第33話後編:井開都子の異界を思うほっこり飯
## 下心満載の鳥居前と、自業自得の怪異連鎖
摩訶不思議な食堂で二人の少女が固い和解の握手を交わした、まさにその翌日の土曜日。
陽気な日差しが降り注ぐ中、京都駅近くにひっそりと佇む稲荷神社の鳥居の前で、一人の男が落ち着かない様子でそわそわと辺りを見回していた。
間宮豊美の2歳年上の兄、間宮豊彦である。
普段は生意気な妹からの連絡など鼻で笑って無視するはずの彼が、わざわざ休日に小綺麗に着飾ってこんな場所にまで足を運んだのには、下衆な下心がこれでもかと詰まった明確な理由があった。
前日の夜、豊美から突然「お昼御飯奢って!」と連絡が来た時、最初は「なんで俺がそんな面倒なことをせなあかんねん」と軽くあしらっていたのだ。
しかし、その直後に送られてきた「可愛い子も連れて行くから二人分奢って!どんな子かは来てからのお楽しみ!」というメッセージを目にした瞬間、豊彦の脳内には都合の良い妄想が怒涛の勢いで咲き乱れた。
どんな可愛い女の子がやって来るのだろうか、もしかしたら妹の紹介を通じて夢のような素晴らしい出会いが待っているのではないか。
豊美のあざとい口車に完全に釣られたと、心のどこかで十分に分かりながらも、下心満載で鼻の下を伸ばした豊彦は、指定された京都駅近くの稲荷神社までホイホイとやって来て、待ち合わせ場所である朱色の大きな鳥居の前で今か今かと待ち伏せをしていたのである。
ポケットから高級な煙草の箱を取り出し、トントンと叩いて一本を口に咥えた豊彦は、退屈しのぎにスマートフォンの画面で時間を気にしながら、ぶつくさと独り言を呟き始めた。
「それにしても、どんな可愛い子連れて来よんのやろ、豊美の奴。あいつ、実家におった時は、警戒心が強かったんか知らんけど、家に友達を誰も連れて来よらんかったからなあ。でも、学生時代に外で見かけたときは、ごっつ可愛い友達を仰山連れとったのに、兄貴に一切紹介せんとか、めっちゃ勿体ない事しやがって。今日こそは兄の特権をフル活用させて、ええ思いさせて貰わんとなぁ」
下品な笑みを浮かべながら、豊彦は胸ポケットから愛用の金属製ライターを取り出した。
チッ、カチャッ、と指先でホイールを回し、ライターの小さな頭からボウッと小気味よいオレンジ色の炎が立ち上がる。
豊彦がそれを口元の煙草の先端へと近づけようとした、まさにその刹那だった。
フッ。
まるで誰かが目の前で意地悪く息を吹きかけたかのように、ライターの火が何の前触れもなく一瞬で綺麗に消え失せてしまった。
「あれ、なんやねん。ガスが切れかかってんのか?」
豊彦は首をかしげ、もう一度親指を動かしてカチャッと火を点ける。
ボウッと炎が上がるが、やはり煙草に届く直前で、再びフッと誰かに吹き消されるようにして火が消えてしまう。
この日は雲一つない穏やかな気候であり、周囲の木々の葉を見てもほぼ無風で、時折心地よい風が少し吹く程度である。
それなのに、ライターの火をつけた途端に、ピンポイントでフッと誰かがストローで息を吹きかけたみたいに、不自然極まりない形で火が消えてしまうのだ。
三度目、四度目と、カチャカチャと何度しつこくやり直しても全く同じように消えてしまい、豊彦はいい加減イライラし始めて顔を真っ赤に染めていく。
「あかん、マジで腹立つわ! このライター壊れてんのか!?」
怒りに任せて次に火がカチャッと点いて、またしてもフッと消えたその瞬間、豊彦は微かな気配を感じて、風が吹いて来たと思われる斜め前の方向へと鋭い視線を向けた。
その視線の先に映った光景に、豊彦はぎょっとして息を呑んだ。
そこには、いつの間にか、現世の人間とは思えないほど真っ白な美しい着物姿に身を包んだ、腰の曲がった小柄な老婆が、不気味なほどにニコニコと満面の笑みを浮かべて静かに立っていた。
「なんや、ただの婆さんか……。心臓に悪いわ」
豊彦は最初はただの神社の参拝客か近所の散歩帰りの寄り道だろうと大して気に留めることもせず、苛立ちを隠さないまま、もう一度だけライターのホイールを回して火を付けようとする。
カチャッ、ボウッ。
次の瞬間、やはり目の前でフッと空気が揺らぎ、無情にも炎が消え失せた。
豊彦の脳裏に、ある一つの疑惑が過る。
まさかと思い、豊彦は試しに右手を大きく動かして、火を点けるフリをするフェイントをかけてみた。
しかし、老婆は微動だにせず、ニコニコと笑ったまま豊彦を見つめている。
「気のせいか? いや、絶対におかしい」
今度はしっかりと、その怪しい老婆の顔を真っ正面から凝視しながら、豊彦はライターにカチャッと大きな音を立てて火をつけると……。
その瞬間、豊彦は我が目を疑う決定的な光景を目撃することとなった。
豊彦が火をつけたのと完全に同時に、目の前の老婆が不気味に口をすぼめて、フゥーッと勢いよく息を吹きかけ、ライターの炎をピンポイントで完璧に吹き消している事実が判明したのである。
あまりにも不気味で奇妙な嫌がらせに、豊彦は煙草を咥えたまま、眉間に深いシワを寄せて声を荒らげた。
「ちょ、御婆ちゃん、さっきから何してくれてんねん。てか、どんな人間離れした肺活量してんのや。その距離から、よう一息でピンポイントに消せるなあ。ギネス記録にでも挑戦してる途中なんか?」
唖然としながらも呆れる豊彦に対し、白い着物の老婆はフフフと喉を鳴らし、朱色の立派な鳥居の柱をカサカサとした細い指先で優しく撫でながら、神社の敷地内に掲げられた「煙草・火気厳禁」とはっきりと書かれた立て札を指し示した。
「あんちゃん、ここがどこか分かっておるんかね? ここは神聖な神社の前でっせ。お狐様のおられる神聖な場所で、火をパチパチと弄ぶのは感心しませんなぁ」
「知るかよ! 俺はまだ神社の中に入ってへんし、この白線の外側の道路で吸おうとしてるんやから法律的にも神社的にも別に問題あらへんやろが! 余計なお節介してんと、もう二度と俺の火を消さんといてんか。ほんま、なんやねん、この鬱陶しい吹き消し婆は!」
豊彦は自分の下心が邪魔されたイラ立ちも相まって、高齢の老婆に対して容赦なく大声で激しい悪態をついた。
すると、その言葉を聞いた老婆は、待ってましたとばかりに顔のシワをいっそう深くして、ニヤリと妖しく笑声を上げた。
「おやおや、なんじゃい、あんちゃん。儂の本当の名前を、ちゃんと知っとるんかいな」
「は?」
老婆のあまりにも噛み合わない奇妙な返しに、豊彦は咥えていた煙草を落としそうになりながら、怪訝そうに首をかしげる。
老婆は着物の袖を上品に揺らしながら、クスクスと不気味に笑い続けた。
「今、あんちゃんが大きな声でハッキリと言うたべさ、『吹き消し婆』ってねぇ。いかにも、儂の正体は、夜道や暗がり、あるいは人の家で人の火を執拗に吹き消す怪異、吹き消し婆そのもの。どうせなら、そんなトゲトゲした呼び方やなくて、『吹き消し婆ちゃん』とでも可愛らしゅう呼びや、若いの」
老婆がケラケラと笑いながら近づいてくる。
「可愛らしないわ! 単なるタチの悪い嫌がらせやんけ! 縁起でもないわ!」
