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  いつか勇傑女帝と呼ばれる少女③


 先程倒したカウンの血の匂いがしなくなってしばらくしてから時計を見た。

「入ってから時間経ったし、もうお昼もだいぶ過ぎてるからごはんにしようか」

 苔の少なそうな場所にシートを敷いてその上に荷物を下ろす。

「俺はいい。お前は空腹なら食べておけ。見張っている」

 まばたきする。遺跡に入ってから五時間近く経っているのに何も口にしないのはあまり健康的ではない。彼は水も飲んでいなかった。

「朝たくさん食べてきたの? それとも衛生面が気になるほう?」

「単純に腹が減っていない。携帯食料くらいしか持ってないしな」

「じゃあ、サンドウィッチ余分に持ってるから分けてあげる」

 結界を張るべくチョークを出して周辺にいくつかの祈法図形(シジル)を描く。線で結んで、壁を背にした半円状の弧を作る。口ずさむようにして祈文を唱えると線上からさながらオーロラの光がゆらゆらたちのぼった。右手を目一杯上に伸ばして、空中でオーロラを受け止める線を引く。これで、アークの祈力より強い負荷がかかるか、結界を解くまで出入りはできない。

 じっとアークを見ている彼に声をかける。

「何?」

「いらないと言っているのだが」

「遺跡に入ってから五時間も経ってるんだよ。食べておいたほうがいいって。ここは冷えるし、空いてなくてもお腹に何か入れるとあったまるよ。カウンなら――そうだね。そんな危険なやつはしばらく来ないんじゃないかな。結界も張ったし、気をつけてなくても平気だよ」

 根拠のない勘だが、アークの勘はよく当たる。カードを撒くときほど鮮明ではないが、「次の大雨であの木は倒れるな」「あそこの畝崩れるな」「あの鶏、狐にやられるな」と何気なくポッと脳裏に掠めたものは当たる可能性が高い。もちろん外すこともあるが、危険に関する嗅覚は敏感だ。

 念の為あたりを見回し、感覚を引いてカードを撒いてみる。引っかかるものはない。やはり、この場所で襲われはしない。

 十分あれば軽食くらいは済ませられるし一分で支度はできる。もしカウンが来ても準備ができるまで結界が時間を稼ぐ。

「あたしのお師匠も『集中力は必要なだけ張り続けるのと同じくらい、適切に緩めるのも大事だ』って、つまり休憩しろってことなんだけど――そう言ってたし、あたしに付き合って食事してもリヴィスは損しないでしょ」

 言うと、それ以上断る意義を感じなかったのか、彼は背中から剣を外し、床に座った。

 アークはザックから薄橙色の(ポケット)を出して中に手を入れる。

「袋持ちか。荷物が軽そうなわけだ」

「元は父さんのなんだけどね」

 というより、アークの実用的な持ち物はすべて父の物だ。旅に出る前に黙って失敬してきた。

 (ポケット)は、無限とまではいかないが質量と体積を無視して物が入れられる便利な道具だ。どういう構造をしているのかは製造技術を独占している技師たちが秘匿しているが、前文明から細々と受け継がれてきて、消えつつある科学技術の一つらしい。

 便利だが、欠点も多い。当然に口より大きい物は入らず、同じ袋でも入れられる量がその時によって違い、上等の物でなければ温度は室温以上にも以下にも保てない。「何が入っているのか」「取り出したい物はどれか」が思い浮かべられないと永久に入れた物が取り出せなくなるので遺産相続の際騒ぎになったり、生物を入れられないことを知らない人間が引越し業者から借りたときペットを中に入れて死亡させてしまう悲劇が発生したりする。万能とは遠いが、それでも荷を軽くできること、多く持てることは価値が高い。

 上質な袋ほどたくさん入る。アークの持っているものはそうだ。入れてあるものを書き付けたメモ帳を捲る。

「食べる物いろいろあるよ。サンドウィッチなら具はレタスとたまご。なんならパーティを組む人にあげようと思って二つ買ってあったんだ。どっちか一つあげる」

「顔も見ないうちからパーティの分まで食事を用意しておいたのか」

 前もって何かを準備していると、なぜかこう、呆れたような反応をよくされる。何も悪いことはなかろうに。「要らない親切」「余計なお節介」等々と言われることもあるのだが、用意していたものを相手が拒否しても、アークは自分がそうしたいと思ったことをしているだけだからそれはそれで構わないし、誰の不利益にもならない。必要でなくても有ることは、急に必要になったとき無いよりもずっと良いはずだ。どうして呆れられるのか理解しかねる。

