10 不穏
「え? アダム様がいらっしゃったの?」
「はい、火急の用事との事で……。いかがなさいますか」
「すぐに行くわ。お急ぎなのでしょう」
セフィーナが愛護院を訪れた次の日。突然アダムがウェストン伯爵家を訪れた。
先日に続き、先触れの無い訪問だ――理由も分からないまま、胸の奥がざわついた。
セフィーナは急いで玄関ホールに降り立った。
そこに待っていたアダムは、いつも以上に険しい顔つきをしている。
「お待たせいたしました、アダム様」
「セフィーナ、突然すまない」
セフィーナはアダムを応接間に招こうとしたが、緊急の用件との事で固辞された。
「君は昨日、ガーデナー児童愛護院に慰問に行っただろう」
「……はい。伺いましたわ。どうしてそれを?」
アダムの言葉に、セフィーナの胸騒ぎが強くなる。
「……愛護院の子ども達が、失踪した」
「えっ……?」
失踪。
告げられたその言葉の意味が一瞬理解できず、思わず硬直してしまう。
そして途端に血の気の引くような感覚がセフィーナを襲った。
「し、失踪って……そんな……」
「愛護院から通報があり、第五部隊が調査に向かった。そこで昨日、君が愛護院を訪れたと聞いたんだ。詳しく話を聞かせてもらえないだろうか」
「子ども達が……」
声が震える。手の指先が徐々に冷えていく。足元が崩れそうになる。
何故、どうして。子ども達が……?
「失踪者は十四名。昨晩の就寝時間前に、愛護院の院長が寝室に居るのを確認したのが最後だ。それが今朝、寝室に居た十四名全員が忽然と消えていたそうだ」
「ま、待ってください……全員が失踪!? あの子達が自ら家出をするとは思えません。何か事件に巻き込まれたのでは……!?」
「そうだ。だからこそ、最後に子ども達に会った君に聞きたい。昨日何か変わった事など無かっただろうか?」
「変わった事……あれ? 十四人……?」
その数に違和感を覚えた。
子ども達の為に用意した護り石は十五個だ。あの愛護院には、十五人の子どもが居たはず。
「一人、無事だった子が居るのですか?」
セフィーナが尋ねると、アダムは一瞬驚いたように目を瞠った。
「ああ、昨日は一人だけ別室で寝ていた子が居た。体調を崩していたため施設の職員に看病されていたそうだ。無事だったのはその子一人だけだ」
「エディだわ……」
「エディ? そのエディという子とは何か話を? 些細な事でもいい、手掛かりになるような事は言っていなかっただろうか」
「い……いえ、ただエディは、魔力が……」
セフィーナはそこまで言いかけて、ハッと息を飲む。
顔色を青ざめさせ、慌てて口を噤んだ。
「申し訳ございません。手掛かりになるような事は何も……」
(いけない……エディの魔力耐性の件は、プーから聞いた事だもの。魔法知識の無いわたくしが知っているのは不自然だわ)
「……そうか」
アダムはセフィーナの様子を訝しむような顔を見せたが、すぐに引き下がった。
セフィーナは深く追及されなかった事にホッと胸を撫でおろす。
「また何か思い出した事があったら教えてほしい。では要件のみで申し訳ないが、今日は失礼する」
「あ、あの! これからまた愛護院に行かれるのですか? わたくしも行きます」
「……何故?」
踵を返しかけたところで引き留められたアダムは、怪訝な表情で尋ねる。
「何故って……エディや子ども達の事が心配だからです」
セフィーナは意志の強い瞳で、真正面からアダムを見つめる。
子ども達の顔が脳裏に蘇る。護り石に喜ぶ顔、絵本の読み聞かせに興奮したり泣いたりした顔。
彼らを助けたい。あの笑顔を失う訳にはいかない。強い願いがセフィーナの胸にこみ上げる。
「心配は無用だ。この事件は我々王立魔術師団が解決する」
「ですが……!」
「危険だと言っている。これは大規模な集団失踪事件だ。君を関わらせる訳にはいかない」
「……っ」
アダムにぴしゃりと言いきられ、セフィーナは思わず口を噤んでしまう。彼の言う事が正論だと、自分でも分かっているからだ。
けれどセフィーナの目に宿る意志は固い。「絶対に諦めてなるものか」と、目で訴えているかのようだった。
その目で真っすぐに見つめられたアダムは、何故だか苛立ちを覚えた。
その眼差しに非難めいたものを感じたからだ。
「いつも言っているだろう。君は我が家にとって特別な存在だ。君の価値を損なうような事は、あってはならない。分かるだろう?」
アダムは苛立ちからか、つい強い口調になってしまう。
その言葉は鋭い刃のように、セフィーナの心を貫いた。
(わたくしの価値……)
アダムの言葉の刃で傷ついた心。いつもであればその痛みも我慢して、そのうち治るのを待っていた。
けれど、今は――。
「わたくしの価値ですか……」
セフィーナは痛む胸を押さえながら、声を張り上げた。
「それは、魔力の高い子を産む事でしょうか?」
アダムはまさか言い返されると思わなかったのか、目を見開き、言葉を失ったように固まる。
そして、自分の発した言葉であるにも関わらず、セフィーナもまた驚いていた。
(やってしまったわ……売り言葉に買い言葉でつい……!)
