十三つ.やっと発足したんだったね、そういえば。
かなり遅くなり、申し訳ありません。
前更新作品で、更新予定日も記してましたが、遅れてしまいました。
今回は、最後まで書こうと思い、書いていたので遅くなりましたが、これでひと段落尽きます。
次からは本格始動ということになりますので、ご了承くださいませ。
「寮監はやっぱりいない、と」
結局僕は朝宮さんの背中についていく。まず初めに訪れたのは大和さんの部屋。鍵は開いてた。きっと譲治がそのままにしてたんだと思う。となると大和さんもまだ、ここには戻ってきていない。居たら同好会のことを話そうと思っていたんだけど。これからお世話になるというか、迷惑をかけることになるだろうから、その感謝、というか先にお詫びと言うか。
「皆、ほんと、どこに行ったんだろう?」
「さぁねぇ。ほんとに神様か妖怪にでも連れ去られた、とか?」
大和さんが居ないと分かると朝宮さんは男子寮に平然と入る。まずは一年生のフロア。僕には懐かしい場所だけど、やっぱり時々廊下にいる一年生たちの視線が僕らに集まると、僕の方が緊張した。
「しっかしまぁ、男子ねぇ」
一年生たちはもうじき夕食の時間もあってか、部活帰りの姿や自由に過ごしていた一年生たちの中を、朝宮さんは廊下の中央を歩く。男子しか居ないんだけど、朝宮さんの堂々たる歩みに、一年生たちは何だ? と困惑の視線を向けてくる。
「まだマシな方だと思うよ。僕らのところはここまで綺麗じゃないしね」
まだ入寮生活を始めてから二ヶ月も経ってない。一年生たちはまだ自分たちのルームメイトと慣れた頃で、知り合い同士で賑わうだけ。まだ新しい生活の中にはぎこちなさがある。僕らに奇異の視線を向ける一年生は、これから僕らのように慣れて、あんな感じになるのかな、と思うと、何だろう。一年生の初々しさとぎこちなさが凄く大事なものじゃないかと思う。
「どうして男って汗臭さがあるのが良いのかしらね? 片桐君は草食系でしょ?」
でしょ、と言われても素直にうなずくのはどうなんだろう。確かに僕は武士のような肉食系(?)じゃないけど、自分でそれを肯定するのは少し嫌かなぁと思う部分もあった。
「一年せーいっ! ちゅうもーくっ!」
「え?」
大概の一年生の部屋のドアは開いていて、そこに譲治たちの姿はなく、案の定ここにはいないと思っていたことが確定した時、朝宮さんが二年生のフロアに続く廊下の角で振り返り、腰に手を当てそう大声で言った。唐突すぎて何が起きたのか隣に居た僕が一番驚いた。
朝宮さんの声に、室内に居た生徒も顔を出し、一様に疑問の視線が僕らに向き、ひそひそ声が地味に広がっている。突然声を上げられ、視線を集められると、正直僕も同じように見られている分、いたたまれないと言うか、その視線の多さに圧倒される。何をするつもりなんだ? と、そんな視線から逃げるように僕も朝宮さんを見る。
「この中で、室内に三年男子、もしくは三年女子、一年女子を匿っている子が居たら、素直に申し出なさーいっ! 隠した場合、それが発覚した時点であたしが部屋の中を生徒会長権限で物色するわよーっ!」
ひそひそ声が、その言葉でざわめきに変わる。朝宮さんのやることが豪快すぎる。
「ちょっ、朝宮さんっ?」
「片桐君はちょっと黙ってて。こうするのが手っ取り早いの」
僕の質問を打ち消し、廊下でざわつく一年生たちを堂々と見る朝宮さん。
「いないのー? 一部屋ずつ確認しても良いのよー? 部屋を物色して見つけたエッチぃものとか、違反物は即没収もするけどぉ〜?」
朝宮さんは言ってて、一年生たちの反応が動揺に変わる様子を楽しんでいるようで、カウントダウンまで始める。
「十五秒以内に名乗り出なければー、あたしの捜査のメスが入るわよーっ!」
僕は朝宮さんのやり方についていけなくて、一年生を見る。慌てている生徒もいれば、静観するように呆れている一年生もいる。その様子で大概違反しているものを持ち込んでいる生徒と、そうじゃない生徒が分かる気がするくらいに明白なリアクションになっていた。
やがて朝宮さんのカウントダウンがゼロを迎えると、一年生たちは固唾を呑むように、僕らを見る。本当に部屋をチェックされるのか、という不安の表れなのかな?
「ふぅ、どうやらいないみたいね、ここには」
「当然だよっ。というより、やり方が無茶苦茶だってっ!」
何事もなかったように、爽やかに僕にそういう朝宮さんに、思わず突っ込んだ。こんな無茶苦茶な生徒会長、ありえないよ。
「じゃあ、次は二年ね。行くわよ、片桐君」
「えぇっ!? 一年生はこのままなの?」
きびすを返し、二年のフロアに歩き出す朝宮さんに、一年生たちは呆然とこちらを見ていた。そんなものを気にせず歩く朝宮さんには、呆れるというか、譲治よりも無茶苦茶だという感じしか思えない。
「二年に情報が伝わる前に次に行く。しらみ潰しって普通、そうやるでしょ?」
やるだけやって事情の説明もなしに放置。普通、そんなサディストぶりでしらみ潰しに当たる人はいないって。
「うっわ、汗くさっ!」
そして僕らは二年生のフロアに来た。
「あはは……。まぁ、こんなものだよ」
何でだろうね? 一年間生活すると男子のだらけなさがどっと生活感として出るのは。一年生はまだまだ自分の部屋が汚くても、廊下はまぁまぁ綺麗だったりする。さっき見た女子寮みたいな整頓さと色はないけど。でも、二年になるとドアがしまっている部屋は一年生より減って、ドアにも洗濯物とか、部活のユニフォームが適当にかけられていて、覗くつもりはなくても目に入る部屋の様子は、八割以上は汚い。そして、洗濯してないんだろうね、ドアにかけられている衣類とか、廊下に落ちてるやつは。汗臭い。
「きったないわねぇ」
さすがの朝宮さんも引いてた。転がる洗濯物を避けて歩く姿からしてもむさくるしさが実は苦手なんだと分かる。
「学園じゃ普通に見えてたり、そこそこ格好つけてるくせに、寮の中じゃただの不肖って感じなのかしらねぇ、男子って」
「否定は出来ないかもしれない、かな」
中には確かにきっちりしている部屋もある。でも大半は男臭さがあっていかにも男子寮って感じが漂うのは二年生からかもしれない。
「うわっ、先輩だっ」
「ってか、生徒会長だろっ、あれ」
そして最初はほとんど気にされてなかった僕らが、一年生とは違い、少しくらい朝宮さんのことを知っている生徒たちの声が、一年生たちとは少し違う視線を僕らへと集約されてきた。一年生は奇異の目だったけど、二年生は慌てて洗濯物を部屋にしまったり、一瞬こちらを見た後部屋に戻ったりと、僕を意識しているわけじゃなく、女子である朝宮さんのことを気にしている、思春期らしい反応だった。
「二年にはいないわね」
そんな二年生の反応を見て、朝宮さんは譲治たちがいないと断定した。それが僕には不思議で聞いてみた。
「どうして?」
「見れば分かるでしょ。あたしに興味示すのは少ないし、驚きだって女子に対するシャイ染みたことだけじゃない」
朝宮さんが視線を向けると、目が合う男子は視線を反らせる。興味をもたれているけど、意識を向けられるのは恥ずかしい。大雑把に衣類を部屋に投げ込んだりしてる姿から、誰かを匿っている様子は、一年生以上にない。
「それに、二年生には知り合いいないでしょ?」
「うん、まぁ」
僕らの知り合いで二年生はいないから、僕らの誰もが二年生の階には立ち入らない。
「でも、譲治とか武士なら割と堂々とここにも来ると思うよ?」
それでも、あの譲治や武士、それに黒幕を装って皆を拉致? したであろう、たぶんあの人だって堂々としていそうな気がする。
「それはないでしょ」
でも、僕の考えを朝宮さんは一蹴した。
「一ノ宮や吾妻はともかく、連れらされたのは一ノ宮の妹に、妹尾君、湊川さんたちもいるんでしょ?」
「うん、そうだけど……?」
僕の考えとしては、譲治が仕組んだとは考えにくいけど、否定できないことだから、もし、譲治なら無理やりにでも頼み込んで部屋を借りるとはすると思う。僕らの知り合いがいない二年生を利用すれば、見つからない可能性が高いと踏んで。
でも、譲治ではなく、あの人がやっていることだとすると、譲治以上にやりかねないと思う。譲治並みの行動力を持っているし、僕らよりも学年に名前が知られているし、行動しやすいと思う。それに、あの奇妙な仮面の集団も、僕らの中で用意するような時間はなかったし、皆があれに連れ去られたんだから、予め誰かが組んでいる可能性が高い。その根本的な理由は分からないけど、二年生を利用することで発見が遅れるという可能性は高まる以上、使わない手じゃないと思う。
「妹尾君はともかくさ、一ノ宮の妹ちゃんって人見知りするでしょ? それに一年生で二年の男子寮の、見ず知らずの男の部屋にいくらなんでも入りたがるわけないでしょ。湊川さんだって、あれだけのご令嬢よ? こんなとこいたら失神するでしょ」
そう言って汚物でも持つように近くにあった靴下を指二本でつまみあげる朝宮さん。
「美紀はともかく、それはどうかな……?」
所属メンバーのことは朝宮さんは既に知っているみたいだけど、どうやら本当のとこを知っているわけじゃないみたいだ。美紀だって有美香と一緒にいるみたいだし、人見知りとはいえ、僕らの誰か一人でも一緒にいれば大抵は我慢するのが美紀だ。湊川さんもたぶん大丈夫じゃないかな、とは思う。本音を聞かせてくれた時に、きっとお嬢様じゃないのは分かったつもりだし。
「第一、今まで何人いなくなったと思ってるの?」
朝宮さんの言葉に思い出す。
「その大人数が二年生の部屋に入れると思う? それに連れ去られた人数だけじゃなくて、その首謀者も一緒にいるわけよ?」
一通りの事情を知る朝宮さんが僕を指差して訪ねる。
「一、二年の部屋は三年より狭いのは知ってるでしょ? こんな部屋に十人近く入れると思う?」
開いている部屋を覗くと確かに僕らのいる三年の寮部屋よりも少し狭い。それでも一年生よりは広い。僕らの在籍する聖生学園の寮は、一年生は全員入寮させられる分、部屋数が多く、一部屋が最低限の広さしかない。そして二年になると近所の子は自宅に戻る場合が増えて、空き部屋が増えてくる。だからそれに対応するようにと、プライバシーの管理に充実を持たせて部屋が広くなる。それでもその広さは大して変わらない。そして最終学年になると受験の関係で自宅に戻る生徒も増えるし、元々の構造から余裕を持った部屋の広さになって、簡単なキッチンも完備される。一人暮らしをする為にある程度の生活を送ることが推奨されているらしいから、大人数も何とか入る。
「あれ? ってことは、もしかして……」
僕は朝宮さんを見た。そして朝宮さんは僕が振り向くのを待っていたようにサムズアップで笑顔だった。
「二年にはいないわよ?」
そう、きっぱりと言った。
「えぇーっ!?」
ほんとにこの人は何を考えてるんだか。
「じゃあ、どうしてここを通ったのさ?」
「え? ついでだし見ておきたいから?」
何、その、自分の希望が何も悪くないと思ってる顔。僕は一応皆を早く見つけたいのに。
「それにどうせ、奥の階段から三年のフロアに行けるじゃない」
なんの悪びれもなく言われると、確かにその通りなんだけど、生徒会長として少しは生徒の危機を一応感じて欲しいところなんだけど。
「さ、じゃあ本丸に乗り込もうかしらね」
「外堀を回りすぎじゃないかな……」
そのまま朝宮さんは二年生の中を歩く。一年生同様に二年生たちも道を開けてくれるけど、とんだ無駄足だった僕にしてみれば、はた迷惑なことだった。
「いやぁ、それにしても男子寮ってのは、想像以上だったわぁ」
そして僕らは、僕にとっては通いなれてきた階段を上がる。
「そうなの? たぶん、どこもこんな感じだと思うけど……」
