14:漬物達と、乗り越えたい停滞期(前)
ぎりの助達と初めてプールへ行ってから2週間、時にメンバーを変えたりして、仕事帰りに毎日プールへと通うようになっていた。その成果が出たのか、開始から1週間程で70キロにまで下がった。1度達海が提示した体重はクリアした。
鏡の前に立ち、自分を見つめる。正直、自惚れてしまう程綺麗になった。とは言ってもまだまだ70キロ。もっと痩せれば、もっと綺麗になれるかも。さと子の表情も明るくなる。
「おうおう、ナルシストになっておるのう」
「神様、久しぶりですね! もっと気軽に来てくれても良いのに~」
「一応マジで本当に神様なのでね。忙しい時は忙しいのよ」
「そっかぁ。じゃあ仕方ないね」
「そうそう。にしても本当に痩せたのう。元の良さがちょいと出てきているではないか」
「もうっ! 神様ったら~!!」
照れ隠しに痛烈なビンタをした。神様は、鈍い悲鳴を上げ、その場に座り込むと小刻みに震えた。その体勢から、喜ぶさと子に忠告した。
「言っておくがの、今までお前がこうも鬼の様なペースで痩せられたのは、当然お前の努力もある。しかしな、それ以上に、お前がもともと100キロ近くもあるデブだったからじゃ! 100が70になった今のお前には、この先停滞期と言う成果の出ない、辛く長い日々が続くことを忘れる様にな」
停滞期。それは、ダイエットをする者達へのあまりにもキツく、辛い試練。一生懸命運動をし、食生活を整えても、体重が変わらない。時に少し増えたりもする。そんな地獄の様な日々。この絶望的な状況に負け、多くの者は目先の料理と言う名の欲望に負けてしまう。そして、最終的にはリバウンドで体重が激増し、もとの体型に逆戻りする。そんな恐ろしい時期が来ていると言うのだ。
確かに、今までは驚く程に早く痩せてきた。こんなに痩せるものなのか? そう思う程に。だが、それと同時に努力もしてきた。だから、努力が叶っているのだと気にしては来なかった。
「もうそろそろやめたければそれでも良いぞ。30キロも痩せるなんて、そうそう出来ることではない。十分頑張ったじゃろう。ホレ、達海も言っておったろう」
そうだ。達海も70キロくらいで良いだろうと言っていたな。それは、停滞期のことを考えていたのだろうか。じゃあ何? アイツは、ハナっから私が停滞期を乗り越えられないと考えていたと言うこと? それじゃあ、痩せて、それを終えるまで、全て奴のシナリオ通りってこと? 徐々に怒りがこみ上げてくる。
「いいえ! 絶対に痩せてやります!! 私、絶対に停滞期乗り越えてみせますから!!!」
何やら熱くなるさと子に、神様はやれやれと首を振る。よっこらせと立ち上がると、腕を組んで首を傾げながら呟いた……。
「まぁ、頑張ると良い。じゃがな、停滞期があるのは、ダイエットだけではないと言うことを、お前は気付くべきじゃな」
それじゃあと、神様は姿を消した。ダイエット以外の停滞期? さと子は真相を訪ねたかったが、消えてしまった神様を追うことも出来ない。仕方ないので、今は違うことを考えよう。と、考えていると、以前達海がカレーライスを作ってほしいと言っていたことを思い出した。
「アイツが頼みごとすることなんて滅多に無いし、同僚として作ってやるか!」
さと子はまず肉じゃがを作り始めた。肉じゃがを作るのも、案外時間がかかるものなのだが、1度決めたら曲げないのがさと子。肉じゃがを作り、じゃがくんが登場すると、早速事情を話した。
「そうなんだ。へー、あの人、そんなこと言ったの? 可愛いところあるんだね」
「可愛いかぁ? クールでちょっと高圧的で可愛さなんてないけれど」
「だからだよ。そんな人がさ、料理作ってって頼むんだよ? 甘えられてるんだよ」
「ぜんっぜん。だってホラ、あの直人にだって弁当作ってもらって普通に食べてるんだもん。意外と食べるのが好きなんじゃない? 自分で作ればいいのにさー」
しれっと話すさと子に、じゃがくんは何とも言えない表情をする。何か言いたげだったが、目線をさと子から逸らして何やら考えると、またすぐに視線を戻した。
「で、ぼくはカレーライスを作れば良いんだね?」
「うん、出来ればレシピ書きたいから、ちょっとゆっくりめに……良い?」
「良いよ! カレーライスも、さと子ちゃんと会えて嬉しそうだったから、きっと嬉しいと思うよ」
