第11話 強い女剣士は、ちょっとおかしい
昨夜はそのまま前と同じ宿へ戻り、素泊まり代の2,500リルを払って泥のように眠った。
翌朝。昨日ぶつけた肩にはまだ鈍い痛みが残っていたが、動かせないほどではない。さすがに昨日みたいな目に遭ったあとで朝飯まで抜く気にはなれず、宿を出る前にパンとスープの簡単な朝食を300リルで済ませた。
冒険者ギルドへ向かうと、ミグレナはもう受付の前に立っていた。
「来たか」
「……朝から早いですね」
「場所を確認するのだろう」
受付から、昨日の報告を受けてミグレナが現地確認を担当すること、俺には案内役を頼みたいことを説明される。正式な依頼として扱われるらしく、案内料は1,500リル。すでに前日に頷いた話だし、ギルドから正式に頼まれた以上、今さら断る理由もなかった。1,500リルもらえるだけ、悪くない話でもある。
腰に下げた剣は、昨日見た時と変わらず、明らかに使い込まれている。姿勢、足運び、佇まいの一つ一つに、素人には出せない張りがあった。
(強そうだ……)
こうして俺は、ミグレナと、昨日の現場へ向かうことになった。
ギルドを出る前に、インベントリから木製短槍を取り出しておいた。二本あったうちの、最後の一本だ。あの日の戦いを思えば、心もとない一本だったが、丸腰よりはずっとましだった。
街道を歩きながら、ミグレナがぽつりと聞いてきた。
「その槍だけで、本当に魔物から逃げ切ったのか?」
「一本は折られて、残った一本で牽制しただけです。突進が直線的だったんで、そこを利用して。一回目は失敗しましたけど」
「ほう。よく見ているな」
馬鹿にする様子はなかった。純粋な評価らしい。
「ミグレナさんは、その剣で魔物と戦ってるんですか?」
「ん?」
「いや、魔物に襲われたらどうするのかなって」
「斬る」
迷いのない即答だった。まるでゲームで敵と遭遇したら、とりあえず通常攻撃を選ぶのが当然だと言わんばかりだった。
「……そうですか」
現場が近づくにつれ、茂みの揺れ方や風の匂いに意識が向く。特別な力が働いたわけじゃない。昨日の記憶がこびりつき、周囲を警戒させているだけだ。
「……待ってください」
足を止める。ミグレナも同時に止まり、目を細め、剣の柄に手をかける。
「……いるな」
茂みから、灰色の獣が姿を現した。昨日のものによく似ている。腰が浮きそうになるのを、どうにか堪えた。
「……グレイファングか」
「それがこいつの名前ですか?」
「ああ。普通はもう少し森の奥にいるはずだ。街道近くまで出てくるのは珍しい」
農場主が言っていたことと同じだった。何かが、いつも通りではないらしい。
グレイファングが飛びかかる。ミグレナが前へ出た。
だが、次の瞬間には終わっていた。
構えらしい構えもない。息を吸う間もないほどの、最小限の踏み込み。間合いを詰め、剣を一閃。
ゲームのような派手な技も、光る刃もない。ただ、間合いと呼吸を完全に読み切った一撃。
昨日あれほど苦戦した相手が、あっけなく地面に沈んだ。あの牙も、あの速さも、俺にとってはあれほど恐ろしかったのに。
「……」
言葉が出なかった。ちゃんと武器を扱える人間が戦うと、こうなるのか。装備や才能の差、というより、積み重ねてきた場数そのものが違うのだと、見ているだけで分かった。
ミグレナは剣を鞘へ収めようとした手を止め、代わりに倒れた獣の前へしゃがみ込んだ。
「……待て」
「何です?」
「毛並みが少し悪いな。それに痩せているように見える。昨日の個体もこんな感じだったのか?」
「いや、そこまで見てませんよ」
「なぜだ」
「殺されかけてたからですよ」
ミグレナは納得したような、していないような顔で頷くと、今度は獣の口元を覗き込んだ。
「……右の牙だけ少し削れているな。もしかしたら噛み癖がある個体だったのかもしれない」
「……はい?」
「見ろ。尻尾のこの部分だけ色が違う。傷が治った跡か、生まれつきのものか……興味深い」
「急にめちゃくちゃ喋りますね」
さっきまでの寡黙さはどこへ行ったのか。この人、もしかして――
考えている途中で、風向きがわずかに変わった。獣臭が、さっきとは違う方向から漂ってくる。同時に、遠くの茂みが不自然に揺れた。
「――後ろ!」
考えるより先に叫んでいた。
「二匹目……!」
一瞬だけ、明らかに口元が緩んだ。だが体はそれ以上に速かった。振り向きざま、死角から飛びかかろうとしていたもう一匹を、体を反転させながら一撃で斬り伏せる。
俺は、しばらく声が出なかった。
「助かった。あれは私の死角だった」
「いや、俺がやったの、叫んだだけですけど」
「十分だ」
そう言うと、ミグレナはさっそく二匹目にも屈み込んだ。
「……こっちも少し痩せているな」
小さく呟き、そのまま足跡の残り方を確認し始める。
(強いのは、間違いない。でも、絶対どこかおかしい)
倒れた二匹は、そのまま地面に横たわっている。消えることも、光になることもない。
「これ、このままでいいんですか?」
「帰ったら報告しておこう。場所は覚えておいてくれ」
「分かりました」
だが、ミグレナはグレイファングの前から動かなかった。
「……行かないんですか?」
「もう少し見たい」
「何を?」
「全部だ」
「範囲が広い!」
「せっかくだ。このまま森の中も確認しておこう」
「何を確認するんです?」
「他にもまだ魔物がいるかもしれないだろう?」
「……なんでちょっと嬉しそうなんですか」
「……気のせいだ」
絶対に気のせいではなかった。
「魔物に襲われるかもしれませんよ」
「出たら斬ればいい」
「俺が斬れないんですよ」
「……そうだったな」
ようやく分かってくれたか、と思った。
「お前は待っていろ」
「いや、一人で行く選択肢が残ってるのおかしくないですか?」
「私一人なら問題ない」
「そういう話じゃないんですよ」
「なぜだ? お前は街道まで戻ればいい」
「あなたが一人で森に突っ込む問題が残ってるんですよ」
「私なら対処できる」
「会話、一周しましたよね?」
ミグレナは少しだけ考え込む顔をした。
「……つまり、お前は私の心配をしているのか」
「そうですよ、それが最初から言ってることです」
「……そうか」
今度こそ、腑に落ちたらしい。ミグレナは素直に頷き、それ以上は森へ向かおうとしなかった。
「聞いてもいいか?」
「なんですか」
「お前は、なぜそんなに危険を避けたがる。冒険者としては、いささか消極的に見えるが」
「消極的っていうか……死にたくないだけです」
実際、俺は一度死んでいる。全裸で、あっけなく。
「死にたくない、か。……それも、一つの考え方だな」
ミグレナは意外にも、否定せずそう呟いた。
「じゃあ、戻りますか」
「ああ。その前に、こいつらも持って帰る」
ミグレナが、地面に転がった二匹のグレイファングを見る。
「持って帰るって……二匹とも?」
「一頭ずつなら運べる」
できなくはない。俺だって一頭くらいなら、休みながら運べるかもしれない。
ただ、この距離をあの大きさの死体を担いで帰るとなると、かなりの重労働だ。
そこで、腰の短槍をインベントリへ戻しかけて――手が止まった。
(……ん?)
短槍が入る。石も入る。枝も、荷物も入る。
だったら――
俺は、足元のグレイファングへ目を向けた。