まだここまでいたって普通の範囲だと思う。他の高校は知らないけど、僕の家はもっと雑だったし、この階段の先を思うと、朝宮さんの想像は女子寮を基本にしているんだと思う。手すりを触りながら朝宮さんのスリッパの音が響いて、僕の足音は同じようには響かない。
「ん〜、何て言うの? 男子も女子も似たようなものなのねぇって感じ?」
「え?」
意外な言葉と共に朝宮さんが僕を見ていた。階段の踊り場で僕は大またで内側を回る朝宮さんに並んで、また階段を上がる。その先には名前の知らない同学年生がかばんを持って歩き去った。
「さっきは意外と片付いてたけど、女子寮も意外とあんなものなのよ? たぶん、二、三年の女子寮のいくつかは男子の部屋よりも汚いかもしれないし」
つまり朝宮さん的には、男子寮の様子は予想以上に汚いというわけじゃないらしい。
「想像できないなぁ、それ」
驚かされるのは僕ばかりだ。男子はなんかもう多少の汚さくらい平然としてるし、面倒くさがりやばかりが僕らの年代はほとんどだ。掃除をしっかりしろ、と大和さんが見回りをするけど、それでも大和さんも多少ごちゃついていても、軽くかたずけろ、と注意にもならないような注意をするだけ。ただ、その表情が元から怖いだけに、一年生は大和さんが相当怒っていると思うのかもしれない。僕らは大和さんと言う人柄を知っているだけに、顔が怖いからと必ずしも怒っているわけじゃないことは理解してる。たぶん、譲治と武士を除いては。
でも、女子は普段からきっちりしてそうな印象なんだけどな、男子とは対極で。クラスでも教室を綺麗に使うのはやっぱり女子の方が多いし、掃除をサボっていると怒るのはやっぱり女子。男子が女子に掃除しろ、なんていうことはほとんどないし。
「誤解よ。女子はね、男の子と違って本音と建前で生きてるの。自分のプライバシーのある空間にまで建前は持ち込まないのよ」
「そうなの?」
そういうもんよ、という朝宮さんはどうなんだろう? と少しは思ったけど、この人はたぶん、常に本音のような気がした。クラスでも言いたいことをズバズバ言っているのを聞いたことあるし。
「この年で本当にしっかりしてる子なんて数えるくらいだってば。大半はずぼらよ、ずぼら。まぁあたしは、一応出来ることはするけどね」
あたしが言うから間違いない、と断言する朝宮さんの言うことは本当なのかもしれないし、自分を持ち上げる為にそう言っているようにも聞こえなくもない。
「何? 信じられないって?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
顔に出てたかな? 僕を疑うように見てくる。信じてないわけじゃないけど、ここに来るまでの朝宮さんを思い返すと、どうしても家じゃ何もしていないことが普通、という方がしっくりきたのは、黙っておくことにした。
「それでも男の子みたいな自由な汚さってわけじゃないけどね。女は男以上に野蛮で神経使うことがあるくらいだし」
そうなんだぁ、と何とも僕の中にある女の子のイメージが次々と塗り替えられていく。僕の知る女の子のことを思い浮かべると、どうしても僕らよりも野蛮というか、男臭さを感じられない気がする。
「まぁ、一ノ宮の妹ちゃんとかは例外だろうから、片桐君がきっと想像しているようなイメージにはならないんでしょうけど」
乾いた笑いで朝宮さんが笑った。それすらも見越していたというのは、僕が分かりやすかったってことらしい。
「さぁて、同級生の男子たちの花園ってちょっとドキドキするじゃない」
階段を上がって、僕らのフロアに角を曲がる。後輩のフロアとは違い、同い年というのは朝宮さんでもやっぱり女の子らしく、今までとは違って、少し恥ずかしそうにはにかんだ。
でも、僕はそのはにかみに、苦笑で返すことが精一杯で、この角を曲がった先で、朝宮さんが直面する現実が、本当に女の子もこんな感じなんだろうかという、僕なりの疑問は強くなるばかりだった。
そして、僕らは、僕らとしてどこか打ち解けていたような空気を一蹴することになる。たぶん、僕らではなく、僕と彼女という別々の立場に戻らざるを得ないだけなんだけど。
「……」
角を曲がって広がる世界に、朝宮さんの顔から笑顔が消えて、固まった。
「ん? うおっ!? 朝宮っ?」
「は? って、何で朝宮がいんだっ?」
「おぉ、ってか片桐が何で一緒に?」
「片桐が女連れてきたぞー」
「しかも相手は生徒会長ときたぜ、これ」
不意に会話の止まる僕らに変わって、一、二年生とは違い、すぐに僕らが誰かということに気づいた声の波が、映画で建物内を駆け巡る水のように、広がっていく。でも、それはまるで伝言ゲームのように廊下の奥へ行くにつれて尾ひれがついていく。
「いや、違うんだけど……」
目の前で最初に気づいた男子は、普通に驚いていただけなのに、いつのまにか見知ったクラスメイトが遠くから駆けてきて、片桐が彼女連れてきたって、とありもしない噂を僕のところまで興味本位の視線を持ってくる。
それでも朝宮さんは呆然としていた。
「何、これ」
僕らの視線の先には、僕の知る男子に朝宮さんの知る男子に限らず、大抵の男子は朝宮さんのことは知っているし、僕のことも譲治たちの影響で知られているから、思った以上にこちらを見る目が多い。でも、朝宮さんはそれに目を下ろすわけじゃない。男子たちの視線に驚いているわけじゃない。視線は下に下りている。
「えっと、三年の男子寮、かな?」
乾いた笑いが出てくる。別にそんなつもりはないんだけど、朝宮さんの呆然としている無表情には、沸々と何かが湧き上がってきているようで、今までのにこやかさが急に吹雪になりそうな気がした。
「三年って半分は自宅通学よね?」
「らしいよ。今も空き部屋がけっこうあるし」
冷静すぎる声が、ちょっと怖い。
「それで、これ?」
それで、というのは今まで見てきた一、二年生の寮の様子を見ている以上、気持ちは分かる。後輩たちは人数も多い上であれだけのむさくるしさというか、男臭さがあったけど、目の前の現状はそうはいかない。
「女子寮の三年って、不思議と整然としていくものなのよ、確か」
二年生が一番酷いけど、三年になると帰宅する機会が増える上に、卒業に向けて退寮する人の関係で綺麗になっていく、らしい。見たことがないから分からないけど。
「それに、今、何月だっけ?」
「えっと、5月になるちょっと前、かな?」
三年生になってからもうすぐ最初の大型連休のGW。ちょくちょくと休みの予定の話題が聞こえてきている。それでもまだ、一ヶ月。あぁ、確かに一ヶ月で、と考えると朝宮さんの冷めていく雰囲気は理解できる。僕らの部屋は質素だから。
「一ヶ月でこれ?」
なんて言うのかな。僕が責められているわけじゃないのに、心にくる棘具合。朝宮さんも想定外なんだろう。そうなると、女子寮の汚さが、間違いなく僕の想像以下であることの確信は持てた気がした。
「これ、です」
最初は僕らを恋人と面白そうによってきた同級生たちが、朝宮さんの薄れていく感情と、湧き上がる感情の温度差を肌に感じてきたみたいで、そそくさと部屋に戻る人、僕と同じように苦笑して視線をそらせる人、何食わぬ顔で平然と過ごす人のいくつかのタイプに別れていく。
「大和さん、いるのよね?」
「見回りはするけど、受験とか就活とかの影響で、あまり叱らないんだ、実は」
あまりナイーブになるよりも、自分にとって休める空間ということで、大和さんからのお説教は少ない。ただ、成績が悪くなったりすると、譲治たちみたいな目に合わされるくらいで、生活態度も整頓することだけは少し緩い。まぁ、怒られる人は怒られるけどね。
「あはははっ。何、これぇっ、ありえなーい」
と、突然朝宮さんが笑い出した。一瞬、妙な間をおいて。
「何で一ヶ月程度でここまでなんのよ? これじゃあ、卒業までにはゴミ屋敷じゃない」
「あはは……そう、かもね……」
快活に笑う朝宮さんに、僕は、あは……あはは……と苦笑しか出来ない。真面目な受け答えも、同じように馬鹿笑いすることも、隣から発せられるオーラの前では、全てが睨まれた蛙だ。
「はぁ〜ぁ。ここまでとはねぇ。男子の株の底が知れるわ、これじゃ」
一通り笑う朝宮さんに、奇異の視線が集まる。それを気にすることなく朝宮さんは、長く息を吐き出しながら、その笑いを静かに止めて、目を閉じた。一瞬訪れる沈黙。ただ、怒られているとか、気まずい雰囲気の中での沈黙じゃないから、むしろ友だちと話していて、不意に会話が途絶え、少し休憩するから誰も口を開かない、男子にとってはよくある、普通の沈黙のようだった。
「さんねーんっ! 男子っ! 全員部屋から出なさーいっ!」
でも、そんな沈黙は男子では普通でも、女子は気まずくなるらしい。何か話題がなければつまらないと思われるから。そんなこと男は気にしないのに、女の子はそれも自分の評価の一つみたい。だから、女の子は話題を持ち出す人が好きらしい。
なんて事を考えていたら、耳を劈く、今日一番の大声が耳鳴りのように響いて、思わず耳をふさいでしまった。
「ん? 何だ?」
「っせぇな。なんだよ? つか、誰だ? 今の大声」
真っ先に反応してくるのは、少し柄の悪そうな人たち。でも、ほとんど生徒が廊下に出ていたから、やっと出てきた感じもある。
「あんたたちっ! 何なのよ、この汚さはっ! 掃除っ! 全員部屋から出て大掃除よっ」
今までこらえていた朝宮さんが、とうとう噴火した。ずかずかと廊下を猛進し、片っ端から部屋のドアを破壊しそうな勢いで開けては、掃除っ! と叱咤する。中には部屋に逃げ込み、鍵をかけている人もいるし、面白がるように見物する人、興味がないように自分のことに戻る人と、またタイプに分かれていくけど、朝宮さんはそうは許さなかった。
「なんなのよっ、この汚さっ! あんたら受験、就活だからって気ぃ抜きすぎっ! 最上級生のくせに下級生より汚いなんて、面子丸つぶれじゃないのよっ!」
何だかんだ理由をつけて男子の首根っこを掴んでは掃除にたたき出し始める。
「お、おいっ、片桐。なんとかしろよ」
そして、取り残された僕に、掃除に駆り出された男子たちがそういってくる。
「早くどうにかしてくれ。勉強中なんだよ」
「お前の女なんだろ? さっさと部屋に連れ込むとかしろって」
そして、なぜか僕が責任を取れ、と詰め寄られる。
「え? いや、朝宮さんは別にそういうわけじゃないんだけど……」
と、理由を話したところで、聞こえてくる朝宮さんの怒号は止まらない。どうでもいいから邪魔なんだよ、朝宮は。と、口々に言われても、こんなことになるのは僕だって考えてなかった。
「三年男子っ! これから掃除よっ、掃除っ! 全員部屋と自室前の廊下の掃除っ」
でも、そんなことはやっぱりお構い無しなのが朝宮さん。その怒号に、一斉に、「はぁ?」や「えぇーっ」の反対の声が押し寄せてくる。僕一人なら、間違いなく萎縮する雰囲気なのに、朝宮さんはその声に、よく言う、目で殺す、を実践するように、文句があるならここ来いやっ! とでも覇気に満ちたというか、殺気を纏う視線を男子に飛ばすと、男子たちは頭をかきながら部屋に戻り始めた。誰もこの寮では朝宮さんに逆らおうとする男子がいないのかな。男子弱いなぁ。僕もだけど。
「さっさと取り掛かるっ! 窓も空けて、ちゃんと掃除しなさいっ! 汚い部屋の男子は、女子にあいつマジ不潔ぅ〜って言いふらすわよっ」
ちょっ! と、その暴君を前に、男子生徒たちが一斉に困るっと僕らを見る。
「言われたくなければ掃除しなさい、掃除っ」
「ちょっ、朝宮さん。いくらなんでも、この時間からは、無茶苦茶じゃないかな?」
何しろもう夕方。食事の時間も、入浴の時間もある。寮生は自宅通学とは違って、その時間を逃すと、明日まで食事も入浴も出来ない。寮内の売店も食堂が閉まれば食堂の隣にある以上、同時に閉店するし、外にも出られない。みんなもう、今晩のいつものようにゆっくりしている時間だったりするわけだから、ちょっと酷じゃないかな?