「ほんと? カリー伯爵って、他の子達と違ってダンディでかっこいいよね。でも渋すぎてちょっと緊張しちゃうんだぁ。何話せばいいのかなぁ」
「そうだなぁ。あの人は……」
2人は料理を作りながら、食べ物達の他愛ない話をして盛り上がった。こうして改めて皆のことを話すのは初めてかもしれない。共感できる人間がいないので、たとえ食べ物であってもさと子は話せて嬉しかった。
… … …
他愛ない話をしていると、料理が出来るのはあっという間だった。さと子のピンク色のメモ帳も真っ黒になっている。カリー伯爵が現れると、じゃがくんが笑顔で拍手した。
「ごきげんよう。呼んで頂き有難う御座います。本日は如何用で?」
「何かね、カレーライスを達海さんが食べたがってるらしいんだよ」
「そういえば、以前小耳に挟みました。誠に有難いことです。達海さんも、案外食べるのが好きですよね」
「そうかもねぇ。あ、今日ってさ、何か面白いテレビあったっけ」
「面白い番組ですか? でしたら、や……」
「や?」
何か言いかけたカリー伯爵だったが、さと子に尋ねられると、普段とは打って変わって引きつった笑みで首を振った。さと子とじゃがくんが目を合わせると、じゃがくんが小さく頷いた。さと子はテレビを付けると、チャンネルをスポーツチャンネルに変えた。今やっているのは野球だ。
「あ……」
目の前に映る画面に、カリー伯爵は目を輝かせる。少しずつテレビとの距離を詰めると、画面に食い付いていく。試合は丁度良い展開のようだ。実況が盛り上がっているので、恐らくそうなのだろう。スポーツの知識があまり無いさと子は何となくで考える。そんなさと子をよそにして、少年のような目でじっと中継を見るカリー伯爵。さと子は後ろに移動し、カリー伯爵の邪魔にならないように、そっとじゃがくんに野球のルールを聞いた。じゃがくんが丁寧に、且つ初心者でも分かりやすいように噛み砕いて説明してくれたので、ルールが何となく分かってきた。
それから3人で画面を見ると、追いつめられる選手達を応援したくなってきた。カリー伯爵が応援しているのもそのチームらしいので、さと子とじゃがくんは声を上げて応援する。つられてカリー伯爵もテレビ越しに選手達を応援する。そして、気付けは追い詰められていた選手達は、全塁に立っていた。このバッターが打てば、戦況が大きく変わる。最初で最後の砦。皆息をのんで画面にかじりつく。投手が投げると、バッターが空振りした。「あ~」と、皆頭を抱える。2回目は、打ったもののファールだ。さと子は思わず、「惜しいっ!」と声を上げた。
3度目の正直と良く言う。そうだ! 3と言う数字には、希望が込められている!! 全員、選手達に祈りを捧げた。投手が投げ、バッターはバットを振り上げた。
「ストライーク!」
全員ため息をついた。人生、そう上手くは行かないものだ。
「でも、もう少しだったね。こりゃあ見てたら熱くなるわぁ」
「でしょう? ですから、スポーツって良いんですよね」
「だね。でも、カレーライスはスポーツに関しては多方面だよね」
「ええ。カレーライスは、必死に汗を流す者達が食べる料理。言わば、彼らだって、カレーライスから育ったようなものです」
カレーライスだけで育ったわけではないだろうけれど……さと子は思ったが、此処はつっこむべきではないのだろう。お口をチャックする。
「ですから、サッカーも野球も相撲も、熱くなるものは大好きです。私まで熱くなりそうです! さと子様、本日のカレーが激辛になっていたら申し訳御座いません!!」
「いえいえ、別に大丈夫だけど……元に戻ったらカリー伯爵関係無いんだよね? じゃあ大丈夫かなぁ」
「でも、一応辛くなったら困るし、お漬物買ったら? カレーに福神漬あったら最高だろうしさ」
「ああ、そうだね! 普通に食べたくなってきた!!」
さと子は着替えて準備を整えると、スーパーへと福神漬を買いに出た。
… … …
スーパーへ行くと、どうしても割引と言う文字に惹かれてしまうのがレディの性。特に半額と言う響きに弱いさと子は、ついつい様々な商品を手に取り、気付けは合計額は2000円を超えていた。福神漬を買いに来たはずだったのに。そう思いながらも、さと子の表情は明るい。
