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湖水の夢 ー斎藤利三伝ー  作者: 青木
第1章 盟友
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第10話 岩魚

口の大きな男だ。男は、焼かれた川魚を手づかみにして頭からかぶりついている。口を閉じて食べてはいるが、骨を咀嚼(そしゃく)する音が、対座している利三のところまで聞こえてきた。


 この田舎豪族を()()いたような男が、肥田(ひだ)玄蕃允(げんばのじょう)忠政(ただまさ)である。玄蕃(げんば)骨柄(こつがら)は、がっしりしており、性格も豪気な感じが伝わってくる。


 米田(よねだ)城内表書院(おもてしょいん)で、利三と斎藤新吾は、明智光秀を仲介役として、この男と挨拶をかわした。太陽は中天を過ぎていたので、昼餉(ひるげ)馳走(ちそう)されることになり、奥書院(おくしょいん)で川魚をふるまわれたのだ。麦飯(むぎめし)と汁物もあり、(こう)の物も()えてある。利三、新吾、光秀、玄蕃が車座(くるまざ)になって食している。甚介は、士分ではなく小者なので控えの間で食べている。


 玄蕃は、川魚を一気に平らげるとその大きな口を開けた。

「この魚は、岩魚(いわな)と申す。飛騨川で()れたものだが、この川辺郷(かわべごう)で獲れたものではござらん。ここから数里(すうり)川上(かわかみ)上麻生(かみあそう)(現:岐阜県加茂郡七宗町)という地でとれたもの。岩魚は、同じ飛騨川でも、川辺郷を通るときのような穏やかな流れの所には()まず、上麻生を通るときのような激しい流れの所に棲む魚でござる。」


 光秀は、普段は礼儀正しい男であることは、その所作(しょさ)によって分かっているが、ここは玄蕃に合わせて手づかみで岩魚の頭にかぶりついた。

「利三は、岩魚は初めてか?身がしまってうまいぞ。」


「魚は、日干しにしたものはよく食べますが、焼き魚はたまにしか食べません。そして、この岩魚というのは初めてです。」

 利三も岩魚を手に取り、かぶりついた。日干しした魚とは比べものにならない美味だ。つい、声も出てしまうほどだった。

「おお、うまい。」


 玄蕃が新吾の方を見て、

「新吾殿は、道三公の御曹司(おんぞうし)らしく(はし)を使っておるが、身と骨を()けておっては日が暮れますぞ。」

とからかうように言った。


「なかなか別けにくいですな。この岩魚とやらは。」


「新吾殿は、長良川の鮎に慣れてしまっておるのではないかな。鮎は箸できれいに別けられるが、岩魚は、なかなかそうはいかん。さあ、一息に。」

 玄蕃は、新吾に促すように、自分の器の上のもう一匹の岩魚を頭からいった。


 新吾も結局、箸を置いて、手で食べた。

「・・・いやあ、鮎とは違う旨味(うまみ)がありますな。」


 玄蕃は新吾に微笑を向けた後、真顔になり、三人を見渡した。

「左様。この身のしまりから来る旨味のように、岩魚には、岩魚のよさがある。鮎のように安全な流れの中を優雅に泳ぐ魚ではなく、激しい流れの中を泳ぐがゆえ、身を引きしめ、その中を生き抜く(すべ)を知っている魚だ。」


 三人は、玄蕃の語ることに耳をそばだてた。


「ただ、岩魚は、激しい流れに闇雲(やみくも)(あらが)いながら泳いでいるわけではない。そんなことをしていれば、すぐに疲れて押し流される。ゆえに、流れと流れがぶつかって勢いが相殺(そうさい)される所や大きな岩の陰など、激流の中に活路を見いだす。この今の世の生き抜き方も同じだ。」


「つまり、この乱世という激流の中に活路を見いだせた者が生き抜くことができる、と。」

 新吾が玄蕃をまっすぐに見つめながら言った。


「左様。今の有り(さま)に満足し、ただ日を送っていては、必ず流れに飲まれ、埋没しようぞ。次の世を生み出す勢いにいち早く乗る。そうしてこそ、活路を見いだせる。」


「次の世を生み出す勢いとは?肥田殿は、どう見ておられるのです?」

 利三は、肥田玄蕃が見ている「勢い」に関心をもった。


「玄蕃殿は、それを尾張の織田信長に見いだしている。」

 光秀が言った。光秀は、かなり前から玄蕃と、信長の「勢い」について論じ合い、信長に()くことが、この美濃の小領主の生きる道であるという結論に玄蕃を至らせていたのだろう。


玄蕃は、(うなず)き、続けた。

「今の国主・義龍殿のやり方では、いずれ美濃は立ちゆかなくなる。義龍殿は、自らを先の守護・土岐頼芸(ときよりのり)殿の御子(おこ)と称して、道三公が築き上げた美濃の(まつりごと)を、何もかも土岐殿が守護であった頃に戻された。気に入らぬ者、道三公に与した者には容赦(ようしゃ)せぬようじゃし。この光秀殿のお家は潰された。利三殿も命を狙われたとか。」


