【椿】
「はーい。次はうちね」
今度は葵が手を挙げた。
葵は無条院家の中でもかなりの古株で、棗さんの次に主様の養子になった……謂わばこの一家の長女の位に居る女性。
そして、葵ももしかしたら……棗さんみたいに、見た目に反して凄い年上なのかもしれない…?
“赤又の妖まじり”―――“赤又”という妖の事はまだ全然知らないけど、葵の肌から浮き出ている蛇の様な斑柄の鱗から、魚類系、或いは爬虫類系の妖だと推測出来る。
「うちは人間だった頃から霊力が高かった。“妖まじり”になって、もっと霊力上がった。この皇国でも上位の妖術師と自負してるの」
「そう言えば、さっきも巫女様のような格好してた……以前は神職に関わる所に居たの?」
「うん。うちの過去話はその内話す。名前の由来は、うちの霊力の高さとか、この不思議な髪色と目の色とかから、主が付けてくれたの」
葵の説明を「うんうん」と嬉しそうに相槌を打ちながら聞いている主様。
開いていた扇をパシッと閉じて「それにね」と口を開かれた。
「“葵”には『真っすぐ成長してほしい』という願いを込めて、昔から子供に付ける事が多い名前だったんだ。初めて名乗る名前としてはピッタリだと思ったんだよねぇ」
「初めて?」
「うん。うち、親無しで名無しだったの。“妖まじり”になるまでの間も、名前無かった。だからうちは、最初っから『葵』だよ」
そう……葵は何の躊躇も無く教えてくれた。
「そう……なんだね?」
「うん、そう」
あまり深く踏み込むべき内容ではないと、私も瞬時に理解して、追及はしなかった。
そんな私の心境を察したのか、葵は向日葵の様な明るい笑顔で「良いの。うちはこの名前好きだから」―――そう付け加えた。
「―――そっか」
本人がそう思っているなら、他がとやかく言う必要はないな…。
それに葵の過去はいつか話してくれると言っていた。
その時を、待ってれいば良い―――。
「さぁっ。最後は棗君だよ!」
「えー俺ぇ…?」
楽しそうに、最後の……否、正確には最初の養子の棗さんに名前の由来について促した。
逆に指名された棗さんは、何処か嫌そうな表情を浮かべている。
名付けに嫌な思い出でもあったのだろうか?
言い出す事を渋っている棗さんに、私を含め、主様や他の養子の皆さんの視線が集中する。
その視線の圧に負けたのか、沈黙に耐えかねたのか、棗さんは観念した様に深い溜息を吐いて口を開いた。
「………目の色」
「え?」
静寂の部屋……それなのに聞こえ辛い程か細い声で口を開いた棗さんの声に、私達は揃って首と耳を傾けた。
「目の色が……棗色だったから……だって」
「………」
棗さんは、語尾の「だって」……を言いながら、じとーっとした目付きで主様に視線を送る。
棗さんの視線に続いて、私達、養子組の視線も主様に注がれる。
その場に居る全員の視線を一身に受ける主様は、何食わぬ顔で―――
「いやほら? 覚えやすい名前の方が良いでしょ?」
そう言い放った主様に、棗さんは表情を変えないまま、手にした杓文字を放り投げた。
*
*
*
「解せない」
「ま、まぁまぁ…」
あの後、棗さんの投げた杓文字が頭に命中してしまった主様は、軽い脳震盪を起こしてしまい、目を回して倒れてしまいました…。
本日、無条院家に来たばかりの私は、とのとんでもない光景に一人慌てふためく中、他の養子の皆さんは……。
「さ。食べ終わったら片付けようか」
「「「はーい」」」
「え…あの? え? えぇ?」
私を他所に、慣れた手付きで皆さんが食べ終わった食器を片していく皆さん。
(この光景も日常茶飯事になるのでしょうか…?)
