表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『人類を裏切った少年、魔族の総帥に拾われる』 ~国を毒殺して処刑されるはずが、深淵の力で魔界の英雄(?)に成り上がるようです~  作者: M—mao
公都・剣閣編 ~宴と誓いの章~

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

107/107

第49話 二度目の雪を、知らない

部屋の中は、いっそ恐ろしいほど静かだった。


淡い青の投影試験紙が、机の上に浮かんでいる。ルーシーの目が、ひとつひとつの答案を辿っていた。

エドはベッドの縁に腰を下ろし、ちらりと机を盗み見る。ルーシーは黙ったまま、眉を寄せている。


「エド」

「は、はいっ」

「あなた……もしかして、字、ちゃんと読めてない?」


エドの肩が、目に見えて縮こまった。


「……うん。まだ、知らないのが、結構ある」

「お城の自習プログラムは?」

「前はやってた。でも最近は修行と、晩餐会の準備で……その、あんまり」


ルーシーが、額に手を当てた。


「課外で何か学ぶのは、止めはしないわ。でも、基礎はちゃんと固めて」

「うっ……は、はい」

「ただ――方法がないわけでもないの」

「方法?」


ルーシーが小さく笑い、間違えた箇所を抜き出していく。常用語、語尾の変化。一つ一つ。


「今日からは、毎日二十組。暗記して、書き出して」

「二十……っ、けっこう多い……」

「多くないわ。ほら」


エドは渋々、投影を読み上げた。一度、二度。唇の中で転がすように。

それから空白の投影に向き直り――手を走らせる。

二十組を、ほぼ一字違わず、書き出していた。


「……あれ、できた」


自分でも、少し驚いたような顔をする。

ルーシーが、わずかに目を見開いた。


「……案外、できるじゃない」

「えへへ」

「修正。毎日、百組」

「ひゃ……っ、ひゃく!?」


持ち上がりかけた口角が、凍りついた。


「む、無理だよそんな、いっぺんに……!」

「あなたなら、できるわ」


ルーシーは微笑んでいる。優しく、穏やかに。


「……っ、…………はい」


がっくりと、肩が落ちた。

その様子を見て、ルーシーがふっと笑う。


夜が更けた頃、エドが果実茶を持って戻ると、机の投影は単語と文法記号で埋まっていた。


「この時間で、ここまで……」


エドが、照れ臭そうに頭を掻く。ふと、隣の試験紙――魔導公式に目をやって、唇を尖らせた。


「……ねえ、ルーシー姉さん。これ、僕がやる意味あるの?」

「意味?」

「だって、僕たち男は、魔法を使えないんだよ。術式の組み方なんて覚えたって、一生使う日が来ないのに」


口を尖らせたまま、エドは公式の羅列を睨んだ。


「数学とか文字は分かるよ。でも、これだけは……正直、何のために覚えるのか、ずっと分かんなくて」


ルーシーは、すぐには答えなかった。

果実茶をひと口含み、それから、ゆっくりと言った。


「……エド。連邦の外には、魔法を学べる人がほとんどいないの」

「え?」

「魔導の理論を、きちんと理解している人間。それ自体が、外ではとても貴重なのよ。たとえ自分で魔法を使えなくても――回路を読めて、機器を直せて、エネルギーの流れを説明できる」


ルーシーが、エドを見た。


「そういう人は、よそへ行けば引っ張りだこよ。食べるのにもまず困らない。むしろ、いい暮らしができるわ」


尖らせていたエドの口元が、ゆっくりと緩んでいった。


「……それって」

「ええ」

「……魔法が使えなくても、これがあれば、外で食べていける、ってこと……?」


ルーシーは、ただ微笑んだ。

エドは手元の公式に、もう一度目を落とした。

さっきまで、ただの記号の羅列だったもの。


(……セリーヌ様は、そこまで)


