている。
「フェリクス? なんのことでしょう?」
エレノアはフェリクスの怒りの理由に察しがついていたが、当のアリスは困惑の表情を浮かべている。
「…っ! あの灰溜区だ! なぜあの男と一緒に行動している?!」
その反応にさらに苛立ったのか、フェリクスが大声をあげると、アリスの眼が険しさを帯びる。
「……彼にはユーグ・ラグナードという名前があります。そのような呼び方は控えるべきかと」
「そんなことは聞いていない! 俺の質問に答えろ!!」
「フェリクス殿、どうか落ち着いてください。そのような剣幕では、アリス様が困ってしまいます。――話があるのでしょう?」
エレノアが、アリスを守るように二人の間に立ち、フェリクスを窘める。
その、どこか悲しげなエレノアの眼を見たフェリクスは、一度大きく息を吐く。
「……最近、なぜあの男と、行動を共にしている?」
「……私から誘って、一緒に勉強しています。彼のものごとへの向き合い方には、学ぶべきものが多いと思ったからです。……誤解を招いたのであれば――」
「違う! 俺が聞いているのは、なぜ建国公爵家の令嬢である君が、あの男を認めているのか、ということだ!」
「…? 質問の意味が…」
アリスが困惑の色を強める。一方、フェリクスを見据えるエレノアの表情は変わらない。
「前にも言っただろう! 奴は灰溜区の孤児だ! 俺たちとは血筋が違う! 公爵家の君が関わるべき相手じゃない!
くそっ! コンラートもみんなもどうかしてしまったのか?! 揃いも揃って、あの灰溜区を認めるようなことを言う!」
一旦落ち着いたように見えたフェリクスだったが、また声を荒げる。
「血筋…ですか。そうですね。あなたが血筋を大切だと考える理由は理解します。血筋とは即ち、先祖から連綿と受け継がれてきた社会的信用の証。
そして、侯の養子であるユーグには、その血統的な裏付けがない。そう言いたいのでしょう?」
アリスは、淡々とフェリクスの持論を分析する。
「……そうだ! わかっているなら――」
「ですが」
フェリクスは、持論がアリスに響いていないことを感じ取っていたのだろう。
元より険しかった表情が、その逆接の言葉を聞いてさらに険しくなる。
「私が彼を個人的に信用することに関し、血筋の違いは関係ありません。
そして、傲慢にも人間を優劣で、それも血筋を根拠に測る考えには、同意できません」
「…っ! アリス!!」
フェリクスがアリスをにらみつけ、距離を詰めようとする。
しかし、それは叶わなかった。
間に立っていたエレノアが、帯剣の柄頭をフェリクスの横腹に押し付け、動きを制止したからである。
「…っ?!」
「フェリクス殿、そこまでです。これ以上アリス様に近づくことは許容できかねます。……どうか」
その、懇願するような顔を見たフェリクスは、バツが悪そうに視線を逸らし、拳を握りしめる。
そして、勢いよく踵を返すと、教室を出て行った。
「…エレノア」
「はい」
「苦労をかけます」
「いえ」
二人は、フェリクスが出ていった扉から視線を外さず、静かに言葉を交わした。




