第九話 タインの長城
ベルニス伯が二人の衛兵を殺したことは、貴族といえど許されることではない。
だが、彼の地元で捕らえようとすれば、下手をすれば戦いになる。
事情を知ったイーヴァルは怒り狂ったが、ベルニス城に斬り込むわけにもいかない。
衛兵の一人が遺体とともにウィンニールに戻り、公爵に報告をする。
ベルニス伯をどうするかは、公爵に任せることとなった。
「ヨークバラン公にも訴える」
家臣を殺されたイーヴァルの憤懣は収まらず、ベルニス伯の旗頭であるヨークバラン公に会いに行くことを主張した。
「ヨークバラン公に訴えても無駄ですぞ。おのが麾下を罰するはずがありますまい」
だが、自分の家臣ではないので、アーサー卿はそれほど重要視していなかった。
それがまたイーヴァルには腹立たしい。
「だが、話はしておく必要はあります。陛下にこの話をしたときに、ヨークバラン公が知らなかったというのもまずいでしょう」
ソルサ卿の主張は筋が通っていたので、アーサー卿も頷いた。
どのみち、南下すればヨークバランは通り道だ。
「ハーキュリーズ・ベルニスは、十年前のカーフリミルの戦いでヘルシンヴァル諸侯を二人も殺した男だ。やつは、ヘルシンヴァル人を人だとは思っていない!」
「ヘルシンヴァル人は頑固で融通が利かない大酒飲みの田舎者の野蛮人──くらいは許容しますがねえ」
イーヴァルの怒りに、ソルサ卿は苦笑した。
「実際、彼はよく村の領民を虐待したり殺すこともあるようですからね。ヘルシンヴァル人も王国の民であることを、国王陛下もアンダイル部族に徹底して頂きたいものです」
「無論、陛下はヘルシンヴァル人とて大切な王国の民だと思っておいでですとも」
アーサー卿の視線は温かみがなく、儀礼的に言っているのがわかる。
だが、彼は儀礼を守るだけましな方だ。
国王を擁立しているタキソス部族は、征服したヘルシンヴァル人とも友好を保とうとしている。
それに対して、アンダイル部族はヘルシンヴァル人など奴隷も同然という態度を貫いていた。
自分の家臣とイーヴァルの家臣との間の軋轢に、王女アシュリンは憂慮していたが、有効な手は打てなかった。
無論、アーサー卿にはイーヴァルの家臣との関係を良好にするように命じているのだが、儀礼的な態度以上のことは彼らもしなかったのである。
イーヴァルとしては、アシュリンの護衛のためには王家の騎士や兵と余計な揉め事は起こしたくはなかったが、どうしても部下たちの間を親密にすることはできなかった。
ヘルシンヴァル人にしてみれば、フルンディル人が態度を直さない限り、歩み寄ろうとしても無駄だという思いがある。
わだかまりがあるまま旅を続けた一行は、海岸沿いに大陸を南下し、タイン川までやってきた。
この川沿いには、かつてフルンディル人が築いた長い城壁がある。
渡海してきた当初のフルンディル人は、当時は南方にもいたヘルシンヴァル人を北方に押し出し、城壁を築いて反攻を防いだのだ。
だが、十年前の戦いで、フルンディル人は長城を越えて北に攻め込んできた。
それは、主にアンダイル部族を中心とした軍団である。
北部の東半分はこの戦いで失われ、ヘルシンヴァルの王であったウィンニール家はフルンディル王国に臣従したのである。
そういう意味では、イーヴァルとその家臣たちにとっては複雑な思いもある長城であった。
今では無用の長物と化しているこの城壁であるが、東の街道沿いにはタインの砦があり、タイン城伯がそこを守備していた。
ヨークバランから北の土地は基本的にヨークバラン公の麾下であるが、このタイン城伯だけはメルシャン公を旗頭としている。
つまり、アシュリンの継母の実家の麾下である。
イーヴァルはアシュリンと話し、この城壁では立ち止まらないことにしていた。
メルシャン公から、どんな指示が出ているかわからないからだ。
アーサー卿を先頭に、一行は城壁に作られた門に向かう。
城壁を見上げたイーヴァルは、これがフルンディル人を守るために作られたものであることを思い出した。
もし、熊人にヘルシンヴァル人が追われてきても、この門はヘルシンヴァル人に対して開くだろうか?
「近衛のアーサー・エーディングである。王女殿下の王都への帰還の道行きだ。開門せよ!」
北に敵がいないのにも関わらず、タイン城伯が門を閉じているのは、当然税金を取るためである。
この門の通行に税をかけ、それで狭い領土を維持しているのだ。
だが、当然王女の一行から税金を徴収しようとする愚かな門番はいなかった。
城門が開かれると、薄ら笑いを浮かべた男が出迎えてきた。
三十代ほどのまだ若い貴族であり、ひ弱で剣を握ったこともなさそうな印象を受ける。
「タイン城伯のサイラス・ウォーレルでございます。王女殿下のご一行をお迎えできて光栄でございます。宜しければ、砦の中でお寛ぎください」
タイン城伯の姓と爵位が異なるということは、この男は生粋の貴族ではない。
後から、タイン城伯の爵位を与えられたのだ。
ということは、才覚があってのしあがってきたことに疑いはなく、油断できぬ相手と言えた。
「出迎えご苦労様、タイン城伯。でも、今日はもう少し進む予定なの。ゆっくりしていられなくてごめんなさい」
アシュリンは馬車から身を乗り出すと、タイン城伯に声をかけた。
タイン城伯は恭しく頭を下げ、顔を上げるとまた笑みを顔に貼り付かせた。
「それは残念ですなあ。王都で起きた事件の詳細でもお耳に入れようと思ったんですが、お急ぎでは仕方ありますまい。このままヨークバランまで何も知らずに進まれるがよろしいでしょうなあ」
「──含みを持たせた言い方ね、タイン城伯。ウィンニールには、特に事件の知らせは届いていないわよ」
「さようで。あちらでは熊人が出たのなんのと騒いでいる様子ですが、わたくしの話は、そんな眉唾な内容ではございませんぞ」
アシュリンは暫くじっとタイン城伯を睨み付けていたが、やがて目を伏せてため息を吐いた。
「仕方ないわね。アーサー卿、今夜はタインで一泊することにするわ。予定変更よ」
「アシュリン!」
アシュリンの命令にかぶせるようにイーヴァルが大きな声を出した。
「──もう、何よイーヴ、大きな声で……」
「嫌な予感がする。当初の予定通り、このままタインは通りすぎるだけに──」
イーヴァルが忠告したが、アシュリンは長い睫毛を瞬かせ、その高貴な横顔には決意が現れていた。
「情報は必要よ、イーヴ。ヨークバランは無防備に飛び込める地ではないわ」
ヨークバラン公の本拠地、そこはタインの長城から少し南下したところにある大きな都市だ。
アンダイル部族の中でも、ベルニス伯のような過激な思想の麾下を多く抱えている領袖が、ヨークバラン公だ。
暴走されないためにも、事前に何があったかくらいは知っておきたいところであった。