「何かあったときのためにごはんは多めに持っておくに越したことはないでしょ。こういう遺跡仕事は何かあったら閉じ込められていつ出られるかって状況に陥るかもしれないんだから。あたしは袋持ちだからいいけど、袋は持ってない人のが多いしさ。コレは鮮度も保てるタイプだから人にあげなかったら明日の朝食にすればいいもの」

「……そうか。だが本当に腹は減っていないんだ。もらえるなら、ドライフルーツはあるか?」

「林檎、苺、桃、サンザシ、ナツメ、あと柚がある」

「桃がいい」

「ほかには?」

「……じゃあ林檎も」

「それだけでいい?」

「そうだな……、ナッツがあれば」

「あるけど、ミックスだから嫌いなのあったらよけて食べて」

 布を広げてその上に彼が要望した物と、オレンジも盛った皿を並べる。

 空腹のことを言い出したら食欲が口元を強く刺激してきたので、急いでサンドウィッチを囓った。

 リヴィスは桃が好きらしい。腹は減っていないと断っていたけれど、果肉をつまむ手付きに食欲が感じられる。別れるとき餞別に一袋あげたら喜んでくれるかもしれない。

 そう思いながら黙って食べていると、どこかで水滴が落ちる音がした。――水の音?

「……水だ」

「どこかで通路が崩れている可能性があるな」

 このタイプの遺跡の素材は並大抵のことでは壊れないので、崩れているとしたら相当の負荷がかかったということである。入口のように。先の大雨のせいだろうか。だとしたら、派手に暴れていると、土砂が崩れてくる可能性がある。

 気に留めておこう。呑まれてしまう前に対処ができれば、山一つ落ちてくるのでなければなんとかできる。そしてアークは対処を間違えない。

 サンドウィッチを一つ食べ終わり、水を飲むと腹が落ち着いた。ペティナイフでオレンジを四分割して、一つをリヴィスに渡す。かぶりつくと、果汁が弾けるように口の中に広がり、アークは肩を縮めて目をつぶる。

「ちょっと酸っぱかったね」

「悪くはない」

 残りも分けて食べた。

 ふいに足を動かすとブーツに締めつけられた脛が緩む。切れていたのを思い出して靴紐を直そうとしたが、切れた部分を結ぶことはできないようだった。間に合わせに接着剤でくっつけた。遺跡を出るまでは持つだろう。服と違い、こちらは紐を換えれば済みそうだ。

 数分の食休みをしてから、祈力を切って足でチョークの線をこすり結界を消して進行を再開する。

 岐路があったが、二人しかいないので書いてきた地図に印だけをつけて真っ直ぐ進む。

 次のカウンをやりすごすと、ぽつりとリヴィスが言った。

「お前は、その年齢にしては手練だな。剣筋もいいし、祈法の使い方もうまい」

 自慢したい気持ちが込みあげて、靴を鳴らした。

「へへ、でしょ? どっちも小さい頃から叩きこまれてきたんだ。そんじょそこらの流れ雲には負けないよ。軍隊にだって勝つ自信あるよ」

「良い師に恵まれたのだな」

「うん。剣を教えてくれたのは隣のじいちゃん、祈法を教えてくれたのはばあちゃんなんだけどね、二人ともすごく強いお師匠」

(あなたを守るものは少ない)

 頭の後ろのほうで、嗄れ気味の声が聴こえる。

(強くなりなさい。どんな状況におかれても、誰の助けを得られなくても、あなたは生き延びなければならない。それがあなたという存在が生まれながらに負った責任。

 あなたはいずれ、――になるのだから)

 師の言葉が蘇ると、むず痒くなる。彼の願望で手厚くデコレートしてある話だからだ。アークが〝それ〟になることはない。父もそう言っていた。

 後ろ頭を掻いて師を打ち消して踵で回った。

「リヴィスも強いね。今まで見てきた流れ雲では最高かも」

 本音だ。アークには扱いきれそうにない長剣を楽々と片手で、この狭い通路の中で壁に引っ掛けることもなくコンパクトに扱い、最低限の動きで敵を倒している。アークに比べて疲労が少ないようなのも体力の差だけではない。

