勝手にやってろ
「紀実、おはよー。久し振りー」
「ちょっと来い玖亜」
「へ? ん? ちょっ、あーっ? 紀実ー?」
昨日は結局あのまま夢叶先輩と侑李先輩と三人で色々と話をして。
学校を丸一日さぼってしまったっていうのに。
今日も同じく。
暢気に挨拶をする玖亜の姿を見て黙ってるわけにもいかず、思わず手を取って連れ出してしまった。
なお背後で上がった歓声については無視した。
いや歓声はなんでだよ。
またこいつがアホなこと言うぞ。
「ねぇ、駆け落ちなの? これ?」
「ちっげぇよ!」
ほれみろお前ら。
こいつ勘違いしてるぞ。
ったく、もうこれ以上面倒なこと俺に振んないでくれよ。
夢叶先輩の言うことが少し分かる。
結構いっぱいいっぱいで、ジョークにいちいち付き合っている余裕がない。
ないので、その、あれだ。
頼むから放っておいて欲しい。
昨日と同じように校舎を出て、その辺の路地まで抜ける。
ただ、侑李先輩と違って立ち話もなんなので、近くの小さな公園まで歩いて、ベンチに横並びに座る。
まだ状況が飲み込めていないのか、玖亜は目を丸くしたままだ。
急に連れ出したのは悪かったと思ってるけど、な。
「えーっと、それで、紀実は、学校からわたしを連れ出して、どうしたのかな?」
「話がある」
「話? うーん、それはいいんだけど、学校休んでまで話したいことなの?」
当たり前だ。
お前のことだよ。
他でもない、な。
でも、まずは。
まず何より、先に言っておくべきことは、たぶん。
「悪い。聞いた」
玖亜は首を傾げる。
「聞いた? 何を?」
「妹のこと」
「――そか」
玖亜は笑った。
笑ったが、なん、というか。
初めて見る表情だった。
笑ってるんだが、なんだろな。
なんだろ。
わかんねぇな。
「誰、って宇理か、萌映か、悠、だよね。じゃあ別のことを聞こうかな。どうしてそんなこと聞いたの?」
「知りたかったから」
「知りたい? そうかな? 紀実が? ほんと?」
疑ってくるなこいつ。
無理もないか。
確かにこれまで全くの無関心だったわけだし。
「妹が亡くなって、それで、家から出てこなかったんだってな」
無言。
今は肯定と受け取ろう。
話が進まん。
「あの三人、侑李先輩に狩野先輩に夢叶先輩がなんとか外に出そうとしたけど、話は聞いてくれるのに全然外には出てこなかったって」
「うーん、まぁ、そう、かな」
一体どんな、なのだろう。
今の明るい玖亜からは想像もつかない。
引き篭もって、外を恐れる玖亜、とか。
「それが急に出てきて、ちゃんと学校にも通うようになって、って、その理由も聞いたけど、なんか本人に聞けって言われた」
「それで、ここまで連れて来たんだ?」
「ま、正確には、先輩たちなりの絶対に言わないって強い意思表明だったけどな」
絶対に言わないのなら、聞くしかないだろ。
あとは、確認しておきたいこともあるしな。
「わたしも言わないよ?」
「そう言うと思った」
馬鹿め。
その程度のこと俺が予想していないとでも思ったか。
人に真剣に話を聞くことなんてそうそう無いこの俺だが、いざそうするとなれば、推論くらいは立てていくさ。
「じゃあ、わたしの口を割らせる方法でも考えているのかな?」
「どうして学校に来るようになった、じゃないな。どうしてお前、俺に付いてきた?」
「ふぅん? わたしが紀実に付いて行っているって?」
「じゃもっと直接的に聞くわ。お前何が目的で俺に近づいてきた?」
さすがに玖亜の表情が変わる。
さて、ここから先の玖亜は俺も初対面、だな。
俺が逃げ続けてきた存在。
俺が、目を逸らしてきた存在。
俺と同じ傷を抱えてきた存在。
あぁいや、俺と同じだなんて、そんなものはおこがましいか。
傷なんて、その人だけのもので、誰にも分からないのだから。
「やっぱり紀実は知ってたんだ?」
「知らなかったよ。知ろうともしなかった、昨日まで」
「ほんとに? 信じられないなぁ」
信じられなくとも、真実は真実だ。
昨日まで、本当に俺は玖亜のことを何も知ろうだなんて、していなかった。
