第六話
「夕方まで襖の奥を覗かないでくれますか?」
「はっ? 襖……ですか?」
パンにバターを塗り塗りしながら陽菜さんは目を見開いた。
起き抜けだからか意味が解らないらしい。
「つまり夕方までそっとしておいて欲しいって事です」
昨日。珍しくマイナス収支をこうむった僕は、自分の修行不足を嘆いた。
なので、今日は昼を抜いてでも部屋に篭って全力で勝ちを取りにいくつもりだ。
春休み初日からして負け星とは縁起が悪い。望むべくは残りの休みを白星で締めくくらねばならない。
でなければ新学期が始まったときになんていわれるやら……。
「そうですか……。ご一緒したら迷惑なんですよね……?」
陽菜さんが仲間になりたそうにこちらを見ている。仲間にしますか?
これがゲームならそんな選択肢が発生しそうだ。
だが、僕は彼女を倒したわけでもなければ、美少女使いの職業の人でも無い。よって答えは。
「うん。その通りだね」
「…………わかりました」
正直に答えたことで彼女が沈んでいく。僕はパンをハムハムしながら『物憂げな顔も可愛いなー』などと心の中で考える。
自分でそんな表情をさせておいて和むとは何と言うマッチポンプだ。若干の申し訳なさを感じるが、この瞬間を脳裏へと焼付け、美少女フォルダへと投下しておく。
この一枚で半日は戦える気がする。
どうでも良いが、両親は朝早くから仕事に出かけている。だから別にこの家は僕と陽菜さんしか居ないわけで……。
「…………退屈です」
たいそう不満そうな声がする。でも仕方ないんだ。陽菜さんが傍に居ると気が散ってしまうからね。
そんな訳で僕は戦闘開始をすべく珈琲を一気に煽るのだった。
「うー。今日も一日働いたー」
長い6時間にも及ぶ激闘に終止符が打たれる。
集中して作業できたおかげか、本日の収支は前日の負けを大きく取り返す+10万オーバーであった。
それに途中で邪魔も入らなかったし。
鶴の恩返しを揶揄して「襖を開けないで」とお願いしたのが良かったのか。陽菜さんが部屋に入ってくること無く、集中力が切れる事が無かった。
僕は凝り固まった身体をほぐすと実に久しぶりの部屋からの脱出を実行した。
「陽菜さん? あれ? 居ないの?」
陽菜さんに宛がわれた客室をノックする。
中からの反応が無く動く気配が無い。もしかして寝ているのか?
もしくは外出でもしているのだろうか?
とにかく居ないものは仕方ない。僕は飲み物を採る為リビングへと移動した。
冷蔵庫から茉莉花…………違った。ジャスミン茶を取り出して飲む。
うん。やっぱり戦いの後のジャスミン茶は最高だね。
僕が戦いの余韻に酔いしれているとリビングの戸が開いた。
「あっ。竜也さん。やっと出てこられたのですね」
数冊の本を抱えた陽菜さんの登場だ。
「うん。一区切りついたからさ」
「それは良かったです」
お互いに笑顔を見せ合う僕らの間に一つの音が遮った。それは僕のおなかの中から発せられた。
「あはは。ごめんね。飲まず食わずだったからさ」
水分を補給した事で、空腹が如実になってしまったようだ。取引でモニターに張り付いてるときは感じないんだけどね。不便な体だ。
「でしたら何か作りましょうか?」
「うーん。もうすぐ夕飯だから悪いような……」
「夕飯までの繋ぎです。竜也さんに倒れられては私も困りますから。15分ほどお時間戴けますか?」
そう言って椅子に掛けられたエプロンを身につける。白のフリルが掛かったエプロンは可愛らしく、清潔そうな雰囲気が陽菜さんの清楚さにピッタリ似合っていた。
「わかった。それじゃあお願いするね。僕は今の内にシャワー浴びてくるから」
何せ手に汗握る展開が連続したのだ。危なげなく勝ちきったものの決して余裕があったわけじゃない。株取引は一瞬の隙が命取りなのだ。
僕は、すっきりした状態での食事を求めて風呂場へと突入して行った。
「お待たせしました。温野菜のオムレツとコンソメスープです」
僕が風呂場から戻ると美味しそうな料理がテーブルでホカホカと湯気をあげていた。
「へぇ。美味しそう」
正直それしか感想が出ない。昨日も思ったが、美少女の手料理である。
男子高校生ならいくらお金を払ってでも食べたいと思うそれが現在僕の目の前に並んでいる。
「ありあわせで作ったので、期待に添えるか不安です」
「陽菜さんは器用なんだね」
僕なんか、冷蔵庫に何が残っていてもどう料理をしていいか解らない。
以前、友人が言っていた話だが、材料を用意して料理を出来るのは中級者。
ありあわせの材料で料理を出来るのが上級者。
陽菜さんはこの年で既に上級者の料理の腕を会得しているのか。
「美味い!」
口の中に広がる温野菜の優しい味わいに卵のふわりした食感。
コンソメスープはたまねぎが溶けていて塩コショウの味付けも丁度良い。
「陽菜さん。本当に美味しいよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです……って」
頬を赤らめて嬉しそうにしていた陽菜さんだったが、僕をみて驚いた。
「髪乾かしてないじゃないですかっ!」
「ああ。別に放っておいても大丈夫だよ」
「駄目ですよっ! これだから男の子はっ!」
そう言ってバスタオルを持ってくると陽菜さんは僕の後ろへとたった。
「イタイイタイ」
ごしごしと僕の頭が陽菜さんによって拭かれている。
口では痛いといっているが、何と言うか昔母親にやってもらった時を思い出して妙な気分だ。
「我慢してください。ちゃんと乾かさないと風邪ひきますよ」
そう言って母性を漂わせる陽菜さん。僕は自然と頬を綻ばせてしまった。
そんな雰囲気の中僕は料理に舌鼓を打つ。
「あの…………」
「ん?」
陽菜さんが物言いたげな雰囲気を出して僕を見つめてくる。
「今日は言って頂けないのでしょうか?」
僕は首を傾げた。彼女が何を言って欲しいと思っているのか理解できなかったのと、単純に口の中に料理が入っていて声が出せなかったから。
彼女は頬をほんのり赤く染めると。
「その……『お嫁さんにしたい』って」
ぽつりと耳元で囁いた。
「ごふぉっ!」
その可愛らしくもか細い言葉の意味を理解した僕は盛大に噴出すのだった。
その後、彼女は笑顔を浮かべて「冗談ですよ」と言った。
悪質な冗談に僕は枕を涙で濡らすことになったのだった。




