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ひいき


 陽に黄昏が混ざる前に、僕は先輩と合流した。

 近場のマーケットで軽く買い物をして、アパートに帰る。

 

 2人で料理をしながら(といってもシェフは先輩で、僕は野菜切り係だが)その日の出来事を報告しあう。


 まあ、いつも通りの作業である。

 

 2人で何かをしながら話し合うというのは、とても効果的な気がする。しかも効果的な上に、緊張を解く効果もある。

 ちなみにこの方法を提案(強制とも言うが)してくれたのは、先輩だ。彼女の料理はとても美味しいし、調理にいそしむ姿も、萌え属性がとても高い。これが役得というものだろうか?


 

 と、まあこんな腑抜けた言葉が出てくるくらい夕食の支度は幸福な時間と言える。けれどその日は違っていた。

 

 胸に沈痛を感じる。

 原因は分かっている。

 ホセ・ベルグッソの件だ。

 

 だから僕は一番初めに、彼の話をした。

 手は包丁でトマトを微塵に刻んでいる。

 そのリズムはいつもと変わらない。

 もちろん、口調も。


「九虚」

「はい」

「深鍋出してくれ」

「はい」

 僕は流し台で一度手を洗った。

 それから下の棚にかがみ込んで、パエリア鍋を出す。

 立ち上がり先輩を向き、両手で渡す。

 彼女はその小さな両手でそれを受け取ろうとして、少し止まった。


「九虚」

「はい」

「これ、パエリア鍋だぞ。オレが欲しいのは深鍋だ」

 志骸先輩は僕を真っ直ぐ見上げていた。

 形の良い額。

 その中央で分けた柔らかな黒髪。

 その下の長い眉は怒りを示さず穏やかである。

 黒目がちで美しい瞳。

 その虹彩は、赤面する僕を映し出している。


 ……僕は怒られなかった。

 ただ、不思議そうな顔をされただけだ。

 けどだからこそ胸の沈痛が、その底がさらに深くなる。

 が、それは弱さだ。

 僕には他人の幸福を無条件に望む性質がある。

 これは遺伝子的な問題とも言える。


 それでも顔に出来るだけ出さず、講堂で受けた拍手、ハッキングの進捗などの報告を行う。


 ついで志骸先輩が、今日の収穫を話してくれる。

 スクール・バスからの眺めが楽しかったそうだ。

 中々有意義な物、麻薬売買グループと、カルトができてるのを見た、と。HCという言葉が脳裏に浮かんだ。加えて顔にも表れたらしい。そこは確かめねえとわかんねえよ、と言われた。


 HCはカラカスで流行りつつある新種の麻薬だ。羽根のヒトの遺留物に成分が付着していたと、境間さんが話していた。


「……ま、お互い仕事は順調だな」

 何故だろう。

 今晩の彼女の言葉は、胸に()みる。


 そんな感じで調理は進行し、およそ2時間かけて、晩餐は完成した。

 

 その日のメニューは、以下の通りである。


・エスピナカス・ア・カタラナ

 :ほうれん草とレーズン、松の実の炒め物


・パン・コン・トマテ

 :スライスパンにトマトソース、ニンニク、オリーブオイルを塗って焼いたもの


・サルスエラ

 :トマトスープをベースにアンコウ、イカ、ムール貝を煮込んだもの


・フィデウア

 :サルスエラの魚介スープででパスタを煮込んだもの


・ラボ・デ・トロ・エストファーダ

 :トマトソースをベースにしたオックステールシチュー


・メル・イ・マト

 :山羊チーズの蜂蜜がけ



 ……今夜のデザートは控えめなサイズだけれど、パスタとシチューが、大皿に山盛りだ。

 なんというか、視覚的なダメージが凄い。

 まあ、いつもの事である。


 デザート以外の全ての皿を食卓に並べて、僕らは食べ始めた。

 

 やはりどれも美味い。

 特に、オックステールシチューが柔らかく、口の中でとろける。

 志骸先輩はパスタをこれでもかと、くるくる巻いている。

 小ぶりの綿飴くらいになったそれを、あんぐりと口を開けて、ほお張る。

 彼女のそういう姿はとても可愛らしくて和むが、あまり眺めると失礼だ。手元の皿に集中する。

 


「待たせる女は罪だ。で、待てない男もみっともねえ」

「はい?」

 聴き返してしまった。

 唐突の言葉にとても驚いたからだ。

 彼女は構わずに続ける。

「ホセって野郎が、『敬虔な野郎どもの人形』で、お前を襲ってくれたらよ。分かりやすかったのにな」

 静かな声だ。

 そして真実だ。

 僕は(うなず)く。

「はい」

「ま、そいつはただの学生で愛情溢れる普通のパパだ。お前の見立て通りな。けどよ、そいつはそのうち確実に『教化』される。で、色んなことが終わるだろうな」

「……やっぱり、ですか」

 先輩は答える代わりに微笑んだ。

 それから食卓に頬杖をついて、あどけなくその首を右肩に傾げる。

 柔らかな黒髪が透き通った額の上で揺れた。


「で、どうしたい?」

「はい?」

「お前も、あんまりねえだろう。こういうジメジメした我慢比べは、よ」

 その通りだ。

 全ての可能性が行動の全てに重くのしかかる。 

 そして何より巻き込んでしまう一般人の数が、桁違いだ。


 遺伝子工学のカリキュラムは、約200人が受講している。

 十三聖教会は遺伝子工学者のカルロスさんに、何かの関心を抱いている。

 