エドは、しばらく動かなかった。

それから、ペンを握り直す。


「……もう一回、この公式、教えて」


ルーシーの目が、ふっと和らいだ。





寮の発着場まで送ると、浮遊車が静かに停まっていた。

ルーシーが、扉の前で振り返る。


「明日の午後、公都を一緒に歩かない?」

「……やめておく。この前、あんな事があったばかりだし」


ルーシーは、すぐには何も言わなかった。


「……そう」


小さく、息を吐く。それから手を伸ばし、エドの頭をぽん、と叩いた。


「じゃあ、明日もお城に行くわ」


浮遊車が浮き上がる。淡い光の尾が、夜に溶けていく。

エドは、その場に立ち尽くしたまま見送っていた。完全に、見えなくなるまで。


頬に貼り付いていた微笑が――ようやく、剥がれ落ちた。


垂らした両手が、きつく握り込まれていく。





それから数日。

ルーシーは午後になると、シルウィード城へ顔を出すようになった。

試験紙を見たり、第三班の少女たちと製菓部の部屋で、甘いものを作ったり。


その日も、部屋にいた。

果実を切り終えたルーシーが、ふと、ネフリを見た。


「ちょっと、外に出てくれる?」


回廊に出ると、部屋の笑い声が薄く届く。ルーシーは、窓辺で足を止めた。


「エド、最近どう?」

「前より、だいぶ落ち着いてる。文字も語法も、伸びるのが早い。クラスの連中も、もう馬鹿にしない」

「よく、見てるのね」


ネフリの耳の先が、ぴくりと動いた。


「……たまたま、目に入っただけ」

「あなたから見て、エドって、どんな子?」


ネフリの動きが、止まる。視線が、窓の外へ逃げた。


「……前にも、言ったと思う」


ルーシーが、僅かに眉を上げた。それから――柔らかく、笑った。


部屋に戻ると、ケーキは飾り終わっていた。

ふんわりした生地に、白いクリーム、色鮮やかな果実。

ルーシーがそれを眺めて、ふと訊いた。


「エド。ケーキって、普通いつ食べるか知ってる?」

「お腹が空いた時?」


レーナが、堪えきれずに吹き出す。


「誕生日とか、お祝いの時に食べるのよ。――あなた、自分のお誕生日は?」


エドが、しばし黙った。


「……知らない」


ケーキを見つめたまま、声が低くなる。


「村にいた頃。タリア姉さんと師匠が言ってた。二度目の雪が降る頃が、僕が生まれた時だ、って。その頃になると、二人は、美味しいものを買ってくれて。あとは、服を……」


エドの声が、続かなくなった。

部屋の笑い声も、いつしか消えている。


ルーシーが歩み寄り、そっと抱き寄せた。


「大丈夫よ。これからは、お祝いしてくれる人がいるから」


エドの身体が、僅かに震える。


「まだ冬じゃないけど。今日は皆で、ちょっと早めのお誕生日――お祝いさせて」


エドが、顔を上げた。ルーシーを見て、それから、第三班の少女たちを見回す。


「……いいの?」

「あんたねぇ」


レーナが眉を寄せ、グラスをぐいと持ち上げた。


「水臭いこと、言いっこなしよ。今日はエドの誕生日会!」


少女たちも、次々とグラスを掲げる。


「乾杯!」


グラスがぶつかり合う。

ケーキを切り分け、果実を摘み、笑い声が部屋を満たした。


他愛のないゲームが始まり、何度目かの罰ゲームで――エドが、負けた。

レーナがにやりと笑い、指先にクリームをつける。


「ちょっ、待っ――」


ぺたり、と。エドの頬に、白いクリームがついた。


部屋が、一瞬、静まる。

エドが、頬のクリームに触れた。指先に残った白を、見つめる。


それから――小さく、吹き出した。


笑い声が、部屋いっぱいに広がる。

エドは、頬にクリームを残したまま、自分を囲む顔を、見回した。


ゆっくりと。

笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