「時間内に終わらせればいいのよ。ってゆーかね、あたしだって早く帰りたいわけ。分かる? 早く家に帰りたいの我慢して、こうしてここにいるの。生徒会長として」
僕の問いかけに返答するその声色は、明らかに不満を含んでいて、きっと、あれだ。
「見たいドラマ、あったの?」
「そうよっ! もうとっくに終わってるけどねっ」
くわっ! と、僕が怒られた。何もしてないのに理不尽だ。
「あーもぉ、ほら、これ誰の靴下よっ? あんたのっ?」
そして、朝宮さんは何だかんだ不満を漏らしつつ掃除を始めた男子たちの部屋を一つ一つチェックしていく。僕は居場所がないからその後をついていく。結局のところ、男子はみんな女子に少しでも嫌われたくないんだ、という事実に従わざるを得ないようで、いくつかの部屋は鍵がかけられ、硬く閉ざされているけど、それ以外の部屋からは、掃除機の音やゴミ袋が廊下に置かれていた。
「にしても男子はほんと単純ね。そんなに女子にもてたいわけ?」
そんなことを言いながら朝宮さんは、廊下に散らばっている、僕の中では去年から見慣れた洗濯物などを、近くの部屋の男子に一つ一つ聞きながら渡していく。男子も掃除に集中し始めたのか、すまん、とかありがとう、と受け取りながら掃除をちゃんとしていた。でも、それは一部で、ほとんどは、やっぱり恥ずかしそうだったりするんだけど。
「どうなんだろう? でも、ここまでみんながやるってことは、そうなんじゃない?」
僕らは男だし、女子に嫌われたいとは正直誰も思わないはず。僕だって嫌われたくはないし。たぶん、譲治たちと一緒にいる以上、わずらわしいとかは思われているかもしれないけど。
「男って、ほんと、なんていうか、あれねぇ」
あれねぇ、と言葉を濁す朝宮さんが何を考えてるのかは分からないけれど、僕ら男子としては、どうしてこうも男子の大半が大人しく従うかは、僕でも噂くらいは聞いていただけに、僕は僕なりに納得していた。男子みんなが女子にもてたいから、不潔という流布を恐れるだけではなく、朝宮さんは、生徒会長としてだけではなく、その容姿からも人気がある。僕としては、きっと朝宮さんが自分たちの部屋を見ることが、恥ずかしいから掃除をする、という方が、様子を見ていると納得する。
ただ、朝宮さんの性格を知ってしまったというか、無理やり聞かされたというか、本性の一部を知ってしまった以上、なんとなく朝宮さんがモテル理由に納得していた僕としては、印象が変わった気がする。
決してあわただしく掃除しているわけじゃなく、どの部屋の生徒も、とりあえず、雑多になっているものを整頓する程度で、朝宮さんも、部屋を覗き込んでは、洗濯物はちゃんと畳むように、とか、ごみ捨てなさいよねと、多少は口調が強いけど、混乱は少しずつ収まってる。
「きっかけがないと何も出来ないのかしらねぇ、男って」
「あはは……どうだろう」
あきれたように朝宮さんが一部屋一部屋チェックする。そのたびに廊下にはゴミ袋が置かれ、掃除する前より廊下が狭くなった。
「ちょっと! 誰かいる? いるなら出てきて、掃除しなさいよ」
それでも、ドアが完全に閉まっている部屋もあって、いくつかは朝宮さんがドンドンとドアを叩いては、ドアノブを回して呼び出したけど、ひとつの部屋は、いくら呼んでも返事がないところがあった。
「朝宮さん、そこは、良いんじゃないかな?」
そして、僕は部屋番号を見て、呼び出そうと粘る朝宮さんを呼び止めた。
「朝宮さん、その部屋は止めとくべきだ」
「そうそう。その部屋は近づかない方がいい」
そして、僕らに気づいた近くの部屋の人たちが、同じように首を振る。
「はぁ? 何でよ? この時間なら全員寮にいるでしょ?」
そう。この部屋にはきっと住人が部屋の中にいる。でも、僕らはその住人を呼び出すことは、躊躇してしまう。
「朝宮さん、この部屋は、あの人たちの部屋なんだよ」
男子寮において、目をつけられている部屋がいくつかある。その中の二つは、自慢じゃないけど、僕と琢磨、譲治と武士の部屋。理由は言わずもがな、うるさい連中だという意味。それでも、寮内だけでは、僕と琢磨はそれほど邪険にされることはない。譲治たちは、しょっちゅう周りからうざそうに見られるけれど。
「あの人? 誰よ?」
疑問を瞳に宿し、朝宮さんが僕を見る。
「朝宮が一番いけ好かんと思ってる奴だ」
ゴミ袋を抱えた男子生徒が通り過ぎ様にそう言った。
「……なるほど、この部屋だったわけね」
その言葉に該当する人物について思い当たった朝宮さんが、ドアノブから手を離した。
僕らの他に、厄介者というか、恐れられているというのが本当だけど、近づきがたい存在がある。
「なら、なおさらよ」
「え?」
一度ドアノブから手を離した朝宮さんは、さっきよりドアノブを握る手に力を入れて、がちゃがちゃと回した。
「こらぁっ! 鬼頭っ! あんたも出てきて部屋の掃除しなさいっ」
「ちょっ、朝宮さんっ?」
この部屋の住人は、鬼頭嵩。それから沢渡宗谷。この二人は、この寮の中で、最も恐れられる不良というか極道というか、とにかく見かけたら、目をあわさないようにすることが自然で、僕もその素顔や顔をはっきりと見たことはないし、譲治でさえも、この人たちには声をかけることがない。浮いた存在といえばそうであり、支配者という言葉でも、僕らは彼らには逆らえない。だからこそ、この部屋の両隣には、誰も生活していない空き部屋。彼らに普通に接することが出来るのは、男子寮のなかでは、大和さんだけだ。でも、女子の中では朝宮さんは平然と、むしろ対抗しないといけないと主張するように、ドアをどんどんと叩く。僕らの近くにいた生徒たちは、そそくさを自分の部屋に戻り、僕らの周りは、なんだか急に静かになった。背筋が凍る感じがした。
「あっ……」
そして、それが今度は目の前から感じることになる。僕らの目の前の、同じドアなのに、不思議と気持ち的に重厚な扉に思えるドアが、カチャッと、開いた。
「……何だ?」
沢渡君であるなら、まだよかったかもしれない。彼のことは何度か見たことあるし、比較的普通に見える。いや、普段から武士を見慣れているせいか、沢渡君も体格がよく、武士のように思えたから。でも、そのドアから顔を見せたのは、鬼頭君だった。
僕は、ただ、用件を聞くように放たれた言葉の冷たさと、威圧的な鋭い瞳に、情けなくも朝宮さんの背中に下がってしまう。だって、喧嘩で停学とか警察に指導されたりして、退学にならないのが不思議な人だから。学園で暴力を振るっているのは見たことがないし、学園の中では誰も逆らわないからそうなんだろうけど、やっぱり表情は僕らとはまるで違っていた。
「鬼頭。あんたも部屋汚いでしょ? 全員掃除してるんだから、あんたも掃除しないさいよね」
僕らが恐れる理由には、相応に耳にする噂がある。それは僕ら三年にとっては、ほとんどの生徒が知っていることであり、見かけても声をかける生徒はいない。そして彼らもまた、誰かに話しかけられることを嫌うように、常に恐怖というオーラを発している。でも、朝宮さんは、ほかの生徒に言うように、言った。それはお願いではなく、命令といて。
「掃除? 何故この時間にする必要がある?」
うっ、と言葉が詰まりそうな的確で鋭く、重たい言葉。
「汚いからよ」
でも、朝宮さんも腰に手を当て、即答した。
「何を以って汚いという言葉を俺に当てはめるかは興味はないが、その必要性については、論議するに値しない。他を当たれ」
そう言い、ドアを閉めようとする。だが、そのドアが閉められることはなく、鬼頭君が、さらに鋭さを増した瞳を朝宮さんに向ける。そして、足元へ視線を落とす。そこには、ドアを閉めることをさせないように、朝宮さんがドアとの間に足を置いていた。
「寮生活の規則にあるでしょ? 寮生活を営むにおいて、集団行動をむやみに乱す行為は、原則として奉仕活動、または退寮処分と科すって。みんなが掃除してるんだから、もちろん、やるわよね?」
学園一恐れられる存在に、寮規則という武装をした朝宮さんが鼻高々に鬼頭君を見る。
「しかし、それはあくまでも学園側よりの指示、もしくは寮監による裁量だ。生徒会長であろうと、この寮において有権を要するのは、寮生会であり、生徒会の介入は不要。何より、俺が従う理由はない」
そして、鬼頭君が朝宮さんの足を押し出すように、鋭くにらむと、朝宮さんも言い返せなくなったのか、足をどける。
「女子に嫌われるわよ? 部屋が汚いと」
権力が通用しないとなると朝宮さんは、今度は女の子の好みを武装した。
「それが?」
でも、他の男子とは違って、全く動じる様子がなかった。
「不潔な男って言いふらされたいの?」
「その程度で払拭できる問題か?」
「うっ……」
鬼頭君は、っ自分の立場を理解し、納得した上で行動している。だから、たとえそんなレッテルを貼られても、それ以上のレッテルが強すぎて、印象は大して変わらない。
「だからって、衛生上でも悪いでしょ。みんながやってるんだから、自分だけしないなんて常識はずれよ」
それでも朝宮さんは言葉を捜してつむぐ。そこまでして相手にしなくてもいいと思うんだけど。というか、僕は早くこの場を去りたい。
「常識とは、多くの人間が行っていれば、それがたとえ罪であろうと、善行として判断されるのか? 多く人間が行えば、自身において不要であろうと取り組まなければ罵られるかの? 必要に応じ、それに適応した行動をとることが常識であり、不要であることをわざわざ行うことは、無駄というのではないか?」
「あ、うん、まぁね」
鬼頭君の言葉に、朝宮さんが頷いたっ?
