第四話 雑草の値段
翌朝、俺は日の出とともに目を覚ました。
窓の外はまだ薄暗い。
村が動き始めるには、少し早い時間だった。
「……よし」
顔を洗い、机の上に置いていた帳簿を開く。
昨日のうちにまとめた薬草の一覧。
採取できる場所。
加工方法。
必要な道具。
そして、売値の予想。
どれも、まだ仮の数字にすぎない。
実際に商人へ見せてみなければ、本当に売れるかどうかは分からなかった。
「まずは、商品として使えるかどうかだな」
俺は帳簿を閉じ、家を出た。
◇
「おはようございます」
「……早いねえ」
マーレの家を訪ねると、彼女は驚いた顔で迎えてくれた。
「昨日の薬草、準備できていますか?」
「ええ。頼まれた分だけなら」
案内された作業台の上には、小さな布袋が三つ並んでいた。
一つ目には、乾燥させた薬草。
二つ目には、傷薬に使うために細かく刻んだ薬草。
三つ目には、マーレが普段使っているという塗り薬が入っていた。
「こんなに早く作ってくれたんですね」
「いつも作っているものだからね。特別なことはしていないよ」
「それでも助かります」
俺はそれぞれの袋を確認した。
乾燥した薬草は、葉の色も比較的きれいに残っている。
刻んだものも、異物が混ざらないよう丁寧に選別されていた。
そして、塗り薬。
俺は少量を指先に取り、香りを確かめた。
「これ、どれくらい前から作っているんですか?」
「私が子どもの頃には、もう作っていたね。母から教わったんだよ」
「作り方を知っている人は、ほかにも?」
「何人かは知っていると思うけど、今も作っているのは私くらいじゃないかねえ」
俺は思わず顔を上げた。
「……それ、すごく大事なことですよ」
「え?」
「いえ。何でもありません」
危ない。
思わず商売人の顔になってしまった。
薬草そのものだけでなく、それを加工する技術も、この村にある資源なのだ。
ただし、技術があることと、商品として売れることは別の話だ。
まずは確かめなければならない。
「マーレさん。これを少し、町の商人に見せたいんです」
「町まで持っていくのかい?」
「ええ。品質や値段について、意見を聞いてみようと思っています」
「売れるといいねえ」
「そうですね」
俺は布袋を大切にしまった。
そのとき、家の戸口から声がした。
「……私も行く」
振り返ると、リーゼが立っていた。
「リーゼ?」
「町に行くんでしょ?」
「いや、まだ町へ行くとは決めてないぞ。まずは近くまで来る商人がいないか調べるつもりだ」
「じゃあ、商人が来る場所まで行けばいいじゃない」
「……どこにあるか知ってるのか?」
「村の外れに、昔、商人が荷馬車を止めていた場所があるよ。今はほとんど使われてないけど」
それは初耳だった。
「どうして昨日、教えてくれなかったんだ?」
「聞かれなかったから」
「なるほど……」
返す言葉がない。
リーゼは腕を組んだ。
「それに、あんた一人じゃ何もできないでしょ。剣も魔法も使えないんだから」
「……否定できないな」
「なら、私がついていく」
彼女は少しだけ目をそらした。
「道くらいは知ってるから」
俺は笑った。
「助かるよ。ありがとう」
「べ、別にお礼を言われるようなことじゃないから!」
リーゼは顔を赤くして、そっぽを向いた。
どうやら、素直にお礼を言われるのは苦手らしい。
◇
村の外れには、確かに少し開けた場所があった。
地面には車輪の跡らしきものが残り、道の脇には、かつて荷物を置いていたと思われる石台がある。
「ここに商人が来ていたのか?」
「昔はね。おじいちゃんが子どもの頃は、月に何度か来ていたらしいよ」
「今は?」
「ほとんど来ない。来ても、村のものを買うことは少ないって」
俺は周囲を見渡した。
ここなら荷馬車を止められる。
道幅も十分だ。
村の中まで入る必要もない。
商人が立ち寄る場所としては悪くない。
問題は、商人がわざわざ立ち寄る理由がないことだ。
「……商品を見せるだけじゃ、駄目か」
「何か言った?」
「いや。こっちの話」
俺は荷物を地面に置き、薬草の袋を取り出した。
しばらく待ってみたが、誰も来ない。
当然だ。
商人が来る予定など、どこにもないのだから。
「ねえ。いつまで待つの?」
「……もう少し」
「本当に来るの?」
「来ないかもしれない」
「じゃあ、なんで待ってるのよ!」
「来る可能性がゼロじゃないから」
「それ、ほとんどゼロってことじゃない!」
リーゼの言うとおりだった。
俺は小さく息を吐いた。
待っているだけでは、何も変わらない。
商人が来ないなら、こちらから商人を探しに行くべきだ。
しかし、護衛を雇う金もなければ、町まで三日かかる。
今の俺には、それが難しい。
「……仕方ない。別の方法を考えるか」
そのときだった。
遠くから、車輪の音が聞こえてきた。
ガラガラ、という音。
顔を上げる。
道の向こうから、一台の荷馬車が近づいてきていた。
「……え?」
リーゼが目を見開いた。
荷馬車には、いくつもの木箱が積まれている。
手綱を握る男は、こちらを見ると不思議そうに眉をひそめた。
「おや。こんなところで何をしているんだ?」
俺は立ち上がった。
そして、できるだけ自然な笑顔を作った。
「お待ちしていました」
「……は?」
男は、明らかに困惑していた。
◇
男の名前は、トーマス。
近隣の町を中心に、日用品や食料を売り歩いている商人だった。
「新しい領主様ねえ……」
トーマスは、俺の身分証明書を確認すると、少し考え込んだ。
「この村には、もう何年もまともに立ち寄っていないんだがな」