「お前の妹、俺の両親が、いや、俺が原因で自殺したんだな」
「そうだよ。柚亜は、紀実の言葉が原因で、紀実の両親の事故を自分の所為だって、自分を責め続けて、耐え切れなくなって。それで、自殺した」
と、いうことらしい。
俺の両親は事故で死んでいる。
あれは去年の出来事で。
唐突に世界のどん底に叩きつけられたようだった。
理由は簡単で、踏み切りの途中で身動きが取れなくなった少女を助けようとして二人して無謀にも飛び込んだらしい。
幸か不幸か、助けた少女は俺の両親が突き飛ばしたおかげで助かったらしい。
その少女には一度だけ会ったことがある。
両親の通夜が行われた時に、何度も何度も頭を下げられた。
けど、許すとか許さないとかそういうんじゃなくて。
その場で誰かを責めようが責めなかろうが、俺の両親は戻ってこない。
戻ってこないんなら、俺が何かを言うべきじゃない。
気に病むのも、忘れるのも自由にしたらいい。
だから俺は、こんな言葉をかけたはずだ。
「俺に謝るなよ。俺の見えないとこで勝手にやってろ」
それ以来会ったこともないし。
第一俺はそいつの名前も、ついぞ聞かなかった。
聞く気がなかった。
まぁ、名前については今の今まで知らなかったわけだが。
どうやら櫛咲柚亜と言うらしい。
でまぁとにかくその少女とやらが玖亜の妹で。
ただでさえ自分の所為で二人の人間が死んだ、と心に傷を負った玖亜妹は、せめて俺に許されるなり、或いは徹底的に嫌われるでもされたかったのだろう。
そうでもされなければ、きっと自分を許すことなんて、できなかったはずで。
だがしかし、俺はその全てを拒否した。
謝罪されることも、断罪することも。
全部。
「勝手にやってろ、って言われた柚亜は、自分を責めて自分を責めて自分を責めて、壊れた、死ぬ直前はもう、なんか、ここにいるのに、精神がどこか遠くにいるような、そんな酷い状態で、見ていられなかった」
「それで、ショックで寝込んでた玖亜は、何かのきっかけで俺のことを見つけた。いや、見つけることにした」
「そっか。そこまでわかってるんだ」
「自分で言ってただろ。自分は席替えを自在に操れるって。まぁもっと詳しい話は侑李先輩と夢叶先輩から聞いた」
ええと、なんて言っていたっけ。
確か、そう。
「確率制御、だったか」
「かっこいい名前だよね。実は命名、萌映なんだけど気に入ってるんだ」
「で、俺が幸魂高校に入学するように確率を制御、ついでに同じクラスになるように確率を制御、ついでについでに席が常に俺の後ろになるよう確率を制御」
「ご名答。わたしのこの力、もう『確率』なんて言葉の定義を超えて、いっそ世界を自由にしちゃえるくらいでね」
そりゃそうだろう。
確率、なんてものは、起こるかもしれない確からしさ。
全事象分の場合の数。
世界は確率で溢れている。
何も、コインの裏表を支配するだけが確率じゃない。
「それで、俺に近づいて何を確認するつもりだったんだ?」
「綾文紀実が、櫛咲柚亜のことをどう思ってるのかなって。わたしの妹のことどう思ってるのかなって」
「知って、どうするつもりだったんだよ」
「場合によっては紀実を殺してわたしも死のうかなって」
真顔。
これは本気の玖亜、だな。
なるほど。
こいつ。
俺を殺すために学校に出てきた、のか。
……。
怖ぇなおい。
殺されても文句が言えない、ってのはまぁ当然なんだが。
俺の言葉のせいで妹が自殺した、となれば、まぁ。
殺したくもなるだろうな。
そんでそのことについてどう思ってるのか探ろうと思って近づいてみれば、俺はそのことを全く知ってる素振りを見せず、どころか家族のことを聞こうともしない。
夢叶先輩がああいう態度を取る理由がよくわかる。
よくよくわかる。
「結果は言うまでもないよね。紀実はなんにも知らなかった。知ろうともしてなかった。わたしの想像よりもずっとひどかった」
「殺したかったか?」
「何度か殺そうと思った」
全く気付かなかったが。
未遂で済んでよかった、かな。
いや、玖亜に殺されるならそれはそれで構わないんだけどな。
どうせ親もいない。
