9.嬉しい?
「ん、んん……」
「リエリアお嬢様っ! 大丈夫ですかっ!」
いつもと同じベッドと夕焼けの光、柔らかく包まれる手とシーリルの少し震えている声。
目を開けると今にも泣き出しそうなシーリルがいる。
「シー、リル」
「はい、そうです。シーリルです」
確か……シーリルと庭園に行って……それから……!
「シーリル、大丈夫!?」
わたしはあの侍女に頬を叩かれたシーリルを心配する。
シーリルの頬を見るとガーゼがしてあった。
「私は大丈夫ですよ。それよりリエリアお嬢様の方こそ大丈夫ですか? どこか痛むところとかありませんか?」
「うん、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから」
「それならよかったです」
全然人と話さない日が続いていたから、そのせいで久しぶりに話したのと皇太子様なのも合間って疲れていたのだろう。
そして今日の出来事であるシーリルへ会えた興奮と他人と話した恐怖で疲れが一気にきてしまった。それで倒れてしまったのだ。
「そういえば皇太子様は?」
「客室でお待ちですよ」
「本当?」
「嬉しそうですね」
「そっ、そんなことないよっ!」
わたしは無意識で皇太子様達ではなく皇太子様と言ってしまった。
それにシーリルが言った通り、待っていてくれたことが少しだけ嬉しかった。
だけど同時に申し訳なさと会いづらさもある。
「呼びましょうか?」
「ううん、わたしが行くよ」
シーリルが皇太子様を呼びに立ち上がると、わたしはシーリルを止めて自分で行こうとする。
相手が皇太子様なので流石に呼ぶのは失礼に当たると思う。
あと男性を入れれるような部屋ではないから。散らかってはないものの何もない部屋なので、あまり入ってきて欲しくない。
「ダメです。リエリアお嬢様はお疲れなんですから、今動くのは私が許しません」
「え、でも、じゃあどうやって皇太子様に会えば……」
会いづらいけれど今回のことは絶対に謝らなければならないこと。
国王陛下からの嫌がらせのパーティー招待だから正直行きたくないから、その旨を皇太子様に直接伝えなければならない。
「入っていいですよ、殿下」
シーリルがドアに向かって皇太子様のことを呼ぶ。
客室にいるから来るはずがないと思ったが、なぜかドアが開いた。
「バレていたか。上手く気配を消していたつもりだったんだがな」
「それならば、まだまだということです。私は武術の心得が多少はありますから」
わたしは皇太子様がドアの向こうにいることが全くわからなかったのに、シーリルは本当に凄いから分かったんだと思う。
昔木の上に登って降りれなくなった時、シーリルが地面から木の高いところまで一瞬で飛んできて、わたしを助けてくれたことがある。
他にもシーリルの凄いエピソードはいっぱいあるから、皇太子様の気配に気づいたのも納得できる。
「そ、そうか……」
「シーリルは幼少期から剣術槍術弓術格闘術など、ありとあらゆる武術をマスターしているんですから」
「リエリアお嬢様、流石に大袈裟過ぎますよ」
「でも全ての武術に精通しているって言われてる武王に勝ったことあるでしょ」
「まあたった一度ですし、師匠にはまだまだ敵いませんよ」
戦うためではなく守るために鍛え続け最強の人間と呼ばれた武王の愛弟子、それがシーリルなのだ。
それに武王が自分を越す存在になるかもしれないと言った相手もシーリルなのである。
「師匠!? 武王の愛弟子というのはシャリシーリルのことだったのか。あのジジイ、ことあるごとに自慢してきたからな」
「殿下も師匠のことを知っているのですか?」
「知ってるも何も、帝国の全ての軍隊や騎士団などをまとめる総軍団隊長が武王ウォルフレイド・リルディだからな」
武王はどこにも属さず、ただ武を極めるために生き続ける人だと思っていたんだけど、意外とそうじゃないみたい。
そんな話をしながらシーリルは椅子から立ち上がり、皇太子様がその椅子に座る。
そしてシーリルは皇太子様と目を合わせ、そのままドアに向かっていく。
「シーリル、どこ行くの?」
「リエリアお嬢様のために何か飲み物を取りに行こうと思いまして。それに代わりに診てくれる人も来ましたから。大事な話があるんですよね?」