 それはつまり、僕らがいるにせよいないにせよ、いずれ彼らは『教化』されるのだ。

 されないという未来はない。

 ロシアのカルト教会が、信者を200人寄越す事態。

 それはつまり、寄越さないといけないほどの何かが起きているということだ。

 それが何なのかは、今のところ分からない。

 けれど、とても重要なことだ。

 ということは、動くはずなのだ。

 それがいつかは分からないけれど、確実に動く。

 『教化』を使える高位聖職者が、動き、学生約200人の人生は、終わる。


 ― 悪くすれば、だけど、アロンソという男の子の生、も。 ―

 

「はい。本当にじめじめしていますね。襲うなら、さっさと襲ってくればいいのに」

 言葉が強いのは自分でも承知している。

 先輩は席を立ち、冷蔵庫に向った。

 デザート、山羊のチーズだ。

 

 テーブルを挟んだ向かい側で、彼女はチーズを口にほおり込む。

 もにゅもにゅと幸せそうな口元を作る。


「で、どうしたい?」

 どうもこうもない。

 今は待ち、だ。襲撃を待つのが僕らの仕事なのだ。


「襲撃を待ちま……」

「2つある」

 先輩は僕を遮った。

 その声はとても明快な確信に満ちている。


 ― ……何を、確信しているんだろう? ―


 彼女は得意気に、続けた。


「1つ目は、200人全員に、俺のナノ爆弾を埋め込む。オレらは敬虔な野郎どもの動きを追ってるからな。200人の学生野郎共を、(みの)に使うなら、吹っ飛ばしゃいい。つまり、『教化』されて邪魔んなる前に、全員ぶっ殺せばいいのさ」

 それが村人だ。

 あまねくおびただしい死を振り撒く存在。

 僕は表情を変えない。

 再び先輩は首を傾げる。ちなみに先程とは逆の左肩に。


「2つ目が聴きたいか?」

「はい」

「2つ目はな。単純だ。敬虔な野郎どもと、別方向で、お近づきになる。今日仕入れたネタを使う。あいつら麻薬に手を出してっからな。そっち方面で攻める。この場合、学生野郎どもは無傷だ。まあ、しばらくの間だけどな」

「2つ目で」

 僕は即答した。

 昼間の授業よりも速い、即答加減だった。


 先輩はそんな僕に、柔らかく瞼を薄める。

「お前ならそう言うと思ってたぜ。オレはどちらでもいい。潜入案件ってのはよお。臨機応変に動いてなんぼだからよ。けどなあ、九虚」

「はい」

「待たせる女は罪だな。で、待てない男もみっともねえ。意味わかるよな? みっとも無くてもいいのか?」

「はい」

 僕は考える前に即答した。


「……まあ、分かってたぜ」

 そう呟いて、先輩はあどけなく肩をすくめた。

 ふと疑問が浮かぶ。


「分かってたん、ですか? いつから」

「そりゃ、あれだな。2週間も同じ釜の飯を食えばだな。ある程度気心も知れる」

「なるほど」

「それに、だな」

 ……唐突に、先輩は黙った。

 沈黙とともに頬が微かに上気する。

 つまり恥じらいを頬に浮かべて、彼女は僕から目をそらしていた。


「まあ、それに、だな。オレがさっき言った、どちらでもいい、てのは、だ。村人としての建前だ。で、これはオレ個人の好みだがな。オレを天使とか言う餓鬼のセンスは嫌いじゃねえ。ちっとばかしよぉ。贔屓(ひいき)してやってもよ。バチは当たんねえよな?」

 僕の口元が何かを(こら)えていた。

 それが何かをしばし考えて、笑いであると気づく。


― この人は、もしかしたら、とても照れ屋なのかもしれない。 ―


 でも今笑ったら殺される。

 いや、僕は不死身だから、半殺しにされる。

 ポーカーフェイスに徹するべきだ。


「はい。僕もそう思います」

 努めて冷静にそう言いながら、胸の奥の古い場所が甘く痛んだ。まあ、笑いを堪えているせいなのだろう。


 志骸先輩はそんな僕を傍目に瓶をあおる。

 見事な飲み干しっぷりだ。


「じゃあ、出かけようぜ。九虚。待たせる女はスカートめくりだ」

 先輩は手練(てだれ)の爆弾魔だ。

 常に冷静で周りが見える。

 超絶的美少女であり、料理が巧く、実は優しい。

 けれど、なんというか。

 時々とても品がない。

 同意を求められても困る。


 けれど、

「はい、行きましょう。先輩」

 僕はそう返事をした。

 それは腹の底から。

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