「旅の生活が長いからだ。あちこち行けば、この地域よりもずっと危険なところもある。経験を積めば自ずと強くなる」

「その中にすごい冒険があったら教えてよ。まあ、暇つぶしに」

「ヴォート山脈を越えたことがある。一人ではあまりない例だと思う」

 気軽な世間話として振ってみたら、とんでもない答えが帰ってきた。

「そうなん……でぁ!?」

 足元が留守になって苔の上を左足が滑った。右足でなんとか踏みとどまる。

「気をつけろ」

「だって、え、ヴォート山脈ってアレだよね?」

 ヴォート山脈はここから東にそびえる、霊峰カナデウスを頂点としたシミュズシュミズ大陸南から北へ長く続く高山の流れだ。高い標高、氷の壁、磁場が乱れ機械が故障するので(よく)も使えない。西と東の交易の最大の壁だと商人が諦め混じりに嘆くのを道中何度も聞いたし、実際この山のせいで東方のサメリュメ大陸から来たアークも聖湖まで赴くのに北へ大きく迂廻を強いられた。悪魔のような山脈である。

「カナデウスを踏破したわけではないが」

「それでもすごいよ! あの山どうやって越えたの? 一人で越えられるんだ?」

「不可能ではない。(ポケット)いっぱいに防寒具と食料を詰めて氷壁をよじ登る装備を整え凍死せず反対側に辿り着くまで体調を崩さなければ行ける」

「……。身も蓋もないなぁ」

「山登りなんてどんな山でもそんなものだ」

 と平然としている。

「でも、どんな登山家でも越えた人の話聞いたことなかったよ」

「歴史は長い。誰もいなくはないだろう。が、難しかったな。垂直や鼠返しになった氷の崖を登らなければならない箇所がいくつかあった。あれは尋常では無理だ」

「リヴィスはどうやって越えたの?」

「垂直の崖なら時間をかけて登攀して、鼠返しは別の道を探した」

「簡単なことに聞こえちゃうな……。凍傷や怪我は大丈夫だった?」

 寒さでは指が真っ先にやられることくらいアークも知っている。育ったのは山の側だが、冬山を無理に登ったことはない。一瞬だけ手に注目する。彼の指は十本揃っていた。

「怪我には強い。装備も万端に整えたから身体的な困難はなかった」

「いい装備揃えたんだね?」

「ヴォート山脈を越えるためだからな」

「どのくらいかかった?」

 計算したのかやや上を向く。

「一年には満たないくらいか」

「……。先に聞いておけばよかったんだけど、登山家なの?」

「いや?」

「なんで登ったの?」

「暇だったからだな」

 気負いもなくあっさり答える。肩の力が抜けた。

「どれだけ暇だったの……」

「とても暇だった。……他の理由としては、開拓して道が作れれば、とルートを探す意図もあった。あそこが通れれば東西の行き来が随分と楽になる。実用的でないことが証明されただけではあったが、無駄なことをしたとは思わない。……どうした」