「そこまで言うのであれば、確認すれば良い。その上で謝罪を申告することが、君の常識というものになるだろう」
閉めかけたドアを、鬼頭君が自ら開いた。
「君も立ち会うと良い。第三者による確固たる証は、当人間における審判となる」
「え? あ、う、うん」
そして、鬼頭君が室内に朝宮さんを招き、僕まで招かれた。
「掃除の必要性というものが、この空間に該当するのであれば、俺は君に謝罪し、行為に従うことに異論はないが、必要だと君には見えるのか?」
そして僕らが通された室内には、沢渡君はいなかった。まだ寮に戻ってきていないみたいで、かばんもなく、少しだけ僕の心は安心していた。でも、そんな安心感よりも、僕らは室内の様子にあっけに取られた。
「すっきりしてるのねぇ、予想外だわ」
朝宮さんも感嘆の吐息を漏らしていた。僕の予想では、悪いとは思うけど、室内はきっと汚いと思っていた。なんとなく不良とかそういうイメージでしか思ってなかったから。
「これで掃除が必要と?」
鋭さは変わらないけれど、言葉はそれほど威圧的ではなく、朝宮さんはしばらくふんふん、と室内を観察していたけど、すぐに訂正した。
「ごめんなさい。まさかあんたたちがこれほど綺麗にしてるとは思ってなかったわ」
僕もだ。これなら掃除の必要はないはず。
「なら、君たちは他にすることがあるだろう。出て行くといい」
そのまま、穏やかそうに見えて、言葉は若干きついままに、僕らは室内を出ようとした。朝宮さんが先に外に出て、僕も外に出ようとした。
「っと?」
不意に足が何かに引っかかり、つまづきそうになり、反射的に視線を落とした。
「え?」
そしてその足元に出ていたものは、ベッドで見えなかったけど、何か黒い棒状のものが足に引っかかった。
「足元には気をつけることだ。犬ですら棒に転ぶという」
「あ、ごめん」
きにするな、と鬼頭君はすぐに僕が足を引っ掛けたものを足でベッドの置くに押し込んだ。そのまま僕らは部屋を追い出されるように後にすると、ドアが再び沈黙の中に閉じられた。
「なぁんか感じ悪いわよね、あいつ」
いや、それはもともとだろうし、それ以上に驚くことがあったはず。朝宮さんは室内の整頓ぶりには驚いていたけれど、腑に落ちないようでもあった。
「でも、一番綺麗な部屋だったかも」
「それに関しては同意よ。まぁ……次に行きましょ」
何か朝宮さんは納得しているようで、納得していないようだったけど、僕もまた先ほどのアレは何だったのだろうと思った。
「問題児は問題児でも、指折りとなると化けの皮は分厚いわよねぇ」
「え? どういうこと?」
「そういうこと」
何かしら思うことはある。それは朝宮さんも同じ。でも、あの整頓された室内が、鬼頭君の本性なのか、それとも何かしらの素性を隠すためのカモフラージュなのか、僕には分からなかったけど、ひとつ分かったのは、完璧に整えられた室内は、不自然に思えるということなのかもしれない。見ているときはごく普通に感じた。生活感がないわけじゃない。でも、その生活感が僕らのものと何か違うものに見えた。
「さて、じゃあ、次は片桐君の部屋に行く?」
「え? 僕の部屋?」
そして、また唐突に話題を転換する朝宮さんは、僕にニコリと笑みを見せた。
「当然でしょ? 他の男子も見たんだし、もちろん、片桐君の部屋だって見ないわけには行かないじゃない」
なんというか、それは少し恥ずかしい。人の部屋を見てきて、少し恥ずかしそうにしていた生徒のみんな。その理由が何か、今になって分かった。
「あ、でも、僕の部屋、鍵が閉まってて、琢磨が鍵を持ってるから、入れないと思うんだけど」
そして思い出す。僕の部屋は僕一人では入れない。僕の鍵は部屋の中。琢磨は鍵を持っているけれど、その琢磨と落ち合う前に、琢磨は連れ去られた。だから僕は寮をもう一度確認しようとして、戻る途中で、朝宮さんに会い、その流れで朝宮さんは生徒会長として手伝うことになり、ここまできた。
「案外妹尾君が戻ってるかもしれないし、とりあえず確認しましょ。で、駄目なら紗枝さんにでも鍵借りればいいし」
大和さんもいないことは知っている。だからそう言うんだけど、琢磨、本当に戻ってるんだろうか? スピーカーの応答はあれきりだし、無理な気がするんだけどなぁ。
そんな僕の不安をよそに、目の前を歩く朝宮さんは平然と僕の部屋へと歩く。
「ここ?」
「うん」
先に僕がドアノブを回してみるけど、やっぱり鍵がかかっていて空かなかった。
「ちょっと貸して」
それを見た朝宮さんが割り込んで、ドアノブを握って、同じようにドアを開けようとした。
「ね? 空かないでしょ?」
琢磨は戻ってきてはいないようで、鍵がないとどうしようもない。
「ねぇ、朝宮さん、やっぱり鍵を……」
「……」
ガチャガチャとドアノブを回していた朝宮さんがふいに僕に向かって人差し指を自分の口に当てて僕に静かにするように無言で訴える。
「え? どうしたの?」
そして別にその必要性に素直に応じる必要があるようには思えない。廊下ではまだほかに生徒が掃除をしている音が響いているから。でも、僕はなぜか朝宮さんに小声でそう返した。
「中で声がしたわ」
「え?」
朝宮さんがドアに耳を当てて、何かを聞き取ろうとあさっての方向を見ながら耳を済ませている。こういう時ってどうして人は、耳は奥の様子を探ろうとするのに、視線はあさっての方向というか、どこも何もない場所を向くんだろう? そんな疑問が浮かんだけど、それよりも先に、僕の部屋の中で声がするというのはどういうことなんだろう?
「周りがうるさくて聞き取れないわね……」
「僕にも聞かせて」
周りがうるさくて聞こえにくいみたいだけど、僕も気になる。だから僕らは周りが掃除をしている中、二人そろってドアに耳を当てていた。傍からはなんとも珍妙な光景だろうな、と明後日の方を見ている僕と目があった生徒を見ていて、ちょっと恥ずかしかった。
「誰かいるでしょ?」
「う〜ん、よく聞こえないかも」
なんとなくそんな気はするんだけど、そうでもないような気もした。
「とりあえず、開けてみましょ」
がちゃがちゃと朝宮さんがドアノブを回す。でも、鍵がかかっていた。
「誰かいるんじゃないの? いるなら開けなさい」
呼びかけに応じる気配はない。だって鍵がかかっている以上、この部屋には誰もいないはずだ。僕はここにいるし、琢磨は消息不明。ここにいるはずがない。
「紗枝さんにマスターキー借りた方が良いんじゃない?」
ドンドンドンとドアを叩いても、反応はない。
「まって、戻るの面倒だから、ちょっと試してみるわ」
そう言って、朝宮さんが前髪につけていたヘアピンを外す。横の髪がさらりと顔にかかり、少し色っぽいというかまた朝宮さんの雰囲気が替わった。僕は静かになるその横顔を見つめるばかりだった。
「さてさて、諸君。ようやく全員がそろったみたいね」
夕刻のオレンジ色が室内にうっすら差し込む。
「ここに集まってもらった理由は他でもない」
そして、その夕日を背に受け、一人の女がほくそ笑むように自分を見つめる視線に答える。
「と言うか、わざわざあそこまでする必要なかったんじゃないわけ?」
「ちょっと恥ずかしかったですですぅ」
「まぁまぁ。みんななかなかの演技だったよ」
「それにしても大樹さんには、ご迷惑をおかけしていると思います。きっと今も学園内を走り回っているんですよ」
そしてそのほくそ笑む笑顔に、どこか不満げな表情が返ってくる。
「そう揃って怖い顔すんなって。にしてもおめぇら、ここまで大掛かりにすることもねぇだろ? 紗枝ちゃんまで巻き込んでよ」
そしてその中で二段ベッドの一段目に腰掛けていた大和武蔵が腰を上げる。
「んだよ。てめぇだってノリノリで承諾したじゃねぇかよ」
武士が胡坐を掻きながらそう言う。
「とにかく、だ。第一段階は成功した。あとは、大樹がここに来るまでに俺たちは準備するぞ」
その中で一番の視線を集めるのは、譲治だった。
「お前ら、プレゼントは用意したかっ?」
譲治がテンションをあげようとするかのように声を上げる。
「おうよっ! ばっちりだぜっ」
武士がまずそれに応える。
「はいなのですですっ。美紀と一緒に選びに行ったですですよ」
「はい。ただ、時間がなかったので、ちゃんとしたものを用意できませんでしたけれど」
有美香と美紀もそれぞれ小さな紙袋を手にしていた。
「ほんとよ。もう少し早く教えてくれれば、片桐君の欲しいものとか探せたのに」
麗香も用意しているが、少し不満げでもあった。
「しょうがないよ。試験明けな上に譲治の唐突の思いつきだったんだ」
琢磨が眼鏡を上げながら苦笑する。
「しょーがねぇだろ。あんなみっちり勉強されられれば、いくらこの俺だってな、他の記憶領域まで侵されるんだよ」
「そうだぜ。一生分の勉強したぜ、俺はよぉ」
「何言ってるのよ。あれくらい普通じゃないのよ」
「いえ、兄さんにとってはそれくらい勉強をしていないという証なんです」
「私は参加しなくて良かったかもですですよぉ」
そして同好会メンバーはいつもの調子に戻り、わいわいと会話が弾む。
「ちょぉぉ〜っと、待ったぁぁっ!」
だが、その藹々の雰囲気を一蹴するように声が上がる。
「あたしを無視するなぁ〜。寂しいじゃんかぁ。うなぎは寂しいと死んじゃうんだからねぇ〜」
よよよ、と、那美が泣き崩れるように構って欲しいと声を上げる。
「いや、うなぎは寂しくても死にはしねぇだろ」
大和があきれたように言う。
「あり? そだっけ?」
大和の突っ込みに、那美が首をかしげる。
「ちなみにうなぎじゃなく、その俗説はウサギのたとえだ。でも、ウサギは実際は群れを成していても、単独行動もする動物だから、別に寂しくて死ぬような動物じゃないんだよ。その愛らしい姿に勝手につけられたイメージだね」
琢磨がすかさず補足するが、誰も大して聞いてはいない。所詮は那美の一人芝居ということで片付くらしい。
「それよりもお前ら。暢気に話してる場合じゃないだろ。大樹との連絡も経った以上、もうじき来るかもしれねぇだろ。祝うなら準備しておけよ」
大和がいい加減話が反れていると、修正すると、女性陣が先に動く。
「ケーキは大和さんが用意してくれるって言っていたけど?」
「ああ、さっき買ってきてやったぞ。吾妻の財布で」
麗香がケーキは? と大和を見ると、大和がケーキの箱と財布を持っていた。
「なっ! てめっ! それ俺んじゃねぇかっ!」
武士が聞いてないと、財布を掻っ攫うと、その中身を見た。
「ってマジで俺の金じゃねぇかよぉぉっ!」
武士が財布の中から一枚の紙を見つけ、それを見て叫んだ。
「あら、領収書ね」
「ほんとなのですです」
「でも、同好会に予算はありませんよ?」
「いや、そもそも正式結成していないからね」
「だから、武士の領収書だぞ、これ」
見せびらかすように見せる領収書には、吾妻武士と、宛名先に記されていた。菓子店の名前入りで、正真正銘本物だった。
「てめぇっ! 何人の金つかってんだよっ! 大人が払うもんだろうがよっ」
さすがに財布の中がすっからかんになっていることに武士がきれた。
「片桐大樹の誕生日を祝うんだろう? 俺の金より、お前の金でケーキを買った方が、あいつも喜ぶだろ」
大和がそうだろ? と武士を見る。
「お、おお。そうか。俺が大樹のためにケーキを買ってやったってことか。おお、確かにそれなら大樹も喜ぶな」
納得した。満足げに微笑む武士と、大和。しかし外野は気づいていた。
「乗せたな、あのやろう」
「乗せたね」
「はい。まちがいなく。それもあのお店でも一番高いケーキです、あの箱」
「というより、乗せられたあいつもあいつよ」
「ふわわ、でもでも、ハッピーなのは変わりないですですよ」
大和の口車に乗せられ、満足げにしている武士だが、外野はそれをあきれてみていた。
「さてと、そろそろ俺らも残りの準備すっかっ!」
そんな空気を譲治が正す。
「部屋の装飾もまだ終わっていないみたいだし、僕らも手伝うよ」
予め打ち合わせをしていた面々。
「はい。私たちだけではまだ途中でしたので、お願いします」
「そうなのですです。時間が足りないのですですよ」
美紀と有美香がテーブルの上に置かれていた紙輪などの飾りに手をつける。
「那美。大樹の方は大丈夫なのか?」
大和が那美に聞く。
「もっち。片桐君、今頃走り回ってるよぉ、きっと。何かサァ、大樹君があたしのために走り回ってくれるのって、嬉しいよねぇ〜」
そして、その中で一人身悶えているのは、上条那美。
「つーかよ、何でてめぇが仕切ってんだよ?」
そして、相性が悪い武士が思ったことを口にする。
「何だよぉ〜。頼んだのはそっちだぞぉ〜? あたしに泣き縋ってきたじゃんかぁ」
大樹のベッドに腰を下ろし、那美は足をぷらぷら揺らせている。美紀と有美香は飾りつけの製作を急ぎ、麗香もそれを手伝っている。
「誰も泣き縋ってはないでしょ。それよりも上条さんって、こいつらと接点があったのね?」
まだ未承認の同好会に入部して日の浅い麗香にしてみれば、那美が自分以上に譲治たちとの仲が良いことに疑問なり何なりがあるのだろう。
「上条さんとは、一年の頃から知り合いでね。譲治並みのテンションだから、妙にノリが良くて、気がつけば何かと首を突っ込んできてたんだ」
「ああ。那美は呼んでねぇのに、そこにいるような奴だからな」
琢磨と譲治の言葉に、妙に納得するように頷く麗香。
「ちょっとちょっとちょっとぉ〜。それじゃ、あたしが厚かましいみたいじゃんかぁ」
しかし那美が大樹のベッドに横になり、駄々をこねるように手足をばたつかせる。
「いや、その通りだろうがよ」
武士が突っ込む。
「うわぁ〜んっ、一番厚かましい人に厚かましいって言われたぁ〜。ゆみっちのぽにょぽにょおっぱいであたしを慰めてぇ〜」
