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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第五章】鍵と、消された頁

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光を、こわがらなくていい

 王立学院の授業は、リゼットにとって、退屈だった。


 初日の魔法理論の講義で、教師が黒板に基礎術式を書いた瞬間、リゼットの手が挙がった。


「先生。その術式、三行目の魔力係数が間違っています。このまま発動すると、消費が二割増えます」


 教室が、静まり返った。教師が、震える手で計算を見直し、そして、青ざめた。


「……確かに、そうですな」


「それから、七行目の緩衝記号も不要です。位相を半波長ずらせば、一つで足ります」


「あの、シルヴァーヌ嬢。授業を、進めても……」


「どうぞ。ただ、間違ったまま教えると、生徒が困りますので」


 教師は、その日、二度と黒板の前で自信を持てなかった。


 リゼットにとっては、いつものことだった。五歳の日から、彼女は本を読むのではなく、採点してきた。相手が教科書でも、教師でも、変わらない。



     * * *



 だが、学院には、授業よりもずっと興味深いものがあった。


 アリスである。


 あの入学式以来、アリスはリゼットを見ると、逃げた。


 昼休み、リゼットが中庭に現れると、アリスは食べかけのパンを持ったまま、反対方向へ歩き出す。図書館で目が合えば、本棚の陰に消える。廊下で鉢合わせすれば、回れ右をする。


「逃げていますね」


 リゼットは、三度目に逃げられたあと、静かに言った。


「お嬢様。それは、そうでございます」


 付き添いのマリーが、疲れた声で答えた。学院にも、マリーは同行を許されていた。侍女長というより、もはや保護観察官に近い。


「初対面で壁際に追い詰めて『測らせてください』と言えば、誰でも逃げます」


「勧誘だったのですが」


「勧誘の仕方が、脅迫でございました」


 リゼットは、少し考えた。


「……改善します」


「その意気でございます」


 だが、リゼットの"改善"は、たいてい、普通の人の想定とは違う方向へ進む。


 翌日、リゼットは、アリスが逃げ込む先で待っていた。



     * * *



 図書館の、いちばん奥の書架。誰も来ない、埃っぽい一角。


 アリスが、いつものように逃げ込んでくると、そこに、リゼットが座っていた。膝の上に、紙と、羽ペン。


「ひっ……」


 アリスが、後ずさる。


「逃げなくて、いいです」


 リゼットは、顔を上げずに言った。


「今日は、追い詰めません。ただ、あなたに、見せたいものがあるだけです」


 アリスの足が、止まった。逃げるべきだ、と、頭では分かっている。この人は、恐ろしい悪役令嬢だ。物語で、自分をいじめ抜く役の。


 でも。


 リゼットが広げた紙には、見たこともない、美しい魔法陣が描かれていた。


「これは……?」


 アリスが思わず、一歩近づいた。


「あなたの魔力を、写し取ったものです」


 リゼットは言った。


「先日、あなたが逃げる時に、ほんの一瞬、光属性が漏れました。それを、記録しました。──あなたの光は、こうなっています」


 紙の上の魔法陣。その中央で、一本の光の線が、ゆるやかに、二つに分かれていた。


 アリスの顔が、こわばった。


「……それが、私の、欠陥です」


 彼女の声が、震えた。


「故郷で、みんなに言われました。私の光は、気味が悪いって。線が、二つにぶれるって。壊れているって。だから、私……ずっと、光を、出さないようにして……」


「壊れていません」


 リゼットは、きっぱりと言った。


「アリス。この、二つに分かれる光。これは、欠陥ではありません。四百年前に消された、本当の魔法の、いちばん大事な機能です」



     * * *



 リゼットは、もう一枚、紙を取り出した。


 そこには、古代魔導書から写した、旧い術式が描かれている。蔦のように絡む、二本の光の経路。


「昔の魔法は、光を、二本の道で、同時に走らせました。一本が途切れても、もう一本が支える。だから、絶対に、消えない。──あなたの光が二つにぶれるのは、あなたが、その"二本の道"を、生まれつき、思い出しているからです」