そう腹に括って、私も皆さんと一緒に食べ終わった食器を片付け始めた。
厨で使用済みの食器類を洗う棗さんの横で、私は洗い終えた食器の水滴を布巾で拭き取る手伝いをしていた。
食器を洗いながら棗さんはぶつぶつと文句を言っていたけど…。
「で、ですが……確かに覚えやすいと思いますよ? 棗の色の瞳って、正に棗さんだけですし…?」
「健子ちゃん。本物の棗って見た事ある?」
「………ありません」
里に居た頃に、薬師さんの所で偶に読んでいた薬草辞典に描かれていた棗の画を見た頃があった気がするけど……ダメ、思い出せない……。
「ほ、ほらでも! 名が体を表すと言いますか? 少なくとも私は名前の由来のお陰でもう絶対棗さんの名前間違えませんよ?」
「……ふっ。ありがとう」
棗さんの渋い表情が優しい笑顔に変わった。
私の無茶苦茶な励まし方がそんなに面白かったのでしょうか?
出会って間も無いけど、この短い時間の中で棗さんの意外な一面や、色んな表情が見れたのは、素直に嬉しく思った。
棗さんは背も高くて大人びているけれど、顔が中性的な所為かそこまで歳が離れているように思えない。
(私が養子入りした事で、棗さんは私の義兄様になって下さったんだよね…?)
優しく、強く、温かい……この人が義兄になってくれるなんて……。
(何だか……贅沢というか、私には勿体無いというか……)
「………」
―――やっぱり、凄く嬉しい気持ちになる。
そう思える理由の一つに、実兄からの歪んだ愛情や態度と比較しているからだろう…。
「名前と言えば……結局、キミの名前決めてもらえてないね?」
「あ。そう言えば…」
「ごめんね。俺がそういう空気壊しちゃったから…」
「い、いえいえ! そんな事は…!」
確かに名付けはされなかったけど、その代わりに格好良い棗さんの意外な顔が見れたので、ちょっと得した気分である。
「それにしても……名前の由来は色々あるんですね?」
「まぁ変に奇を衒う必要も無いけど、どうせなら呼ばれて嬉しい名前にしてもらった方が良いよな」
「呼ばれて嬉しい名前ですか?」
「そうだな…」
棗さんは食器を洗う手を一度止めて、考え込む様に腕を組んだ。
そして徐に手を打ち合わせて、一言―――
「健子ちゃん、好きな物ってある?」
「好きな物…ですか?」
「うん。あ、食べ物は外した方が良いかな」
「そ、そう…ですね」
意図が読めない棗さんからの問いかけに、私も食器を拭く手を止めて思考を巡らせる。
私の好きな物……自然、読書、可愛い物―――でも特に好きなのは…。
「お花、でしょうか」
「花?」
「はい! お花です!」
「良いねぇ。俺も好きだよ。特に四季の花は、咲いてるの見つけたらその季節に入ったって目印になるしね」
「ですよね! それに加えて、私は花の持つ意味も好きなんです」
「花言葉ってやつ?」
「はい。贈り物としても、花言葉を用いて贈ると素敵じゃないですか?」
「成程ねぇ。ちなみにどんな花が好き?」
「そうですね―――やっぱり、何でも好きです。派手でも、淑やかでも、濃くても、淡くても。咲いてる姿が好きです」
何故花が好きなのか……真面目に考えた事は無かったけど、きっと単純に見た目が好きなんだ。
どれだけ小さい花弁であろうと、単色では再現しきれない繊細な色合いで飾る姿に、私は何処か憧れを持っていた。
私自身が白銀の髪色の所為で、鮮やかな色彩には興味が尽きなかった。
派手な柄で着飾ろうと考えた事はあるけど、華族でありながら質素な衣類しか持ち合わせておらず、その願いは叶えるのが難しかった。
だから花を飾った―――色んな花を、部屋に、家に、自分自身に。
鮮やかな花弁を広げて、凛と咲き誇る花を身に着けると、自分も華やかに、凛としたいで立ちになると思って…。
「成程ね……―――よし」
私の話を聞き終えると、棗さんは濡れた手を前掛けで拭い、その前掛けも外して調理台の上に置いた。
「健子ちゃん、ちょっと良いかな?」
「はい?」
棗さんに手招きされて、私のその背を追いかけて厨から出た。
