月の神殿と聖女ファセリア
月の女神ラクタリスの神殿は、王都ルーネリア東部の川沿いに建っている。
ラクタリスが司るのは人々の魂の安寧と芸術であり、生命を司る太陽神アルフォス、豊穣や婚姻を司る大地の女神フラーマと共に三大神に数えられている。
……のだが、実際の所、即物的な利益を求める一般市民にはあまり人気がなかったりする。
その信者は芸術家やら物書き、自己陶酔者や若年性感受性過多の方々、ともっぱらの噂で、「俺、ラクタリス信者だから」と言うと「ああ……そういう……」みたいな反応が返ってくるのが常であった。
「リョウ、アンタ何そわそわしてんの?」
神殿の入り口まで来たところで、急に服やら髪の毛やらを気にし始めたリョウに、リリーは不審そうに尋ねた。
「べ、別になんでもないですよ!? さあ、行きましょうか!」
慌てたように答えながら、リョウは鼻息荒く、先頭を切って神殿に入っていく。リリーとディーンは顔を見合わせ、首を傾げてそれに続いた。
「これは、リョウ様。またお越し下さったのですね。先程はご馳走様でした」
質素な礼拝堂で、山奥の清流のような涼やかな声で一行を迎えたのは、純白の貫頭衣にほっそりとした身体を包んだ、小柄な少女だった。
腰ほどまである黒髪はさらさらと揺れ、大きな瞳は磨いた黒水晶のように瑞々しく輝いている。
どこか儚げな微笑みを向けられたリョウは、とてもわかりやすく赤面した。
「ファ、ファセリアさん、その話は、また今度……!」
「……あ、ふーん。へーえ、なるほどねえ〜?」
だらしない薄ら笑いを浮かべてバタバタしているリョウを、様々な角度から観察しながら、とびっきり意地の悪い声を出すリリー。
「な、なんですか!」
「べえぇえーつにいぃー? い・か・に・も、誰かさんみたいな冴えない男子が寄って来そうな、清純そうなお嬢さんだなあって。ニヤニヤ」
「なんですかそれ! ファセリアさんを侮辱したら、許しませんよ!? ぼ、僕ぁただ、急遽司祭様の代わりを務めることになったファセリアさんを心配してですね……!」
「リョウ様はいつも私の様子を気にかけて、差し入れなどしてくださるんですよ」
ドタバタしているリョウと対照的に、ファセリアは落ち着いた様子で言ってにこりと笑った。
「あらやだ〜! リョウ様、お優しい〜! この娘、男のあしらい慣れてますわ。脈無いよ、リョウ」
「リリーさん!! 怒りますよ!!」
「なんだ、この娘は魔術師殿の想い人なのか」
黙って成り行きを見守っていたディーンが気遣いもへったくれもなく口を開いた。
「ディーンさん!! しーーー!!!」
リョウは慌ててその口を塞ごうとする。
「わからんな、ならばさっさと口説けばよかろう。こういうものは古今東西、早い者勝ちと相場が決まっているんだ」
「ディ、ディーンさん……そうか、そうだよな。ここで勇気出さなきゃ、ニホンにいた時と何も変わらないじゃないか……!!」
リョウはなにやら感銘を受けたのか、ぼそぼそと呟くと、何事かを決心した様子で大きく頷き、ファセリアに語りかける。
「あっ、あの、ファ……!」
「リョウ様みたいな素敵な方に、私なんて勿体無いです。そんな冗談、リョウ様に失礼ですよ」
ファセリアは微塵の動揺も無く、黒水晶の目を細めて、奥ゆかしく微笑った。
「あのっ……!」
「それに私はラクタリス様の僕。身も心も女神様に捧げておりますので」
「……」
魔術師は告る前に振られた。
流石に気の毒になって、リリーがリョウの肩を「どんまい!」と優しく叩いた。
……のを、リョウは涙目で払いのけた。
「はっはは、玉砕したか魔術師殿。こういう時は仲間が一杯奢ってやるのが俺の故郷のしきたりだ。今夜は潰れるまで呑もう」
ディーンはあっけらかんと笑って、リョウの薄い背中をばしばしと叩いた。
◇◇◇◇◇◇
「確かに、この神殿にも旅人や生活に困った方が一晩の宿を求めていらっしゃることはあります。ですが、そのような方がこの神殿にいらしたことはありませんね……」
小さな応接室。質素な木の椅子に腰かけたファセリアは声のトーンを落として告げた。