がばっと、目の前のテーブルでいそいそと装飾を作る有美香に後ろから抱きつき、有美香の胸に手を当てた。そして、揉んだ。
「ふわわわわぁ〜、な、ななな何ですですかっ!?」
有美香が驚きの声とともに、頬がぽんっと染まった。
「いやぁ〜、ゆみっちのおっぱいは気持ちが良いねぇ〜。おっきくないのに、なぁんでこんなにぽよぽよしてるのぉ〜?」
もにゅもにゅもにゅもにゅ。那美が有美香の胸をそんな感じで揉む。
「ふわっ、ふぁ、あ、あの、あのの、だめですですよぉ……」
有美香がうろたえる。だが、それは狼狽ではなく、堪えるのに必死、という表情だ。
「上条先輩、有美ちゃんが嫌がっています」
美紀が呆れたように言う。
「美紀たんも触ってごらんよぉ〜。気持ち良いよぉ?」
だが、止めるどころか、誘う。甘い蜜をその手に抱きながら。
「ふぁっ……んっ……はわ……ふ…ん……っ」
その間有美香は顔を染め、耐えようとしているが、声が漏れる。
「そういうことではなくてですね……」
「いい加減にしてあげなさいよ。男子が困ってるでしょ」
美紀に加担するように麗香が呆息を吐く。その傍では、琢磨がどこか気恥ずかしそうに視線をそらしながら、作業をしていた。
「武士、これはそこに吊るした方が良くないかい?」
「おう、任せとけ。大樹を喜ばす為なら、どんなことだってやってやんぜっ」
武士はまるで気にしていない。琢磨が二人を視界に捉えないようにしているのがばればれだが、武士は本当に意識することがないように作業していた。
「性少年と青少年だな、お前ら」
そんな二人を譲治が笑う。しかし、次の瞬間、譲治は有美香と那美を直視した。
「76」
そして、唐突に数字を呟く。
「なっ」
譲治の視線に気づいていた麗香が、譲治に視線で止めなさいよ、と訴えていたが、譲治のその言葉に、視線のたどり着く先と照らし合わせて意味を把握したのか、驚きの声を漏らす。
「んっ、んんっ」
その後ろで琢磨が譲治の言葉に、ちょっと咳き込む。
「おめぇ、風邪か?」
武士は気づかない。むしろ、琢磨を気遣った。
「兄さん……」
美紀は、何を馬鹿なことを……。と、冷たい視線を兄に差し向ける。
「いやいやぁ、譲ぴょん、それは間違いだぜぇ?」
そして、相変わらず有美香の胸を揉み続ける那美が、へっへ〜と笑う。
「75だな」
「ふわわっ!?」
その声に有美香が一番大きく反応した。そして、その言葉の発起人に、視線が集まる。
「うん。間違いない。75だな」
あごに手を沿え、ひたすらに直視。譲治にも負けないその熱視線。
「那美」
「あいあい?」
大和だった、その男。
同時に、室内の空気が、当人たちを除き冷ややかになる。作業していた琢磨、武士も大和を見ている。その上、麗香と美紀の視線は誰よりも冷たくなる。
「ちょっと俺と変わらないか?」
その空気を読むことなく、言った。欲望に忠実に。
「……ふぇえっ!?」
一瞬、静寂があった。誰もがその言葉を脳内で反芻させた時間だ。だが、それを被害者有美香が驚きの発言で空気が一気に突っ込みに変わる。
「大和さん?」
美紀が鋭く冷たい視線を向ける。
「ちょっと、何言ってるのよっ!」
麗香は普通に突っ込む。
「それはやっちゃいけないことじゃないですか?」
琢磨も苦笑する。
「てめぇ何考えてやがんだよ」
武士があほか、と突っ込み、
「ロリコン」
譲治は冷静に突っ込んだ。
「はうっ!」
だが、その言葉に一番衝撃を受けたのは、大和でなく、有美香だった。
「はぅ〜……」
有美香が落ち込むが、那美は相変わらずぽにゅぽにゅ揉んでいる。
「譲ぴょん、それは女の子に聞かせちゃダメだってばぁ〜」
那美が言う。
「全くだ。良いか、一ノ宮」
自分が蔑まされているはずだというのに、大和は平然と譲治に説教するように視線をはずした。何事か、と全員の視線が集う。
「確かに阿部はちっせぇ。でもな、胸は関係ねぇ。でかいのが好きなやつ、小さいのが良いやつがいる。でもな、そいつは根本が違う。男にとっちゃ、胸のサイズじゃねぇっ。女の胸が良いんだよ」
言い切る。まっすぐに。
そして、訪れた。完全なる沈黙が。完璧なる冬の到来が、この空間に訪れた。
「……」
揉み続けていた那美の手が止まり、有美香は少し上気したまま固まり、麗香は汚物を見るような視線を見せ、美紀は譲治に冷酷な視線を送る。妹に逆らう術を持たないことを自覚している兄は、その意味を理解し、仲間を呼ぶ。
「武士、琢磨」
リーダーの言葉は部員には絶対。部員の男三人は、頷き合い、大和の腕と体を取る。
「おい、何しやがるてめぇら」
体の動きを封じるように掴まれた大和が問いかける。男たちは答えない。ただ、この空気を生み出したウイルスを隔離するかのように、ドアへと向かう。
「お前たちは準備の続きをしてくれ。俺たちはこれからウイルス駆除を行う」
譲治の最後の言葉だった。
武士に体を抑えられ、琢磨がドアノブに手をかけ、念のために掛けていた鍵を解除しようとした。
『三年男子っ! これから掃除よっ、掃除っ! 全員部屋と自室前の廊下の掃除っ』
しかしその時、そんな怒号が響いてきて、琢磨の手が止まった。
廊下の向こうで、聞こえた声に、一同の表情が驚きに固まる。
「掃除? そんな指示してねぇぞ? つーか今の誰だ?」
大和が先に反応を見せる。
「この声は、朝宮七美。生徒会長だね」
琢磨の情報網に引っかかる少女。
「あぁ、この声は間違いなく奴だぜ。でもよ、何で男子寮にいんだ?」
しかし、その情報網だけではなく、彼らにとっては何かを顔を合わせる機会の多い、それもあまりよくない意味で互いに知る存在であり、譲治、琢磨、武士にとっては、大樹と共にクラスメイトでもある。
「朝宮は自宅通学じゃなかったか? もう完下校時間は過ぎてるだろ?」
譲治もこのことは知らなかったようで、驚いていた。
「ちょっと、どうするのよ?」
麗香が作業を中断して今後を問う。別に女子がいることに対しては男子寮においては違反ではない。ただ、外から聞こえてくる声に耳を澄ませると、朝宮七美は一部屋一部屋をチェックしているような声が聞こえてくる。
「居留守だ」
譲治がつぶやいた。
「え?」
「は?」
「あん?」
琢磨、武士、大和が譲治を見る。居間の方では美紀、有美香、麗香、那美も何故? という具合に首をかしげていた。
「この状況で、美紀たちがここにいるのが朝宮にばれてみろ。また何か言われるのがオチだろ」
譲治にしてはまともな判断だが、これを仕掛けた当人である以上、あまり説得力があるようには、思えない。
「俺が行きゃいだろ。この時間に掃除なんてするもんじゃねぇしな。お前たちは準備しとけ」
大和が武士の腕を外し、ドアノブに手を添えようとした。
―――ガチャガチャ。
その時、ドアノブが回される。無論、鍵がかかっている分、開かない。だが、唐突のその音に、不覚にも男子は驚き、大和も止まった。その脇から譲治が覗き窓を見て、小声でつぶやく。
「大樹が一緒にいる。今は出るな」
その一言に、室内に動揺が走る。武士が同じように覗きこむ。
「おいおい、何で大樹があいつと一緒にいるんだよ?」
小声で話す間も、ドアの向こうからは朝宮がドアを叩いたりと、反応を待つ。小さな窓の向こうに見えるなかで、朝宮の隣に大樹がいて、女子は静かになった。
「準備は?」
「まだです、兄さん」
ガチャガチャとドアの向こうから掛けられるプレッシャー。
「はうぅ〜、どうなるのですですでしょうか〜……?」
有美香が考え込む男子たちの様子に、胸をもまれていることを一時的に忘れているのか、不安そうにつぶやく。
「またあたしがかく乱しよっか、譲ぴょん?」
那美が準備が整うまで、また同じようにする? と聞くが、譲治は首を横に振った。
「このまま居留守を使えばほかの部屋に行くだろ。しばらくは静かに作業を続けるぞ」
「俺は念のため、ここにいるぜ」
「僕も武士と見張っているよ」
武士と琢磨がドア前で見張りにつき、譲治と大和は居間に戻る。
「やっぱりあの時、出会ったのがいけなかったみたいね」
麗香が反省するように言う。
「あれはしょうがないよ。まさか大樹と朝宮さんが一緒にいるなんて思わなかったんだ」
琢磨と麗香は、大樹と朝宮が一緒にいるところに遭遇してしまったため、多少の責任を感じているようだが、いまさらのことだった。
「とりあえず、ちゃっちゃっと準備進めよぉ〜、冒険者がここまできてるのにボスが準備できてないのは格好悪いしねぇ〜」
那美が小笑いする。だが、その通りだといわんばかりに、全員が静かに残りの準備に取り掛かり始めた。
「朝宮さん、何やる気?」
僕は、少し大人びた横顔に見える朝宮さんの真剣な表情に、聞かずにはいられない。
「何って、鍵開けるんだけど?」
でも、どうしてかな? 質問に質問で返された気分だ。
僕は、たしかに周りに迷惑をかけるようなことをみんなでやったりしたことがある。それは自覚している。だから、罪悪感もあったりするんだけど、朝宮さん、君は間違いなく使命感だけでやってるよね? 罪悪感、感じてないよね? これは突っ込み待ちなんだろうかと思ってしまうくらいに、あまりにも自然な不自然だ。
「それは分かるけど、そのやり方は、どうなんだろう?」
ヘアピンを二本、ためらいもなく棒状に伸ばし、鍵穴に差し込む。周りはみんな掃除をしている中で、朝宮さんはドアの鍵穴に真剣に向き合っている。
「ちょっと黙ってて。気が散るから」
「はい……」
ぶっちゃけ、それ、犯罪だよね? 僕、別にそこまでして開けてなんて頼んでないし。朝宮さんを見てると、たまにテレビで見る窃盗犯みたいに見えるんだけど。
それから五分くらい経った。
「意外と難しいのね。ドラマとかすぐ開くのに」
ドラマは、ね。でも、現実じゃ無理じゃないかな……。
「感覚はなんとなく掴んできたから、もう少し待ってて、片桐君。今開けるから」
朝宮さんは真剣だ。だから、僕の方が自分の部屋だというのに犯罪者になっている気分がする。生徒会長が人の部屋の鍵をヘアピンで開けようと奮闘している姿は、なんともいえないシュールさがある。しかもここは男子寮。女の子は朝宮さん一人しかいない。
「ここに、なにかあるのよ、ね。だから、こっちから……」
とりあえず鍵が開くなら開くで、部屋の中にある僕の鍵を取りに行けるから、もう少し待つ。
時々ごみ捨てに通り過ぎる男子生徒から、背中に不審な視線を感じて、僕は苦笑で答える。あぁ、その視線が余計に僕が悪いことしてるみたいに思えてくる。
さらにそれから五分は思いのほかすぐに過ぎた。順調に部屋の掃除をしている中で、時間の経過とともに、朝宮さんは涼しいくらいの寮内の空調が利く中で、額の汗を軽くぬぐった。
「おっかしいわねぇ。ドラマの中じゃ、ちょちょいと差し込んで、くりっと回転させたら開くのに」
ドラマならそうなのかもしれない。でも、ここは寮。そんなに古い建物でもないから、そう簡単に開くとは思えない。
でも、僕はただ待つだけ。
それでも時間は過ぎていく。
「んん〜?」
最初は揚々としていた朝宮さんが、少しずつ不満というのか、思い通りに行かないことに、憤慨しているみたい。
「何で開かないのよぉ」
時間はどんな不平不満を言おうと、思い通りに行かないことに苛立とうと、過ぎていく。そして徐々に男子寮が静けさを取り戻していく。掃除が少しずつ終わる部屋が増えてきた。
「ん〜……はぁ」
朝宮さんの気が少しずつ立ってきている。
「もうそろそろ、諦めた方が……」
「集中してるの、黙って」
僕が声をかけると、そんな返事しか返ってこない。
「……あ〜もぉっ」
頭を一度掻いて、ため息のようなストレスの息を吐いて、朝宮さんはまた、鍵開けに取り組む。
普通、ここまでやってダメならこのピッキングは失敗と諦めると思うんだけど。
そして、時間はさらに過ぎていく。
「朝宮さん、もう良いんじゃ……」
「感覚は掴んできたわ。あと少しで開けられるから」
そういう問答を繰り返して、気づけば掃除していたはずの寮内は、すでに静けさを取り戻しつつあり、早々と掃除を終えた生徒は食事や風呂の支度をして出かけていた。僕もそろそろおなか空いてきたなぁ。
「あ〜っ。……ダメダメ。こういうのは落ち着いて、颯爽とやるのが良いのよ、あたし」
一度自分を取り戻そうとして、深呼吸した朝宮さん。僕はそれを見ながら、何度となく、紗枝さんの所に行って、事情を話して鍵を開けてもらったほうが早かったなぁ、と思った。
―――カチャ。
「え?」
「―――っ」
でもその時だった。ヘアピンの形を幾度となく折り曲げては調節し、ひたすら鍵穴に向かってピッキングしていた朝宮さんが、喜びの吐息を漏らしながら、僕を見上げた。
「開いた?」
「うん。開いたよね? カチャって音したよね?」
興奮したように立ち上がり、僕を見る。それは長年のわだかまりが解けたような開放感を表すようで、まさか本当に開くとは思わなかった僕にも、やっと開放されたという喜びがジワジワと湧き上がってきた。
「すごい……ほんとに開いたんだ」
「ふっふーん。あたしってば、すごいっ! 才能あるんじゃない?」
いや、それはないんじゃないかな。
喜ぶ朝宮さんに、結果的に三十分以上かかったことに、ピッキングの才能があるとは思えなかったけど、良かった。
「鍵も開いたことだし、入りましょ」
「そうだね」
問題が解決した。だから、僕らは本来の目的の部屋のチェックに入ろうとした。
―――ガチャ。
「え?」
「ん?」
喜んでいた僕らに静かな音が、無常にもこれまでの苦労を水に全てを流してしまうように、乾いた音を響かせた。
僕らは一度顔を見合わせ、恐る恐る朝宮さんがドアノブに手をかけた。
「んふふ〜」
そして顔だけが僕に振り返る。笑顔だ。でも、細くなっていても、見える隙間からの笑顔には、言葉があった。
―――なんで閉じた?