意図が解らないまま棗さんについて行けば、そこはさっきまで皆さんと一緒に食事を取った大広間だ。
棗さんは大広間の襖を開けて、更に奥へ進んで行く。
そして大きな障子の前に立つと、そこで私の方に振り返る。
「この障子の先には、この屋敷の大庭が広がっているんだ。今日は寒かったから障子を締め切っていたんだけどね」
「そうなんですか?」
「そう。そしてこの先には―――」
棗さんが障子に手をかけて、大庭との境を解放した。
そこには、目にも鮮やかな―――“椿の花”が、大きな庭を囲む様に咲き乱れていた。
「わぁっ…綺麗…!」
「なかなかの景観だろ? “椿”は主が一番気に入ってる花なんだ。小さくて丸みのある咲き方なのに存在感が強い。何より、雪で真っ白になる風景に紅色が綺麗に映える姿が好ましいとか」
「分かります! 寒いのは苦手ですが、あの景色を見られると思うと冬も悪くないって思えます」
「そっか。じゃあ、ちょっと外出てみようか? もっと近くで見てごらん」
「は、はい!」
棗さんに促されて、私は縁側にあった外履きを借りて庭へ出た。
温かいお屋敷の中とは一変して、外の空気は張り詰めたように冷たい。
だけど、引き返すどころか……その鮮やかな紅色に引き寄せられて行く。
丸く、ふっくらと咲く紅椿の香りが、鼻から脳へ、そして全身を癒していく。
「良い香りですね」
「でしょ。この庭の手入れは主が自らしてるんだ」
「主様が?」
「意外でしょ? 変な所で几帳面というか、拘りが強いというかね」
「でもね」―――と、棗さんは続ける。
「拘ってるだけあって、此処の椿は外の椿よりずっと綺麗に咲いてるんだよ」
「そうだと思います。里にも椿は咲いてましたが、これ程整った咲き方はしていませんでした」
本当に綺麗―――現実離れした美しさだった。
「それは良かった。お嬢さんにも気に入ってもらえたようだね」
その時……つい、うっとりと椿を眺め続けている私の背後から声が聞こえた。
我に返って振り返ると、先程、杓文字が頭に当たって伸びてしまったはずの主様の姿があった。
「主様! もう起き上がって大丈夫なのですか?」
「うぅ…ありがとね。僕の身を案じてくれるのは、もうお嬢さんだけだよ…?」
「言ってろよ。その内この子もこっち側に来るさ。ねぇ?」
「え? えっとぉ…」」
「酷いねこの右腕は…」
棗さんの言葉に肩を落とす主様。
持参した外履きを履いて庭に降りてこられて、私達の隣で同じ様に椿の花を愛で始める。
皴が入った骨張った指先で深紅の花弁を撫でる。
まるで愛しむ様に、優しく何度も何度も…。
そして徐に椿の花を枝から摘み取り、私の頭にそっと飾った。
「あ…主様?」
「うん。やっぱり、よく似合うねぇ。お嬢さん」
「あ、ありがとうございます」
主様は紅椿を飾った私の頭を撫でてくれた。
「ふむ……」
「あ……主様?」
突然口を閉ざしたまま、まじまじと私の姿を見つめる主様。
時折、美しく咲き誇る椿に目を移し、再度私の方へ視線を戻す。
「………」
謎の沈黙が続いた後、主様は優しく微笑み……そして―――
「―――“椿”。お嬢さんは今日から……“無条院椿”だ」
「無条院……“椿”」
その名を復唱した瞬間―――私の心臓……否、もっと深くにある何かが震えた気がした。
それは、きっと明確に表す事が出来ないトコロ―――心、或いは……“魂”と呼べるモノだろう。
椿……つばき……今日から私の名は、無条院椿―――。
私は心の中で何度もその名を繰り返した。
何度も、何度も、何度も……今までの名を上書きする様に、繰り返す。
「それじゃ! これからよろしくね。椿」
「よろしく、椿ちゃん」
主様と棗さんが、私を新名で呼ぶ。
他人行儀は一切ない……まるで、その名が最初から私の名だったかの様に…。
この瞬間、“白城院健子”は、本当に消失した。
だけど、私は―――それがとても嬉しかった。
「はい! 宜しくお願い致します!」
泣きはらしたと思っていた目から再び涙が溢れ出た。
今度は冷たくない―――優しく、温かな、嬉し涙だった。