「そうか、ここでもないか……」
その向かいで小さな木の椅子から思いっきりはみ出しながら、ディーンは腕を組み難しい顔をした。
「ただ、少し前に巡礼の方が話していたことを思い出しました。なんでも、ルーネリアへ来る道すがら女性と知り合ったらしいのですが、妙に世間知らずで、旅人のようにも見えなかったそうなんです。大方どこかの令嬢が家出でもして来たんだろうが、不用心なことだと心配しておられました」
「それはいつのことだ」
「ひと月ほど前かと」
「じゃあ、アンタがひょっこり現れた時期と一緒じゃない!」
リリーが目を丸くして明るい声を上げた。ディーンはちらっと彼女を見てうむ、と頷いた。
「その女がどこに行ったかはわからないか?」
「港湾都市ゼパルマで別れた、とだけ仰っていました」
「ここからどの位の距離だ?」
「ゼパルマなら街道を歩いて5、6日ってところかしら。馬ならその半分位かな。賑やかな港町で、旅人も多いから人探しは結構大変かもね。まあ? あたしみたいな? 先進的なシティ派ハーフエルフなら? あんな都会も慣れたもんなんだけどね?」
口を挟んだリリーを眺めながら、リョウは(ああ、誘って欲しいんだなあこの人)と苦笑いをした。
「行ってみるとするか。礼を言う、ファセリア司祭」
「いえ、ディーン様、私はあくまでもご病身の司祭様の代理ですので。ただファセリアとお呼び下さい」
その時、突然応接室の扉がどんどん、と乱暴にノックされ、返事を待たずに開けられた。
慌てふためき顔面蒼白の青年がファセリアに駆け寄ってくる。
「ファセリア様、お取り込みのところ申し訳ございません! ポルケさんが、ポルケさんが……!」
尋常でない様子で何やら訴えているが、どうにも要領を得ない。
「と、とにかく、早く! こっちです!」
ファセリアは何かを察したように素早く席を立ち、青年の後を追った。ディーンたちも緊迫した様子でそれに続く。
先程の礼拝堂に戻ると、神官らしき大柄な男が床にうずくまっていた。貫頭衣のあちこちが裂け、押さえている脇腹からは血が溢れ出し、床に血溜まりを作っている。
かなりの深手だ。助かるかどうかは半々といったところだろうとディーンは見立て、眉をひそめた。
「治癒します」
ファセリアは毅然と言い放つと男に駆け寄り、脇腹の傷に手を触れる。白く細い彼女の指が真っ赤に染まった。
「ナズルさん、お湯を沸かしておいてください。それから、清潔な布を」
ファセリアは落ち着いた声で青年に指示をすると、苦痛に呻いている男に優しく微笑みかけた。
「ポルケさん、もう大丈夫です。よくぞ戻って来てくださいました」
「ファセリア様……ジ、ジーク様が……!」
ポルケと呼ばれた男はファセリアの腕にしがみつき、言葉を振り絞る。
「喋ってはいけません。すぐに良くなりますよ」
ファセリアはそう言うと瞑目し、静かに祈りの言葉を唱える。
「神の御手、女神の抱擁。傷つき疲れたこの者を癒し給え。ルーナ・アン・プレシスス」
ファセリアの手が白く輝き、一陣の風が彼女の黒髪をふわりと巻き上げる。
ポルケの荒々しい呼吸が、徐々に鎮まっていく。いつの間にか脇腹の傷は綺麗さっぱり消え去っていた。
「治った? いや、傷が消えた!? あれほどの傷が!?」
ディーンは驚きのあまり声を上げ、ポルケの側に跪いてその傷口を確認した。
血で濡れてはいるが、脇腹には何の痕も残っていない。
「これが神の奇跡です。原理も仕組みも無関係に、ただその事象のみを出現させる……もっとも、これだけの治癒の奇跡を起こせる聖職者は、この大陸中にも数えるほどしかいませんが」
木のコップでポルケに水を飲ませてやりながら、リョウが訥々と語る。
「彼女、ファセリア様は、女神ラクタリスの現し身とも、聖女アルケーの生まれ変わりとも言われる方です」
憧憬と敬愛を込めたまっすぐな瞳でリョウに見つめられて、ファセリアは困惑したように微笑んだ。
「……ふぅん、この娘がね」
リリーは小さく呟いて、ファセリアのどこか悲しげな表情を見つめていた。
水を飲み、大きく息をつくと、ポルケは改めてファセリアに事の顛末を語り始める。