「そうなんですか?」
「売れるものが少ないうえに、買い手も少ない。わざわざ立ち寄る理由がなかったんだよ」
やはり、そうか。
商人が来なくなった理由は、単純に村に価値がないからではない。
商売として成立しなかったのだ。
俺は薬草の袋を取り出した。
「実は、こちらを見ていただきたいんです」
「薬草?」
「はい。村で採れるものです。こちらは乾燥させたもの。そして、こちらは傷薬に使うために加工したものです」
トーマスは袋を受け取り、中身を確認した。
葉を指先でつまみ、香りを嗅ぐ。
しばらく黙っていたが、やがて首を横に振った。
「悪くはない。だが、これだけじゃ何とも言えんな」
「品質が分からない、ということですか?」
「そうだ。どんな薬草なのか、どんな効能があるのか。保証もないものを、俺が買い取るわけにはいかない」
予想していた答えだった。
俺はうなずいた。
「おっしゃるとおりです」
「……ほう?」
「では、逆にお聞きします。どうすれば、買い取っていただけますか?」
トーマスは少しだけ目を細めた。
「まずは、薬師に確認してもらうことだな。薬として使えると分かれば、話は変わる」
「薬師に見せるには、どうすれば?」
「町に行けば何人かいる。だが、鑑定には金がかかるぞ」
「いくらくらいですか?」
「簡単な確認なら、銀貨一枚といったところか」
銀貨一枚。
今の俺にとっては、決して小さくない金額だ。
それでも、薬草が商品になるかどうかを確かめられるなら、必要な投資かもしれない。
「分かりました。検討します」
俺が答えると、トーマスは少し意外そうな顔をした。
「無理に売り込んでこないんだな」
「売れないものを、無理に売るつもりはありませんから」
「……なるほど」
トーマスは薬草を返した。
「ただし、ひとつ忠告しておく」
「何でしょう?」
「薬草が売れたとしても、それだけで村が豊かになるとは思わないことだ」
俺は黙って聞いた。
「同じ薬草を採る村は、ほかにもある。品質も値段も分からない商品を、いつまでも買ってくれる商人はいない。商売を続けるなら、安定して同じ品質のものを用意できることが大切だ」
その言葉は、思っていた以上に胸に響いた。
売れるかどうかだけを考えていた。
だが、本当に大事なのは、売れたあとも商売を続けられるかどうかだ。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃないさ」
トーマスは荷馬車に乗り直した。
そして、出発する前にこう言った。
「薬師に確認して、使えると分かったら知らせてくれ。品質が安定しているなら、少量から取引を考えてもいい」
「本当ですか?」
「まだ買うと決めたわけじゃないぞ」
「それでも十分です」
俺は頭を下げた。
荷馬車が走り去っていく。
その後ろ姿を、リーゼと二人で見送った。
「……結局、売れなかったね」
「ああ」
「失敗?」
「いや」
俺は首を横に振った。
「何をすれば売れるのか、少し分かった」
薬師による鑑定。
品質の確認。
安定した供給。
越えなければならない課題は、いくつもある。
それでも、道は見えた。
ただの雑草だと思われていた薬草に、商売の可能性がある。
それを確かめる方法も分かった。
「……まずは、銀貨一枚を用意しないとな」
俺は財布の中身を思い出し、頭を抱えた。
領主になって数日。
俺の所持金は、驚くほど心もとない。
「ねえ、カイル」
「ん?」
「本当に、この村を変えられると思ってるの?」
リーゼが尋ねた。
俺は少し考えた。
「まだ分からない」
「……え?」
「変えられるかどうかは、やってみないと分からない。でも、何もせずに諦めるつもりはないよ」
リーゼは、何も言わなかった。
ただ、俺の持っている薬草の袋を見つめていた。
◇
その日の夜。
俺は帳簿に、新しい項目を書き加えた。
薬草の鑑定費用――銀貨一枚。
今の領地の財政から考えれば、簡単に出せる金額ではない。
けれど、ここで諦めれば、薬草が本当に売れるのか分からないままだ。
俺は机の引き出しを開けた。
そこには、父から譲り受けた古い商売道具が入っていた。
小さな天秤。
使い込まれた帳簿。
そして、父が商売の心得を書き留めていた一冊の手帳。
ページをめくる。
そこには、見慣れた文字で、こんな言葉が書かれていた。
『商売は、物を売ることではない』
『相手が何を必要としているのかを知り、それを届けることだ』
俺は、その一文を何度も読み返した。
「……そうだよな、父さん」
薬草を売りたいのは、俺の都合だ。
村に金が必要だからといって、相手が必要としていないものを買ってくれるわけではない。
ならば、まずは相手が必要としているものを知ることから始めよう。
薬草が売れなければ、別のものを探せばいい。
この村にあるものを、ひとつずつ調べていけばいい。
俺は手帳を閉じた。
明日、もう一度マーレのところへ行こう。
薬草の品質を確かめる方法を考え、必要な費用をどう工面するか相談する。
そして、村の中にほかの商品になりそうなものがないか、探してみよう。
道端の薬草は、まだ銀貨一枚にもなっていない。
それでも。
俺にとっては、初めて見つけた商売の入り口だった。
人口三十七人。
領地の収支は赤字。
金も、人手も、信用も足りない。
前途多難なのは間違いない。
だが、少なくとも昨日よりは、ほんの少しだけ前に進んでいた。
そして俺は、まだ知らなかった。
この村で最初に売れる商品が、薬草だけではないことを。




