3.母の忠告
カーシャさんの背を見送り、カフェに戻ると使用済みの食器を片付ける。
本当ならカフェの営業時間だが、今日はもう誰も来ないだろうと戸締りを済ませ、住人専用の扉から鍛冶屋に続く廊下に出た。
階段を上り二階の住居スペースに戻った途端、どっと疲れが押し寄せた。
ふらふらとリビングへ向かい、ダイニングテーブルへ着くと愛用の椅子に座る。
一体なんだったのだろう。今日は。
三年間待ち続けた婚約者が帰ってきたのに、良い事が何一つなかった。
それどころか腹立たしい事の連続だった。
溜息を吐き、テーブルに突っ伏すと、母の生前の言葉が蘇った。
男の『待っていてくれ』ほど信用ならない言葉はない。
待つだけ無駄。
村を出て行った男の事など忘れた方がいいと――。
当時の私は母の頭ごなしの言葉に反感を抱き、トッドに限ってそんな事はないと言い返したが……。
本日、母の言葉が正しいものだったと立証されてしまった。
はぁ……。
天国のお母さん。
あの時はごめんなさい。
私が間違っていました!
男なんてみんな一緒ですね。
生涯私を愛すると言っていたトッドは、巨乳美女に心変わりしましたし。
所詮、言葉だけだと骨身に沁みました。
あぁーー! 私のバカバカ!
うぁーー! トッドのろくでなし!
あーーーーーーーーーーーーー。
あーーーーーーーーーーーーー。
己の愚かさに頭を抱え、その場でのた打ち回っていると、テーブルの端に肘を打ちつけた。
「イタッ!」
もう、今日は一体何なんだ!
星の巡り会わせが最悪の日なのか!?
フラれるわ! こきおろされるわ! 肘ぶつけるわ!
日々真面目に生きている私が何をしたっていうの!
この三年間、私が犯した罪なんて体重を二キロ増やしただけじゃない!
「んがぁ!!」
奇声と共に立ち上がり物置と言う名の貯蔵庫を開けると、そこには母が冒険者時代に自ら買い集めたものからマルマール様のお土産まで、世界各国の酒がずらりと並んでいた。
数ある中からアルコール度数が低く甘く飲みやすいものを取り出しテーブルに置くと、キッチンに行き朝に作った煮物を温め直し鍋ごとテーブルに運んだ。
一人では寂しいと母の愛用だったグラスに酒を注ぎ、向かい合わせの席に置くと自分のグラスにも酒を注ぎ、母のグラスと合わせた。
乾杯と言いたい所だが、乾杯するようなめでたい事が何もないので無言のまま口を付け、半分ほど飲み干したところでグラスを戻した。
酒豪だった母は毎晩酒を飲んでいた。
酒は幸せをくれる飲み物だから、嬉しい時は勿論、嫌な事や悲しい事があった時に飲むといい。忘れさせてはくれないが誤魔化してはくれるからと。
今年、二十歳となり成人の義を迎えたばかりの私に酒の効果がどれほどなのかは分からない。
けれど、母の楽しげな晩酌風景を思い出すだけで、自然と笑みが零れる。
一緒に飲めたら、楽しかっただろうな。
そんな事を思いながら母直伝の肉じゃがを口に運ぶと、目頭が熱くなった。
一人には広過ぎる四人掛けのテーブルが急に寂しく感じて……。
物心付いた頃には既にこのテーブルがリビングの中央にあり、母とマルマール様と私の三人でよく食事を取っていた。
マルマール様は現役の冒険者だったから毎日はいなかったけど、十日と空けずに来ていた。
まるで家族のような食卓は何時も暖かく、マルマール様が旅の途中で捕った魔獣の肉で賑わっていた。
たった一つ空いた席には、いずれトッドが座るものだと思っていたが、席に一度も座る事がないままにトッドは冒険の旅に出て行った。
初めから三人だけの食卓。減った訳ではないから寂しくはなかった。
けれど、二年前に母が他界し、打ちひしがれている私に暫くの間寄り添ってくれたマルマール様も使命が出来たと旅に出てしまった。
最初の一年は一ヶ月に一度は帰って来てくれたが、二年目には三ヶ月に一度となり、今年はまだ一度も戻って来てはいない。
冒険の旅が大変なのか、他に帰る場所ができたのか……。
マルマール様まで居なくなり、広々としたテーブルで一人食事を取るのは寂しかったけれど、何時の日かトッドが空いた席を埋めてくれると信じていたからこそ平気でいられた。
けれど……。
もうその日は来ないのだ。
そう思うと涙が溢れた。
悲しいのか、腹立たしいのか。
悔しいのか、情けないのか。
正直、自分の感情が分からない。
止め処なく流れる涙を止めようと、グラスに残った酒を一気に煽るが、涙は止まるどころか量を増やした。
涙を袖で拭い、鼻を啜りながら愚痴る。
「トッドの嘘吐き」
聞き手もなく慰めの言葉も無い。
広いテーブルで一人愚痴りながら、甘口の酒を一口。また一口と飲み続けた。
昨日、更新できなかったので二話分更新です。