遺影御前
遺影の中で、彼女は笑っていた。
実際の彼女は、とてもそんな表情でその最後を迎えはしなかっただろうが。
そんな事を思いながら、僕は遺影の前で俯く。
「まぁ、そう気を落とすな」
「お前の所為じゃないさ……誰だって彼女が死ぬなんて予想出来なかった」
「残念……だったよな」
知り合いは慰めの言葉をかけていき、やがて親戚も友人も部屋を移り、気が付けば物言わぬ棺と、笑顔の遺影が飾られた和室に僕だけが残されていた。
周りは静かで、とても生きている心地がしない。
不意に顔を上げると、遺影の前に黒尽くめの少女が立って居た。
見覚えはない、もしかしたら彼女の親戚の娘かと思ったが、それにしては妙に不吉な雰囲気があった。
少女は、遺影の前で暫し佇んでから、僕の前を通り過ぎて出ていこうとする。
「……君は?」
何故か僕は声を掛けていた。
「あ」
呼び止められた少女は、隠れん坊で鬼に見付かったかのようなあどけない表情を浮かべる。
「あー見つかりましたか―、やっぱり、死者と接した人には見えちゃうんですかねー」
見た目に似合わず、妙にハキハキとした口調で、少女は続ける。
「申し遅れました、私―死神の八咫ミサキです―」
「は?」
一瞬何を言われたのか、理解が及ばない。
「あーでも、別に心配しなくても結構です―、この度の仕事はもう終わりましたから―」
終わった? 死神の仕事って事は。
「……まさか、君が彼女を殺したって言うのか?」
恐る恐る尋ねる問いに。
「まぁ、間接的には」
あっさりと彼女は首肯してきた。
「な……」
声が詰まり、次が吐けなくなる。
僕は何とか喉から言葉を絞り出した。
「何で、彼女が死ななくちゃいけない……」
「はぁ、ってゆーと?」
感情の籠らない相槌が帰ってくる。
「死ぬのは、彼女じゃなくたっていいはずだ!」
「なるほど、つまり、貴方は彼女以外の人が死んだ方がいい、と言いたいわけですねー?」
妙にあっさりと、死神と名乗る少女は頷いて。
「なら、見てみますか―?」
と、僕を招き遺影の前へと誘う。
「な、何を見るっていうんだよ……」
恐る恐ると遺影の前に立つ僕に、死神は遺影の額をちょんちょんと指で叩く。
遺影を覗き込んでみても、表面に和室の風景が反射して映るばかり……と思ったら、反射した和室の風景に僕等以外の人影が映った。
振り返って見ると、この和室には僕と死神の二人っきり。
いや、もう一度よく覗いてみると、遺影の中には僕と死神は映って居ない。
中では今まさに先ほどの通夜が行われていて、驚く事に、遺影の前に居るのは死んだはずの彼女だった。
「……どうして、こんな事に」
死んだはずの彼女は声を漏らす。
「まぁ、そう気を落とすなよ」
「誰だって、彼が死ぬなんて予想出来なかったさ」
「残念だったよ」
遺影の向こうで、友人たちが彼女を慰める。
「こ、これはどういう事だ!?」
驚く僕に、死神は落ち着き払った様子で答えてきた。
「見ての通り、貴方の通夜ですねー」
「僕の!?」
「だってさっき言ったじゃないですかー、彼女以外の人が死んだ方がいいって、だから貴方が死んだ場合って奴ですよー」
遺影の向こうでは、一段落した友人たちが捌けていく。
「私が……あんな所に行こうって言わなければ……」
「そう肩を落とす事は無いよ、さ、向こうへ行こう、ここに居ては気が滅入るばかりだ」
僕の知らない男が、彼女の肩を抱いて向こうの部屋へと促す。
「お、おい……あいつは誰だ? 僕は知らないぞ、あんな親しくして!?」
「さぁー、私に聞かれても―、まぁ次の相手って奴じゃないですか―?」
僕が目を白黒とさせる一方で、さらに彼女は呟いた。
「……でも、彼、こんな事になるかもって予想していたのかも、あそこへ行く前に保険に入っていたのよ……受取人は私にしてあった……私は……彼さえ居れば何も要らないのに!」
「お、おい……保険って何だ? 僕は知らないぞ!?」
「だーかーらー、私に聞かないでくださいってー、貴方が知らないんだったら、彼女が掛けたんじゃないですかー、彼女に適当な理由で書類とか頼まれませんでしたー?」
「そう言えば……」
あそこへ行く丁度前に、何かしらの手続きで僕の署名が欲しいって頼まれた事を思い出した。
「ちょっと待てよ……これじゃ……まるで……え?」
頭が混乱してきた。何が何だか分からなくなってきた。
「まぁー、どうしたいかは貴方の自由ですよー、何せ選択権は貴方にあるんですからー、ただし、決められずに二人供ってのは勘弁してくださいねー、予定では一人なんですから」
「え?」
死神の言っている事の意味が分からず聞き返してみるが、いつの間にか眼前から死神の姿は消えた。
周囲が急に静かになって。
そして感覚も無くなって。
次第に視界が眩んでいく。
目を開けると自分の居る場所は和室ではなくなっていた、何だか妙に体が揺れる。
まるで宙に浮いているような気分だ。
「よかった……やっと目を覚ましたのね!?」
すぐ下の方で、彼女の声がする。
そうだ……ここは。
記憶が鮮明に思い出されてくる。
「早く何とかしないと! このままじゃ二人とも落ちてしまうわ!」
僕のすぐ下で彼女が慌てている。
そうだ、僕等は二人でこの山に登山に来たんだ。
この山は垂直に感じるような場所もある上級者向けで、何とか二人で頂上を目指している最中に落盤に遭ったのだ。
今、辛うじて二人とも命綱で助かっている状態だ。
しかし、命綱を岩盤に繋ぎとめている固定具は二人の体重を支える事は出来そうにない。
「ねぇ……お願い、貴方のロープを切って頂戴! 私は落盤の時にナイフを落としてしまったの! このままじゃ二人とも死んじゃうわ!」
そうだ、確かにこのまま二人とも死ぬよりは、どちらかが助かった方がいい。彼女はナイフを落としたのなら、僕がロープを切らないと。
「私……死にたくない! 助からないと! 絶対生還しないといけないのよ!」
慌ててナイフを抜くが、その手がふと止まる。確かにロープを切るのは僕しか出来ないが僕の命綱を切らなければいけないわけじゃない、僕は手を伸ばせばもう一本のロープにも手が届くのだ。
「な、何を躊躇っているの!? 早くしないと! いつまでもつか分からないのよ! お願い、貴方を愛しているわ! だから!」
喚く彼女の言葉は、何故か耳に届かない。
何せ選択権は僕にある。
「……で、どっちにするか決めましたかー?」
不意に死神の声が聞こえた気がした。
「……あぁ」
答えて僕は、ナイフでロープを切り裂いた。
大丈夫、どんな表情を浮かべれば皆納得してくれるのかは、さっき予行練習したばっかりだ。