親戚のじいさんが善意で俺を引き取ってくれて、今もこうして高校に通わせてくれてはいるが、俺がいなけりゃいないで出費もなくなるし、悪くはないだろう。
「聞きたいことはそれだけ?」
「いや、あと、能力について、どこまで知ってるんだ?」
「ん? どこまでって?」
説明が難しいな。
どこまで、と言っても俺も全部を把握してるわけじゃないしな。
いいや。
別に駆け引きしてるわけじゃないし、いいか。
「能力の出自とか、なんだとか」
「あぁうん聞いてるよ。なんか生徒会が管理してる書庫にあった古い文献に色々と書いてあったんだってね」
なるほど、そういうあたりはちゃんと知っているのか。
よくまぁ割りに頭は悪くないはずの高校生が普通に能力とかいう不可思議なものを真剣に考察したな。
目の前に玖亜っていう実物がいたから、信じざるを得なかったのだろうか。
いやそもそもどうしてあの生徒会役員の三人は玖亜と仲が良かったんだろうな。
「わたしも去年は生徒会役員だったしね。と言っても途中でいなくなっちゃったけど」
あぁなるほど。
道理で仲が良くて、そういう事情も知ってるはずだ。
「じゃ、自分のその能力のことも、分かってるんだよな」
「うん。わたしの力は、柚亜の死が近づいたから、それを止めたくて、生まれたんだろうね」
妹の死を止めるための力。
けれど、それではどうにもできなかったんだろう。
結果、死んでいるのだから。
「わたしが自分の能力に気付いたのは、柚亜が死ぬ一週間前とか。それで、なんなんだろうって思って色々調べてたら、皆が幸魂高校に伝わるこの能力についての文献を見つけてくれた」
そうやって図書館とか書庫とかを調べられる行動力はさすがだ。
さすが生徒会役員になるような人材は有能だな。
「それで、もしかして、わたしの能力って、柚亜の死が理由なのかもってことが分かって。それからはね、とにかく何に置いても柚亜のことを第一に考えて、なるべく一緒にいるようにしてね」
「でも」
「でも、駄目だった」
そう、だろう。
知ったからと言って、何も変わらない。
何も、変えられない。
「残ったのは結局、これだけだよ。この、陳腐な能力」
「そう、か」
知ろうとしなかった話が、これか。
確かに、軽い気持ちで聞くことはできない。
逃げてきた俺のことを、少しは擁護してやりたいくらいだ。
勿論、擁護なんざ、できねぇが。
「今度、わたしからも聞いていい?」
玖亜が風になびく髪に手を添えた。
決して長くはないのに、綺麗に流れている髪に一瞬目を奪われていると、玖亜がまた攻め込んできた。
「紀実は、柚亜のこと怒ってないの?」
柚亜のこと、とは言うが。
それはつまり、俺の両親の死の原因を作った人間に対して、怒りを感じていないか、ということだろう。
そう言われると俺の答えは一つだ。決まっている。
「怒ってるし俺の家庭をぶち壊しやがって殺してやろうかと思ってるに決まってんだろ」
「その割に、さ。その素性を調べようとか、全然してなかったよね。わたしは紀実が憎くて憎くて、だからどんな人間なのか全部把握してやろうって気になったのに」
「別に。そいつを殺しても俺の家族は返ってこないことを理解してただけだよ。納得よりも先に理解がやってきてた、ってだけだ」
それだけだ。
俺はただ、知ってる。
知ってた。
人はいつか必ず死ぬ。
普通に生きていれば親は子よりも先に死ぬ。
それが逆転してしまうのは、よくないことだと思う。
だが、そうでないのなら。
親が先に死ぬというのなら。
「仕方、ないだろ」
「……え」