 アリスは、二枚の紙を見比べた。


 自分の光。古代の魔法。


 二つは、同じ形をしていた。


「あなたは、壊れているんじゃない。アリス。あなたは、みんなが忘れた魔法を、たった一人、覚えていた。──それは、欠陥ではなくて」


 リゼットは、顔を上げた。その薄紫の瞳に、いつもの、あの炎が灯っている。ただし、今日は、少しだけ、やわらかかった。


「才能です。それも、この国で、たった一つの」


 アリスの目から、ぽろりと、涙がこぼれた。


 生まれて、初めてだった。


 気味が悪い、と言われ続けた光を。壊れている、と言われ続けた自分を。


 正しい、と。才能だ、と。言ってくれる人が、いた。


「……本当、ですか」


 アリスの声が、掠れる。


「私、才能なんて、言われたこと、一度も……」


「事実です」


 リゼットは、即答した。


「私は、都合のいい嘘は、言いません。あなたの光は、本物です。証明できます。だから──こわがらなくて、いい」



     * * *



 しばらく、アリスは泣いていた。


 リゼットは、急かさなかった。ただ、隣に座って、紙の上の光の線を、眺めていた。マリーが、そっと、二人分のお茶を、書架の陰に置いた。


 やがて、アリスは涙を拭って、顔を上げた。


「あの……シルヴァーヌ様」


「リゼットで、いいです」


「リゼット、様」


 アリスは、おずおずと聞いた。


「私の光を……その、才能だって言うなら。私、どうすれば、いいんですか。ずっと、隠してきたから、使い方も、分からなくて」


「五年、どこにいましたか」


 アリスは、少しだけ、目を伏せた。


「灰色の服の人たちが……いつも、来ました。悪い人たちでは、なかったです。食べ物も、くれました。冬の薪も。……ただ、半年か、一年に一度、"そろそろ移りましょう"って」


 指を、折り始める。折る指が、五本を超えた。


「東の谷。港の裏の長屋。山の中の小屋。それから、名前を教えてもらえない村が、二つ。──家の柱に、背を測った跡をつける癖がついたのは、次の家で、どれだけ伸びたか、分からなくなるからです」


 リゼットの指が、膝の上で止まった。


 春先の、空き家。土間の柱に、五つ並んでいた横一文字の刻み。いちばん上は、自分の目の高さより、少し低かった。


「一つだけ、絶対に駄目だと言われました」


 アリスは、自分の手のひらを見た。


「光を、使うこと。使ったら、"悪い人たちに見つかる"から、って。……だから、暗いところが、こわくても、灯りは、つけませんでした」


「守られていたのですね」


「……はい。守られて、いました」


 アリスの声が、少しだけ、細くなった。


「守られている間、私は、一度も、誰にも、必要とされませんでした」


 リゼットは、その一文を、記録しなかった。


 代わりに、はっきりと言った。


「私は、必要としています。──今日から、あなたの背は、同じ柱で測れます」


 リゼットの目が、輝いた。


 それは、新しい魔法陣の欠陥を見つけた時の、あるいは、五歳の日に床の陣に恋をした時の、あの目だった。


 その前に、と言って、リゼットは鞄から、表紙に何も書かれていない冊子を取り出した。


 角が丸くなり、綴じ糸が一度ほどけて結び直してある。持ち歩かれた年数が、そのまま形になっていた。


「五年前から、書いていました」


 アリスが、受け取って、最初の頁を開く。


 そして、動きが止まった。


 光らせ方では、なかった。


『第一章 消し方』


「……消し方が、いちばん最初なんですか」


「はい」


 リゼットは頷いた。


「あなたは、光をこわがっています。こわいものを、出す練習から始めるのは、順序が逆です。──いつでも自分で消せる、と分かってから、初めて、出せます」


 アリスの指が、頁の上で、震えた。


 村を出てから五年、大人たちは全員、同じことを言った。使うな。隠せ。出すな。──誰も、消し方は、教えてくれなかった。消し方を教えるには、一度、光らせてやらねばならないからだ。


 誰も、そこまでは、付き合ってくれなかった。


「宿の灯りの下で、少しずつ書きました。会える日がいつか分からなかったので、分からない分だけ、良いものにできました」


「……五年、ですか」


「五年です。十回、間に合いませんでしたから」


 アリスは、冊子を胸に抱えて、もう一度、泣いた。


 さっきの涙とは、少し違う泣き方だった。


「一緒に、研究しましょう」


「けん、きゅう……?」


「あなたの光属性を、正しく使う方法を、一から。あなたは、消された魔法の、鍵です。あなたが使えるようになれば、この国の結界も、救えるかもしれません」


「け、結界……!? そんな、大きな話……私に……?」


「あなたにしか、できません」


 リゼットは、真顔で言った。


 アリスは、しばらく、ぽかんとしていた。


 物語の、悪役令嬢に、いじめられるはずだった。断罪される、初日だった。


 それが、気づけば、生まれて初めて、自分を認めてくれる人と、国を救う研究を、始めようとしている。


「……はい」


 アリスは、小さく、でもはっきりと、頷いた。


「私、やります。リゼット様と、一緒に」


 その返事に、リゼットは満足げに頷き、そして、手記に一行書き足した。


『被験体アリス、研究協力に同意。──ただし、"被験体"の呼称は、本人の前では使わないこと。泣くので』


 アリスが、横から覗き込んで、また、半分泣きそうな顔になった。


「被験体、って……」


「愛称です」


「愛称じゃ、ないです……!」


 図書館の奥で、悪役令嬢とヒロインが、初めて笑い合った。


 物語の、筋書きには、ない光景だった。


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