豊彦は背筋にゾクッと冷たいものが走るのを感じ、これ以上の問答は無駄だと煙草を吸うのを諦めて箱へと戻すと、老婆から逃れるようにして鳥居をくぐり、神社の境内の中へと足早に入って行く。
しかし、豊彦がどれだけ早歩きで進んでも、背後からは衣服の擦れる音と共に、あの吹き消し婆がまるで見えない糸で繋がっているかのように、ピタリと背後について来るのだ。
振り返って老婆の姿を確認した豊彦は、ついに怒りが頭の沸点に達し、周囲の目を気にすることもなく大声を張り上げて叫んだ。
「ついて来んなや、このくそババア! ストーカーで警察呼ぶぞ!」
悪態をついて完全に逆上した豊彦は、目の前にあった祠の壁に、これ見よがしに立てかけてあった古びた和傘らしきものを、八つ当たりの強烈なキックで思いっきり蹴飛ばした。
バシィィィンッ!と静かな境内に虚しく響き渡る破壊音。
すると、傘が飛んで行って止まった次の瞬間……。
「あいたー!? また蹴りよった! なんで人間共は毎回毎回、俺どんの事をこうも簡単に蹴り飛ばしよんねん! 娑婆の世界では傘は足で蹴るもんって文化にでもなってしもたんけ!? 昨日に続いて二日連続は流石に我慢の限界じゃ! しゃーきあげたらあ、ゴルァア!」
突如として、傘の辺りから地鳴りのような凄まじい男の怒鳴り声が響き渡った。
豊彦がその現実離れした大音量に飛び上がって驚くと、先ほど自分が力任せに蹴り飛ばしたはずの和傘が、信じられないことに意思を持っているかのように自力で、一本足でぴょんと力強く跳ね上がったのだ。
そして、傘の中央にある大きくて不気味な一つ目を怒りの形に激しく釣り上げ、シュッシュッと鋭い風切り音を立てて、ボクサーさながらの機敏なステップでぴょんぴょんと片足フットワークを取り始めたではないか。
あまりにも異常極まる光景を前に、豊彦が呆然と立ち尽くしていると、後ろから追いついてきた吹き消し婆が、その様子を見て楽しげに腰を折ってけらけらと笑いだした。
「おやおや、やってしもうたのう、若いの。自業自得とはこのことだべさ。こりゃ、儂の冷たい吐息と、その唐笠の強烈な傘キックの合わせ技で、今風の言葉で言うたら『フルボッコ』だべさのう。覚悟を決めなされ」
唐笠お化けは激しくステップを踏みながら、一つ目を血走らせて老婆の方をギロリと睨みつけた。
「おう、吹き消し婆やんけ。なんや、この見るからに態度の悪いボケは、お前さんの連れか何かけ?」
吹き消し婆は首を横に振り、ニヤニヤとした笑みを崩さない。
「いんや、儂は女鬼ちゃんから、『今から神社にクソ生意気な男が来るから、火の用心を頼むね』って直々に頼まれて、ここに待機しとっただけだべさ。唐笠、お前さんも女鬼ちゃんに言われて、わざわざここに先回りしておったんかい?」
それを聞いた唐笠お化けは、一本足を地面にトントンと叩きつけながら、さらに怒りを爆発させた。
「ちゃうちゃう、俺どんはなあ、ただ昨日の疲れを癒すために、日陰の祠の横でちょっと一休みしとっただけや! そしたら、この目の前の不届きなボケが、いきなり挨拶代わりに俺どんを蹴り飛ばしよったんじゃ! これはもう、一撃必殺の傘キックの刑まっしぐらじゃボケェ!」
そういうと、唐笠お化けは凄まじい威圧感を放ちながら、豊彦の逃げ道を塞ぐようにぴょんぴょんと片足フットワークを再開して間合いを詰めてくる。
「な、何やこいつら……っ! 普通の人間やない……! 本物のお化けやんかぁぁぁ!!」
あまりにも悍ましく、そして圧倒的な異界の存在を前にして、間宮豊彦は下心を完全に消し飛ばされ、恐怖のあまり顔を真っ青にしてガタガタと震えながら、その場に棒立ちになることしかできなかった。
---
## 白昼の百鬼夜行と、仕組まれたお仕置き
土曜日の昼食時が近い時間帯、本来であれば参拝客や観光客で賑わっているはずの京都駅近くという抜群の立地にある神社。
しかし、豊彦の周囲には、駅前の喧騒を完全に遮断したかのような、水を打ったように静まり返った不気味な異空間が広がっていた。
まるで世界から見捨てられたかのような静寂の中、目の前に立ち塞がるのは、一つ目を血走らせて激しいステップを踏む唐笠お化けと、ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべる吹き消し婆という2体の本物の怪異。
ドクドクと心臓が早鐘のように破裂しそうなほど脈打ち、豊彦の全身からは嫌な汗が滝のように噴き出す。
「あかん、ここにいたら絶対に殺される! 夢や、こんなん絶対夢に決まっとるわ!」
己の五感が告げる最悪の現実から目を背けるように叫ぶと、豊彦は一刻も早くこの場から立ち立ち去ろうと、踵を返して一目散に出口の朱色の鳥居へ向かって全速力で走り出した。
心臓を激しく弾ませながら、必死の形相で境内の石畳を猛ダッシュする豊彦。
ようやく出口の鳥居が目の前に迫り、これで助かったと胸をなでおろしかけたその瞬間、鳥居の向こうから、まるで映画のワンシーンのように華やかな女性が3人、静かに神社の中へと入って来る姿が視界に飛び込んできた。
一人は、今の季節には少し不釣り合いなシックなトレンチコートを羽織り、顔の下半分を覆い隠すほどの大きな白いマスクを着用した、流れるような黒髪が印象的なスタイルの良い美人。
もう一人は、汚れなき真っ白な着物姿に身を包み、美しく切り揃えられた伝統的な姫カットがよく似合う、艶やかな黒髪ロングヘアのいかにも大和撫子といった風情の高貴な美人。
そして更にもう一人の別の一人は、夜の闇を溶かしたような艶のある黒の着物を艶っぽく着こなし、少し波がかった妖艶な黒髪ロングヘアを背中に流した着物美人。
そこに現れたのは、世の男性の目を一瞬で釘付けにするような、まさに三美女と呼ぶにふさわしい圧倒的な風貌の女性達であった。
全力疾走の勢いのまま鳥居へと突っ込んでいく豊彦は、彼女たちのあまりの美しさに一瞬だけ目を奪われながらも、背後に迫る怪異の恐怖を思い出し、喉を裏返らせながら必死に警告の声を張り上げた。
「あ、あの! お姉さんたち、今すぐ逃げてください! この奥に変な恐ろしい奴らがおるから、絶対にこれ以上中へ行かん方がええですよ!」
豊彦は彼女たちの横をすり抜けて、一気に神社の外の道路へと鳥居を抜けようとする。
しかし、迫り来る豊彦の焦燥をあざ笑うかのように、三美女はスススッと滑らかな動作で横一列に並び、丁度豊彦の行く手を完全に遮る通せんぼする形で綺麗に立ちはだかった。
不自然なほどに息の合ったその壁に、豊彦は急ブレーキをかけるようにして足を止め、焦りから声を荒らげる。
「あ、あの、危ないからそこを通して下さい! どいてくれへんと困ります!」
豊彦が彼女たちの隙間を避けて横から強引に出ようとした、まさにその刹那。
「――私、綺麗?」
一番左側に立っていた、大きなマスクをつけた黒髪の女性が、低く、けれどどこかゾクッとするほどに艶めかしい声で豊彦に問いかけてきた。
「え? いや、今それどころじゃ……はよ逃げんと!」
豊彦は突然の問いかけに戸惑い、苛立ち混じりに言い返そうとしたが、至近距離で見る彼女の綺麗な黒髪ロングヘアや、トレンチコートの上からでもはっきりと分かる抜群のスタイルに、下衆な男心が僅かに揺らいでしまう。