 頬骨に曲げた人指し指の第二関節を当ててその場にしゃがんだので、リヴィスは足を止めて振り返った。

「リヴィスがすっごく変な人なのかすっごく善い人なのか悩んでる」

 ため息をつかれた。目を逸らし前を向き直す。

「酔狂とはよく言われる。しかし趣味を嘆かれる謂れはない」

 拗ねたらしい。探索開始のときに受けた印象よりも可愛げのある人だ。

 ふふ、と鼻に響かせて笑う。

「善い人にしておいてあげるよ」

「ありがたい」

 むすっとはしていた。

 フォローしてあげようと口を開きかけるとピピッと繰り返しアラームが鳴った。ザックからタイマーを取り出すと、引き返す予定時刻まで残り十分の通知が点滅していた。

「あと十分だって。ここまでずっとカーブだったし、もう戻っちゃう?」

 記してきた地図は緩やかな弧を描いており、曲がり角はすべて右。大雑把に推測すると、アーク達が歩いてきたのは、円状になった建物の、外円部分の通路のようだ。

 彼は指差す。

「声の反響からして、もう少し行けば行き止まりがあるみたいだが、どうする」

 言われて、暗がりの向こうに、あー、と口元に手を添えて声を出してみる。耳を傾ければ確かに跳ね返ってくる音があった。

「行ってみようか」

 行き止まりには数分で辿り着いた。真ん中に二メルテほどの高さの四角い凹みがあり、その奥の真ん中に縦線が入っている。

 取手はないけれど、明らかに扉だ。壁面には祈法紋章(ブレム)が描かれている。これを発動させれば開く仕組みだろう。

 指先で文字(ルン)を辿り、図形(シジル)の法則を改める。

「開けられそう。侵入者よけ用の鍵じゃないね」

「もうすぐ時間だが」

「覗くだけ覗いてこう。何かあれば報酬増えるし。向こう、探れる?」

 リヴィスは側頭部を扉に当てて表面を強く叩く。

「ここより天井の高い部屋がありそうだ。狭くもないな」

「何かが動く音はしない?」

 黙して壁向こうに集中する。

「しない」

「お宝、あるかもね」

 破顔して、アークは祈法紋章を作動させる祈文を詠んだ。

「〈されば 不死鳥の色 開かれん〉」

 へばりついていた苔を落としながら、左右に扉は開かれていく。通路より青い光が強くなり、目を細める。

「――――っ!?」

 リヴィスの言った通り、そこは広く天井も高い部屋だった。

 その床一面に、


 棺がズラリと並んでいた。


 目が慣れてからみると、棺ではなく機械的なポッドだった。丸みを帯びたポッドは液体で満たされており……

 人間が、入っている。

 腰が抜けそうだった。知らず後ずさって背中にリヴィスがぶつかる。

「これって……」

 言葉を失い膝の力が抜けるアークを支えて、リヴィスが吐き捨てる。

「実験素材の保管庫だな」

 壁に女王を称える意味の徴が刻まれているのを見やる。

「シーナルの研究所だったか」

 さすがに嫌悪を剥きだしにしていた。鼻に皺を作っている。

 シーナルは、この地実(グランディアスティア)に存在する三つの人間種族のうちの一つ。多彩な色の髪や目を持ち八十年程度の寿命であるアークらヒューン種族と違い、全体的に青白い姿と暗碧色の目が特徴的で寿命は二百年ほど。

 生態的に優位な種族のため、彼らはしばしばヒューンを差別し、同じ人間として遇しない。大陸北部の国、ザーズなどではヒューンは奴隷として売り買いされていることもある。

 ここマテラスはヒューンの皇帝が治める大帝国だ。国民もほぼヒューンか、いても、三つ目の種族、エリフが少数。北部と違ってシーナルがいることは滅多にない。なのにまさかシーナルの、しかも人体実験をおこなう施設があるとは――

 通路より光はあったが、それでもヒューンであるアークが部屋全体を見回すのに十分な視界を得られるほどは明るくない。しかしポッドの人間の髪の色は判別できる。金だったり、赤だったり、青だったりする。

「これみんな……ヒューン、だよね」

「そうだな」

 返事も歯切れが悪い。

「あ、あれ!」

 壁面に縦に埋め込まれて並ぶ暗いポッドの一つが、他より強く光っていた。

「あれだけ設備が違う……行ってみよう!」

「アーク!」

 リヴィスが呼び止めるが、アークは駆け出した足を止めなかった。

 走り寄ったポッドの中に浮いているのは、同じ年頃の少女だった。瞼が閉じられていて瞳は見えないが、髪は空を覗いたようなブルーのショートカット。両方のこめかみの上から一房ずつトワイライトピンクの髪が長く伸びている。服は申し訳ばかりのシャツとパンツ。

 右腕が、真ん中から千切れて同じポッドに収められていた。

 呼吸が浅くなる。

「軽率な真似をするな! わかるだろう、ここは完全に放棄された遺跡じゃない。今は誰も居ないようだが現在も稼働している。侵入に気付いて主が戻ってくる前に埋め戻したほうがいい。戻って探求師同盟(ディグ)にもそう伝えるべきだ」