自宅に戻ると、早速買った福神漬を皿に入れる。さと子の1番好きなカレーライスに添える漬物は、やはり福神漬だ。特に、真っ赤な福神漬。これが大好きなのだ。
そう言えば、漬物のことはひたし様が話していたな。それでいて、ちょっとライバル視していたような。思い返していると、丁度良いタイミングで漬物が消え、代わりにじゃくんやカリー伯爵とは違う人物が現れた。肩までまくり、膝までしか無い庶民的な着物を着用し、頭は野球部員の如く丸坊主の青年。分かる。ちょっと漬物っぽい。見た瞬間、さと子は頷いていた。この懐かしくて近寄りやすい雰囲気が漬物っぽいのだ。
「おっす! おひたしが何時もお世話になってんな。何時か会いてーと思ってたんだよー!!」
漬物の青年はさと子の両手を掴んで歩み寄った。初対面でこれ程歩み寄るとは。あの人の心に入り込むプロであるじゃがくんが驚く。
「はじめまして。何か、ザ・漬物って感じだね!」
「だろ? 結構言われるんだよね。さっぱりしてそうだって」
「実際に漬物つけてそうだもん」
2人は声を出して笑う。明るいなぁ。じゃがくんとカリー伯爵が微笑ましそうに眺めていた。
「ひたし様が君のことライバル視してたから、本当はもう少し高圧的な子とかなのかなぁって思ってたよ」
「とんでもない! 俺達すっごく仲良しだよ。確かにアイツは俺のことライバルだって言ってるけどさ、お互い良い所も悪い所も知ってるんだから」
「え? 漬物やおひたしの悪い所って?」
「漬物は歯の悪い人にはちょっと厳しいだろ? しょっぱいから塩分控えめにしてほしい人にもちょっと悪いしさ。おひたしは、大概はちょっと薄味だろ? だから、濃くて硬い俺と、薄くて軟らかいアイツ。お互い駄目な所をカバーできるってことだよ!!」
物は言いようだが、そう言われてみれば確かにそうかもしれない。味の薄い漬物や、しょっぱいおひたしもたまに見かけるが、根本的には漬物は味の濃い方が、そしておひたしは薄味の方が良い。それを知ってか知らずか、ひたし様の作る料理は濃すぎない味付けばかりだった。漬物がこう言うくらいなのだから、他の料理達も自分の良さをちゃんと分かっているのだろう。今の時代の若者達よりよっぽど自己主張が出来そうだ。と、自分自身を含めながらさと子はしみじみ思った。
しばらくしてから、さと子はハッとした。彼等がまだいると言うことは、これからダイエットをしなくてはいけないと言うこと。そして、今さと子は停滞期と言う恐ろしい状況にあると言うことなのだ。
「じゃあつけ坊主、私はこれから何をすれば良いの」
「つけ坊主?」
首を傾げるつけ坊主こと漬物。じゃがくんは思わず吹きだし、手で口元を隠して笑った。
「坊主良いねぇ。ぼくも呼んじゃおっかな」
「そんなに良いか? 俺は別に良いけど」
「ほう。では僕も」
食べ物男子達が自分の付けたあだ名で盛り上がっているようだ。少々嬉しい。しかし、これでは話が進まないのでさと子は彼等の間に入った。
「ねぇねぇ、本当に今、ちょっと困ってるの。神様曰くね、私停滞期らしくって。どうしたら良いんだろう?」
さと子の不安そうな顔が、心境の重さを物語っている。幾ら達海の言動に意固地になっていたって、この先にはダイエット番組でよく見かけるような恐怖の時間が待っているのだ。いや、もう始まっているのかもしれない。そんな彼女の気持ちを察すると、食べ物男子達の顔つきが変わった。3人それぞれ黙り、考え始める。ちょっと言い過ぎてしまっただろうか? 折角和んでいた所に水を差してしまったようで申し訳なく感じたさと子が口を開こうとした瞬間、カリー伯爵が、「あっ」と声を出した。
「……宜しければやってみません?」
「何を?」
「草野球。とか」
何時もクールなカリー伯爵が、ニヤリと笑う。その瞬間、何故だか背筋がゾクッとした。思えば、この時に断っておけば良かったのだ。さと子が首を横に振る前に、つけ坊主とじゃがくんが首を縦に振った。
「おっ、良いなぁ! 俺も1度やってみたかったんだよ~野球!!」
「じゃあうさぎ飛びとか、タイヤ引っ張って走るのとかしたりするの!? 良いじゃんさと子ちゃん、そんなことしたら嫌でも痩せられるよ!!!」
予想外にやる気な2人と、俄然やる気な野球好きのカリー伯爵。そんな彼等に対して上手く断れる言葉など見つかるはずもなく。さと子は苦笑しながら頷いた。