マスクで顔は隠れているものの、この雰囲気なら間違いなくマスクの下も絶世の美女に違いないと確信した豊彦は、下心を隠せないまま、咄嗟に話を合わせておこうと調子よく応えてしまった。
「あ、いや、めちゃくちゃ綺麗っす! 正直、ごっつタイプです!」
豊彦が鼻の下を伸ばしてそう答えた、まさにその直後。
「ふーん……。じゃあ、これでも――同じことが言えるのかしらぁ?」
クスクスと不気味な笑い声を漏らしながら、マスクの女性が長い指先で白いマスクの紐を耳から外して、ゆっくりと顔を露わにする。
パサリとマスクが外されたその顔を見た瞬間、豊彦の顔から一血の気が一気に引き、恐怖で息が完全に止まった。
そこには、耳の付け根の辺りまで、肉を引き裂くようにして大きく口が裂けているとしか思えない、およそまともな人間とは思えない悍ましい割れ目が存在していた。
その裂けた大きな口が、血の滴るような真っ赤な歯茎を剥き出しにしながら、ニっと歪な笑顔を作って豊彦を嘲笑っている。
「ぎゃー!? ブスー!! 化け物やんけぇぁぁ!!」
あまりの変貌ぶり、に豊彦が喉を引き裂くような悲鳴を上げて飛び退くと、今度はその隣にいた白い着物の大和撫子美人が、すっと洗練された白い着物の袖を持ち上げ、己の美しい顔を一度完全に隠しす。
衣服の擦れる衣擦れの音が静かに響き、再びサラリと袖を降ろして豊美の前に顔を出すと、そこには先程までの誰もが振り返るような美しい美人顔が跡形もなく消え失せていた。
目も、鼻も、口も、眉すらも存在しない、ただの凹凸が全くない真っ白な、のっぺりとした不気味な顔がそこにヌッと姿を現したのだ。
さらに恐怖はそれだけに留まらず、右側にいた黒い着物の妖艶な美人が、妖しく身体をくねらせながら、豊彦に背を向けるようにしてクルリと後ろを向いた。
すると、その美しく波打つ黒髪が生き物のように左右にバサッと大きく割れ、隠されていた後頭部に、鋭い牙を無数に生やした、人間の顔ほどもある大きな口が、ニチャァと粘り気のある音を立てて歯を見せて笑っていた。
「こ、こいつらも、全員人間やないやとぉぉぉー!?」
前後左右を完全に異形の存在に包囲された豊彦は、ついに恐怖の限界を迎えて足の力が完全に抜け、情けない悲鳴を上げながら石畳の上にドスンと激しく尻餅をついてしまった。
目の前の3人の美女たちの正体は、時代を経て令和に至るまで恐れられ続けてきた都市伝説と妖怪の系譜、口裂け女、のっぺらぼう、そして二口女であった。
豊彦が腰を抜かしてガタガタと震える様子を見下ろしながら、口裂け女は手に持った大きなハサミをジャキジャキと鳴らし、その裂けた口をさらに深く歪めてウインクをして見せた。
「ふふふ、私らの活動時間って、基本は夕方から夜がメインなんだけどねぇ。こんな真昼間から、あんたみたいな極上のマヌケ面を見ることが出来て上出来ってところかしら。お兄さん、昼間っから摩訶不思議体験出来て本当に良かったわね。今日は特別に、出血大サービスってやつよ」
続いて、顔のパーツが一切ないはずののっぺらぼうが、どこからともなく艶っぽい京都弁の声を響かせ、着物の袖で口元を隠すような仕草をしながらくすくすと上品に笑う。
「それにしても、あんちゃん。今確かに、ワテの大事な親友の口裂けちゃんの事を、真っ正面から『ブス』ってはっきりと言わはりましたよねえ。ウチの可愛い親友をそんな風に侮辱するなんて、これはちょっと、目ん玉が飛び出るような手痛いお仕置きが必要とちゃいますやろか? あ、ついでに聞きますけど、ワテのこのお顔も、あんちゃんから見て綺麗どすか?」
さらにその横で、後頭部の大きな口をニタァっとした笑顔の形にしながら、二口女が前の口でも不敵な笑みを浮かべて、けらけらと楽しげに笑い声を上げる。
「ほんま、こんな目の保養になるような美人さんらを目の前にして、失礼で不躾な御仁やわあ。まあでも、昨日の夜に、あの可愛い女鬼ちゃんからは『今日、神社に行く男には遠慮要らないから、徹底的にやっちゃっていいよ』って直々に言われてるからねぇ、失礼なあんちゃんにお仕置きしても宜しゅうおすね。さてさて、この無礼なあんちゃんを、どないしたまりましょっかなあ♪」
逃げ場のない絶望的な状況に、豊彦の脳裏には走馬灯のように過去の記憶が駆け巡る。
そこへ、追い打ちをかけるように、どこか軽薄で野太い、調子の良い男の声が降ってきた。
「おいおい、せっかくの美女達を前にして、腰抜かして地面に尻餅とか、男としてものごっつ情けないやっちゃなあ。これじゃあ現世の女にもモテへんで。どや、俺っちが特別に、美女との正しい接し方の極意を伝授したろか?」
タッタッタッと四本の足音を響かせながら、鳥居の陰から悠然と歩いて近寄ってきたのは、無駄に彫りが深く整った完璧なイケメン顔の首から下に、フサフサとした四足歩行をする犬の胴体を持った、あの都市伝説の怪異、人面犬であった。
「うわ、キモっ!? 何やねんお前、顔と体がめちゃくちゃで意味不明やんけ! よ、寄るなこのキモ犬! あっち行け!」
豊彦はあまりのビジュアルの気味悪さに、尻餅をついたまま必死に両手両足で地面を蹴り、無様に後退りしながら拒絶の叫びを上げる。
その言葉を聞いた人面犬は、自慢のイケメンフェイスを悲しげに歪め、フサフサの尾をだらりと下げて見せた。
「おいおい、そりゃないで。俺っちのこの洗練されたイケメン具合に激しく嫉妬したからって、初対面で『キモい』は流石に傷つくわぁ。俺っちのガラスのハートが粉々やわ」
「あ、あかん! 夢やったら早く覚えてくれ! ってか、なんで昼間なのに人が誰もおらんねん!? 警察でも誰でもええから、だ、誰か助けてやぁぁ!」
豊彦はプライドも何もかもをかなぐり捨て、涙を流しながら周囲の無人の空間に向かって絶望的な悲鳴を上げた、まさにその時。
緊迫した恐怖の空間の空気を一瞬で切り裂くような、どこか冷ややかで、けれど極めて聞き覚えのある呆れ果てた声が、鳥居のすぐ下から響き渡った。
「――お兄ちゃん、白昼堂々、一体何やってんねんな?」
そのあまりにも現実的な声に、豊彦がハッとして涙目で見上げると、そこには、冷たい目で兄の無様な姿を完全に見下ろしている実の妹、豊美の姿があった。
そして、その豊美のすぐ隣には、この世のあらゆる奇跡を目撃したかのように、その両目をキラキラと限界まで輝かせている、ベリーショートヘアの妖怪オタクの同僚、都子が、大興奮の面持ちで鳥居の下に堂々と立っていた。
---
## 白昼の神社に集う怪異と、暴かれる兄の醜態
「ひえぇぇぇ! と、豊美!? あ、あかん、絶体絶命や! こいつら、見た目は綺麗やけど中身は全員人間やないぞ!? 妖怪とか都市伝説の本物が大挙して押し寄せてきとるんや! 俺を置いて逃げんといて、頼むから助けてくれぇ!」
地獄の底から這い上がってきたかのような恐ろしい怪異達に前後を完全に塞がれ、精神が崩壊寸前となった豊彦は、完全に腰を抜かしたまま無様に石畳の上を四つん這いになって進み、実の妹である豊美の足元へと必死に縋りついた。
「うん、知ってる」