セフィーナは思わず顔面蒼白になってしまう。アダムに抗うような事を言ってしまったのは、これが初めてだ。
おそるおそるアダムの様子を窺う。眉間に皺を寄せ、剣呑な眼差しをセフィーナに向けていた。
(間違った事は言っていないわ……でも、言葉が過ぎてしまったのは事実ね)
セフィーナはふぅ、とため息をひとつ落とし、深々と頭を下げた。
「……出過ぎた事を申し上げました」
セフィーナが素直に頭を下げると、アダムもまた短いため息をつき、自身の胸に手を当てた。
「……こちらこそすまなかった。だが、危ない事件が起こっているのは確かだ。君は家に居るように。私だけではない、君のご家族にとっても君は大事なものだ」
「はい……」
セフィーナは静かに目を伏せた。
唇が震えそうになるのをなんとか堪えながら、アダムに短く返事を返す。
セフィーナのその様子を見て満足したのか、アダムは踵を返した。
「……アダム様」
セフィーナの声がアダムを呼び止める。
アダムは振り返らない。
「先日のジェイル侯爵家でのお茶会、マリエッタ様に随分と助けていただきました。お口添えいただきありがとうございました」
セフィーナはそう述べると、礼の姿勢を取った。
「婚約者として当然の事だ」
アダムは一瞬だけセフィーナに視線を寄越し、そのまま足早に辞去していった。
玄関ホールに残されたセフィーナは、玄関扉が閉まるまで深々と頭を下げていた。
扉の閉まる音が、やけに大きく響いた。
アダムを見送ると、セフィーナは足早に自室に戻った。
途端にプーがペンダントから飛び出してくる。
「セフィーナ! 話は聞いたよ、子ども達が居なくなったって」
「ねえプー、もしかしてこれって……」
「うん。奈落獣が関係してるかもしれない」
「やっぱり……」
セフィーナは胸のペンダントをぎゅっと握りしめた。
子ども達が危険な目に遭っているのなら放っておけない。それが奈落獣の仕業なら尚更だ。
「奈落獣の居場所は分からないの?」
「むぅ……いつもみたいに奈落獣の気配がはっきりしないんだ。なんでだろう……」
プーは腕組みをして、悩まし気に眉を寄せている。
何か異常な事が起きているのは確かだ。
「とにかく愛護院に行ってみましょう。何か手掛かりがあるかもしれない……それにエディを放っておけないわ」
「そうだね。あのアダムって奴と鉢合わせしないよう、急がなくちゃ!」
「……と、その為に……プー、ちょっと隠れててもらえるかしら」
セフィーナはコホンと咳払いをすると一度だけ深く息を吸い込み、ソファに項垂れるように座った。
そして側仕えを呼ぶ為のベルを鳴らした。
「お嬢様、いかがなさいましたか?」
「あぁ……ジナ」
セフィーナの私室に入って来たのはジナだ。
ジナの顔を見た途端、セフィーナは両手で顔を覆いながら嘆くように声を上げた。
「わたくし、愛護院の子ども達の事が心配で……ううっ、胸が……」
「ああっ、お嬢様……お労しい……」
ジナは目を潤ませ、セフィーナの両手を握りしめて労るように摩った。
「わたくし、今日は休ませてもらうわ……。何かあったら声を掛けるから、それまでは一人にしておいてちょうだいね……」
(ジナ、お願いだから何も聞かないで……)
セフィーナは内心ハラハラしながらも、それらしく見えるように目元を指先で拭った。
ジナは得心がいったとばかりにうんうんと頷き、「御用があればいつでもお呼びくださいね」と残して部屋を辞していった。
扉がパタンと静かに閉じる。
途端、セフィーナは顔を上げて勢いよくソファから立ち上がった。
もちろんその目は涙に濡れてなどいない。ただ、子ども達を取り返したいという強い意志だけが映し出されていた。
「さあ、これで時間稼ぎが出来たわ。すぐに愛護院に向かいましょう」
「……まさか女優顔負けの演技力が、こんな所で役に立つとはね……」
プーの唖然とした声が、静かな部屋にこだました。




