中らずと雖も遠からず
血相を変えたリリが、キアラの実家であるパン屋に駆け込んだ。
「どうしようキアラちゃん!」
何事かと出迎えたキアラに、彼女は必死の面持ちですがり付く。
「ヨシタツさんにハダカ見られちゃった!!」
キアラは、涙目で訴える親友をそっと抱き締める。
彼女の頭を優しく撫でながら、キアラの瞳が冷たく光った。
◆
パン屋の看板娘キアラちゃん、一五歳。
光沢を帯びた銀の髪、ガラス細工のように繊細な顎、桜色の可憐な唇。
切れ長な目元に陰を落とす長い睫毛、きめ細やかで艶のある肌。
光の加減で金色に輝く、琥珀の瞳。
王都でさえ滅多に見掛けないような、鄙には稀な美少女である。
宿屋の看板娘リリちゃんと、どちらが街一番の美少女なのか。
甲乙つけ難いが容姿ならキアラちゃん、性格も含めればリリちゃん。
そんな議論が巷で横行しているらしいが、女の子を比べるなど言語道断である。
――ただし、あくまで仮の話だが、俺が一票を投じるとすればリリちゃんの方だ。
冒険者の中にも年甲斐もなく、キアラちゃんのファンになっている連中が多い。
パン屋の常連になり、彼女の美貌を拝むのが日課という熱心さだ。
もしキアラちゃんに彼氏でも出来れば、血の雨が降りそうな人気だった。
「待たせてごめん」
「いえ、お呼び立てして申し訳ありません」
待ち合わせの喫茶店に出向くと、既にキアラちゃんが待っていた。
礼儀正しく頭を下げるが、その表情は固い。
彼女の前のテーブルに腰を下ろし、ウェイトレスさんに香茶を注文する。
それから改めて、彼女の様子を伺った。
正直、自分が彼女に悪印象を持たれているのは自覚している。
だからなぜ、彼女に呼び出されたのか見当もつかない。
「タヂカさん、お願いがあります」
注文の香茶を置いてウェイトレスさんが立ち去ると、キアラちゃんは口を開いた。
「お願い?」
カップに伸ばしながら聞き返す。
「リリちゃんと別れて下さい」
手元が狂い、カップを倒しそうになった。
「ちょっと待って!?」
思わず大声を出してしまい、他のお客さん達の注目を浴びる。
「…………何を言い出すんだ、いきなり」
辺りを窺ってから、声をひそめる。
「リリちゃんは、明るくて、純粋で、優しい子です」
「うん。その通りだね」
「……そんなリリちゃんを、たぶらかすのは止めてください!」
「誑かしてなんかいないよ!?」
確かキアラちゃんは、リリちゃんより一歳年上のお姉さんだったはず。
彼女が武術大会に出場した時は、気弱で頼りなさそうな印象を受けた。
しかし今のキアラちゃんからは、強い決意を感じる。
きつい眼差しでこちらを睨んでもやっぱり綺麗で、いやそうじゃなくて。
「何か勘違いしているようだけど、俺とリリちゃんは――――」
「うちの店をひいきにしてくれる、冒険者さん達が教えてくれました」
テーブルの上で拳を、ぎゅっと握り締めるキアラちゃん。
「タヂカさんが、たくさんの女の人とお付き合いしているって」
「――――え?」
「冒険者のお仲間のクリサリスさんと、フィフィアさん」
「あの?」
「冒険者ギルドのセレスさん」
「ちょっと?」
「神官様にまで」
「いやいやいや!」
「カティア様やラヴィ様、それに王都から来た人とも」
「お願いだから聞いてくれ!」
「しかも…………」
キアラちゃんが、白々とした目を向ける。
「コザクラ姉様まで口説いているって」
「それだけはないっ!!」
バンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「誰だ! そんな悪質なデマを流しているやつは!!」
語気荒く問い詰めると、キアラちゃんがビクッと身体を竦める。
「…………コ、コザクラ姉様が、自分で」
「あんっちくしょう!! ろくでもない嘘を吐きやがって!」
「で、でも! タヂカさん、いろんな女の人と仲良くデートしてますよね!」
キアラちゃんが、負けじと声を張り上げる。
「みんな噂してます! わたしも見たことがあります!」
「そんなことは――――!」
反論しようとして言葉に詰まる。思い当たる節が山ほどあった!
「……………いや、そうだけど。そうなんだけども…………」
説明に困って、しどろもどろになる。
男女のお付き合いに関して、彼女はかなり保守的な考え方らしい。
下手に弁解すると、余計に泥沼になりそうだ。
「そんな気の多い人に、リリちゃんは任せられません!」
「だから違うって! 俺とリリちゃんはそんな関係じゃない!」
「とぼける気ですか! リリちゃんのハダ――――」
「キアラちゃん!!!」
店内に、悲鳴じみた叫びが響き渡った。
俺とキアラちゃんが、同時に声がした方に視線を向ける。
「「リリちゃん!?」」
喫茶店の入り口に、ゼイゼイと肩で息をするリリちゃんが立っていた。
彼女はテーブルの間を猛スピードで駆け抜けると、キアラちゃんの腕を掴む。
「キ、キアラちゃん! 帰ろう!」
「えっ? リリちゃん!?」
強引に立たせようとするリリちゃんに、キアラちゃんが困惑する。
「で、でも、タヂカさんに…………」
キアラちゃんの琥珀の瞳が、こちらを窺う。
「いいから! ほら帰ろっ!!」
リリちゃんが必死になって、キアラちゃんを引っ立てる。
「あ、あの、リリちゃん?」
おずおずと声を掛けると、リリちゃんが振り返った。
目が合った瞬間、彼女の顔から首筋まで茹で上がったように紅潮する。
恥じらうリリちゃんの様子に、こっちまで気恥ずかしくなってしまう。
先日の風呂での一件以来、彼女はいつもこんな感じである。
ぽりぽりと頬を掻いて視線を逸らすと、キアラちゃんが不満そうな顔をしていた。
「ヨ、ヨシタツさん! わ、わたし達、もう帰るから!!」
「あ、うん。それじゃ」
キアラちゃんを引きずりながら、リリちゃんは逃げるように立ち去った。
時間を置いてから、俺も喫茶店を出る。
――さて。コザクラを探し出して、とっちめてやらないとな。
翌日、たまたま一人で街を歩いていると、兄弟子に遭遇した。
「おう、おっさん? お嬢に手え出したんだってな?」
凶悪な笑顔を浮かべる八高弟の次兄、双剣ベイルが目の前に立ちはだかる。
「おれ達のキアラちゃんに…………」
「しかもリリちゃんにまで…………」
「あの子達に二股掛けるとは、いい度胸だ」
ベイルの背後には、冒険者を含めた男達が殺気立って群れていた。
どうやら昨日の出来事に尾ひれがついて、とんでもない噂になっているらしい。
「「「覚悟はできてんだろうな?」」」
「誤解だ!!」
などという弁解が通じるはずもなく。
俺は命からがら、夕暮れまで街中を逃げ回る羽目になった。