「あはは?」
だから僕も笑った。
―――僕に聞かないで。
と。
「何でよ?」
その笑顔が急速に不機嫌に変わる。
「開き具合は弱かった、とか?」
なんで僕が責められるんだろう。
「……そうね。そうかもしれないわ」
でも、朝宮さんは堪えた。
「あたしも初めてやったわけだし、甘かったかもしれないわ」
初めてのピッキングが僕らの部屋なんだ。嬉しくはないね。
朝宮さんは気合を入れなおすようにまた、ピッキングに取り掛かる。
「おい、琢磨。何の音だ?」
居間では譲治の指揮の下、誕生日祝いの装飾が質素な部屋を華やかに彩られていく。
「うーん、大樹の姿は見えるんだけど、朝宮さんのすがたが、ちょっと見えないね」
玄関番をしている武士と琢磨は、不穏な音を察知していた。
「ま、どーせ準備終わんねぇとどうしようもねぇか」
「大樹には悪いけど、後で喜んでもらえるなら、耐えてもらうのが良いさ」
しかし、居間の様子を見た二人は、それを気にかけることを止めた。
「兄さん、それは窓側のほうが良いです。玄関側とは色合いが少し合ってません」
美紀は譲治に自分たちで作った紙飾りを壁につけてもらっている。身長の差がある分、男手は必要だった。
「そうか? こっちのが相反する色で、何事にも対抗する俺たちらしいだろ?」
玄関で筋肉とめがねが肩身を寄せ合い玄関番をしていた二人とは裏腹に、居間は最終準備に沸いていた。
「相反する必要があるわけ? そんなことばかりするから、生徒会に目をつけられるんじゃないの?」
麗香が卒業する年でもある以上、余計なことはしない方が良いし、したくもないという風に言う。
「いや、この前まで何だかんだでお前、あちこちと対立してたろ?」
楽な道ではなかった。麗香にとって素直になれる仲間きっかけは、大樹がさまざまに心を痛めながらも、その氷は譲治の思惑通りにこちら側に溶けた。それ以来、麗香が今までの女友達と表面上だけで通用していた関係は崩壊し、大和の強烈な脅しのような叱責に、問題は沈静化しているようだ。
「そ、それとは関係ないでしょっ。別に好きでそうなったわけじゃないわよっ」
顔を赤くして麗香が視線をそらすようにテーブルのセッティングをしていた。
「争いはダメですですよぉ。みんな仲良く、ラブ&ピースですです」
「ゆみっち、それじゃダメダメなんですよぉ。みんなが仲良かったら、面白くないじゃんかぁ。少しくらい悪いことするお馬鹿がいる方が、楽しいんだよ〜ん」
「ああ、那美の言うとおりだ。だから那美。俺にも安部の胸を少し触らせてくれ」
「それはただの変態よっ」
「冗談も大概にしてください」
「だ、だめなのですです〜」
「てめぇはいつまで少年でいるつもりだっての」
大和だけが集中砲火を浴びる。
「冗談だろうがよ。むきになんなって」
わざと大和は楽しげな雰囲気になるように言っているのだろう。本人は何を言われようと笑っている。だが、年頃の子供にしてみれば、そういう大人こそ気をつけるべきだと学習してきた分、双方の冗談の度合いには大きな差があった。
「それにしても、毎年、こういうことするの?」
同好会に入りたての麗香が不意に、誰にでもなく訊ねる。
「そーそー。あたしは初参加だよぉ。三年も付き合ってるのに、なぁんで今まで教えてくれなかったのさぁ」
那美も麗香の質問の意味を理解して、訊く。
「恒例行事、なのですですかぁ? はっ、となるとですですよ、私もお祝いされるのですですか?」
有美香も譲治たちとの付き合いとしては、最近になり、それが深くなった。
「そうですね。とは言っても、兄さんがいつも言いだしっぺなだけですけれど」
「言いだしっぺだけじゃねぇよっ。ちゃんと準備参加してるし、盛り上げてるだろ、俺」
譲治が後はほったらかしと美紀に言われたと思ったのか、弁明する。
「でもまぁ、昔からやってるしな」
「はい。騒ぎたいだけ、というのが本音だとは思いますが、誰かの誕生日にはいつも色々なことをしてますよ」
譲治と美紀の話に、一同がへぇ、と納得の声を出す。
「最近じゃそういうことする子供も減ってるだろうに、律儀だな、お前ら」
大和さんが笑う。その言葉に美紀が譲治を見る。
「そりゃぁな。めでたいことだしよ」
確かにめでたい日だ。だからこそ、同好会のリーダーとしては美紀ではあるが、昔からの仲間、としてのリーダーである譲治はそれを執り行う義務があるようでもある。
「つーわけで、麗香、有美香。お前らの今年の誕生日は覚悟しとけよ」
びしっと、悪戯な笑顔の譲治。
「こっちの都合も考えてくれるなら、歓迎するわよ」
「はいなのですっ! どーんと来いですですっ!」
麗香と有美香はそれぞれに思うことはあるようだが、祝われること、仲間として認められたような譲治の笑いに、引き込まれて笑っていた。
「ちょぉ〜っと、待ったぁっ!」
だが、その笑いを那美が打ち破る。
「あたしっ! あたしはっ? あたしもいるじゃんかぁ。ねぇねぇねぇねぇ、あたしはぁ?」
那美が自分だけ呼ばれてないことに不満そうに手を上げる。
「お前、別に入部してないだろ」
そこへ譲治の冷静なお言葉。
「はうわっ!? こんなに時間を浪費して一之宮君に身も心も尽くしてきたのに、あたしには、たったそれだけの理由で何もないのっ!?」
傷ついたと言わんばかりに有美香に抱きつく。
「別に落ち込むことじゃないでしょ? 私は同じクラスだし、何か欲しいものがあったりするなら、聞いてあげるわよ?」
たかが誕生日を祝う祝われるくらいで、と麗香が高校生である自分たちにとっては、それほど大事だとは思っていないようだ。
「よよよ……。慰めは良いの。あたしは都合のいい女。あの人が喜んでくれるなら、たとえ火の中水の中、ゆみっちのスカートの中だって、喜んで飛んでいくから」
泣き崩れるようにわざとらしく有美香に下半身に抱きつく。その手はスカートに伸びた。そして、すっと、分けもなくスカートの中へ手が入る。
「ふわわっ! 手を入れないで下さいですですっ!」
あわてて有美香が那美から飛びのく。顔は真っ赤だ。
「ちぇっ。もうちょっとでゆみっちの丘にたどり着いたのにぃ〜」
先ほどのしおらしさなどなく、飛びのいた有美香に頬を膨らませて、触らせてよぉ、と視線で訴えているが、有美香は誰も逆らえない美紀に守られるように隠れた。
「なぁ。何で俺が変態で、那美は許されるか議論したいと思うぞ、俺は」
大和は大和で変態な疑問を口にする。
「身分をわきまえろっつってんだよっ」
いつもは譲治が突っ込みをくらう相手だが、今日は立場が二人、逆転していた。
そんな他愛ないことで盛り上がる様子を、男衆は静かに見つめていた。
「くっそー。何なんだ、何の勝負もしてねぇのに、完全敗北したみてぇな感はよ」
「同意……したくはないけど、同感だね」
玄関の幅の狭い通路で男二人、羨ましそうにその声を聞かされていた。
―――カチャ。
その時だった。二人の目の前のドアノブの鍵が、横にロックがかかっていたはずだが、縦に切り替えられた。
「? おい琢磨。何鍵開けてんだよ。大樹が入ってきちまうだろうが」
「え? 僕は何もしてないよ。武士が開けたんじゃないのかい?」
そこで二人の視線が交わる。そしてドアノブへ。
「鍵はてめぇが持ってんだろ?」
「……あぁ。大樹は部屋に置きっぱなしだったみたいだし、僕の鍵はここにある」
目の前には、琢磨の部屋鍵があり、部屋の奥の大樹の机には大樹の鍵がある。しかし、ドアの鍵は開いている。
二人は言葉を交わすことなく覗き窓に押しつ押されつ覗き込んだ。
『開いた?』
『うん。開いたよね? カチャって音したよね? 絶対した。絶対開いたわっ』
『すごい……ほんとに開いたんだ』
『ふっふーん。あたしってば、すごいっ! 才能あるんじゃない?』
そんな声とともに盛り上がる二人の姿が、武士と琢磨の覗く窓の向こうで見られた。
「おい、開けたのか、朝宮が?」
「……うちの生徒会長は、ピッキング能力があるとは驚きだね」
外の様子を見た二人は、つられて喜ぶ大樹ではなく、生徒会長という立場である人間がピッキングを成功させたという事実に、居間とは異なる渋い表情を見せていた。
「開けやすいのか、寮の鍵はよ?」
武士が聞く。
「いや、持ってるのは……ヘアピンみたいだ。ヘアピンで開けるには、このドア鍵は難しいと思うんだけどね」
琢磨は鍵屋の息子。だからこそ琢磨が朝宮を見てヘアピンで開けたという事実を武士も信じられないようだ。
「とりあえず閉めとくか」
「入られるとまずいからね」
二人は頷き合い、喜んでいる二人がドアを開ける前に、ロックを横に戻す。
―――ガチャ。
「とりあえず、大丈夫だろ」
「そうだね。あっ、でも、気づいたみたいだ」
二人が交互に覗き窓を見る。そのドアの向こうでは、鍵が閉まったことに気づいた二人が、なにやら笑っていた。
「何で笑ってやがんだ?」
「さぁ?」
だが、その笑いはすぐに収まり、再び朝宮がドアへと近寄り、二人の視界から消える。
「お、おい、琢磨。朝宮の奴、また開けようとしやがんぜ」
覗き窓には再び大樹が一人。そしてドアノブが、カチャカチャと不自然な音を発す。
「まずいね。朝宮さん、維持でもピッキングする気だよ」
二人が準備が終わっていない居間を見て、頷きあった。
「一回開けたら、あとは楽よ楽」
鍵が閉まったドアノブに、また朝宮さんは立ち向かう。
―――カチャ。
「ほらね?」
「す、すごいね……」
さっきは三十分はかかっていた鍵を、今度は五分もしないうちに朝宮さんは開けた。
「やっぱりあたし、才能あるのよ」
自慢げに笑顔を見せる朝宮さんに僕は、ちょっと不安を覚える。
「さ、今度こそしっかり開けたから、入れるわよ」
でも、一応、鍵が開いたのは良かった、かな?
