第十話 王都の政変
タインまで南下すると、雪はもう降っていない。
それでも、アシュリンが通された部屋の暖炉には火が入っていた。
温かな空気は、緊張まで解かす効果があるのか。
イーヴァルやソルサ卿も、少し肩の力を抜いていた。
少なくとも、タイン城伯はいきなり一行を取り囲んで殺すようなことをするつもりはないようだ。
「どうぞ、お掛けください」
部屋には卓があり、葡萄酒や料理も並んでいたが、椅子は四つしかなかった。
奥にはタイン城伯がいるので、アシュリンはその正面に座った。
すると、右の席にアーサー卿が、左の席にイーヴァルが座る。
格式からいえば、妥当なところか。
「で、話というのは何ですか、タイン城伯。わたしも急いでいる身。手短にしなさい」
アシュリンが王女の威厳を見せ、タイン城伯を睨み付けた。
サイラス・ウォーレルは微笑すると、葡萄酒の杯を掲げ、その赤紫色の液体を揺らした。
「王都で謀反が起きましてね。首謀者が拘束されたんですよ」
さりげない口調で、タイン城伯は爆弾を投げ込んできた。
流石に、一同の顔色が変わる。
王への謀反といえば重大事件だ。
近衛騎士のアーサー卿など、血相を変えている。
「陛下はご無事か」
爵位はタイン城伯の方が上であるが、王の側近であるアーサー卿は、成り上がりの一代貴族に対して敬意を払わなかった。
タイン城伯は眉を上げたが、特に怒りもせずに続けた。
「陛下はご無事です。ただ、近衛騎士団団長のシャトランド伯が亡くなられました。謀反人を捕縛する際、戦死したのです。ですが、ウルフヘル卿が相手の騎士を撃ち倒し、首謀者を捕縛しました。王都はいま、兵を集めています。動員がかかっているのはタキソス部族の諸侯だけのようですが」
「シャトランド伯が亡くなられただと」
アーサー卿はむすっとした表情のまま言った。
近衛騎士の重鎮であるアーサー卿は、本来ならシャトランド伯が亡くなれば次に指揮を執らねばならぬ立場にある。
だが、こんな北の田舎にいては、そんな指示はできない。
その間に、新しい団長が決められてしまうかもしれない。
その場合、十中八九、ウルフヘル・イグリンクスが団長になるだろう。
だが、この王国最強の騎士を、アーサー卿はそれほど好きではなかった。
「──で、その謀反人とは何者です」
アシュリンの手が、強く握られていた。
ここまで、タイン城伯は肝心の情報を言っていない。
そして、それは意図的に口にしていないはずだ。
その事実が、アシュリンに悪い予感を覚えさせた。
「聡明な殿下にはおわかりのはず。エゼリック・ユールズベリ。ユルト部族の旗頭にしてユールズベリ公爵。そして、王国の宰相にして先の王妃の父。──殿下の祖父ですな」
その瞬間、アシュリンが崩れ落ちた。
慌ててイーヴァルが腕を伸ばしたが、王女は血の気を失って気絶していた。
かなりの衝撃を受けたのだ。
「──アシュリン、アシュリン、大丈夫か、アシュリン」
イーヴァルが王女を抱え起こしている間に、アーサー卿がタイン城伯に厳しい視線を送った。
老騎士は葡萄酒の杯をあおると、その杯を卓の上に叩きつけた。
「──その話、まことか、タイン城伯。後で、間違えましたではすまぬぞ」
「残念ながら、本当ですよ、アーサー卿。わたしが嘘をいってどんな利益があるというのです」
「だが、ユールズベリ公が叛乱を起こす理由もなかろう。彼は高潔な老人だ。熱心な聖神教の擁護者であるし、叛乱などとはもっとも遠い人物ではないか」
「それでも、起こした。いや、人とはわからないものでありますなあ」
微笑を浮かべながら、タイン城伯も葡萄酒を飲んだ。
アーサー卿は歯を噛み締めたが、反論する材料を持たずに空になった杯を凝視した。
束の間訪れた静寂を、アシュリンを抱えたままのイーヴァルが破った。
「ユールズベリ公が叛乱などと──汚名を着せて捕らえただけではないのか。それに、親友のシャトランド伯をユールズベリ公が殺すはずがない。この茶番劇を見破って、口封じされたのだろう」
「──ウィンニール公のご子息といえど、証拠もなく放言は許されませぬぞ。それは、王国への叛逆になります」
「──まあ、いずれにしろ、叛乱の罪状で捕らえられたのは事実なんだろう。そして、タキソス部族は兵を集めている。ユルト部族との戦いになるのを見越しているわけだね。──で、王都ではアシュリンをどう扱うつもりなんだ? そして、なぜメルシャン公の麾下のあなたがこの情報を伝えてくれたんだい?」
「ん──そうですな」
イーヴァルの直情的な視線に、タイン城伯は冷めた視線で応えた。
「現状では、王女殿下の処遇についてはなにも出ておりませんよ。ユールズベリ公の孫とはいえ、国王陛下のご息女ですからな。ですが、メルシャン公はもちろん殿下をそのままにはしておかないでしょう。王都に行けば、確実に殿下は殺されます」
「──そうだろうね。でも、ふたつめの質問に答えていないようだけれど」
「答える必要はないとは思いますが──いいでしょう。わたしが出世するためですよ。このまま王女を捕らえて突き出しても、爵位のひとつももらえるかもしれません。ですが、それじゃあ満足できないんですよ。窮地にいる者を助けてこそ、見返りは大きくなるものではないですか」
卓上で手を組むと、タイン城伯は平然と言い放った。
その言葉を聞いて、アーサー卿の顔色が変わる。
国王の側近の一人として、タイン城伯の言葉は見過ごせるものではない。
だが、立ち上がったアーサー卿に、控えていた衛兵たちが剣を突きつけた。
イーヴァルは王女を抱えていて動けない。
そして、ソルサ卿はここでアーサー卿に呼応することにメリットを感じなかった。
「おのれ、サイラス・ウォーレル! 貴様、国王陛下に叛逆するつもりか!」
「まさか。わたしは陛下の忠実な家臣ですよ。ですから、王女殿下をお助けするのです。いまは命を狙われても、将来はわかりません。それに、未だに王女殿下を捕縛せよという命令は出ていませんよ。メルシャン公が個人的に狙っているだけのこと。アーサー卿は、陛下の家臣であって、メルシャン公の家臣ではないと思いましたが」
「──ふん、そのとおりだ」
忌々しそうに呟くと、アーサー卿が再び座った。
同時に、衛兵たちも剣を引く。
「なので、王都に行くのはやめた方がよろしいでしょう。かといって、熊人の出没するウィンニールに戻るのも、安全とはいえません。ここは、イースガリア公を頼るのはよろしいかと」
アンダイル部族の三公爵のうち、もっとも裕福で王妃の実家であるメルシャン公、長城を越えて北のヘルシンヴァル人の領地を征服したヨークバラン公に対し、イースガリア公の力はそれほど大きくない。
だが、現王妃の実家であるメルシャン公が王女を保護するはずもないし、ヘルシンヴァル人嫌いのヨークバラン公がウィンニール家と婚姻を結ぶアシュリンに好意を持っているはずもない。
消去法でタイン城伯はそう勧めたのだ。
だが、イーヴァルはそもそもアンダイルの三公爵など全員信用していなかった。
「イースガリア公が味方になる保証などない。行き先は自分たちで決める」
タイン城伯を睨みすえると、イーヴァルは大きく鼻から息を吹き出した。




