【憂楽街へ】
無条院椿―――それが私の新しい名前。
その名を戴いた瞬間から、私の新たな人生が始まった。
私の新たな人生の第一歩―――まず最初に訪れた出来事は……。
「ずるい」
「ごめんって」
「……」
不機嫌そうに頬を膨らませた葵に詰め寄られ、彼女を宥めつつも口角を引き攣らせて謝罪する棗さんの姿を、おろおろと見守る事だった。
「ずるい。うちも健……椿の名付け、参加したかった」
「だから、ごめんってば……その場で決めたの主だし? 俺も良いなって思ったし? 椿ちゃんも喜んでくれたし? 正直………流れで、ね?」
「~~~それでもずるい…!」
「ちょっ、待っ…葵、やめて…!」
棗さんの言い分? 言い訳? を聞いた葵は更に頬を膨らませて、棗さんの胸倉を掴んで前後に揺すった。
棗さんはされるがままになっている。
口では葵に止める様に促しているけど、棗さんの力なら簡単に葵の手を止められるはずだ。
私の名付けに葵を参加させなかった事を、ちゃんと申し訳なく思ってるからこその無抵抗なのでしょうか…?
余談ですが……私の名付けが終わったと聞きつけた葵が怒り肩で廊下の先から近づいて来る姿を発見して、主様は「何か妖術使いましたか?」と聞きたくなるくらいの速足でその場から居なくなっていました。
「葵、ほんと、ごめん。お詫びに言う事何でも聞くからさ?」
「………ほんと?」
何でも……という言葉に魅力を感じたのか、葵の怒りが少し治まった。
棗さんを揺さぶる手を止め、期待に満ちた眼差しで、高身長の棗さんを見上げた。
棗さんも、葵の怒りが治まったのを確認して、笑顔で小柄の葵を見下ろした。
「あぁ。どうせなら、今この状況に巻き込まれてどうしたら良いか悩んじゃってる椿ちゃんも一緒にね?」
「え!? わ、私もですか…?」
「勿論。葵も椿ちゃんと一緒の方が良いでしょ?」
「もちっ」
棗さんの提案に、葵は目をキラキラさせた。
「私まで良いのでしょうか?」と少し悩んでいる内に葵に手を握られて、「それじゃ」と葵は棗さんに要望を口にした。
「街に出かけたい。椿に色々見せてあげたいし、買ってあげたい」
「わ、私にですか!?」
「良いな。じゃあ仕度が出来たら出かけに行こう」
「おーっ」
「え…えぇっと…?」
口を挟む間も無く、この後の予定が決まってしまった。
葵は私の手を握ったまま駆け足で自分の部屋に向かった。
部屋の障子を開けて、箪笥の中から小さくて可愛らしい絵柄の巾着を二つ取り出した。
「はいコレ。一つ貸してあげる」
「い、良いんですか?」
「うん。こういう椿の私物も街で買うよ」
「で、でも私、手持ちが全く無くて・・・・・・」
そもそも白城院に居た頃も、自分が所有出来たお小遣いは微々たるものだった。
と言うのも、金銭面の管理は全てたか兄様がやっていた。
おまけに私が欲しい物、必要な物も全部自分の所持金から出していたみたいだから、実質全部兄様持ちで、私の貯金は結構な額になっていたはずだ。
それも私が“妖まじり”になった後、そのお金はどうしたのか知らないけれど、きっと清子さんが上手い事言って全部自分の物にした事でしょう。
何にせよ、私自身は今も昔も一文無し……街に出かけた所で、買える物なんて何も……。
「私は……街の様子を見れるだけで十分だよ。お金は、これから稼げる方法を主様にも相談して見つけるから…」
「え? どうして?」
「どうしてって……私は無一文で此処に来たから…」
「そんなの、うち等は皆そうだったし。そもそも無条院家も華族の一つなんだから、その娘養子が自分から出稼ぎに出る必要ないよ?」
「それは…そうかもしれないけど…」
なんだか、物凄く申し訳ない気持ちになる…。
主様からの要望で養子入りに賛同したとは言え、その意向に縋りついたのは自分自身。
私なんかがお返し出来る事は微々たるものだと分かっているから、せめて自分の物は自分で工面すべきだと考えた。
「私にとって、無条院家は命の恩人だから……迷惑はかけたくなくて」
それが精一杯の、私からのせめてもの恩返しのつもりだった。
だけど―――
「椿―――それはダメ」
