第9話 甚介
「側に置いてくれとは、おれの臣下になるということか?」
利三は、新吾を見据えたまま言った。
「左様です。お願い致します。」
新吾は、地に両手をついたまま、まっすぐに利三を見つめ返す。
「お前は、自分の出自を考えていない。おれにとっては主筋にあたる道三公の息子であるお前が、おれの臣下になるのは間違っている。感情に任せて、かようなことは言うな。おれがどの家にも属していない浪人ならばよいが。おれは、義龍を見限っているとはいえ、道三公より始まる斎藤家の家臣なのだ。」
新吾は、ちょっと考えて、
「では・・・弟子ということでは?剣術の弟子というのは、いかがですか?」
と言った。
「・・ははは。言葉では、どうとでも言い繕えるな。」
利三は、新吾のこういう思考の切り換えに若者ならではの柔軟さとおかしみを感じた。
(面白い奴だな。)
利三は、この厩での対面から、新吾が将来ものになる男と思ったし、その男ぶりもよいところを気に入っていた。近くに置いて育てたいとも思った。
「わかった。共に行こう。だが、道三公の息子だからとて、甘やかさんぞ。」
「もちろんです。いいように引き回してください。」
新吾は、まだところどころ腫れている顔に、満面の笑みを浮かべると端座して深く一礼した。
その後、利三は、新吾に井戸の水で身体についた血や土を落とさせ、自分の居室で少し休ませた後、共に庄左衛門の居室を訪った。新吾を濡れ縁に待たせ、利三は障子を開け、入った。
利三は、庄左衛門に新吾の素性と刺客にされた理由を説明し、自分の手に引き取らせてほしいことを願った。
庄左衛門は、唖然とした。
「あの者、道三公の縁者でも遠縁の端くれかと思っておりましたが、ご子息でしたか。まさか、刺客に道三公のお子が混じっておられるとは思いもよりませんでした。」
「会っていただきたい。今、待たせています。おい、入れ。」
障子越しに呼ばれた新吾が入ってくる。庄左衛門は、すぐさま下座へ動き、新吾を上座へ座らせようとした。
「待ってくだされ、庄左殿。それがしは、こちらの利三殿の弟子になった斎藤新吾と申す一介の武士です。師が上座に座らず庄左殿と対等の立場で座っておるのに、おれが上座に座るなどできません。」
庄左衛門は、平伏した。
「今朝方は、道三公の御曹司とも知らず、大変失礼なことを致し、腹を切りてお詫びするよりほか、ありません。」
「あんなものは、かすり傷です。それに、師の盟友である庄左殿が腹を切れば、師は悲しむ。師を悲しませるもとになったおれは、腹を切らねばならなくなる。やめてください。おれの方こそ、昨晩は貴殿の館に乱入し、仲間が暴れ、ご迷惑をおかけしました。お許しください。」
「庄左殿、お聞きの通りだ。もう気に病むのは、やめた方がいい。だれも悪くない。悪いのは、ただ一人、義龍よ。」
利三は、庄左衛門に温顔を向けた。
庄左衛門は、平伏していた身を起こし、
「かたじけのう存じます。」
と言うと、もとの位置に座り直した。
新吾は、利三と並んで座り、二人は庄左衛門と向かい合った。
「それで、先ほど利三殿よりうかがったのですが、新吾殿も義龍のもとを離れられる由。利三殿と共にこの館へご逗留いただけるのですか?」
これには、利三が答える。
「昨晩、光秀殿も心配されていたが、義龍にこの居館におれがいることを知られてしまった。あちらが刺客を放つ事態になったのだ。こちらも雲隠れをさせてもらう。そこで、光秀殿の勧めを受け、米田城の肥田玄蕃殿のもとへ新吾と共に移ろうと思う。」
「それがよろしかろうと存じます。ここは、やはり平地ゆえ、いくら土塁を高く、壕を深くしておりましても、なかなか守りにくうございます。米田のお城は堅固でありますし、肥田殿ならば、信頼するに足るお方です。」
庄左衛門も光秀と同じように、肥田玄蕃という人物は信頼できるという。庄左衛門も肥田玄蕃について何か知っているようだ。利三は、新吾もいる手前、庄左衛門も話しにくかろうと思い、玄蕃について訊くのをやめた。
庄左衛門は、新吾も利三と共に行くことを報せるため、米田城へ早馬を出してくれた。
出立の用意をし、三年間の蟄居生活の礼を言うため、庄左衛門の居室をもう一度訪った。新吾も一緒だ。
「世話になった。これは、少しだが。」
利三は、銀判10枚と永楽通宝(※)数十枚が入った袋を庄左衛門の前に置いた。(※ 銅銭)
「これは、受け取れません。利三殿の他日のためにお使いください。」
