扉の向こう
街を歩いていたら、殺し屋を見つけた。
退屈な、とても平穏で反吐が出そうな町並みを、あんな不吉な格好で歩くなんて殺し屋くらいしかいない。
「ねぇ、貴方殺し屋でしょう?」
「へ?」
私に呼び止められて、全身黒尽くめの少女は驚いたように目を見開いた。
「ねぇ、殺し屋さん」
近場の喫茶店に無理やり少女を連れこんで、私は声を掛ける。
「えーっと……ですね……」
少女は困惑した様な表情で目を泳がせて、ゆっくりと口を開いた。
「まず、私はー殺し屋じゃなくて死神なんですけどー……っとゆーより、何で見えてるんですか?」
やっぱり、私の勘に狂いはなかった。
「何よ、似た様な物じゃない」
「えー? あー……いや、確かにどっちも人を殺すお仕事には違いないんですけどねー」
二つ注文したアイスティーの片方を渡すと、ストローをちーっと吸いながら、彼女は首を傾げた。
「ねぇ、殺し屋さん」
「……八咫ミサキと申しますー」
やや疲れたような目で見返してくる彼女に、私は爛々と輝いた瞳を向ける。
「貴女、日常的に人を殺したりするんでしょう?」
「まぁー、それがお仕事ですからー、あ、いや毎日ではないですよ? 非番の日もたまにはあったり……」
こんな非日常の存在が目の前で座っている。そう考えると背中がゾクゾクとしてきた。
「ねぇ……今殺す予定の人とかいるの?」
「いや……仕事の事はちょっとー」
戸惑い気味の少女の様子を眺めながら、私は嬉しそうに微笑む。
「ねぇ、誰かを殺してってお願いは出来ないかしら?」
気が付けば、私は思いついた事を口走っていた。
「あの、だからー殺し屋じゃないんで……誰かを殺してって願いはちょっと」
「あ、そうだったわね、ごめんなさい……そうね……なら」
ならば、お願いする事は決まっている。
「私を殺してくれないかしら?」
家に帰ると、糞鬱陶しい母親が学校から帰ったらまっすぐ帰ってきなさいと声を張り上げる。
父親の帰りは遅くて、たまに早く帰っても勉強だの部活だのと面倒臭い話題しかしてこない。
学校は、さらに輪を射掛けて嫌気がさす。
協調性だの成績だのと腹が立つ。
本当に世の中下らない。つまらない。嫌な事だらけだ。
友達と遊んだところで冷めるだけ……、世の中に楽しい事なんて何もなかった。
もはや日常を生きる事に飽きてきていた私だったが、今日遂に、平穏のその向こう側へと通じる扉に手を掛けたのだ。
私は人とは違うのだ。霊感はあるし、運がいい。
何か大きなことを成し遂げる才能に秘めている。
それなのに、こんな窮屈な日常に閉じ込められて、いい加減うんざりしていた所だ。
ああ、死神に殺されるなんて、なんて素敵な事だろう。
やはり大鎌で斬られるのだろうか。
それとも心臓発作?
もしかしたら現代科学では説明の出来ない超常的な死に方をするのだろうか。
死ぬのはちょっと怖いが、しかし好奇心がそれを上回る。そう、私は普通の人とは違うのだ。
翌朝、自室で無事に私は目を覚ました。
「……まぁ、そうすぐには死ねないわよね」
死神の少女は、とりあえず上に掛け合ってみると言っていた。
死んだ人間を生き返らせるのは無理でも、生きている人間を殺すくらい人間だってできるのだ、死ぬのはきっと時間の問題のはず。
下では、母親が早く着替えて降りて来いとヒステリックに叫ぶ。
まぁいい、往来や学校の授業中に死んで見せた方がドラマチックかもしれない。
途中何事も無く無事登校を果たした。
相変わらず息の詰まる学校だ。
まぁ、一度死神の世界っぽい所に帰るそぶりだったし、往復の時間も考えるとまだまだかかるかもしれない。
放課後、今すぐにでも死にたくなるような授業を終えて靴を履きかえていると、校門の所に見覚えのある黒尽くめの少女が立って居るのに気が付いた。
「まさか!」
私は急いで靴を履き替え、少女の元へと駆け寄る。
「お帰りなさい殺し屋さん」
笑顔で彼女に話しかける。
「……まー……いっか―それで」
何かを諦めたような目をして、少女は歩き出した。
私は躍るような心地で彼女の後をついていく。
何処に連れて行かれるんだろうか?
もしかしたら、彼女の世界に連れて行かれるのかも……!?
それはそれで面白そうだ。
私の前を、彼女は無言で歩く。
「ねぇ……私のお願いはどうだったの?」
待ちきれなくなって尋ねる。
「あー……その件はー」
妙に死神の少女は歯切れが悪い。そのまま後をついて歩くと、やがて景色は見慣れた住宅地に辿り着き、彼女が足を止めたのは、私の家の前だった。
なるほど、確かに立ち話で済ませるような話ではない。
「ただいま」
死神の少女を連れ添って、私は二階の自分の部屋へと辿り着いた。
「それで殺し屋さん、私はいったいいつ死ねるの?」
死神の少女は、ベッドの上にちょこんと腰かけて、歯切れ悪く話し始めた。
「はぁ……とりあえず上に掛け合ってみましたがー、やっぱり予定外の人は殺せないとの事でー」
ああ、やっぱり。
最初の彼女の反応から、恐らくそうではないかと思ってはいたのだ。
でも、いい。
死神に自分を殺してと頼んだ、その異常性が他の人とは違うと言う証になるのなら、それだけで私は十分に満足した。
そんな充足感に浸っていると、死神の少女が言葉を続ける。
「あ……でもですねー、なるべく早く死ねるようにはして貰いましたから―」
「え?」
「扉を開けて部屋を出てから、階段で転んで転落。家を出た所で交通事故。電柱の横を通ったら電線が切れて感電。表通りを歩くと通り魔に刺される。裏路地を歩くと身元不明の外国人に攫われて。学校に行けば苛めに遭って。駅のホームから転落。外食をしたら食中毒。飛行機は墜落。船は転覆。水に入れば溺れて。火元に近づくと燃え移る――」
つらつらと、死神の少女は笑顔で考え得る限りの不幸を述べて。
「――っとまぁ、以上のどれかでいつか死ねるはずだからー、それまで頑張ってね」
そう笑いかけて、すぅっと消えて行った。
「え? ちょっと待って……どう言う事?」
部屋を見回すが、死神の少女は完全に部屋から消えて、影も形も無い。
慌てて私は追いかける様に部屋の扉を開けて、そのすぐ前の階段で足を踏み外し、勢い良く転落してしまった。
痛み痺れる体を何とか起こすと、脳裏にさっきの言葉が蘇る。
――扉を開けて部屋を出てから、階段で転んで転落。
「うそ……」
私は段々と青ざめ始めた。
「……うそうそうそうそうそうそでしょ?」
玄関の扉が目に入る。
――家を出た所で交通事故。
「嫌……いやいやいやいやいやいやいや!」
這いずる様に、私は階段を駆け上がって部屋に舞い戻った。
ガチャンと部屋の扉が閉まると、体の芯から震え始めて、怖気が止まらない。
「……出られない出られない出られない出られない」
もう二度と、私は部屋の扉を開ける気が起きなかった。
だって、その扉の向こうには……。