我が兄ながらあまりにも情けないその醜態を、上から冷ややかな目で見下ろした豊美は、大きなため息を吐き出すと、昨日までの自分を棚に上げてどこまでも冷静に言い放つ。
豊美のあまりにもさらりとした肯定に、豊彦は「ええ!?」と間抜けた声を上げて我が耳を疑う。
そんな兄妹の情けないやり取りなど完全に他所に、隣に立っていた妖怪博士の都子は、目の前に並び立つ麗しき3人の怪異の姿を熱い眼差しで捉え、その大きな瞳をこれ以上ないほどに爛々と輝かせた。
「うわぁぁぁ! あの、もしかして、あの高名な口裂け女さんに、のっぺらぼうさんに、二口女さんですよね!? 本物の都市伝説に、古来より有名な妖怪のオールスターズやんかぁ! ああ、こんな素晴らしい奇跡の出会いがあるって最初から分かってたら、べっこう飴と最高級の和菓子をカバンいっぱいに詰め込んで持ってこればよかったー!」
頭を抱えて本気で悔しがる都子のその突飛な叫び声を聞き、ハサミをジャキジャキと鳴らしていた口裂け女は、裂けた大きな口をご機嫌そうに歪めてクスクスと楽しげに笑い声を上げた。
「おや、この御嬢ちゃんが、女鬼ちゃんが言ってた噂の妖怪博士ちゃんね。ふふ、私がべっこう飴が大好物だって事も、ちゃんと知識として知ってくれてんのね。なんだか有名人になったみたいで悪い気はしないわぁ」
「勿論です、妖怪を愛する者の間では義務教育レベルで超有名じゃないですか! あ、えっと、口裂け女さんの前では、あの『ポ』から始まる言葉は絶対に禁句ですよね。豊美、ちょっと耳貸して! 今からその言葉を――」
都子が慌てて豊美の肩を叩き、口元を隠して大真面目に都市伝説の対策を講じようとすると、口裂け女は長い指先でそれを制するようにヒラヒラと手を振った。
「いいよいいよ、別に言われたからって私が一瞬で消滅するわけじゃないから。まあ、そりゃあ聞きたくない言葉ではあるけれど、そこまで気を遣うこたあないわよ。でも、その可愛いお気遣い、どうもありがとうね♪」
口裂け女は茶目っ気たっぷりにバチコンとウインクをして見せると、手際よく白いマスクをかけ直して元の黒髪美人へと戻る。
その隣で、顔に一切のパーツがないのっぺらぼうが、着物の袖を上品に揺らしながら、どこからともなくはんなりとした声を響かせた。
「ふふ、ワテのこのお顔を見て、恐怖で驚くどころか、こんなに純粋に喜んでくれはるなんて。怪異としては脅かしがいがないどすけど、この御嬢ちゃんとは仲良うなれそうな気がしますねえ♪」
そういうと、のっぺらぼうは先程までの美人顔に戻す。
さらにその横で、後頭部の大きな口をバサリと髪で隠した二口女も、楽しげに首をかしげてけらけらと笑う。
「ほんまやねぇ。ほな、今度会う事になったら、ウチのこの後ろの口のために、大好物の大きな大福をたくさんおねだりしちゃおっかなぁ♪」
「はい! その時は必ず、京都で一番美味しい特製の大福をこれでもかと山ほどお土産に御持ちします!」
都子は満面の笑みを浮かべ、憧れの怪異たちとの対話に胸を躍らせる。
「な、なんやねん、お前ら……え? 豊美、そこのベリーショート美人はお前の連れなん? ほんで、このお化けってなんやねん……」
妹と同僚が妖怪たちとまるで古い友人のように親しげに会話している異常な光景を見て、豊彦はガタガタと震える足に何とか力を込め、情けなく立ち上がった。
そんな兄の問いかけに、豊美は呆れた視線を向けたまま、毅然とした態度で告げる。
「まあ、この3人と、奥の御婆さんとは完全な初対面やけど。でも、そこにいる人面犬と唐笠お化けは昨日振りやね」
豊美はカバンをしっかりと握り締めると、恐れることなく堂々とした足取りで、神社の中にいる唐笠お化けの前へと真っ直ぐに進み出る。
そして、昨日までの棘のある態度が嘘のように、豊美は唐笠お化けの真っ正面に立つと、腰を折って深々と頭を下げた。
「唐笠お化けさん、その……昨日の夜は、私の仕事の八つ当たりで、何も悪いことをしていないあなたをいきなり力任せに蹴り飛ばしてしまって、本当にすみませんでした。ごめんなさい」
社会人として、そして昨夜の地蔵店長の教えを受けた者として、豊美は誠心誠意の謝罪の言葉を紡ぐ。
一本足で立っていた唐笠お化けは、その予想外に殊勝な態度に驚いたように大きな一つ目を丸くすると、少し照れくさそうに腕組みをした。
「おう、なんや、昨日と違ってやけに素直やんけ。ちゃんと反省して頭を下げに来たんは偉いやっちゃな」
「理由もなくいきなり蹴られたら、そりゃあ怪異だって人間だって、怒るんは当然ですよね。ほんまに申し訳ありませんでした。それで……今、唐笠お化けさんがそこまで怒り狂ってはるのは、一体何でですか?」
豊美が疑問を投げかけると、唐笠お化けは一本足を地面にドンドンと叩きつけながら、眉間に深いシワを寄せて隣の豊彦をギロリと睨みつけた。
「それがな! 聞いてくれや御嬢! そこにいる薄汚い下心満載のボケ男に、さっき思いっきり蹴っ飛ばされたんや! なあ、もしかして現代の娑婆世界では、傘は足で蹴るもんっちゅう野蛮な文化が根付いてしもてるんけ!?」
唐笠お化けが怒りの形に目を釣り上げて眉を顰めると、豊美の顔がみるみるうちに怒りで鬼のように赤く染まっていく。
豊美は信じられないといった様子で兄を振り返り、そして再び唐笠お化けに向き直って、今度はさらに深く頭を下げた。
「……あれ、私の兄です。兄妹揃って、あなたの事を立て続けに酷い足蹴にしてしまって、ほんまにごめんなさい」
「何やと!? あのボケ男が、改心した御嬢のお兄ちゃんかいな!」
唐笠お化けは驚きの声を上げ、腕組みをしたまま、その大きな一つ目を細めてしばらくの間、渋い顔をして考え込んだ。
「まあ……妹がこうやって自分の過ちを認めて、真っ直ぐに改心した事、ほんで後はそっちの俺どんらの事をよう知っとる、あの知識が豊富で優しい御嬢ちゃんに免じて、こんくらいで勘弁しといたろか」
「本当に有難う御座います! 寛大な心に感謝します!」
豊美がホッと胸をなでおろした直後、彼女はすぐ後ろでオロオロとしている豊彦の胸ぐらを掴むような勢いで、烈火のごとく激しく叱りつけた。
「ほら、お兄ちゃんも、ちゃんと謝りや! はよせんかい!」
「な、なんで俺がこんな変な傘のお化けなんかに……」
豊彦がまだ現実を受け入れられずにボソボソと不満を呟くと、豊美の怒りのボルテージは一気に最高潮に達した。
「お兄ちゃんも蹴ったんやろ? ほな、お兄ちゃんが百パー悪いに決まってるやんか! それとも何?今すぐここで、本物の強烈な傘キックを脳みそに喰らいたいんか!?」
妹の今までに見たこともないような凄まじい剣幕と、今にも飛びかかってきそうな唐笠お化けのフットワークに完全に気圧された豊彦は、ガタガタと震えながら、涙目で慌てて深々と頭を下げた。
「わ、わかったから、もう大声で怒るなや……! その、蹴ってしもて、すみませんでした!」
豊彦のその情けない謝罪の言葉を聞き届けると、唐笠お化けはフゥと大きなため息をつき、腰の辺りに手を当てて仁王立ちになった。
