その声は宣言ではなく
指さされた方向に直線で難なくアジトに到着した。
難がないというより、道があった。草が踏まれ、ある程度の高さまで木の枝が払われ、夜の森の湿りが薄い。大人数が通った跡、つまり道だ。手が入った枝の高さを見るに、複数の翼もある。
普通なら通った痕跡は消そうとするものだ。列車を襲撃し人を攫ったとあれば、警察隊か、もしかすれば軍が攻めてくるかもしれないのにこの振る舞いは解せない。
アジトは想像していたよりも構えがしっかりしていて、集落のようにも見える。森の木や草が尽きた平坦な土地に大型から小型までの木造キャビン、テントがいくつも設置されている。あちこちに立てられた祈法のライトが白々と辺りを照らしているので、灌木の陰に身を隠すのには体勢を低くする必要があった。
妙だ。
列車の車掌はこの辺りに賊などいないと言っていた。その通りだとすると最近移動してきたか結成されたかに違いないのだけれど、この様子はどうだろう。テントはともかく、森の中、地均しをしてこの大きさのキャビンを何軒も建てるのには幾分か時間が必要だったはずだ。廃村か何かを乗っとったにしてはテントの数が多い。村があったのなら車掌がそう教えただろう。
人が集まっている音のするほうへ見張りに気をつけながら集落の周りをなぞるように移動していると、緩い上り坂に差し掛かる。アジトの範囲の地面には傾斜がない。実に奇妙だ。
「戻りましたよ」
いきなり頭上からかかった声に叫びそうになった。スイージュである。
「驚かさないでよ!」
「そうは言っても、いきなり肩を叩いてもはびっくりするでしょうし、隠れているのにわざと音を立てて近づくのもおかしくありません?」
「そうだけど。どうだった?」
「アジトの奥の広場で宴会をしています。獲りものが大きかったから満足したんでしょうね。女たちは枷をつけられてお酌させられています」
「無事なんだね?」
「今のところ怪我はなさそうです。先行した少年を見つけたので彼と合流しましょう」
スイージュに抱えられて、深夜の空を飛んだ。
「あたしも魔法使ならこんな風に飛べるようになる?」
「『飛ぶ』才能があれば。事が終わったら帝都までの列車の中で説明してあげますけど、魔法は完全に才能ありきの世界なんです。才能がないのにできないことをするのは困難ですね。絶対ではありませんが」
「リヴィスも自分は治療に向いてないって言ってたな」
「止血や血液循環などの機能的な制御には向いてるので、あれは細やかな治療を覚える気がないだけです」
「覚えないの?」
「本人はどんな怪我をしてもこんな体ですし、他人ならわたしのところへ持ってくればいいだけですからねぇ。連絡がつけばスペシャリストも一人います。結局のところ人体の構造や組成を覚えるのが面倒なんでしょう。複雑ですから。自分が責任持って他人を治療しなければならない、必ず助けなければとする機会も多くはないですしね。それに」
止まる。
「……いえ。できる可能性があってもやる気がなければできるようにはならないに決まってます」
不自然な話の接続に疑問を覚えなくもなかったが、言葉を濁すなら事情も理由もあるのだろう。
「あたし、貸しができててよかった」
「あなたの場合、貸しだけの理由ではなさそうですけど」
「何かあるの?」
「わたしたちにも拘りやむきになることがあるんですよ。
……いました、彼です」
アジトの入り口から反対側、十数メルテの崖の上、藪に紛れて彼はいた。ちょうど、その崖を背にして宴会が行われている。宴会の騒ぎは大きいし、この距離なら少しくらい話しをしても気づかれることはないだろう。
草の上に降ろされ、緑髪の少年に音を消して近づく。
彼は九十度体の向きを変えた。
「リヒテだ」
「アーク」
短く自己紹介を済ませ、リヒテはアークの目を見据えた。顔を歪める。
「チビが来たと思ったら連れてきたのも女かよ。そこのチビ、空飛んでなければ帰れって殴ってるところだったっつのに。腕に自信はあるのか?」
リヒテはアークと同じか少し上の年頃だ。舌打ちしそうなほど粗暴に顔をしかめているが、これは育ちがいいなと、アークは即座に判断した。着ている服の生地は安物ではなく、手足は荒っぽさを演じるが体幹の姿勢がいい。
《永遠の守護者》だとは告げていないようだ。スイージュは横を向いて思惑の不明瞭な薄ら笑いを浮かべている
自信があるのか尋ねてくるのは無論自分にはある、と主張しているにほかならない。アークは視線に力を入れて答えた。顎で崖の下の男たちを示す。
「あいつらのうちで、あたしより強い奴はいない。断言する」
「その細い体で?」
「そうだよ。鍛えても細いのは気にしてるから言わないで。そっちは?」
「同じことを言わせてもらう。……チビはなんなんだ?」
「殺戮兵器です。死んでも戦い続けるのがウリです」
リヒテは今度は舌打ちをした――そして、微かに疑問の色を瞳に浮かべる。
「チビ、名前は」
「スイージュ」
ただ告げられて、彼の目つきが緊張する。
「……その名前は、知ってる」
「後にしましょうか。さて、自己申告的戦力として賊に負けない三人がいて、もたもたしている理由はなんでしょう」