朝宮さんがドアノブに手をかけて、ドアを開けようとした時だった。
―――ガチャ。
そんな音が、ドアノブから聞こえた。
「……」
「……」
僕らは顔を見合わせた。
「ん」
朝宮さんは静かにドアノブを回す。ガチャガチャとドアは開かない。
「片桐君」
「な、何?」
その不自然すぎる音。それはもはや疑う余地のないことのはず。
「寮の鍵はいつオートロックになったわけ?」
朝宮さんは不機嫌だ。今度は先ほどより何倍も早く開けられたのに、その喜びに身を浸そうとしたら、無常に鍵が閉まる。朝宮さんは、それが気に食わないみたいだ。
いや、そもそもありえないし、そんなこと。鍵を開けたらすぐに鍵が閉まるオートロックとかどんな鍵なわけ? 部屋に入れないし、そんなすぐに鍵が閉まるなら。
「いやいや。そんなわけないから」
オートロックとかそこまでお金かけて作るような男子寮はないって。
「じゃあ何なのよっ! 見てなさいよ? 良い?」
僕にキレられても困るんだけど、朝宮さんは、またピッキングを始める。
「おい、またかよ、朝宮のやろー」
「諦めが悪いみたいだね」
ドアの向こうでは朝宮が懲りずにまたドアの鍵を開けようとする。数度ドアの鍵が持ち上がろうと震え、それが続いた後に、
―――カチャ。
と、横にあった鍵が縦に持ち上がる。
「ったくよぉ。だんだん開けんの早くなってんじゃねぇか」
「でもまだ入れるわけにはいかないみたいだ」
そうして、武士は、縦になっていた鍵を横に倒した。
―――ガチャ。
それは、もうなんていうのか、山彦みたいな感じだった。何度となく繰り返したせいで、朝宮さんはすっかりこの男子寮の鍵なら開けられるであろうピッキング能力を習得した。
でも、山彦は発せられれば返ってくる。
その証拠に、カチャと開いた鍵が、開いたという余韻に浸る間もなくガチャっとしまる音になって聞こえてくる。
「……」
そのたびに、朝宮さんの、僕よりも小さな背中から、僕よりも大きい不機嫌を召喚する黒いオーラが出てくる。
「……」
朝宮さんは無言のまま、再び鍵穴にヘアピンを突っ込んだ。
僕にはもう、声をかけられそうにない雰囲気が漂っていた。
―――カチャ。
「おいおい、まだやるつもりだぜ、あいつ」
ドアの向こうで、武士が呆れたように鍵を見る。
「懲りないというか、負けず嫌いなんだね、朝宮さんは」
琢磨もさすがに懲りずにやられることに、本質を感じ始めたようだ。
「おい、譲治。準備はまだかよ?」
小声で呼びかける。
「もう少しだ。もう少し時間を稼いでいろ」
譲治は武士と琢磨の様子を見て、事態を把握しているようで、他愛ない会話をしながらも美紀たちの指示に従い設置していた。
「んじゃ、またこうするだけだな」
「そうだね」
武士がまた、鍵に手を伸ばした。
―――ガチャ。
「……あの、さ」
無常の調べが朝宮さんが鍵を開けると同時に返事をした。
「……」
朝宮さんは、まだ立ち上がっていない。ただ、ヘアピンを抜いた瞬間に、鍵が閉じ、固まっていた。
何を思うのかは、僕には分からない。でも、答えはひとつ出せた。
「……何としても入らせないわけね?」
ごごごごご。とでも音がしそうなくらいの静かな対抗心が燃えてる。
「みたいだね……」
誰かが部屋の中にいる。ここまで何度も確実に鍵が開いたはずなのに、そのたびに鍵が閉まる。普通そんなことはありえない。だから、考えられるのは、このドアの向こうに、誰かがいる。それが琢磨なら、こんなことはしないはず。さっきの呼びかけに開けてくれるはずだ。でも、それがないということは、考えられるのは、ただひとつ。
「さっきの連中。どうやらここをアジトにしてるってわけね」
そう。あの黒装束の変な仮面の集団。僕らユースウォーカーズのみんなを連れ去ったメンバーが、なぜか僕の部屋にいる。でも、何でだろう? ここにその人たちがいるかもしれないというのに、別に怖くなかった。何かもう、いつもの感じがするから。
「片桐君。ひとつ、頼みがあるの」
「頼み?」
朝宮さんが立ち上がり、僕に耳打った。
「え? 出来るかな、そんなこと」
「やるのよ。じゃないと片桐君、自分の部屋に入れないのよ?」
そう言われるとそうなんだけど、今だって鍵が開いた瞬間に鍵が閉まった。朝宮さんの提案は難しそうな気がする。
「やるわよ」
「わ、分かった」
ここまできたら、やるまでやるわよ、と対抗心に火がついた朝宮さんは、もはや僕の考えを聞いてくれるような様子はなく、すっかり目的が摩り替わっている気がした。
「お? 何か話し込んでるな」
「どれどれ? 本当だね」
武士と琢磨は、交互にドアの向こうでなにやら耳打っている様子に、何事かを考察していた。
「諦めんのか?」
「別の方法で部屋に入ろうと考えているような気もするけどね」
話し合う二人をよそに、再び朝宮はしゃがみこみ、ピッキングを開始する。そしてそれまで後ろにいたはずの大樹が、覗き窓を指で抑え、真っ暗になる。
「ちょっ、見えねぇじゃねぇかよ」
「どうやら室内に誰かがいると理解されたみたいだ。武士、鍵に注意だよ」
琢磨は今更になって、やっと二人が室内に人間がいることに気づいたのかぁ、と苦笑しながらも、鍵から聞こえるピッキングに注視していた。
―――カチャ。
そして聞こえた鍵の解除の音。
「やれやれ。諦めの悪ぃ女だな、おい」
そして、武士がまた同じように鍵を横に倒そうとした。
「武士っ」
「んおっ!?」
だが、鍵が閉まることはなく、琢磨が武士を呼び、武士がとっさにドアノブに手をかけたが、その勢いは、ドアの向こう側が強かった。
ガチャリとドアが開く。
「朝宮さんっ」
そしてその隙間から大樹の声がした。
「武士っ、閉めるんだっ」
「おうよっ!」
朝宮がピッキングし鍵が開いた瞬間に、大樹がドアノブを回した。想定外のそのコンビネーションと素早さに、武士と琢磨は出遅れ、ドアが少し開いた。だが、ドアノブを握るのは武士。学園内においても有数の力の持ち主。うおぉりゃっ! と勇みこむようにドアをひきつけると、開きかけたドアは再び閉まろうとした。
―――ガッ!
だが、ドアが閉まることはなかった。
「……ふ、ふふっ、ふふふ……」
ひどく不気味な声が、それ以上閉じることのないドアから室内にもれこんでくる。
「ちっ、足入れやがったぞ」
武士が視線を落とすと、ドアの所に女性との足がこれ以上ドアが閉まることを防いでいた。武士の力を持ってすればその足をどかえて閉じるのは容易いだろうが、武士は女に手を上げない主義の以上、それ以上ドアが開くことを防ぐだけの力でドアを抑えていた。
「……ふ、ふふっ、ふふふ……」
朝宮さんの考えは簡単だった。朝宮さんが鍵を開けた瞬間に、僕が全力でドアをあけ開く。そして、ドアが少しでも開いたら、朝宮さんがドアに足を入れ込み、閉じられないようにする。それだけだった。だからそのためには内部にいる人間に悟られないようにドアの覗き窓もふさいだ。かえって警戒されるんじゃ? と思ったけど、思いのほか成功したことには驚いた。
そして、朝宮さんが執念で勝ち取ったように、でも、聞いていると、、まるでドアを開けたらそこには亡霊が覗き込んできたような不気味さしか感じられない笑い声を浮かべていて、それを後ろから見るのは、さらに不気味だった。
「……さぁ、観念しなさーい……生徒会長朝宮七美を敵に回したこと、後悔させてあげるわよぉ」
ふふふ、と不気味な笑みが怖いです、朝宮さん。苛々しているのは分かるけど、もう少し女の子として落ち着いて欲しい。
「生徒会長として命じるわ。今すぐ室内を開放しなさい〜」
どろどろどろ〜とでも音楽が鳴りそうな声色で、朝宮さんがドアをがっちりと掴んだ。
「ちょっ! マジ怖ぇよっ」
「ぶ、不気味、だね……女の子の顔では、ないかな……?」
そして朝宮さんが、ぎぎぎ、とドアを開けていく。その表情は僕からは見えないけれど、中の人の声を聞くと、すごい顔をしているみたいだ。
「さぁ、部屋を明け渡しなさ〜い」
そして、朝宮さんが僕の部屋のドアを力いっぱいに開け放った。
「うおっ!?」
「す、すごい……」
「お?」
「え?」
「ふぁ?」
「ん?」
「およ?」
「何だいきなり?」
そして、扉が開かれた瞬間、室内の様子が僕の視線に飛び込んできて、僕は固まった。
「みん、な……?」
その室内にいたのは、僕が探していた人たちと、意外な人が一人だけいた。
「あ、あら?」
そして、朝宮さんもまた、先ほどまでの亡霊から、普通に戻った。
「何してるのよ、あんたたち?」
僕の台詞なんだけど、朝宮さんが先に言う。
「あ〜っちゃぁ〜。おい、譲治」
「ばれたね」
ドアが開いて、そこには武士と琢磨がいて、武士は頭をかいていた。
「みんな……」
そして僕は、何事もなかったように僕の部屋にいる譲治たちを、ただ呆然とみんなを見るしか出来なかった。連れ去られたと思っていたみんながいた。それはきっと、何かしらの遊びなんだと思っていた。でも、どこを探してもいなかった。だから、それでも不安だった。譲治や武士はきっと一人でも大丈夫だと思った。でも、美紀や有美香はきっと一人じゃ不安になっていたはず。琢磨や湊川さんは力じゃなくても何かしら僕らと連絡を取る手段を講じているかもしれない。でも、一向に連絡はなくて、連絡があったときには、有美香の奇妙な悲鳴が聞こえた。それ以来音沙汰がなかったみんながそこにいて、僕はただ、嬉しいという実感がなかなか湧き上がってこないで、何を考えるべきなんだろうと、ちょっと困惑もした。
久しぶりに会う昔なじみ。昔は良く顔を合わせていたから気にしなかったのに、久しぶりに会うと、何を言えばいいのか、ちょっと迷うような感じだった。
でも、僕のそんな気持ちなんて、譲治にはどうでも良かったんだ。企みが成功した。
そんなことを考えているような表情で譲治がみんなに言った。
「お前ら。行くぞ」
その声で、室内の空気が変化した。
「おら、大樹。入れって」
「朝宮さんもせっかくだし、どうぞ」
僕と朝宮さんを武士と琢磨が招き入れる。僕の部屋なんだけど。
「ちょっと、何? 何なのよ?」
怒り顔もどこへやら。朝宮さんは僕と同じように困惑している。
いいから、と武士に背中を押されて、部屋に入る僕らを、驚きが待ち構えていた。
―――パンパンパンッ!
部屋の中には、譲治、美紀、有美香、湊川さん、上条さん、大和さんがいてみんなが僕らに向かってクラッカーを鳴らした。
「きゃっ」
「わっ」
僕らはとっさのことに身を縮こめる様に目を閉じた。
―――おめでとうっ!