「全くやで! ええか若いの、この唐笠お化けの言葉をしっかりと肝に銘じや! 傘は勿論のこと、道にあるもんをむやみやたらと足で蹴るなや! それが誰かの大切な私物かも知れんやろがい!そもそも現代の人間共は、物を粗末にし過ぎじゃ! 物を長く大切に扱えば、そこに魂が宿るっていう、古き良き付喪神信仰はどないしてしもたんや! 日本人が昔から大切にしてきた『勿体ない精神』は一体どこへ行ってしもてん! 道具への愛が薄うなってしもて、本当に悲しい現代社会やのう……」
唐笠お化けは、まるで高名な哲学者のように、呆れたように首を振って現代社会への深い説教を垂れる。
そんな大人のシリアスな謝罪劇が繰り広げられている一方で、都子は鳥居のすぐ横に立つ、白い着物を着た腰の曲がった老婆の前へとトコトコと歩み寄っていた。
都子はその老婆の顔をじっと見つめると、またしても妖怪博士としての好奇心を爆発させ、その両目をこれでもかとキラキラに輝かせる。
「あの、もしかして、夜道や人の家で火をフッと吹き消してしまう、あの有名な『吹き消し御婆ちゃん』ですよね! お会いできてめっちゃ光栄です!」
自分の名前を正しく、しかも嬉しそうに呼んでくれた都子の姿を見て、吹き消し婆は顔のシワをいっそうクシャッと丸め、嬉しそうに笑った。
「なんや、おばあちゃんっ子な感じがするねぇ、御嬢ちゃんは。それに儂のような古い怪異の事を、そんなに目を輝かせて褒めてくれるなんて、本当に可愛らしい子だべさ。気に入ったよ」
「えへへ、私、おばあちゃんが大好きなんです!」
二人は出会って一分も経たないうちに、まるで本物の祖母と孫のようにすっかり意気投合して仲良くなっていく。
その神社の片隅で繰り広げられるあまりにも微笑ましく温かい光景を、口裂け女、のっぺらぼう、二口女の3人の美女怪異達、 そして三美女怪異の足元に佇む人面犬は、実になだらかな優しい眼差しを浮かべながら、終始微笑ましく見守っているのだった。
---
## 因果応報の謝罪劇と、境界に響く笑い声
こうして、白昼の稲荷神社で巻き起こった前代未聞のひと騒動がようやく落ち着きを見せると、豊美はここぞとばかりに、これまで胸の奥底にずっと溜め込んできた子供の頃に兄から受けた理不尽な屈辱の数々を、怒濤の勢いでぶちまけ始めた。
幼い自分を騙して悍ましいホラー映画を見せつけたこと、夜中にトイレに行けないようドアに細工をして恐怖のどん底に突き落としたこと、そして恐怖のあまり粗相をしてしまった情けない思い出を事ある毎に持ち出しては、何年にもわたってニヤニヤとからかい続けたこと。
豊美が般若の様相で、それらの悪行の数々を告発する横では、口裂け女が大きなハサミをジャキジャキと不穏に鳴らし、唐笠お化けが一本足でトントンと激しく地面を叩いて威嚇し、人面犬や吹き消し婆、のっぺらぼうに二口女といった早々たる怪異達が、冷ややかで鋭い絶対的な威圧感の視線を豊彦へと一斉に突き刺していた。
人間の常識を遥かに超越した異形の存在たちに完全に包囲され、少しでも言い訳をすれば現世から消されかねないほどの恐怖に晒された豊彦は、ついに完全にプライドが崩壊し、ガタガタと全身を激しく震わせながら、豊美に向かって地面に頭を擦りつけるようにして心からの反省の弁と謝罪を述べた。
「俺が悪かった! 本当に申し訳ございませんでしたー! 二度とあの時のことは口にせえへんし、これからは心を入れ替えて優しい兄貴になるから、頼むから勘弁してくれぇ!」
兄の無様な平謝りとこれ以上ないほどの猛省の姿を見て、豊美もようやく長年の溜飲を下げ、ここに長きにわたる兄妹の因縁は一件落着の結末を迎えたのであった。
---
一連の騒動を経て、怪異達が満足したように、静かに霧の如く気配を消し去った後、命からがら助かった豊彦はお詫びを兼ねて、豊美と都子の二人を京都駅近くのそこそこ良い値段のする綺麗なお店へと連れて行き、豪華な昼食を御馳走することとなった。
テーブルの上に色鮮やかで美味しそうな京料理の御膳がズラリと並び、胃袋が満たされていくうちに、豊彦は先ほどまでの死にかけた恐怖を、喉元過ぎれば何とやらで綺麗に忘れてしまったのか、あろうことか目の前に座るベリーショートヘアの美人、都子をちゃっかりと口説こうとして調子よく声をかけ始める。
「なぁなぁ、都子ちゃん。俺、実は昔から都子ちゃんみたいなショートカットの目がクリッとした子がごっつタイプやってん。これも何かの運命やと思うし、今度の日曜日にでも俺と二人きりで大人のデート行かへん? 俺、会社ではな、この若さで主任やっててな、同年代の奴らよりも結構ええ給料もろてるんよ。そやから、美味しいもん何でも奢るでぇ」
鼻の下を伸ばして馴れ馴れしく迫る豊彦に対し、都子は箸を持ったまま、そのらんらんとした大きな瞳をスッと冷徹に細め、一切の躊躇いもなくあっさりと振ってしまう。
「お断りします。私は、自分の実の妹に対して、怪異や妖怪のイメージを悪質に利用してトラウマになるレベルで深く傷つけるような、そんな心の狭い配慮のない人とは、万が一にもお付き合いしません。妖怪達への風評被害としても言語道断です」
都子は背筋をピシッと伸ばすと毅然とした態度で、豊彦の淡い下心を一刀両断にきっぱりと言い放った。
「ええっ!? そんなん言わんといてぇな! 俺、さっきの神社で本気で反省したし、これからは都子ちゃんのために心を入れ替えて真人間になるからさあ! 都子ちゃんが好きなお化けや妖怪のことも、これから血がにじむほど一生懸命勉強するから! 頼むから一回だけチャンスをぉ!」
豊彦はテーブルに身を乗り出し、両手を合わせて必死に涙目でアピールを繰り返すが、都子のガードは鉄壁であり、冷ややかな眼差しを向けたまま一切靡かない都子の完璧な拒絶の前に、豊彦は完全に撃沈してガックリとテーブルに突っ伏した。
その無様な兄の姿を横で見ながら、豊美は上品に西京焼きを口に運び、呆れたような苦笑いを浮かべた。
「ははっ、どこまでも自業自得やろが、お兄ちゃん。自分の過去の悪行が全部自分に返ってきただけや。……まあ、かく言う私も、都子のことに関しては人の事言えへんけどね。子供の頃は、見えへんもんが見える都子のことが怖くて気に入らなくて、会社に入ってからも凄くきつくいじめてもうたし。今思えば、お兄ちゃんと同じくらい最低なことをしてたわ。本当に反省せなあかんのは、私の方やね」
豊美が自嘲気味に呟くと、都子はふんわりと優しい笑顔を咲かせて、豊美の小鉢に美味しいお豆腐をそっと分けてあげるのだった。
---
こうして、年の近い3人が賑やかにワイワイと現世での美味しい昼食を心ゆくまで楽しんでいた、まさにその同じ頃。
此岸と彼岸の美しい境界に佇む『摩訶不思議食堂』の店内では、つい先ほど神社で豊彦を徹底的に懲らしめた一流の怪異達が、役目を終えてゾロゾロと楽しげにやって来ていた。
カウンター席には、金髪のサイドテールを軽快に揺らした鬼の超絶美少女、女鬼をはじめ、作務衣姿のえらいこっちゃ嬢や地蔵店長、猫耳の猫子たちが温かい笑顔で彼らを出迎える。
怪異達はカウンター席に和気あいあいと腰を下ろし、摩訶不思議食堂の厨房を預かる凄腕料理人達が手際よく準備してくれた美味しい特製の昼食を全員で大満足で平らげた。