「なんで問答風なの。人質でしょう? あんなに人質と賊が入り混じってたら遠くから賊だけ攻撃するのは難しい。姿を見せたら盾にされるに決まってるし。リヒテはどう戦おうとしてたの?」
訊くと、リヒテはばつが悪そうにする。
「全員を助ける気はなかった。オレもあいつも魔法使で、距離が遠くなければ簡単な念話ができる」
「まほうし」
アークの反応に細かな説明は省くぞ、としぐさで断った。
「ああ。タイミングを合わせてあいつが魔法を使うのに紛れてかっさらうつもりでいた」
口を開きかけたアークの尻をスイージュが叩く。
「あなた文句言う筋合いありませんからね。全員助けようなんて現実的ではないことをしようとしているのはあなたです。『せめてパートナーだけでも』と考えるのは普通です。こうなると、わたしとあなたの目的に協力してくれるのは彼のほうになるんですから、感謝なさい」
先に筋を説かれてしまえばアークに言えることなどなかった。
「そか。そだね。ありがとう。協力してくれるんだね?」
「礼を言われる筋合いもねぇよ。助けられる人数が多いに越したことはない」
「しかしですねぇ」
崖の下を窺って、スイージュは薬指を軽く噛む。
「どうも、足に鎖をつけられている女の人数は、八より多いんですよねぇ」
列車から攫われた女は八人だ。パティシエ、祈法使、一等室の一人、旅行中の四人、そしてもう一人がリヒテの連れ。念のため車掌の言葉を心で復唱しながら指を折る。
地面にうつ伏せになり、草陰から下の宴会の女をかぞえる。男は見える限りは大体三十人から四十人、賊の仲間と見える女もいる。合間合間に足枷の女がいて、酌をさせられながら相伴するように何か飲まされている。賊らは自分たちが飲み食いに満足したらその飲み物に混ぜ物でもする腹だろう。
「あ、ほんとだ」
枷の数は明らかに八を超えている。給仕をしている者も女のほとんどに鎖がしてある。列車を襲う前から囚われている女たちに違いなかった。
「全員……助けたいでしょうねぇ」
同じように寝そべりながら頬杖をつき、細い目をアークにやるスイージュ。
「……だめ?」
「いいかだめか以前に、今回列車から攫われたのとそうでないのを区別するのが難しいな。オレは連れ以外の顔は知らない。給仕に使われてる女は以前からいたようだが」
同じように這って女たちを検分するリヒテが唸る。
「考えるの面倒ですし、見境なく人質ごとぶちのめしません?」
「だめ」「やめてくれ」
アークとリヒテが声を重ねた。スイージュがつまらなそうにする。
「全員軽くぶちのめしてから賊にはとどめを刺して人質を治療するほうが被害も手間も少ないですよ」
「人質の被害少なくないでしょ。最終的に差し引きをなくすだけで」
強硬に否定すると黙った。元より本気ではなかったようだ。
「それじゃあ、どうしましょう。このまま出ていっても奇襲にはなるでしょうが、賊を選んで攻撃している間に人質を盾にされ一、二分で身動きできなくなるのが関の山です」
「人質が賊とくっついてるのがなぁ……。リヒテは連れの女の子をどう助けようとしていたの? 具体的な案はあった?」
「シスク――連れの名だ。シスクは、自分を中心に津波が起こせる」
「水を召喚するんですか?」
「水は召喚されるが、一箇所に留めてはおけない。規模や方向の調整はできるが発動させたら水は物理に沿って流れる」
「そうしたらリヒテも近づけないじゃない」
「オレはオレの能力で水を相殺できる。他の奴らが流されてくのに逆らってあいつ拾ってとんずらすればよかった」
「枷は?」
「あいつ自分のだけなら壊せるんだよ。つーか、だから隙を見て賊倒して逃げてくるって他の女たちと一緒に連れてかれたくせに、『隙ないです。無理そうです。助けてください』って念を送ってきやがってな。こういうことになってる」
「ああ、だから最初黙って見送っちゃったんだ」
「最初に襲われたときパートナーを奪おうとする者なら片っ端から殺しちゃえばよかったんですよ」
スイージュが仰向けになり手を空にかざして左小指の指輪をいじりながら物騒なことを言う。好戦的な聖女である。
「そういうことをすると他の女が危ないだろ。そのときは、見捨てられるほど思いきれなかったんだ」
渋そうに、リヒテ。それはそうだ。自分さえよければそれでいいという心持ちでいられる人間なんてそうはいまい。
人の命を軽く見る冷酷さと、アークを癒やし、育てると約束した優美さにひどいギャップがある聖女様である。
「あのさ、スイージュって……いや、いいや」
試しに『感覚』を引こうとする――スイージュは側にいるからいいだろう――が、やはりあの光の灯る世界は浮かばない。こめかみの奥を押さえる。
戦略や戦術をよく覚えておけばよかった。そういったものを師が纏めた書き付けが書棚にあったし、しかも粗くではあるが目を通したことがあった。座学は苦手ではなかったが、一般教養以外では祈法を覚えるほうが楽しくてついそちらばかりを熱心に学んでしまった。
学んだものは学んだぶんだけ力になったが、力だけでは解決できない障害にぶつかった今不足が悔やまれる。師は追々教えるつもりではあったようだが、その前にアークは田舎を出奔した。しかし困ったことはこれまでなかった。
どうするべきか考える必要はなかったから。
(『感覚』がないとあたし何もできないの?)