「社で、大きな獣に襲われました。おそらく、魔獣です。我々では歯が立たず、ジークさんが身を挺して私を逃がして下さったのです。どうか、すぐに助けを……!」
「わかりました。事は急を要します。私は社に向かいますから、ナズルさん、冒険者の酒場に使いを……」
「時間がない。僕がご一緒します」
ファセリアの言葉を遮って、リョウが言葉を発する。
ファセリアが驚いて視線を向けると、リョウの真剣な眼差しにぶつかった。
「リョウ様、お気持ちは有難いのですが、こんな危険なことにあなたを巻き込むわけにはいきません」
「リョウ1人じゃ頼りない? ちょうどここに精霊使いと馬鹿力の戦士もいるんだけど?」
自慢げに言い放ったリリーの表情は楽しそうに笑っている。
「よく言った、魔術師殿。それでこそ男だ」
ディーンはリョウの漢気を讃えるように、自らの左胸を拳で2度、叩いた。
「しかし、皆さん」
「心配するな。俺たちは強い。頼もしい癒し手もいるしな」
躊躇しているファセリアに向かって、ディーンは不敵な笑みを向け、力こぶを作って見せた。
上腕二頭筋と大胸筋がぴくぴくと動く。
「……ありがとうございます。それではご同行お願いします」
ファセリアはディーンたち一人ひとりの目を見ながら、儚げに微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
月の神殿の東、川を渡り丘陵地帯を抜けた所に広がる森の中に、打ち捨てられた古い集落があった。
そこには月の女神の眷属である土着の神を祀った社が残されており、放っておくとゴブリンやオーク、野盗や山賊が棲みついてしまうため、神殿で定期的に管理を行っていたのだという。
今回もジークという侍祭がポルケ神官を伴い社を訪れたところ、大型の獣に襲われたということらしい。
若い信者が馬を借りに行っている間に、リョウは懐から小さなコインのような魔道具を取り出し、それに向かって話し始めた。
「ニャミミ、ニャミミ、聞こえる? リョウです」
『ニャミミだにゃん! リョウ、どうかしたかにゃ?』
しばらくすると、聞き慣れたふにゃふにゃ声がコインから聞こえてきた。
「緊急事態で、月の神殿の東の森に向かうことになった。そこの社で侍祭様が魔獣に襲われたらしくて、多分戦闘になる」
『東の森のお社……オッケーにゃん! すぐに追っかけるにゃ! リョウ、魔獣はヤバいやつがいっぱいいるにゃ。ナメちゃだめにゃよ?』
「わかった。複数いるかもしれないから、ニャミミも気をつけて」
『らにゃー!』
話を終えたリョウを、リリーが呆れたような目で見ている。
「また何か怪しい魔道具、作ったの?」
「便利でしょ? 僕のいた世界の技術の応用なんです。動力だけ付与魔術と紋章術で確保して、あとは振動を信号に変えて電波で……」
リョウは待ってましたとばかりにうんちくをぺらぺらと語りはじめた。
「よくわからんが、遠くの人間と話せるのか。便利な道具だな」
ディーンは感心したようにまじまじとその魔道具を観察している。
「道具のある場所もわかるんですよ。今度ディーンさんにもあげますね……あっ! ファセリアさんもおひとつ、い、いかがですか!?」
「緊急のご連絡は、神殿の方へ頂ければ……」
にっこり笑ってやんわりと拒否する。ファセリアはとても情報危機管理がしっかりしていた。
「……また危なそうな物作って……あんまり他人の前で大っぴらに使わないでよ、それ。どこぞの軍事国家にでも知られたら、攫われるわよアンタ」
リリーが白い目でリョウを見ながら釘を刺す。
「大袈裟ですよお」
「認識が甘い!! 見なさいよ、そこの脳筋だって物騒な事考えてるわよ、今まさに!」
「……諜報活動に作戦の共有、情報交換に情報収集……戦の形が変わるぞ。ううむ、夢が広がるな」
リリーに指差された戦闘民族ディーンは、脳内物質を分泌させながら、爛々と目を輝かせていた。
「……身内でこっそり使うだけにしておきましょうね、うん」
「是非、そうして」
ようやく危険性を認識したリョウに、リリーが怖い顔で言った。