「う、うん。ありがと」
わたしのことを思い全てを察して普通の理由を付けた上でさりげなく行動してくれるシーリル。
そしてそのままシーリルは部屋から出ていった。
「それで話って何だ?」
「えーと、その、ですね……。すみませんでした」
「ん? 何のことかわからないのだが」
わたしは少し躊躇いながらもまずは謝罪から入った。
色々と言わなければならないことがある。色々と謝らなければならないことがある。
「まずわたしを助けてくれたことです」
「? 助けてもらったのなら「ありがとう」って言うんじゃないのか?」
確かに普通ならありがとうって言うんだけど、わたしと皇太子様の関係の場合は違う。
この関係じゃなければ謝らずに感謝を伝えると思う。
「いいえ、違います。わたしは皇太子様と出会った日から、ずっと冷たい対応をしてきました。それなのにあの時は都合のいいように助けを求めてしまった。それじゃ都合よく皇太子様を使ったと言えるでしょう。そのようなことをして申し訳ございません」
わたしは謝る理由を伝えて深々と頭を下げた。
あの時は精神的に追い込まれていたから、なんて言い訳はしたくない。
事実、傍から見ればわたしは都合のいい時だけ人に頼る人間にしか見えないから。
「リエリア、男は頼られると嬉しいんだよ」
「嬉しい?」
「そう、嬉しいんだ。ただし、好きな女性に頼られた時だけ。その意味が分かるか?」
男性は頼られることが嬉しい。だけどそれは好きな相手に限られる。
もしかして、皇太子様は……。
「ちなみに、皇太子様は嬉しかったんですか?」
「当たり前だろ」
「…………。 !!」
ちょっと待って、もしかして皇太子様ってわたしのことが好ーー、待て待て、そんなはずがない。だってそもそも好きなんて一度も言われたことないし、結婚してくれって言葉はわたしの存在が欲しいだけ、だよね?
わたしはもしかしたらという考えをして、顔を真っ赤にし頭が混乱していた。
そんなわたしの姿をみて皇太子様はニヤニヤしている。
「可愛いぞ、リエリア」
「!!」
だ、だめ。
なにがなんだか、わからないよ。
「リエリア、オレとじゃパーティーに出たくないのか?」
「い、いえ、その……えーと……」
わたしは断らなければと思いつつも、皇太子様ならいいんじゃとも思ってしまい、はっきりと返事ができなかった。
「イタッ」
「殿下、リエリアお嬢様で遊ばないでください」
「えっ? あそ、ぶ?」
シーリルが紅茶セットを持ってきてそーっと机に置いた次の瞬間に、皇太子様の頭目掛けて手刀を振り下ろした。
わたしはシーリルの言った言葉で目が覚めて、皇太子様が言っていたことが全て嘘だと理解した。
「遊んだのは事実だが、本当のことしか言っていない」
「それでもです。リエリアお嬢様は人に対して、特に男性に対しての免疫力が極端に低いんですから」
「そ、そんなこと、ない、よ……」
シーリルの言ったことを否定はしたものの、皇太子様が本当のことしか言っていないという言葉で、再び頭が混乱してしまう。
かろうじて会話の内容は頭に入ってきてはいるが、どのように返答すればいいかを考える余裕は完全になくなっていた。
「ほら、こんなに耳まで真っ赤になっちゃってるじゃないですか。皇太子様に気があるのは事実かもしれませんが、関係を進めるのはリエリアお嬢様のスピードに合わせてあげてください」
「確かにな。そうした方が良さそうだ。こんな状態じゃまともな判断ができそうにないからな」
「そんなリエリアお嬢様にして、変なことしないでくださいよ」
「分かっている。オレはリエリアの望むことをして、嫌なことは絶対にさせないつもりだ」
わたしって、皇太子様に気があるのかな?
いやわからないけど、多分ないと思う。
それに今は皇太子様とシーリルが言うようにまともな判断ができない状態だから、これ以上考えても余計に混乱するだけ。
「リエリアお嬢様、これをどうぞ」
「うん、ありがと」
わたしを落ち着かせるためにシーリルは紅茶を淹れてくれた。
その紅茶を飲みようやく冷静さを取り戻した気がした。
「それでさっきも言ったが、オレと一緒にパーティーに行かないか?」