焦躁が喉を突く。
自分は魔法使だった。制御が必要になった。制御できないから力は使えなくなった。
魔法使。万能になる可能性を秘めた力を持つ者。
万能の対極は無能だ。万能になり得る魔法使は同時に無能にもなり得る可能性を秘めている?
(いやいやいや、そんな極端な。悲観な妄想してどうするんだ。待って待って、落ち着け、落ち着いてアーク。あたしはアーク)
下唇を噛んで呼吸を整える。魔法なんてなかった。アークの世界に魔法なんてなかった。それでもちゃんと生きてきた。
だが。
右腕が疼く。
あのとき。
能力を使わなかったから。
この腕は失われたのだ。
あたしの人生は一度挫折している。
「おや」
アークの焦りとは無縁にスイージュはころんと寝返りをうって、何かに気がついた。そっと指差す。
「見えますか? あの男の腕に付いた印」
目を凝らす。指の先、上半身をさらけ出した男の二の腕に黒い刺青が入っている。三角形と線を組み合わせた単純な模様だ。本で見たことがある。
「あれは」
「シーナルの奴隷か」
リヒテが小声で吐き捨てる。
よく見てみれば、二の腕の見える男たちには皆同じ印が刻まれている。一帯の雰囲気からして、男たち全員にその印があるのだろう。
「ここ、マテラスだよ? シーナルの奴隷集団がなんでこんなところで盗賊やってるの!?」
「知るかよ」
とリヒテは不快げに緑の髪を掻き乱した。大陸の南側に奴隷制をしいている国はない。リヒテがどこ出身なのかは聞いていなかったが奴隷制度に反発を覚えるからには南側の人間なのだろう。
「集団で逃げ出した……わけはないよね」
「シーナルがヒューンを売り買いしているのは北方のザーズあたりが中心だ。あっちでは奴隷は合法だからな。こんな南までこの数で逃げて来られるとは思えない」
「ってことは」
「この事件そのものにシーナルが絡んでいると踏んだほうがよさそうですねぇ」
緊張感のない声に苛々させられるものがないではなかったがスイージュなので流す。
シーナルは機械技術に優れた種族だ。ならば力信体の使い道はいくらでもある。ヒューンが通常使えない長距離を移動する術も持っているだろう。
「シーナルが力信体を集めてる? 何かに使うため?」
「かもしれませんし、他の何かをするための資金繰りの一環かもしれませんし。何にせよどうせ企んでいるのはろくでもないことに決まっています」
鼻白むスイージュはどうやらシーナルが好きではないらしい。ヒューンを守護する《永遠の守護者》だから、シーナルと衝突することがこれまでもあったのかもしれない。
三人が相談のため宴から目を離していると急に空気が変わった。ざわざわとはしているが声に快さが失せ、どこか神妙な、畏怖ともとれる囁きになっている。
目をやりもしなかったスイージュの顔半分が歪んだ。
視線を戻したリヒテが「クソが」と吐き捨てた。
アークは、初めそれがなんだかわからなかった。
どこからか一人の男が現れて注目を集めていた。宴を楽しんでいた賊たちは女を離してしぼんだように姿勢を改めている。
賊にとって目上の人間なのは明白である。アークが面食らったのは現れた男の姿だ。
その男は、体の左半分を、一枚一枚が銀色に輝く鱗に覆われている。甲冑の類ではない。剥がせば血が出そうな……あれは皮膚だ。
「合成獣?」
声が掠れた。二つ以上の生き物を混ぜる技術の存在は本で読んだことがある。が、少なくとも連邦法では使用を許されていない術だ。
「獣扱いはやめてあげなさい。あれは人です。ヒューンです」
竪琴のような声は怒りで低く滲んで、頬には強く爪が立てられる。
「だからシーナルは嫌いなんですよ……!」
脳裏に鮮明に浮かび上がる。リヴィスと入った遺跡。広く薄暗い部屋に棺のように並ぶポッド。
――末路だ。
言葉が空回りして二回歯がカチカチと鳴る。それを怪物への怯えととったのか、リヒテが補足する。