そして、食後の淹れたての温かい御茶をズズッと優雅にすする、至福の時間を過ごしていた。
女鬼はカウンターの上で長い指先をパチリと鳴らし、集まった怪異達に向けて親指をグッと高く上げてウインクをして見せた。
「みんな、あーしの急な無茶振りに付き合ってくれて本当にありがとねー♪ あのクソ生意気な兄貴のヘタレ面、マジ最高だったわ! まさにパーフェクトなグッジョブって感じ♪」
女鬼の言葉に、淹れたてのお茶を美味しそうに飲んでいた口裂け女が、マスクを少しずらして裂けた口を上品にすぼめながらフフフと楽しげに笑う。
「ふふ、お礼なんていいのよ、女鬼ちゃん。むしろ私達にとっても、真昼間からあんなにいいリアクションをする面白いあんちゃんを脅かすことができて、とっても楽しい体験が出来たわよ。それにしても、あのあんちゃんってば本当に面食いというか、もしあの神社に最初から女鬼ちゃんがいてたら、恐怖する前に絶対に下心全開で口説いてたわよねぇ」
「えー? そうかなあ? あーし、あんなチャラい奴に口説かれても全然響かないし。っていうか、口説いてくる前に、あーしの頭の黒い角を見た瞬間に、恐怖で泡吹いてその場に腰抜かすんじゃね?」
女鬼は自分の二本の鎌状の角を指先で小突きながら、ケラケラとギャル特有の明るい笑い声を上げる。
すると二口女が、お茶請けの豆餅を前と後ろの口で美味しそうに頬張りながら、悪戯っぽく目を細めて笑った。
「いやいや、女鬼ちゃんほどの超絶美少女やったら、例えばその角を『これ、最新の流行りのカチューシャなんだよねー』とか可愛く言うとけば、あのヘタレな男ならワンチャン騙されて、必死に口説いてくることもあり得ますなあ。男って生き物は、綺麗な女の子の前では本当に単純やからねぇ」
その言葉に、隣に座るのっぺらぼうも、着物の袖で顔を覆うような仕草をしながらくすくすと上品に笑声を響かせる。
「ほんまに、絵に描いたように美人に弱い分かりやすいタイプどしたからねえ。ワテらのビフォアーアフターを見た瞬間の、あの目ん玉が飛び出そうなマヌケな顔、今思い出しても笑いが止まりまへんわ」
「ガハハ! あんな傘を粗末にするようなレベルの低いボケ男が、儂らの誇る女鬼ちゃん程の高貴で美しい御方を口説こうなんざ、それこそ逆立ちしたって百億年早いっちゅうねん!」
腕組みをした唐笠お化けが、一つ目をカチッと大きく見開いて、威勢の良い声でワハハと豪快に笑い飛ばす。
その横では、四足歩行の犬の体をした人面犬が、自慢の整ったイケメン顔をフッと気取ったように上へと向け、同意するように深く頷いて見せた。
「そこは俺っちも完全に同意やね。あの男は綺麗な女子の影に怯えて、すぐ妹の後ろに隠れるような、絵に描いたような典型的ヘタレやで。俺っちのこの洗練されたスタイリッシュな格好良さに、最初から最後まで激しく嫉妬して怯えてるだけやったからなあ」
怪異たちの賑やかな掛け合いを、カウンターの端で静かに聞いていた白い着物の吹き消し婆は、シワだらけの顔をクシャッと丸めて穏やかな声を響かせる。
「まあまあ、みんなそうやって意地悪く言ってやりなさんな。あのヘタレな若いもんもな、今回の恐怖と妹からの真っ直ぐなお説教を経て、少しは頭を冷やして意識改革すりゃあ、人間としてこれからいくらでも大きく成長もするでな。儂ら異界の住人は、あの若いもん達がこれから歩んでいく人生を、陰から温かく、のんびりと見守ってやるべさ」
お婆ちゃんらしい深い慈愛の込められた言葉に、食堂全体が優しい安心感で満たされていく。
すると、それまでずっとみんなの話を大きくて綺麗いまん丸な目でジーっと見つめながら聞いていた作務衣姿のえらいこっちゃ嬢が、待ってましたとばかりにパッと顔を輝かせた。
「えらいこっちゃな若いもんに、えらいやっちゃな未来あれ!」
食堂の天井に届かんばかりの勢いで、小さな両腕を上下にぶんぶんと激しく振り回し、これから紡がれる人間の未来へ向けて、心からの賑やかな祝福を贈るのだった。
---
## 降って湧いた好機と、選ばれし妖怪博士
怒濤に満ちた波乱の週末が嘘のように過ぎ去り、現世の時間が再び慌ただしく回り始めた週明けの月曜日。
都子と豊美が務める大手クリエイティブ会社の格式高い会議室では、朝の爽やかな日差しが窓から差し込む中、厳かな雰囲気で新規プロジェクトの立ち上げ会議が開かれていた。
会議室の長机の向こう側に並んで座っているのは、京都の地元の文化を深く発信する高名な地域誌の会社の人々である。
対するこちら側では、キャラクター開発部を統括する、仕事に厳しくも部下思いな美人課長が、背筋をピンと伸ばして彼らと熱心な打ち合わせを重ねていた。
机の上には様々な資料が広げられ、ペンが走るカリカリという微かな音が静寂に響く。
先方の営業担当は、手元の企画書を丁寧に指し示しながら、少し緊張した面持ちで具体的な要望を口にし始めた。
「今回、 妖怪ストリートやお化け祭、また怪異関連の見本市や展示会等で配布する冊子用キャラクターや、地域誌用のキャラクターと記事をお願いしたいんです。キャラクターデザイン専門の人らには、文章の作成や記事の執筆というのは少々慣れへん事やとは思いますけど、そこも含めて一括でお願いできますやろか?」
営業担当の言葉を引き継ぐようにして、隣に座る先方の課長も、京都の伝統的なイントネーションを交えながら穏やかな笑みを浮かべて打診する。
「まあ、昨今の妖怪アニメとかの流行によって、世間ではブームの波が激しくある業界ですが、そこはやはり京都と言う歴史ある土地柄の御蔭さんか、うちの地域誌は一定以上の根強い需要がありましてね。もし今回のデザインが上手くいけば、将来的には可愛い妖怪グッズなんかともコラボさせてもらえたら、大変嬉しゅうおす」
先方から提示された企画の核心となるキーワードを聞いた瞬間、美人課長は「妖怪、ですか」と、静かにオフィスの光景を脳裏に思い浮かべる。
その言葉の響きと共に、美人課長の頭の中に真っ先に浮かび上がってきたのは、普段から周囲の制止も聞かずに熱苦しいほどの妖怪愛を爆発させ、奇妙なイラストを量産している部下、井開都子の満面の笑みだった。
先方の営業担当は、美人課長の沈黙を前向きな検討と捉えたのか、さらに親しみやすい笑顔を浮かべて言葉を続ける。
「京都には、古くから伝わるお化けとか妖怪関連のディープなイベントが、それこそ年間を通じて街中に仰山ありますからね。キャラクターの知名度を上げる土壌は十分に整っております」
「まあ、だからと言って、妖怪というジャンルはそちらさんの会社としても、これまでにない全く新たな試みやさかいね。最初は言葉の表現も含めて、お互いに手探りの状態から始める事にはなるとはかとは思いますが、この条件で一度前向きに進めていただくというのはどうでっしゃろ?」
先方の課長が、こちらの反応を窺うようにして最終的な打診を投げかけてきた。
会議室の中に、今後の会社の方向性を左右する張り詰めた静寂が数秒だけ流れる。
美人課長は目の前の企画書を一度カチッと綺麗に揃えると、その美しい切れ長の目をさらに輝かせ、迷いのない確信に満ちた声で告げた。