 追いついてきたリヴィスが苦々しく説得する。

 頭に入ってこなかった。

 百……いや二百は下らない人間の入ったポッド。

 少女。

 剣をとる。

「何をする気だ」

「助ける」

「馬鹿なことを」

 抜く。透明なポッドはただのガラスではなく透過性のある金属だった。剣で叩いたところで破れはしないだろうが、この厚みならば焼いて溶かせる。

 肩を掴まれる。

「よせ。主が帰ってきたらどうする。この装置は生きている。壊せば警報がどこかに通じないとも限らない。それに、これは……出したところで助けることにはならない」

 唇が震える。言葉にもうまくできない。そうだ。この子はもう生きてない。生命の欠片も感じられない。出しても出さなくても同じだ。でも、出してやらなければならないと、生きていなくたってそうしなければならないと胸が痛む。同じ年頃の女の子。先のない右腕。

 こんなの、酷い。

「嫌だ。助ける」

「やめろと言っている。なぜ聞かない」

「あたしがそうしたいって以外にどんな理由が要るの!」

「………………」

 剣を構えて祈文を唱えようとすると後ろから腕を掴まれる。

「……やめろ。聞き分けろ! ここにあるポッドをすべて壊して中の者を連れだすつもりか?」

「そんなの無理に決まってる。でも、酷いじゃないか。せめてこの子だけでも助けたい。一人でも、出してあげたい」

 そう、出してあげなければ。一体どれくらいこんなところに閉じ込められていたのだろう。一人だっていい。出してあげたい。理屈なんてあるものか。これを見て、見なかったことにして帰るなんて、できない。

 出してあげたい。アークはそうしたい。

「離してばか、どうしたらこれを見なかったことにできるんだよ、人でなし!」

 腕が緩んだ。その隙に逃げだし、叫んだ。

「〈()の色を帯び、熱をまとい、意志を糧として光れ。その焔は森を赫く染め、渦を作り天へと至る。天は焔を拡げ、我が意思の儘に降ろし給う〉」

 省略はしなかった。剣に刻まれたすべての文字が光る。

 吸う。

「〈天使の(エンジェリック)馘首(スライド)〉!」

 剣は灼熱を帯びて焔そのものとなる。中の彼女を傷つけないよう、切っ先だけをポッドの表面に滑らせる。透過金属が溶け、液体が蒸発する音を立てながら粘らしく流れ出す。水位と共に少女の体が下がってくるのを、アークは焔を解いて破れた透過金属の間から中に入り、熱くなった液体を掻き分け抱きとめる。

 息は、していなかった。あたりまえだったけれど。

 綺麗な姿だった。右腕以外には傷もない。ポッドに入れられたときはまだ生きていたかもしれなかった。どのくらいこの粘ついた液体の中にいさせられたのだろう。それを思うと噛みしめる歯の力が強くなる。

「満足か」

 腕も拾い温かみのない胸の上に載せ、ぎゅっと抱きしめながらポッドの外に出たアークに冷たくリヴィスが言い放つ。

「そんな言い方ないじゃないか」

 焦るように彼は足を踏みかえた。

「満足したなら戻ると言っているんだ。主がまだ健在ならこの破損は無視できるものではない。早くここを去るべきだ。できればそれは置いて行ったほうがいいんだが……」

「出してあげたのに連れて行ってあげないなんて話ない」

 彼が顔を引きつらせた。

「投げ捨てろ!」

 微かに。

 ――腕の中の少女が動いた。

 生きてた? 驚愕で体が固まる。顔を腕の中に向けると、少女は、


 目を開き眼球だけを動かしてアークを見ていた。


 不死鳥の炎(フェニックスレッド)の瞳に感情が無い。

「………………っ!」

 本能的な恐怖で彼女を放り出した。少女の瞳はアークを見続けた。温度のないまなざしのまま小さく呟く。

 近くに落ちた腕は彼女に拾われた瞬間から色を変え形を変え銃になった。祈法銃だ。シンプルなデザインだが、銃口の奥底で紋章が攻撃的に輝いている。

 彼女はアークに向かって躊躇いなく撃った。

 剣は手放してしまっていた。彼女を抱きしめるために。

 渦を巻いて放たれるエネルギーの弾丸に目が眩む。右肩が燃えて、そこ以外が冷たくなる。――なぜか、まったく痛くはなかった。

 倒れゆく体を、受け止められた。厳しい横顔。リヴィス。

「だから、タイプ・リジィはたちが悪いんだ――!」

 続けて撃とうとしていた少女の体が吹き飛びながら崩れていく。

 何が起こったの?

 どうして撃たれたの?

 彼女は何者なの?

 一つとして口にできぬまま、アークは瞼を閉じることもなく意識を失った。


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