そして、事態が飲み込めない僕らを、みんなが同じ言葉で包み込んだ。
「え……?」
気づいたとき、その言葉の意味に、僕は驚いた。だって僕は朝宮さんに出会ってから聞いた話だ。その時はまだ、みんなとの連絡が不通で、誰も知らないはずだった。
「大樹、おめでとう」
「大樹さん、おめでとうございます」
「大樹さんっ! おめでとうございますですですよっ!」
「おめでとう、片桐君」
「おっめでとぉ〜っ! 大樹く〜ん」
「こんなに祝われて、幸せだな」
「大樹、おめでとうだぜっ!」
「急だったから、ちょっと賑わいが足りないけど、みんなで用意したんだ」
譲治、美紀、有美香、湊川さん、上条さん、大和さん、武士、琢磨が僕にそう言ってくれた。
「みんな……知ってた、の?」
僕は朝宮さんを見た。朝宮さんはきっと僕と同じことを考えていたのかもしれない。どこからそのことが漏れたんだ? と。
「……そういうこと。良かったわね、片桐君」
「朝宮さん……」
さっきも朝宮さんは言ってくれた。生徒会としては目の上のたんこぶかもしれないけど、女の子としてクラスメイトとしては、がんばった結果が実ったことを喜んでくれた。だから、みんなのその笑顔を見て、朝宮さんは同じようにまた、喜んでくれた。
「みんなありがとう。でも、これはむしろ譲治と武士、有美香の頑張りがあったからだよ」
「そうね。まさかあんたたち二人が通るなんて思わなかったわ」
僕と朝宮さんは、さっきも交わした会話だというのに、笑っていた。だってこれは僕が祝われることじゃない。むしろ僕はただその中にいた一人であって、その立役者は譲治たちだ。
「だから僕のほうこそ、おめでとうだよっ」
だから僕の方こそ、お祝いを言うべきだ。そう思って僕はみんなに言った。
みんなで成し遂げたんだ。だからみんなでみんなを祝うことこそが、ユースウォーカーズが本当に結成されたことになるんだ。誰か、じゃない。みんなだ。
きっと僕を驚かせようと、みんなが僕に仕組んだんだろう。スピーカーから聞こえていた黒幕の声は、ここにいた上条さんの声と同じだった。きっと譲治がどこかから情報を聞いて、いつもの通り遊んだ。内心がほっとする中で、その声はぽつりと零れた。
「ん? 何言ってるんだ、大樹?」
それは譲治の口から零れた。
そしてその言葉を筆頭に、次々と僕の予想しなかった言葉が溢れた。
「大樹、お前何言ってんだよ? お前を祝うのに、何でお前が俺たちを祝うんだ?」
「確かにね。これは大樹の為のものだよ」
「そうですよ、大樹さん」
「はいなのですですよっ!」
「うんうん。あたしの作戦もばっちりだったもんねぇ〜」
『いや、それは微妙だった』
上条さんが白状した。やっぱりそうだった。その証拠に、僕のベッドのところに、見かけたあの黒装束と変な仮面が転がっていた。でも、ウォーカーズのみんなには、ちょっと不評だったみたいだ。
「ぅえ〜、ノリノリでやってたじゃんかぁ〜」
そんな不満そうな上条さんだけど、僕はみんなと何かが食い違っているものを感じていた。
「ねぇ、片桐君。気のせいかもしれないけど、片桐君は、これが何か分かってるわよね?」
湊川さんが僕とみんなの中で何かが違うことを確かめるように聞いてきた。だから僕は答えた。
「うん。ユースウォーカーズが同好会として発足したことのお祝いだよね?」
朝宮さんも僕の発言に同意した。
「まさか吾妻と一之宮が赤点脱出するとは思わなかったし、理事会が通達してきた以上、あたしたち生徒会は承認するしかなかったのよ」
全くぅ、と言いつつも朝宮さんはやっぱり受け入れてくれていた。
「は?」
「お?」
「え? 大樹、今、なんて?」
「すみません、もう一度お願いします」
「なのですです」
「ちょっと、今の本当?」
「うえぇ? そなの? そうなの? どうなの?」
でも、みんなが何かおかしい。みんな僕を驚いてみてくる。
「なんだ、大樹。お前は知ってたのか?」
そして、大和さんが僕に聞いてきた。だから頷いた。と入っても僕もさっき聞いたばかりなんだけど。
「あれ? みんな、知ってるんじゃないの……?」
朝宮さんが僕の疑問を代わりに口にした。
『え、えぇ―っ!?』
でも、その瞬間、僕の部屋は今までのお祝いムードが、明らかに別のことを祝うために用意されていた、とでも言うように、やはり僕とみんなの思っていたことが違うんだと、その驚きに理解した。
「おい、大樹っ、それ本当かっ?」
「そうなんですか、大樹さん?」
「マジかよっ、それはよっ!?」
「どこからその情報を聞いたんだい、大樹?」
「そうなのですですかっ!?」
みんながいっせいに驚く。中でも譲治と武士は僕に詰め寄るようにして聞いてくる。でも、僕は混乱していた。みんなが何を思ってこんなことをしたのか。
「え? 何? じゃ、じゃあ、これって何だったの?」
そうしたら、驚きながらも比較的冷静な湊川さんが教えてくれた。
「今日、片桐君、誕生日でしょ? みんなでお祝いしようって、準備してたのよ」
「え? あ……」
その言葉に、僕は部屋のカレンダーに目をやって、気づいた。
今日は僕の誕生日だった。それどころじゃない毎日にすっかり忘れていたけど、みんなはこっそりと僕には内緒で計画してくれていたんだ。みんなが連れ去られた事件も、僕の誕生日をこうしてお祝いするために、ちょっとしたサプライズ、ということらしい。
「だからあたしが仕組んだんだよぉ〜。どぉ? みんなとちょっと会えなかったのに、こうして再開してお祝いしてもらえると、嬉しい? ねぇ嬉しい?」
だから上条さんがいるんだ。同好会とは関係ないから、何でいるんだろう? と思ったけど、上条さんが黒幕になって、僕からみんなを拉致して、孤独を味あわせ、ちょっとした冒険のように学園内を探させて、この部屋はきっとボスの部屋として、僕がたどり着いた時、みんなで僕を祝ってびっくりさせようということだったんだ。
「あははっ、ちょっと、びっくりしすぎたかも……」
上条さんがやったーっと笑った。途中からなんとなく気づいていたことは言わない方が良いみたいだ。
「片桐君、誕生日だったの?」
「あ、うん。すっかり忘れてたけどね」
「そうだったのね。おめでとう。何も用意してなくて悪いんだけど」
「いいよ。朝宮さんには迷惑かけちゃったし」
僕らは笑った。僕らと譲治たちでちょっと噛み合わないお祝いだったけど、嬉しかった。
「いやいや、大樹。それよりもだろ?」
「そうだぜ。同好会発足ってマジなのか?」
でも譲治たちは僕に詰め寄る。
「そうよ。あんたらが赤点回避したから理事会が承認したの。明日からユースウォーカーズって言ったっけ? それは正式に聖生学園の同好会としての発足を認可したわよ」
朝宮さんがそれでもやっぱり心から祝福してくれるわけではないように言うと、皆が顔を見合わせて、少しだけ静かになったと思ったら、一気に溜め込んだ喜びが爆発した。
「いよっしゃぁーっ! 見たか、美紀っ。兄ちゃんはやったぜっ!」
「うおおおぉぉ―――っ! 赤点回避したぜっ!」
「ははっ。まさか本当に発足したなんてね、びっくりだ」
「喜ばしいことではありますが、私が部長になってしまうんですね……」
「ほっとしたのですですよぉ〜」
「これでやっと発足したのに、なんだか今更にも思えるわ」
みんながそれぞれに正式に発足する同好会に喜びと、これまでの勉強の努力が報われたことに一安心していた。
「じゃあみんなっ! 同好会発足記念パーティーッ! はじめるよっ!」
上条さんがコップにジュースを注いで乾杯の音頭を取る。みんなもコップを受け取り、にぎやかに嬉しさを表現しあっていた。
「朝宮。お前も一緒に騒いでいけ」
大和さんが朝宮さんにジュースを渡す。
「え? あたし関係ないんですけど?」
「どうせこいつらにこれから手を焼くことになるだろ。その前の息抜きってもんだ。帰りは俺が乗せてってやる」
朝宮さん的には早く帰りたいんじゃないかな、と思うんだけど、大和さんに誘われてジュースを受け取った。
「みんな〜、行き渡ったねぇー? それじゃっ、ユースウォーカーズ発足を記念して、かんぱ〜いっ!」
『かんぱーいっ』
上条さんが音頭を取り、みんながコップを鳴らした。みんなが楽しそうに、嬉しそうにする様子は、僕も自然と笑みがこぼれるくらいに嬉しかった。
でも、ひとつだけ、思うんだ。
「っしゃ! じゃ、同好会記念のケーキ入刀だっ!」
譲治が冷蔵庫からケーキを運んできた。それを見て、僕は思う。みんな、僕の誕生日をお祝いするために集まってくれたのに、目的が摩り替わってる。
なんて言うかさ、別にいいんだけど、かみ合わないままお祝いの言葉を受け取っただけで僕の誕生会が終わるのは、ちょっと寂しかったりしてね……。
「違うでしょ、一之宮」
「そうです、兄さん。このケーキは大樹さんのお誕生日をお祝いするためのものです」
「あっ……」
譲治がケーキにナイフを入れようとするのを、湊川さんと美紀が止めた。
「大樹さんが入刀してくださいですですよっ」
有美香がナイフを僕に渡してくる。
「え? 別に、僕はいいよ」
思い出されたように渡されると、それはそれで何だか恥ずかしい。
「じゃあ、あたしがやるーっ!」
上条さんが挙手した。
「あなた関係ないじゃない」
「はうっ」
でも、湊川さんに止められる。
「大樹がやるべきだよ」
琢磨にまたナイフを渡される。やりたい人が切ってくれて構わないんだけどなぁ、と思いつつ、僕は受け取った。
「どうせなんだし、二つを一緒にお祝いするとかでもいいんじゃないの?」
朝宮さんがそういう。うん、そうかもしれない。僕の誕生日だけど、正直僕も同好会発足ということの方が喜びが大きい。
「みんなで切ろうよ」
だから僕は誘った。このケーキは僕の誕生日祝いだけじゃなく、みんなにとって、これから始まる同好会の活動として、初めてのみんなで取り組む共同作業。その方が楽しいと思う。
「片桐君がそういうなら……」
湊川さんは僕の主張を受け入れてくれた。
「じゃあみんなでケーキカットしよっ!」
上条さんが盛り上げる。
「そうだな。大樹がそれで良いなら、その方が楽しいな」
それに譲治が乗る。普通は逆な気もするんだけど。
「おうよっ! さすが大樹。自分のことは二の次だな」
それは褒めてないよね、武士……。
「私はどちらでも構いません」
「わたしもなのなのですよ〜。でも、みなさんとやるのは楽しそうなのですです」
美紀と有美香の主張は僕らの判断に任せるというもの。いつも通りな感じだけど、有美香はみんなでやりたいみたいだ。
「お前らの好きにしろ」
大和さんは一人、テーブルに置かれていたお菓子やおつまみと酒……この人、自分の分だけはお酒買ってきてたんだ……。一人ですでに飲んでいた。
「あたしは別に良いわ。馴れ合うつもりできたわけじゃないし」
朝宮さんは事態が収集したことに安堵していて、大和さんと同じようにすでに食べていた。朝宮さんとしては面倒がなければそれで良いみたいだ。
「じゃあ、みんなでやろう」
僕の言葉にみんながナイフに手を乗せる。小さなナイフに八人が手を乗せると狭い。それにみんなが僕に寄ってくるから少し窮屈だ。でも、みんな同じように笑顔だった。
「じゃあ、これからのユースウォーカーズの活躍に期待をこめて、ケーキ入刀だっ!」
譲治が最後に音頭をとる。美味しいところといえばそうだけど、やっぱり譲治が先陣を切ると、僕らはいつも通りの僕らになった気がして、誰も合わせたわけじゃないのに、言葉が重なった。
―――おめでとうっ!
と、僕らが僕らのために、その祝いの言葉は、正式に決定したユースウォーカーズの本当の意味での最初の活動になった。
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次回更新予定作品は『ココクラ』です。
更新予定日は、8月31日を予定しています。
ココクラの次はsaiを更新します。