「……なるほど、状況は非常によく理解致します。実は、我がキャラクター開発部に所属する社員の中で、今回の複雑な条件に対して、これ以上ないほどぴったりな、唯一無二の適任者に心当たりがあります。今すぐこの場に呼んで来ても宜しいでしょうか?」
「おや、それは心強い。是非とも、その方のお話を伺ってみたいですな」
先方の快い承諾を得ると、美人課長は「それでは、一旦失礼致します」と言い残し、一旦会議室の重厚な扉を静かに開けて外へと出た。
コツ、コツ、コツと小気味よいヒールの音を静かな廊下に響かせながら、彼女は部下達が待つキャラクター開発部のオフィスへと急ぎ足でやって来る。
月曜日の朝のオフィスでは、週末の私服姿から一転してオフィスカジュアルを完璧に着こなした豊美が、メイン担当として真剣な表情で液晶タブレットに向かってペンを走らせていた。
そのすぐ隣の席では、サポート役に回った都子が、豊美の指示に従いながら、いそいそと熱心に資料の整理やアシストの仕事に励んでいる。
二人の間には、週末の摩訶不思議食堂での経験を経て、以前のような険悪なトゲトゲしさは微塵もなく、驚くほど息の合った素晴らしい連携の空気が流れていた。
オフィスに足を踏み入れた美人課長は、都子のデスクの前に立つと、少しだけ声を低くして語りかけた。
「都子、ちょっとおいない。急ぎの仕事や」
「え? あ、はい、ただいま行きます!」
突然の課長からの呼び出しに、都子は驚いて丸い目をパチクリとさせたが、すぐに持っていた資料を机に置き、慌てて椅子から立ち上がって美人課長の後ろをトトトッと小走りで付いて行く。
隣で見送る豊美は、一体何が始まったのだろうかと不思議そうな表情を浮かべていたが、都子は緊張で胸をドキドキと高鳴らせながら、美人課長に連れられて廊下を進み、ついに先方が待つ会議室の扉の目の前までやって来た。
重厚な木目の扉を前にして、美人課長が静かにドアノブに手をかける。
その向こう側で、都子の人生を大きく変えることになるかもしれない、妖怪にまつわる大仕事の幕が、今まさに静かに上がろうとしていた。
---
## 溢れ出す情熱と、運命の妖怪連鎖
ガチャリと重厚な防音扉が開き、都子は緊張で胸をバクバクと高鳴らせながら、美人課長の後ろに付いて厳かな会議室へと足を踏み入れた。
室内では、今回の新規プロジェクトの鍵を握る地域誌の会社の営業担当と課長の二人が、真剣な面持ちで待機しており、新しいデザイナーの登場にスッと背筋を伸ばして立ち上がった。
都子も大手のクリエイティブ会社に勤めるプロのデザイナーとして、慌てて丁寧にお辞儀をして誠実な挨拶を交わしてから、彼らと真っ正面から向かい合う形で、信頼する美人課長と並んで革張りの椅子へと静かに着席する。
会議室のテーブルの上には、今回の企画の骨子となる数々の資料が美しく並べられていた。
先方の営業担当は、都子のやる気に満ちた表情を見て嬉しそうに微笑むと、「それで、早速なんですけど、まずは我が社が用意してきたこれを見て下さい」と言って、手元にあったカラー印刷の分厚い資料を都子の目の前へとスッと差し出す。
差し出された企画書の最初のページが開かれた、まさにその瞬間だった。
「え!? ワラシちゃん!?」
都子は目の前のページに大きく印刷された画像を見るなり、椅子から浮き上がるほどの勢いで、驚きと歓喜の混じった大声を思わず会議室全体に響かせてしまった。
あまりにも突然の、そして社外の人間にはおよそ理解できない独特な単語の叫び声に、先方の二人は「え?」と同時に声を漏らし、一体何が起きたのかと呆然とした様子で顔を見合わせる。
しかし、都子の妖怪博士としての凄まじい情熱の暴走は、これしきの事では誰にも止めることなどできなかった。
都子はさらにページをパサパサと勢いよく捲ると、そこに載っていた別の挿絵の見本を指さし、そのらんらんとした大きな瞳をこれ以上ないほどに輝かせた。
「こっちには小豆洗いさんもいる! なんて素晴らしいチョイスなんですか!」
隣でその狂喜乱舞する姿を見ていた美人課長は、こめかみに青筋を浮かべながら、トントンと机を指先で叩いて低い声で呆れて嗜める。
「ちょっと、都子。クライアントの前や、いい加減に落ち着きよし」
先方の課長は、都子のその尋常ではない反応の良さに一瞬だけ圧倒されながらも、ふっと表情を和らげて穏やかに笑った。
「えっと、今回の冊子のために、世間で広く知られている有名な妖怪をいくつか適当に検索して資料に乗せたんですけど、やはりこれほど有名どころの妖怪やから、井開さんも御存じと言う事ですかね」
すると、その隣に座る先方の営業担当も、手元の端末を操作しながら、なるほどといった様子で深く納得する。
「まあ、企画の段階で『有名な怪異』とか、ありきたりな検索ワードでネット検索を適当にかけたり、今流行りのAIに直接聞いてリストアップしただけですからね。それだけ、現代の若い人たちの間でも知ってる人が多いって事の証明ですよね」
都子が資料の妖怪達を愛おしそうに見つめていると、先方の課長は、京都の歴史ある地域誌としての少し意地悪で挑戦的な疑問を、冗談めかした笑顔と共に投げかけてきた。
「ほな、せっかくの機会やしお聞きしますけど、我が街、京都の妖怪とかって、実際にいたりします? 流石にそこまで地域に限定したディープな話になると、資料も少ないですし難しいですやろか、なんて……」
その挑戦的な打診を聞いた瞬間、都子の頭の中で、これまでに蓄積してきた膨大な妖怪の知識の引き出しが、ガチャンと音を立てて一斉に解き放たれた。
都子はふふっと不敵な笑みを浮かべると、資料に目を落とすこともなく、淀みのない滑らかな口調でさらりと応える。
「京都の妖怪ですか? そんなの、数え切れないほどたくさん存在しますよ! 例えば、これは直接聞いたんですけど、滋賀県と御縁がある方輪車さんは京都も守備範囲やし……あ、同業的な怪異で言えば、同じく炎に包まれた車輪の妖怪である輪入道は、確か京都の東洞院通に現れた怪異ですね。それと、誰もが一度は聞いたことがあると思うんですけど、あののっぺらぼうさんも、実は京都の御前通の付近が発祥と言われている立派な京都の怪異で、二条河原で目撃情報があったりする有名怪異なんですよ。週末に直接聞いて来た話やから、間違いありません!」
都子が立て板に水のごとく、歴史的な地名まで交えてさらりと応えると、目の前の先方の二人は、そのあまりにも具体的で専門的な回答に度肝を抜かれ、またもや「え?」と間抜けた声を漏らしながら呆然と顔を見合わせる。
それからというもの、都子の独壇場による白熱した講義が始まった。
都子は手元の資料を全く必要とせず、自身の脳内にある完璧な妖怪図鑑だけを頼りに、京都の街の東西南北に眠る怪異譚を披露していく。
一条通の百鬼夜行の伝説や、鞍馬山の天狗、羅生門の鬼から土蜘蛛に至るまで、ありとあらゆる京都の怪異の歴史やエピソードを、溢れんばかりの表現力を駆使して熱く語り尽くしていく。