「いや、日頃世話になったのは当然、昨晩は刺客まで来て迷惑をかけたからな。」
ちらっと新吾を見ると、新吾はうつむいて苦笑している。利三は、無理矢理、庄左衛門の手にそれらの金を握らせて、腕をとり、懐へねじ込んだ。
「さあ、行こうか。ああ、あと一つ礼をしなくてはならん。」
「誰にです?」
新吾が尋ねる。
「昨晩襲われたとき、米田城にいた庄左衛門殿のところへ急を報せてくれた小者だ。庄左衛門殿、その小者の名は?」
「甚介と申します。もとは、武士の家系だったのですが、数年前に家が落ちぶれて今は我が館で小者をしております。」
庄左衛門の話によると、甚介の家は、久々利という武家だった。久々利氏は、今も明智荘から辰巳の方角(南東)(現:岐阜県可児市久々利)に久々利悪五郎なる豪族が割拠しているが、甚介の家は、その一族だったという。だが、甚介の家は、今の悪五郎の数代前に明智氏の家臣になっていた。弘治2年(1556年)の義龍による明智攻めのときに甚介の父や兄は、光秀の叔父・明智光安と運命を共にした。屋敷も焼かれた。幼かった甚介は、母に連れられてこの川辺郷に流れてきて、庄左衛門に小者として拾われたのだ。その母は、数年前に病死しており、今16歳の甚介は天涯孤独だった。
「呼んでくださらんか。礼を言いたい。」
「小者にまで、そんなお気を遣うことはありません。利三殿。」
「いや、刺客が迫る中、その動きをいち早く察知し、米田城にあれほどの短時間で急を報せた。なまなかにできることではない。並の小者、いや並の武士でもできまい。一目見たい。」
庄左衛門は、家臣を呼んで、甚介を呼ばせた。甚介が濡れ縁の下に平伏した。地に額をこすりつけるほど低い姿勢である。
「甚介。昨夜の礼を言いたいのだ。そんな格好では、顔も見えず、ろくに話もできん。」
利三は、濡れ縁に座り、甚介の肩に手を掛けた。利三は、甚介の肩が異様に盛り上がっているのを感じた。これは、相当の遣い手かもしれないと思った。
甚介が面を上げた。面魂とは、こういう顔つきを言うのだろう。顔は浅黒く、土ぼこりなどで汚れているが、端正な顔立ちだ。眉は太く、眼に光彩がある。
そして、この男は、今朝、新吾を庄左衛門の命で打擲していた小者だ。新吾も、それに気づいているようだが、別に何とも思っていないようだった。新吾も、この小者が好きで打擲しているわけではないことを知っていたようだ。
利三は、
「甚介。昨晩は、お前のおかげもあって命を救われた。」
と、頭を下げた。
「もったいなきお言葉でございます。」
「しかし、なぜ、刺客の動きに気づき、あれほどの速さで米田城へ急を知らせることができた?」
「我ら小者は、離れ家で共に起居しております。私は、いつも異変に気づけるようにこの離れ家の中の土塁に最も近い場所で寝るようにしています。昨晩も、そのようにしておりましたら、壕を越える音、土塁を登ってくる数人の足音が聞こえたのです。これは、曲者に違いないと思いました。」
「驚くほどの速さで米田城まで行けたのは?」
「私は、日頃からこの館とこの辺りの城とをつなぐ道の間道を調べています。米田のお城までは、その間道を通りました。」
16歳とは思えないほど、はっきりと答える。利三は、この小者を手もとに置きたいという衝動に駆られた。機転が利くだけではない、非常のときのために何をしておけばよいかという最善策を用意するという心構えもできている。
庄左衛門に甚介をほしいと言おうとふり向いたが、言い出せなかった。三年も世話になった上に小者までほしいと言うのは、厚かましく感じられた。
だが、庄左衛門は、そんな利三の表情から察したようだ。
「利三殿、この甚介、利三殿のもとで一端の男にしてやってくださらんか。もとは武士の家に生まれた男。小者などにしておくのは、あまりにもったいない。」
庄左衛門も、甚介の才に気づいていたのだ。
「甚介、どうじゃ。利三殿のもとで、その才を生かしては。」
「私のような者が、斎藤様のもとで働かせていただけること、身に余ることでございます。よろこんでお受け致します。」
「かたじけない、庄左衛門殿。甚介、よろしく頼むぞ。新吾、甚介に負けぬよう、お主も励めよ。」
土井庄左衛門の館をあとにした利三は、新吾、甚介と共に米田城へ向かった。遠くに見える米田山は新緑に包まれている。利三は、この川辺郷へ来てから見た米田山の新緑の中で、今年のものが一番美しいと感じた。