「ミクラ。シーナルの言葉で混合者という意味だ。オレらの言葉では名前がついてない。誰もつけたくねぇんだろうな。遺伝子レベルで弄られてヒューンが本来持ち合わせていない姿に変えられている」
「ひどい、ことを……」
「もっと酷い話をすると優秀なほど弄られる。あいつは奴隷頭ってところか」
混合者の男は賊に対して話をしている。低い音は響いてくるが内容までは聞き取れない。
「スイージュ、聞こえる?」
「力信体は無事主の元へ届いた、行政が動きかねないからマテラスで女を狩るのはやめろ、など。……どこかに国外に通じる大型の転送機がありますね。探索しても大きな力信体の反応がないのでおかしいとは思っていたんですが。女を連れて逃げられると厄介です」
興が醒めてしまったのか、宴はお開きの流れになっていた。女たちはどこかに連れて行かれようとしている。
「リヒテ。シスクは自分を中心に水を召喚できるとのことですが、中心というのはどのくらいの範囲を指しますか?」
「自分の体から五十セルテ離すのが限界だ。抱きついてでもいない限り他人を避けることはできない」
「召喚した水は消せますか?」
「水だけなら消せるが、土や空気中の塵と結びついた水分は残る。大抵は濃霧が発生する。霧が収まるまでの時間は環境による」
「練度の低い魔法使ですねぇ……」
適宜短く答えるリヒテにスイージュが嫌味を言うと、
「仕方ないだろ。練習するわけにいかねぇんだから。見りゃわかるよ」
「自分の力の最小限度と最大限度を知っておくのは基礎中の基礎なんですけどね……。まあいいでしょう。わたしの合図にあわせて彼女に魔法を使うよう伝えてください」
「どうするんだ?」
「彼女の魔法の規模が曖昧なので女たちの周りに殻状の障壁を作ります。水に流されることもない代わりそのままにしておくと……あー」
説明する間に女たちが遠のき始めた。
「とにかく三分だけ女たちを流されないようにしますので。わたしは転送機のほうに回って退路を断ちますので帰ってくるまでほかの賊は二人で相手してください」
「リヒテは水が流れててもシスクに向かって行けるんだね?」
「ああ」
「なら人質の安全確保はお願い。彼女のところに着いたら魔法を解除させて、発生した霧に紛れて逃して。あたしはなるべくそっちに行かないよう目立って賊を引きつける」
「戻るか?」
「いい。任せて」
彼は物言いたげにしたが長く相談している時間はない。
「だめそうなときは悲鳴でもあげるからさ。そうしたら助けに来て」
「そうか。地面がかなりぬかるむ。足元に気をつけてくれ」
「了解」
「いいですか?」
「ああ。念を繋ぐ」
アークは抜剣して、しばらく使っていない祈法の文字や紋章と呼応する祈文を心の中で復唱する。
「……繋がった」
「ではいきますよ……3、2、1!」
女たちを中心として、あたかも噴水のように放射状の水流が生まれた。勢いは強く、賊が喫驚の声を上げて流される。スイージュがその場から消え、リヒテが崖を飛び下りる。
「へぇ」
崖に打ち付けた波は、畏敬を持ってリヒテを遇すかの如く真っ二つに割れた。寸毫の怯みもなく彼は駆ける。進むごとにリヒテを避けていく水はまるで次々と頭を下げていく群衆のようだった。
「ああいう神話があったな……」
感心している場合ではない。リヒテが波の中心に辿りつくと同時に深い霧が立ちこめた。魔法が解除されたのだ。
アークは宙に向かって地面を蹴った。落下していく。霧に飛び込んで体に受ける空気の重さの差にバランスを調整しなおし、靴底に仕込んだ『跳躍』の文字を使って着地の衝撃を相殺しやわらげる。
足元のぬかるみを踏みしめて確かめ、剣を構える。
そして人を従わせるための声を凛と張る。
「賊ども。抵抗せず降伏しろ。この言葉に背くのならば」
怒鳴るほどの声量である必要はない。世界はアークの言葉が拡がるのを妨げない。
「燼滅する。灰になれ」
炎の剣に熱を灯すと刀身が赤く輝き、霧が驚いたように一段と濃くなってから逃げていく。