その圧倒的な熱量と完璧すぎる知識の奔流を真っ正面から浴びせられた先方の二人は、驚愕のあまり完全に言葉を失っていたが、この時に彼らの心は「この素晴らしい逸材に、今回の仕事をすべて任せたい」と既に完全に決まっていた。
一通りの完璧な説明を終えて、満足そうにふぅと一息ついた都子に対し、隣の美人課長は、あまりのオタクトークの暴走ぶりに深く大きなため息を吐き出し、頭を抱えてボソリと呟く。
「仕事の大事な会議の場で、自分の趣味のオタトークを全開にしなや……。本当に恥ずかしいわぁ」
しかし、クライアント側の反応は、美人課長の予想を遥かに超えて大絶賛であった。
都子の解説に全身に鳥肌が立つほどの深い感動を覚えた先方の課長は、もはや座っていられんと言わんばかりに、ガタタッ!と勢いよく椅子を鳴らして思わず立ち上がり、興奮に声を震わせながら熱烈に打診する。
「井開さん! 是非、今回の地域誌の新規企画をすべて担当して下さい! 監修もデザインも全部、井開さん主導でお願いします!」
あまりの猛烈なプッシュに、今度は都子の方が「え?」と目を丸くしたまま完全に固まってしまう。
先方の営業担当も、課長の勢いに乗っかるようにして、嬉しそうに両手を叩きながら大はしゃぎで言葉を繋ぐ。
「いやあ、ほんまに、これ以上ないほどぴったりな唯一無二の適任者とお呼びになった通りの、恐ろしいほどの人材やないですか! 僕もね、生まれてこの方ずっと京都に住んでますけど、まさかのっぺらぼうが京都にそんな深い縁ある怪異なんて、今日初めて知りましたよ! こりゃあ歴史に残る大逸材ですやん!」
「え、ええ!? 私、今は別の企画で、ただのサポート担当ですし、本当に私なんかでいいんですか!?」
都子が予期せぬ大抜擢に本気で驚いて周囲を見渡すと、頭を抱えていた美人課長は、フッと優しい誇らしげな微笑みをその美しい顔に咲かせ、ゆっくりと立ち上がった。
「都子以外に、これほど高度な内容を完璧にこなせる人は、この会社どころか、京都の街中を探してもおらへんやろ。ほな、任せたで、都子。全力で良いものを作りよし。では、これにて無事に交渉成立ですね」
美人課長は洗練された動作で先方の課長へと右手を差し出し、ガッチリと固い握手を交わして契約を成立させる。
こうして、井開都子は自身のこれまでの努力と愛が実を結び、新たな「地域誌の妖怪コーナー」の華やかな連載をすべて主導で任される事となり、まさに都子にしか出来ない、素晴らしい仕事との最高の御縁がここに美しく結ばれたのであった。
---
## 街に舞う唐笠の教えと、食堂に広がる応援の輪
そうして、あれよあれよと言う間に企画は急速に進み、都子がすべての情熱を注ぎ込んで描き上げた妖怪コーナーの連載第1回が掲載された地域誌が、ついに京都の街へと華々しく刊行された。
街の書店やコンビニの店頭には、刷り上がったばかりの鮮やかな冊子がズラリと並び、流行に敏感な人々や地元住民の手へと次々に取られていく。
注目の妖怪コーナーは、なんと惜しげもなく1ページ丸々使われており、その圧倒的な存在感と美しいレイアウトで読者の目を一瞬で釘付けにしていた。
紙面の中央には、都子が路地裏や神社で実際に出会ったあの唐笠お化けをモティーフにした、ポップで洗練されたデザインの傘のお化けが、今にも動き出しそうなほど生き生きと描かれている。
一本足でフフンと偉そうに腕組みをしたり、躍動感あふれるポーズでダイナミックな傘キックを繰り出しながら、「物を粗末にするな!」と熱く御説教するコミカルな吹き出しが随所に合ったりと、全体が非常に可愛らしく表現されていた。
妖怪特有のおぞましさや気味悪さを綺麗に消し去り、誰もが思わず笑顔になるような愛らしさに昇華されたそのイラストは、発売直後から瞬く間に老若男女の間で大人気を博した。
また、物を大切にしなさいと言う温かいメッセージが真っ直ぐに込められていることもあって、現世の親御さんの間では「お道具さんにも心があるんだよ」と、子供達への読み聞かせコーナーとしても十分に使える事もあって非常に重宝された。
そうした教育的な側面も手伝って、地域誌の売れ行きは初動から素晴らしい数字を叩き出し、まさに文句なしの上々の走り出しを記録することとなった。
自分の描いた妖怪イラストが世間に認められ、大勢の読者を笑顔にしているという最高の現実に、都子はまさに水を得た魚の如く、この連載の仕事にこれまでにないほどの激しい情熱の炎をメラメラと燃やしていく。
オフィスでもフンスと鼻を鳴らしながら、次の号の構想を練るために寝る間も惜しんでアイデアをひねり出し、出社してはペンを走らせる日々が始まった。
その圧倒的な熱量と素晴らしい成果がクライアント側にも高く評価され、なんと次の号からは、都子が新しく生み出す可愛らしい妖怪のキャラクターを毎号1体、隅っこではあるが表紙に掲載させてもらえることになり、彼女のクリエイターとしての魂にはさらに熱が入るのであった。
---
現世の京都の街頭で都子が素晴らしい大活躍をし始め、デザイナーとしての新たな階段を力強く駆け上がり始めていた、そんな中。
現世と幽世の美しい境界にひっそりと佇む『摩訶不思議食堂』の店内では、ガヤガヤと賑やかで楽しげな笑い声が響き渡っていた。
そこでは、えらいこっちゃ嬢と女鬼、そして小豆洗いや猫子といった厨房の面々が、現世からその刷り上がったばかりの冊子を誇らしげに持って来た唐笠お化けと一緒に、テーブルを囲んで熱心に誌面を読んで笑い合っている。
金髪のサイドテールを軽快に揺らした鬼の超絶美少女、女鬼は、誌面のイラストを指差しながらケラケラと弾けた声で笑った。
「あはは! 見てよこれ! この唐笠さん、めっちゃ唐笠さんしてんじゃん! 表情とかフットワークの感じとか、そのまんまだし!」
褒められた唐笠お化けは、一本足でトントンと嬉しそうに床を叩きながら、大きな一つ目を細めて満足そうに腕組みをした。
「ガハハ! 俺どんの姿もよう描けとるし、俺どんが熱く語った事もしっかり読者に伝えとるがな! こりゃあ本当にええ記事やで。現代の人間どもが物を粗末にする心を改めて、古き良き付喪神信仰が再び世に広く広まるきっかけになりゃあええのう!」
その横で、自分のことのように大喜びしていた作務衣姿のえらいこっちゃ嬢も、テンションを最高潮に上げてパッと顔を輝かせた。
「えらいこっちゃな良記事! えらいやっちゃなメッセージ! 真眼おねえやんのごっつええ才能が爆発しとる!」
少女は小さな両腕を頭の上でぶんぶんと激しく振り回し、厨房の面々もみんな一様に温かい気持ちで、現世で頑張る都子のことを心の底から応援していた。
そして、カウンターの奥でその賑やかな様子を静かに見守っていた地蔵店長が、その石の質感を湛えた顔全体に、いっそう深い慈愛の笑みを浮かべた。
地蔵店長は、胸の前でそっと大きな両手を合わせ、お地蔵さん笑顔で深く合掌してお辞儀をする。
「都子さんがご自身の信念を貫き、現世で善き仕事と善き縁結ばれた事、とても嬉ゅう御座いますねえ。これからも彼女の歩む道が、光に満ちたものでありますよう」
地蔵店長はどこまでも穏やかな声でそう呟き、此岸の陰から都子のこれからの未来を優しく応援していた。




