其の十八 何か史実によるとシュッとしたイケメンだったらしい、「石田三成」公の小話
本日の小話の主人公は豊臣秀吉に仕えあの有名な天下分け目の「関ヶ原の戦い」に於いて、西軍の総大将として采配を執った戦国武将「石田三成」公についての小話です。私が思うに、そもそもの話、「石田三成」公と言う武将は実戦の戦で功をなすような武将のタイプでは無く、勉学がとても秀でてるイメージが有るので、今でいう「政治家の官僚などの超キャリアな男」のイメージが私には有ります。よって、大和の国を二分した西軍の総大将などと言う役目は鼻っから性に合って居なかった、(俺的に言って完全なキャスティングミス)によりもともと西軍の各大名・各武将たちを纏めるだけの武将としての魅力やカリスマ性に少し欠けていた気は致します。なので、結局、西軍になった各大名・各武将たちは戦国時代で一番重要な戦で負けてしまったのです。俺の大好きな「上杉景勝」公も豊臣秀吉政権での最重要の役職である「五大老」の一人として、戦で負けた責任を取らされ自国の領土や資産価値を四分の一に減らされると言う余りにも厳し過ぎる咎を受けてしまいましたが、でも俺はそれでも、だいぶましだったなぁと思いました。だって、最悪の場合、「徳川家康」がもし本気で「上杉家」を滅亡させてしまおうとしたなら、恐らく出来たと思います。ですが、「一般市民の意見」として、戦国の時代の名門中の名門である、「上杉家」は「大和の国の多くの民の大多数の意見として」上杉家は滅亡などさせずに、後世までずっとずっとネバーチェンジで行くべきだと言う意見が大多数だった為に家康としても自身の求心力の低下の方が、宿敵の「上杉景勝」公を生き残らせる事より家康としてはたえられなかったんだと思います。
結局、家康は戦を首謀した張本人として、「石田三成」公を斬首して責任の全てを取らせたのでした。