空かさず、葵が真剣な眼差し……それも少し怒っている様な雰囲気で私の口の前に人差し指を突き出した。
「うち等はもう家族。そんな風に思うのは居候でしょ?」
「そうかもしれないけど…」
「そうなの。迷惑とか考えちゃダメ」
「でも…」
「『でも』もなるだけ禁止」
それは普通に難しいよ…。
心の中で反論してみたものの、葵には届くはずも無く、ましてや口にしたところで強気な葵に勝てるはずも無い…。
「分かり……ました」
「ん。よろしい」
葵は巾着袋を一つ私に手渡した。
「じゃあ早く行くよ。棗君、多分もう玄関に居る」
「は、はい!」
巾着袋を受け取って、私達は玄関へ向かった。
案の定、玄関には既に棗さんが腕を組んで待ちぼうけていた。
「―――お。来たね」
「棗君。お待たせ」
「お、お待たせしました…!」
「全然。それじゃ行こうか」
棗さんが玄関の扉を開けると、外気が内側に入って来た。
冷たい微風、だけど日向に出れば温かな日差しのお陰で多少は緩和される。
「ちょっと肌寒いかな? 二人とも、それで寒くない?」
「多分平気。歩き回ってると温かくなる」
「椿ちゃんは? まだもう少し妖力が安定しきってないから寒いんじゃない?」
「だ、大丈夫です…! 陽の光が温かいので、歩いてれば体も慣れて来るかと…」
本当は少し寒い。
棗さんの言う通り、妖力が安定しきっていない所為か体が寒さに過剰に反応してしまう。
葵の言う通り、歩き回れば温かくなると信じて、意を決して外へ出ようとすると、後ろから肩を誰かに突かれた。
思わず勢いよく振り返ると、そこには腕だけの妖(?)のウデさんが宙に浮いていた。
その手には暖かそうな襟巻が握られている。
「あ…あの、これは…」
「ウデさん、それ椿ちゃんに?」
棗さんの問いかけに、ウデさんは腕に括りつけられた筆と手帳で起用に文字を綴り始めた。
『 持って行け 正午から 天気が崩れそうだ 早めに帰れ 』
「あ、ほんとに? じゃあ尚の事早く行こうか」
「そだね」
「は、はい! あの、ウデさん…ありがとうございます…!」
『 ウン 楽しんでおいで 』
ウデさんが手を振って見送り(?)してくれた。
借りた襟巻は囲炉裏の近くに置いていてくれたのか、とても温かかった。
強がってあのまま寒さを我慢していかなくて良かった…。
「さて、天気も崩れるらしいし……まずは椿ちゃんの物を買いに行こうか?」
「賛成。早く買って、最後に喫茶店でお茶しよう」
「そうだね」
「喫茶店…? この街には喫茶店もあるのですか?」
「あるよ。一店舗だけ。だけど大きいお店で品揃えも豊富…!」
「日が暮れると紳士淑女向けに酒も出すけど、此処に居る人も妖も酒で粗相するような輩は居ないから、夜でも安心して行ける場所だ。主も度々入り浸ってる所だから、我が家との関係も良好だから、もしもの時はそこを頼るのも有りだね」
「喫茶店……本当に喫茶店……!」
「椿ちゃん?」
喫茶店―――里に居た頃は、噂でしか耳にした事が無かった。
甘味処とは一味違う……豆を炒って粉にしてお湯で抽出した珈琲という苦みのある飲み物や、海外で人気の甘味……確か『けーき』と呼ばれた焼き菓子が食べられる場所…!
一度は行ってみたいと夢にまで見ていた場所に行けるなんて…!
「喫茶店……夢みたい……」
「「………」」
私が一人で興奮しているその横で、顔を見合わせる棗さんと葵。
少し二人で目を合わせた後、くすっと笑みを零して―――
「先ずは、喫茶店に行こうか?」
「さんせーい」
「えっ! い、良いんですか!?」
「うん。雨でも降っちゃったら喫茶店まで寄れそうにないし……何より、椿ちゃんもその方が良いでしょ?」
「~~~ッ」
は…恥ずかしいぃ……二人には私の心を見透かされてしまったみたいだ。
熱が集まってくる頬を襟巻で隠して、にこにこ笑顔の棗さんに背中を押されて歩き始める。
「先ずは喫茶店。その後は、日常の必需品を最優先。それ以外は買えたら買う―――良いかいッ!」
「異議なーし!」
「……………ありましぇん」
意気揚々とした葵の号令で、楽しそうな棗さんと、穴があったら入りたい私の三人は妖と人が共存する……無条院家の領地【憂楽街】へ出かけたのでした。