 利三は、光秀の方を見た。光秀の顔にやや暗い影が差した。


「これでは、いつか戦備(いくさぞな)えの面、銭の面、人の和の面、どれをとっても尾張の信長殿に抜かれ、美濃は信長殿に()まれる。道三公のご遺言状の通り、美濃は信長殿のものになるだろう。それゆえ、わしは、表向きは義龍殿に附いてはおるが、信長殿に通ずることにし、既に織田家中と書状をやりとりしておる。この光秀殿を介してな。」


「光秀殿は、織田とつながりをもち、動いておられるのか。」

 利三は、このことは知らなかった。光秀が頷く。


「おれが、この玄蕃殿の城が安全と言ったのは、そういうわけだ。玄蕃殿の心は、もう義龍などにはなく、信長殿に寄せられておる。」

 光秀は、これまで利三と話すとき、信長のことを「信長」と呼んできたが、今、それに「殿」をつけるようになった。利三は、光秀が織田信長のために働いていることを、自分に明確に伝えるために、このような呼び方に変えたのだと思った。


 不意に、光秀は、声を張り、利三を凝視して言った。

「利三。この玄蕃殿のように美濃の心ある者たちは、信長殿へ希望をもち始めている。お主も、その一人として加わってもらえんか。道三公の目指された世は、信長殿によって実現させられると思っている。昨夜、感じたのだ。お主は、そのために必要な男とな。頼む。」


(これも、光秀殿が、道三公が夢見た世を創り上げるためなのだ。昨夜、心ゆくまで語り合い、心惹かれた光秀殿が目指す世。そのためなら自分の命を賭けられる。)

 利三は、光秀から話を聴いた、道三の目指した世の中にも共感していたが、それ以上に、その夢に邁進する明智光秀という男に惚れ込んでいる自分に気づいた。


 利三は、光秀にほほえみを向け、口を開いた。

「わかりました。光秀殿は、おれを少々買いかぶっているが、おれも混ぜてもらいますよ。」


「ありがたい、利三。何かと頼りにしたい。」

 光秀は、頭を下げた。


 光秀に頭を下げられると、利三は、気恥ずかしくなった。

「やめてください。かしこまるのは。いつもの調子でいきましょう。」


 と、利三の隣で新吾が声を上げた。

「おれも、入れてください!師の利三殿がそのご決心であるなら、おれも同じです。おれも、義龍に命を狙われている身。義龍は、もう兄とは思っておりません。これからは、まだ会ったことはないですが、義兄の信長殿を兄と思いたいと思っています。」

 道三の娘で信長の正室・帰蝶(きちょう)は、新吾にとっては実の姉にあたるので、信長は義兄ということになる。


 光秀の白皙(はくせき)の顔は、気持ちが(たか)ぶっているのか、血色がよい。

「その心意気、うれしいぞ。道三公の子であるお前が加わってくれること、心強い。」

 新吾は、目を輝かせながら、頷いた。希望に満ちた目をしている。利三は、新吾を連れてきてよかったと思った。


 玄蕃が口を開いた。

「話は、まとまったな。今日は、我らの新しい門出となる()い日だ。昼餉の後は、酒宴にしよう。今日は、うまい酒が呑めそうだ。ああ、光秀殿の分は、薄めさせておく。ははは。」


「薄めてもらっても少ししか呑みませんぞ。おれは、酒より岩魚をもっと食べたい。」


「いいぞ。岩魚も準備させよう。」


「あの・・・先ほどより気にかかっておりましたが。」

 新吾が心配そうに口を開いた。その声は、かなりひそめたものだった。

「ここは奥書院とは言え、今の話が義龍の放った手の者がもし入り込んでおり、盗み()かれていたら一大事ですぞ。」


「新吾殿、心配は要らん。わしの腹心の者を10人ほど、この奥書院の周りに置いて番をさせている。」


「あ、さすがの心配りですな。」


「はは。新吾殿は、やはり長良川の近くで育ったせいか、鮎に似ておるな。鮎は、自分の縄張りを気にしすぎる。それで、縄張りに入った他の鮎を攻撃しおる。その(さが)を利用され、人に罠をしかけられて釣られてしまうものもいる。どっしりと構えていることも、ひとかどの武士には必要ですぞ。」


「はい。よいことを学びました。」

 新吾は頭を()いた。


 玄蕃が小者を呼び、勝手元(かってもと)(※)へ酒宴の用意をするように知らせに行かせた。(※ 調理場)

 小者が勝手元へ小走りで去る音、玄蕃が雑談を始めた声などが聞こえた。だが、利三は、それらの音が遠くで聞こえているような感じだった。光秀に惚れ込んでいる自分に気づいたこと、光秀に「必要な男」と言われたこと、それらによって、まだ心の中の高揚感が続いていたのである。

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