「死ぬのは、仕方ないだろ。誰だって死ぬ。老衰でも病気でも事故でも自殺でも、災害でも映画みたいに呪いとか巨大なモンスターに食われるでもなんでも、死ぬもんは死ぬ。どんなに長生きしたってせいぜい百歳までには死ぬ。それが百で死のうが十幾つで死のうがそんなのは誤差だ。十幾つで死んだ人間が不幸だなんてそんなのはそれ以上生きている奴のエゴだ。結局自分よりも早く死んだ奴を見て『あいつは自分の知っている幸せを知らないんだ』とかって意味の分からない優越感に浸りたいだけだろ。そういう奴に限って人生で一番楽しかった時期だとか人生で一番自分らしくあった時期ってのが学生時代だったりするし、そうでなくとも、学生時代が一番楽しいって感じれる人間がいることを認めようとしない奴らだ。俺は学生だからその先の幸せについては知らないし語る権利もないが、大人はいっつも知った風な口で『大人は辛いんだ』と『大人は楽しいんだ』を使い分けてることくらい知ってる。あいつら全員学生のことを見下したいだけだ。自分の経験がどんなに下らないことであっても、長生きしているほうが経験豊富なのだと、子どもよりも大変な経験も子どもよりも楽しい経験も全部見てきたんだって子ども相手に見栄張りたいだけだ。それを聞いて『早く大人になりたい』とか『ずっと子どものままでいたい』とか言ってる奴もうぜぇ。あいつらも今ある現実に納得してない自分に酔ってるだけだ。同じような生活していてそれに満足している奴よりも自分は上を見ているんだとそう自分で自分に言い聞かせてるだけだ。うぜぇうぜぇうっぜぇ。全員どうせ死ぬんだから早くどうなりたいとかこのままでいたいとか言ってる暇があったらもっと大切にしろよ今ってやつを。そんで無くなったら、無くなった現実を受け入れるべきだろ、あーだこーだ言って変わる世界ならいくらでも愚痴を言えばいい」
「うざい。長い。きもい」
一蹴された。
いや、うざい長いはいいとして、きもいはちょっと口が悪くないか。
玖亜のキャラがぶれてないか。
「まぁ、そうだね。親より先に子どもが死んじゃうのは、よくないかな」
「そういうことだ。だから、俺の親については、仕方ねぇんだよ」
「柚亜も、仕方なかったのかな?」
「……それを決めるのは、俺じゃねぇよ」
玖亜は、目を瞑った。
悔しそうに、苦しそうに。
「そうだね」
玖亜が何を考えているのかこんなにも分からなかったことはこれまでなかったが。
これまでちゃんとこいつと話したことなんてなかったのだから、当然か。
にしても、どうして俺は、こんな話をしてるんだっけか。
ええと、そうそう、まだ聞きたいことがあるんだったか。
「玖亜」「紀実」
声が被った。
お先にどうぞ、と俺が示すと玖亜は頷いた。
その一つ一つの仕草が、見慣れているはずなのに、いつもと違う雰囲気だ。
と、頷いたはずの玖亜がそれっきり首を傾げて、話し始めない。
何か、唸っている。
「どうした?」
「む、むむむむ…………く、玖亜って呼ばれた」
「あ? なんだ?」
「なんでもない。えと、さ。紀実は、どうして今日、こんなこと聞いてきたの?」
どうして?
どうして、って。
そりゃ、さっきも言ったろ。
知りたかったからだ。
でも、知りたい、って思ったのは、あれだ。
「……未来が視えた」
正直に、言ってしまう。
黙ってても、嘘をついても、世界は何も変わらない。
そんなことを、誰よりも知ってしまっている。
「どんな?」
ならば俺は、言うしかない。
「玖亜が自殺する未来」
「そか。そういう能力が発現したんだ」
あっさりとしている。
きっと、死のうって気持ちがもうずっと、あったんだろう。
もしかすると、俺にこうして能力が宿ったというのなら、玖亜の中で自殺することが決定事項になっているのかもしれない。
「玖亜」
「ん、なに?」
先ほど聞きたかったことを、俺は尋ねる。
「お前、死にたいか?」
「うん、死にたい」
「本当に?」
「ほんとに」
「俺が嫌だって、言ってもか」
「ふふ、紀実はそんなこと言わないよ。わたしに興味ないんだもん」
違いない。
俺は玖亜に興味がないんだろう。
でも、今は、違う。
櫛咲玖亜のことを知った。
櫛咲柚亜のことを知った。
だから、今の俺には、言えるはずだ。
言っても、いいはずだ。
「俺は、玖亜に死んで欲しくない」
「そうだね。紀実が本気でそう思ってくれたなら、死にたくない、かなぁ」
そう言って玖亜は、立ち上がり。
一粒の涙を目に輝かせて。
俺の元から立ち去って行った。
その姿を追いかけることもせず俺は座ったまま。
「やるしか、ねぇか」
そんなことを呟いた。